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2022/11/28 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉔

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉔
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


子供たちを見回して、ダーリヤは気付いた。
「ステパはどこ? 何が起こったの?」。
「何も起こらないよ、ママ」。鼻が上を向いているマルーシヤが答えた。「ステパとアンドレイがちょっと口喧嘩しただけ」。
「どんな口喧嘩?」。
「いつもの口喧嘩だよ。ステプカは負けたから、アンドレイカが靴底を付けられるように、語り部爺さんのところへ錐を借りに裸足で駆け出したんだよ」。
「裸足で? 雪の上を?」。ダーリヤは肝を冷やした。

氷に覆われたドアが軋んだ音を立てて、父親の毛皮外套を着たステパが家に走り込んで来た。彼の裸足の両足は、ザリガニのように真っ赤だった。
「ほら、アンドリューシャ、お前のための錐だよ。イワン・カルポーヴィチは、明日必ず返すように言っていたぞ」。
「ほら、ほら、お利口さん、すぐに寝床まで行進! 病気にでもなったらどうするの」。ダーリヤは、手元にあった箒で凍えているステパの足を軽く叩いて脅かした。

「病気になんてならないよ、母さん、俺は頑丈にできているんだよ。父さんは一度も俺にそんなことを言わなかったな」。ステパは笑って、ネコのようにすばやく暖炉の前に移動した。「ねえ、母さん、俺、母さんと一緒にリャーピンのところへ石炭運びに行こうかな。母さん、言ってただろう、日給が1ルーブルだって。ということは、今、1ルーブルだけど、それが一気に2ルーブルになるんだよ」。

「何を言い出すの、お前は」。ダーリヤは毛皮の半外套を脱ぐと、木の長椅子の上に広げて敷いた。頭が混乱して、食欲が無かった。子供たちをそれぞれの板寝床に寝かしつけ、ござを掛けてやった。お休み、みんな! そして紡ぎ車の前に座った。

「俺、行こうか、ねえ、母さん」。暖炉上の寝台から、ステパがまた声を掛けて来た。
「お前、あそこは10露里[約10.67キロメートル]も歩かにゃならないんだよ。しかも、ずっと枕木の上をね」。
「ああ、行くともさ。俺は足は丈夫だし、途中でキジを撃つんだもの」。
「あそこには、確かにキジはいっぱいいるけど」。
「ほら、自分でもそう言っているじゃないか」。
「分かった、もし病気にならなかったら行ってみよう」。


その日、ダーリヤは、約束通りに長男のステパを連れて行った。ずっと一緒だったら、どんなに心強く、楽しくやれるだろうと思ったのだ。
アリョーナ・プロスタキーシャは、馬が枕木で脚を痛めたので、今は哀れにも仕事を失くして家にいる。前を行くのは、エフィムがクマの胆嚢と交換にチェ・ヨンゲンから手に入れた毛皮外套を着たステパだ。羊の毛皮の大きな外套を着たステパは、13歳という自分の年齢よりも上に見え、少し不格好で、ぎこちなく見えた。

暗赤色の丸い太陽が、雪の吹き溜まりの、雲母の層のようになって凍った表面を弱々しい光で照らして、白い山々から顔を出した。それは、その日が風のある、厳寒になることの確かなしるしだ。
エフィムの羊の毛皮外套を着た息子は暖かいだろう。ウサギの長外套だったら、凍えきってしまうところだった、とダーリヤは思った。

ノバラやサンザシのとげとげした藪を通り抜けて行く途中で、何羽かのキジを脅かして飛び立たせた。ステパは父親の猟銃を何発か撃ち、虹色の光沢の羽を持つ堂々とした雄のキジを二羽射止めた。
《本当に、息子はもうすっかり大人なんだわ》。息子の戦利品を喜びながら、ダーリヤはこう思った。

リャーピン鉱山は、二つのはげ山の間の、歯をむき出した獣を思い起こさせるようなぎざぎざに樹冠が並んだ、暗く鬱蒼と木々が生い茂った一角の端っこにへばりついていた。雨と太陽のせいですっかり黒ずんだ、低いあばら屋の側には、石炭を積んだトロッコが既に待機していた。ところが、その近くで労働者たちが群れており、つるはしを振り回しながら、何か叫んでいた。なめし革の半外套、シカ皮の帽子、防寒長靴という行軍風の服装をしたリャーピンが、手摺りに両手をもたせて、自分の事務所の高いポーチに立っていた。

事務所の方に近づいたダーリヤとステパは、労働者たちが自分たちの要求を訴えているのが分かった。
「それじゃ駄目だ、ご主人!」。手織りの粗ラシャ製の上張りを着たのっぽが、誰よりも大きく、バスの声を張り上げた。「夏場も冬場も同じじゃないか。冬場の石炭堀りは、夏場よりもきついんだ。だから多く払うべきなんだ」。
「出来ない!」。短い足で板張りを踏み鳴らしながら、リャーピンは叫んだ。「出来ない原因は一つだ。ここの石炭は灰分が高いので、外国人たちはそっぽを向いて、買うのを断っている。わしとお前さん方は、一緒に落ちぶれるのさ」。

「もし灰なんだったら、鉱山は閉山にすればいいさ。俺たちは騙されないぞ」。のっぽは言い切った。彼のこれらのことばを聞いて、ダーリヤは不安になった。《鉱山が本当に閉山になったら、私らはどうなるかしら》。彼女はそう思い、ちびのリャーピンがせかせかと動いているポーチの方を不安な気持ちで見ながら、急いでラーストチカを橇から外した。もしかしたら、たびたび起こるように、怒った労働者たちが石炭を積み込んだトロッコをひっくり返し、彼女とステパは肩透かしを食って家に帰らなければならないかもしれない。ダーリヤはラーストチカを、端の方にあるトロッコの一つに連れて行くと、何カ所かの鉄の穴に鎖を通してボルトでしっかりと固定した。そして橇はトロッコの後ろに繋げた。ステパの馬のルレートにも、彼女は同じことをした。

群れはまだ騒いでいた。労働者たちが何について騒いでいるのか、それ以上は聞かずに、ダーリヤは手綱を引いてラーストチカを駆り立てた。ラーストチカは従順に枕木の間に足を入れ替えながら、自分の後ろに石炭を積んだトロッコと誰も乗っていない橇を引きずって、軌道を歩き出した。すく後から、ルレートがトロッコと橇を引きずって続いた。トロッコは激しい振動で跳ね上がったり、揺れてぐらぐらした。このようにして1露里[約1.067㎞]ばかり過ぎた。丘陵地が始まり、斜面に狭軌道が敷かれたところで、ダーリヤは馬を停めた。

「疲れただろう、お前」。ブレーキになっているヤチダモの締め具を調節しながら、寒さで赤い顔をしたダーリヤが声をかけた。
「どうってことないよ。行こう、母さん。慣れなくちゃ」。羊皮外套のボタンを外しながら、息子は答えた。
「もっと、もっと疲れるんだよ、お前、道は長いんだから。休憩して、ちょっと腹に入れよう」。
ダーリヤは橇から干し草を一抱え取ると、ラーストチカとルレートの足許に置いた。そうしてから、エフィムの使い古しの背嚢をほどいて、卵、獣の脂身、ジャガイモのピロシキを出して麻布の上に並べた。
「食べなさい、口を動かす元気があるうちに。休まないと、埠頭までは、そりゃあ遠いんだから」。
「母さん、マーマントフカの草刈り場で父さんがやったみたいに、脂身をあぶってから食べない?」。
「ああ、いいね。あぶって食べよう」。

雪の上にたき火が燃え上がり、火の周りでは、ヘビみたいにシューシューと言って雪が融けた。
ダーリヤは凍った脂身をナイフで薄く切って、それぞれを、良くしなるヤナギの細枝に刺し、たき火のそばに持って行った。火に脂がしたたり始め、たき火は思わずシューシューと声を上げた。
「お前、ジャガイモのピロシキもおいしいよ」。
ステパは、汁を飛び散らせじゅうじゅう音をさせている脂身の下に冷たいピロシキを当てて、口に運んだ。
「うまいよ、母さん」。
「ここで私らは脂身にかぶりついているけど、父さんは塹壕の中でシラミに食われているんだよ」。ダーリヤは十字を切り、こみ上げてくる涙を拭った。
「泣かないで、母さん。アキーム爺ちゃんが言ってたけど、父さんがゲオルギー勲章を貰ったからには、わが軍が必ずドイツ人を一か所に封じ込めて、そこを追撃して、父さんはそこから戻って来るって」。
ダーリヤは笑い出した。
「ああ、お前のことばが神様のところまで届くといいね。さあ、腹ごしらえは出来たし、少しは暖まった。さて、出発しよう」。

そして再び、馬たちは鼻嵐を吹き始め、レールが軋み悲鳴に似た声を上げ、トロッコが揺れ始めた。両側には、小さな林、草地、湖、表面が光る氷で被われた雪だまりなどが続いていた。小さな林の中は静かだったけれど、草地に出るや否や、ダーリヤとステパはいつも寒さに凍えそうになった。小さな林の出口近くの、狭軌道から100サージェン[約213.4メートル]のところに、背の高い雑草の中から空き地にアカギツネが飛び出して来て、カチンカチンに凍った雪を脚で掘りながら、その場でぐるぐる回り出した。
「母さんの襟巻になるよ」。橇から猟銃を取り出しながら、ステパはミトンの手袋でキツネを指した。しかしキツネには、橇の後ろから来る毛皮外套の男が何を考えているかを察知するのに、彼のこの一つの動きだけで十分だったのだろう。身体全体を平らにして地面にくっつけながら、一瞬のうちに雑草を横切り、林の中に身を隠した。
「お前、あれはひどくずる賢いんだよ」。ダーリヤは、逃げて行くキツネの後ろから手を一振りした。

平地が狭まって、ハシバミが生い茂っている山の山麓に狭軌道がぴったりと張り付いている場所で、突然4頭のヤギの白い三角巾のような頭が見え隠れした。先頭を走っていたヤギが雪だまりにはまり込み、どうにも動けなくなった。そこをステパンの銃声が襲った。
「ほら、肉を手に入れた。お前は運が付いている子だねえ」。ダーリヤは、ヤギを橇に積むのを手伝った。「さあ、急ごう。お天道様が、もう頭の上だ。埠頭はまだ見えてこないというのに、何だか暗くなってきたよ」。

実際その時、むくむくと広がった黒雲がヴィクトリア湾の方から押し寄せて来た。空には灰色の雲を通して、太陽の光がぼんやりと漏れていた。ダーリヤには、これは良くない印だと思えた。
・・・オオカミを最初に見たのは、ダーリヤだった。疾駆する灰色の点々が、小さな林の方から、凍って輝く雪の表面を軽々と滑るように進んでくる。
「6頭、いいえ、脇の方に7頭目がいる、ひどく大きな奴が。多分、あれがリーダーだね。私とアリョーナは、ついこないだ、マーモントフカの近くでシカを追い立てているあいつらを見たんだよ。集まって群れたよ、あ、今度はきょろきょろ見回している。あいつらは、多分、こっちに曲がって来るよ」。ぎょっとして、ダーリヤがささやいた。
「母さん、早く馬を走らせよう!」。
「出来ないよ、お前、出来ないよ、トロッコがひっくり返っちまうじゃないか」。
ステパは、母親の顔が真っ青になり、大きな青い目だけが異常に光っているのを見た。
(つづく)

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  1. 2022/11/28(月) 00:04:36|
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2022/11/16 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉓

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉓
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


                       9

チェレムシャヌイ村は不安で、憂鬱で、悲しく、苦しかった。女たち、特に兵士の妻たちにとっては辛かった。虐げられ、従順な奴隷のような扱いを受けながら、女たちは、戦争に行った者たちに代わり、様々な困難に立ち向かって行った。自分の物憂い気分は、毎日の労働と日常的心配事のなかで吹き散らしてしまおうと決めていた。恐らくダーリヤ・ダルニッツァは、昼に夜に誰よりもあくせく働いたに違いない。何しろ、家には8人の子供がいて、そのそれぞれに食べさせ、履かせ、着せなければならなかった。

アキーム・ダルニッツァとアルヒープ・マコーヴィンが匪賊たちから取り返したお金を兵士の妻たちに分けたにしても、彼女には取られた金額の四分の一も戻らなかった。エフィムの貯金箱である革の袋には、万一に備えて、少なくとも2千ルーブル以上が蓄えられてあったのだ。今や何とかやりくりを付けるために、ダーリヤ・ダルニッツァはアリョーナ・プロスタキーシャと組んで、リャーピン街道を埠頭迄石炭を運ぶ雇い仕事に出ていた。

早朝にはもう彼女たちは、ラズビータヤ・チャーシャ[壊れ茶碗山]の方向に平地を横切って橇を飛ばし、リャーピン鉱山へと向かう。そこでは、石炭を積み込んだトロッコが彼女らを待っていた。そのトロッコを馬の牽引用鎖に繋いでから、日雇い労働者たちは10露里[約10.67キロメートル]の道のりを、過度の苦しさから口を泡だらけにした馬に付いて枕木に沿ってのろのろと進むのだ。汽船が煙突をくゆらせている埠頭まで。

家に帰り着くのはいつも暗くなってからで、子供たちが寝てしまった後だった。ダーリヤは、いの一番に、藁を詰め込んだ板寝床にかわいい子供たちが雑魚寝している寝室に向かう。小さなランプの弱い光の下で、彼らの裸の足を数えて確かめる。《あかぎれがある、これはリュープカの足。親指の爪が齧られたようになっているこれは、マルーシカの足。クマの子みたいに広くてひび割れているのはステープカの足ね》。

子供たちを数え終わると、ダーリヤはありあわせのもので夕食を取ってから紡ぎ車の前に座り、深夜まで糸を紡ぐか麻布を織った。そうでなければ、小桶にチョウセンゴヨウの実を入れて、臼を使ってそれを挽き、脂を絞る。

たくさんの仕事をやり終えた後、ダーリヤは大梁の下の聖なる一角にある、大天使聖ミハイルの聖像が置いてある祭壇から、エフィムの黄色く変色した何通かの手紙を取り出す。そして手製のテーブルクロスが掛かった丸テーブルに座り、それを何度も読み返し始めるのだった。実を言えば、彼女は字を読むことが出来ない。ただもう大分以前から暗記して、良く知っている文句を声に出しているだけなのだ。手紙はどれも簡潔なものだった。

最初の手紙でエフィムは、国境線で戦っていると書いて来た。自分たちがドイツ軍を押し返したり、その逆だったりと。食べ物がまずいことと、将校の粗暴と横暴への不満を訴えていた。何よりも恐ろしいことは、どんなちっぽけな過失に対しても野戦裁判か、あるいは死刑が待っていることだと。

エフィムは書いた。《俺はこらえている。きみは8人の子供たちと、どのように戦っているのだろう、愛する、いとしいお前。飛べるものなら、必ずやチェレムシャヌイに飛んで行くだろうに。たとえそれがほんの一時であろうとも。お前たちを一目見るために、仕事を助けるために。願わくはドイツに勝てるように、そうすれば再会出来るだろう》。

次の手紙でエフィムが知らせて寄越したのは、ペレムィシュリ[第一次世界大戦では、ロシアにとっての最大の会戦、ペレムィシュリ攻囲1914-1915があった。現在はウクライナとの国境にあるポーランドのあまり目立たない流通、居住地点]近郊での白兵戦で、流れ弾によって彼の臀部が少しかすり傷を負った。そのため彼は激怒して、フォークにニシンを刺すように、ドイツ人たちを銃剣に串刺しにしたというものだった。ハエも怒らせないような、彼女のエフィムがドイツ人たちにこんな制裁を加えることが出来たということに、ダーリヤは首を傾げた。

さらにエフィムの手紙には、司令官のコルニーロフが退却命令を遂行せず、包囲され、師団全体と共に捕虜になったと書かれてあった。そして彼は護送兵を倒して、捕虜の身から逃げ、前線を越えて皇帝陛下の最高司令部に出頭したこと、皇帝が彼に聖ゲオルギー3級勲章を授与し、今エフィムが所属している第25歩兵軍団の司令官に任命したことが書かれてあった。そして文末には、最近の戦いにおける勇敢な行動に対し、彼女の夫に聖ゲオルギー1級軍事勲章が授与されたという朗報と、だから、父さん、これからはあなた一人が十字勲章受章者ではないですよ、ということばが付け加えられてあった。

エフィムの手紙を読み直してから、ダーリヤはイコン、主語天使の聖像を哀願するように見つめ、愛する夫のために長いこと祈り、そして神に、敵の弾丸から夫を守ってくれるよう頼むのだった。

彼女は石積みの暖炉の側の長椅子の上で、身体の近くにエフィムの半外套をしのばせて、寝に着いた。

ある日、ダーリヤは埠頭から夜遅くなってから帰った。リャーピンが日雇い女たちを引き留め、ブラコーフ家のシカ飼育場のための金網を荷船から降ろすよう命じたためだった。彼女は慣れた手つきで、汗だくの馬のラーストチカ[ツバメの意味]を馬具から外すと、厩に引いて行った。畜舎はきちんと片付いていた。表の柵の中は、清潔に掃除されていたし、それぞれの飼い葉桶には干し草が分配されていた。みんな彼女の愛する子供たちが頑張ってやったことだった。

家の中では、いつもの子供たちの寝息の代わりに、何かに興奮した子供たちの騒々しい声がダーリヤを立ち止まらせた。
(つづく)

  1. 2022/11/16(水) 20:28:07|
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2022/11/10 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉒

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉒
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


その翌日、取り決めておいた通りに、東の空が白み始めた頃、ブラコーフ家の人々と巡査はマーマントフカへと出発した。先頭の橇には、手に雷管発火式の銃を持ったルーカ・ルキーチとミロンが乗った。その後ろには一列縦隊になって、手に手に銃を持った息子たちが馬を飛ばした。馬たちは新雪のすがすがしい匂いを嗅いで、元気に、陽気に走った。人っ子一人いない畑、草地、伐採地が次々と現れては消えて行く。金持ちになったミロン・ブラコーフは、けちで打算的な主人になり、自分の仕事を、頭を使って行っていた。貧困に陥った戦争未亡人たちから分配地を買い上げ、自分の農地を増やしていった。そして今は、この機会を利用して、マーモントフ源流氾濫原づたいのシラカバ林伐採の同意を取り付けるため、巡査を説得しようとしていた。

雪の下から一面に切り株ばかりが突出て、いくつもの穴の中で土や芝を被せられた木炭が燻されている道端で、ミロンは馬を止めた。
「木炭やタールに対する需要は、今日では非常に大きいものがありましてな」。頭の上のトナカイの子の毛皮で出来た帽子を直しながら、巡査の方を振り向き、ミロンは口を開いた。
巡査は無関心な様子で伐採地を見た。
「そうかね。それが何か」。
「農場の周りに生えていたシラカバ林は、大分以前に伐採してしまいました。ルーカ・ルキーチ様、もしお許しいただければ、この場所を伐採したいのですが」。
「必要なら切ればよかろう」。巡査は手を振った。「巡回人には、わしが知らせておく」。
「あなた様とお子様方のご健康とご多幸をお祈りいたします」。

ミロンは鞭をひゅうと鳴らすと、馬たちを源流の岸辺に沿って追い立てた。その岸辺には、低く細長い小屋が張り付いていて、煙突からは早い時間にもかかわらず、ハト色の煙が立ち上っていた。
「お前たちは少し身体をほぐしてこい。わしとルーカ・ルキーチ様は、下男たちを訪ねて少し話をしなけりゃならん」。先に巡査を橇から降ろしてから、自分も降りながら、ミロンは息子たちにこう言うと、小屋の扉を開けた。

何度も継ぎを当てた麻布のシャツを着て、長年の煤で黒い顔をしたタール乾留工たちが、板寝床に座って裸足の足を垂らし、水っぽいスープにありついていた。
「やあ、お前さん方」。ミロンは両足を大きく広げて、小屋の真ん中に立った。「班長のクルィーコフは何処だね」。
「わしは、ここでがす」。雄牛の内臓で出来た光をあまり通さぬ小窓の側で、乱れた白髪頭の男が応えた。彼は暖炉の後ろを手探りすると、丸く滑らかな石を取り出し、主人と巡査を胡散臭そうにじろりと見ると、思わせぶりに斧を研ぎ始めた。

「馬車一台分に、あと1ルーブルずつ上乗せしておくんなせいよ、モイセーエヴィチ。どうでがす? 寒さがきつくて我慢がならねえ、もう苦しいのなんのって。それが出来ないとすりゃ」。クルィーコフは硬くなった指で刃をなでると、暖炉近くに置いてあった短い丸太に斧を力任せに突き刺した。
主人と巡査は驚いて、老人から跳び退(しさ)った。
「それが出来ないとすりゃ、人っ子一人残らずリャーピンの鉱山に行く迄よ」。班長はこう言って話を切り上げると、食べかけのスープをすすり始めた。

「上乗せしてくだされ、上乗せしてくだされ、モイセーエヴィチ」。木こりたちは、ミロンと巡査の周りを取り囲むと、生活の不満を訴え始めた。
「分かった。馬車二台分で1ルーブル上乗せしよう、それ以上は駄目だ。分かったか、クルィーコフ」。
「まあ、よかろう」。スープをすすり続けながら、班長は応じた。「ただ、森がありませんや。何処で伐(き)るんです?」。
「源流沿いのシラカバ林を伐れ」。
「これはまた、いつからシラカバ林があなた様のものになったんで?」。老人が、匙をガチャンといわせた。
「森は神のものだ。誰のものでもない」。巡査が説明した。「役立つと思う者が使えば良いのだ!」。
「そうですかい」。爺さんは手を振った。「源流沿いと言うなら源流沿いでいいさ」。

あばら屋にイワンが息を切らして駆け込んで来た。
「出発だ、父さん、猟が犠牲になるよ」。
「猟に行きなさるんですかい」。班長がふむ、と鼻を鳴らして言った。「ついこないだ、俺たちみんなでストゴヴァヤ山で枯れたエゾマツを何本か薪に挽いたんだがね。それでだ、次の日もそこに行ったら、真昼間に母ジカ、子ジカ、それに雪みてえに白い雄ジカがそこを歩き回ってんのよ。つい1メートル先に角があるんだ。信じられるかい。銃が無くてもったいない話だったよ」。
「白いだと」。ミロンは目を丸くした。「嘘じゃないな、クルィーコフ」。
「誓ってもいいだよ」。爺さんは十字を切った。
「ストゴヴァヤ山へ行こう」。ミロンと巡査は、あばら屋から走り出た。

エゾマツ林の深緑色の首飾りをまとった山迄行き着かぬうちに、彼らは馬から降りた。馬を繋いでから源流の氾濫原に降り、列になって氷に沿って歩いて行った。森林伐採地迄あと百歩程のところで、灌木林の霜に覆われた木々の間からイジューブルの一群を彼らは認めた。角の無い母ジカや子ジカに混じって、手のひらのように広く枝分かれした角を持った、白くてすらりとした雄ジカがいた。驚いている猟師たちの目の前で、イジューブルたちは枯れたエゾマツから漁網のようになって垂れ下がっている地衣類に舌鼓を打っていた。

「俺が白ジカを撃つ」。イェゴールがベルダン銃を肩に当てた。
「撃つな」。ミロンが毛皮外套を振り回した。「母ジカと子ジカを撃て。種付けの白ジカは、雪解け始めのつるつるに凍ったクラスト[雪殻]の上で生け捕りにしよう」。
すぐさま四頭のイジューブルが仕留められ、猟師たちが橇に積み込んだ。それから杯に一杯ずつ麦ウォッカを飲み干し、鍋で煮た新鮮なレバーをつまんでから農場への帰途に就いた。

帰り道ではずっと、真っ白いイジューブルがミロンの頭から離れなかった。
「ルーカ・ルキーチ様、あなたの目分量では、あの白ジカからどれくらいの袋角が取れると思われますかね」。
「神のみぞ知るだな」。巡査はあくびをした。
「全部で6キロにはなるでしょうな。中国人の店では、あれ位の袋角一組で1500ルーブルは出すんですよ」。そしてミロンは、自分とこのシカ飼育場で大きな角を持ったオスが絶えてしまったことを嘆き出した。しかし、こういったオスから切り取る袋角だって3キロはいかない。せいぜい400か500ルーブルだ。これはもちろん、少ないものだ。今や全ての希望は、あの白い大物だ。雪解け始めのつるつるに凍ったクラスト[雪殻]の上であの雄ジカを生け捕りにし、雌ジカを孕ませるためには、何でもやらなければならない。そうすれば飼育場の経営も、さらに改善出来るのだ。

「雪解けはまだ先のことだよ、モイセーエヴィチ。それにあのシロだって他の谷に移動するかもしれないさ。その時は野っぱらで風でも追うんだな」。巡査は、疑わし気に言った。
「わしらは、あいつを餌付けするのさ。ストゴヴァヤ山にある地衣類が下がっている太いエゾマツを数十本も切り倒してしまえば、生き延びるために嫌でも食いついてくるさ」。

農場に着くと、巡査は寒さを忘れるために蒸し風呂に入り、豊猟を祝ってたんと飲むと、馬丁のロマイ・ナガーに送らせてそそくさとチェレムシャヌイに帰って行った。もちろん、金貨の詰まった瓶と、シカ丸々一頭を忘れることなく携えて。

白ジカのために飼い葉桶を設置するというアイディアに、ミロン・ブラコーフは、すっかり夢中になった。巡査が帰ると、彼はさっそく自分の決心を息子たちに明らかにし、彼らの支持を取り付けると、ストゴヴァヤ山に出かけて行った。その麓の氾濫原で四方に枝分れしたエゾマツの木々を見つけた。彼の後に付いて来た、のこぎりを持った息子たちが巨木を挽き倒した。緑の紡ぎ糸のように地衣類が一面に絡み付いたエゾマツ林が倒されたのを見ながら、ミロンは来るべき成功の予感で喜びが沸き上がって来るのだった。
(つづく)

  1. 2022/11/10(木) 21:23:27|
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2022/11/03 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉑

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉑
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


                     8


アルヒープ・マコーヴィンの手から、無事で何の傷も無い馬たちを受け取ってから、商人は怒りをこらえて自ら手綱を取ると、グドークと灰黄の雌馬をその場からフォームキン草地の方へと駆り立てた。さらには、暗い山々が押し迫る、陰気で狭い窪地を通ってクチェリーナヤ谷の方角、農場を目指した。暖かい、冬中凍結しない源流を渡っている時、商人は突然、汗だくの馬たちを止めた。陰険な笑いが浮かんだ彼の冷たい視線が、イグナートの使い古して破け、多くの穴から藁がはみ出た平靴にちらっと注がれた。

「イグナート、口笛を吹け。二日酔いのグドークに水を飲ませたいんだ」。
イグナートは従順に唇を丸く突き出し、口笛を吹き始めた。
馬たちは耳を前後に動かすと、頭を下げ、冷たい水を唇で漉すようにしてうまそうに飲み始めた。
「十分に飲んだかね。それじゃ、イグナート、橇から水の中に降りろ」。首も回さずに商人は命令した。
「何ですって」。
「全く簡単なことだ。お前は橇から降りろ、と言っているんだよ」。
「何のためにです、ミローヌィチ、お前さまには人の心というものがねえのですかい」。イグナートは、頭からフェルトの穴の開いた帽子を取ると、十字を切り始めた。
「何のためだか自分で分かるだろう。従順でないことに対する罰だな。橇から降りて、自分の二本の足で農場まで走って行くがいい」。
「一体そんなことが出来ますかい。憐れみをかけてくだされ、ミローヌィチ」。イグナートは自分の主人の方に顔を向けながら、立ち上がらずに、橇の中でぐずぐずした。
「何だ、このシラミたかり!」。こう言うと商人は、イグナートの顔面を足で蹴飛ばした。イグナートは、橇からどぶんと水に落ちた。

「死にはすまいて。原住民なんだから」。馬たちは、橇を岸へと引きずって行き、そして森に沿った道を遠くに明滅する明かりを目指して駆け出した。

商人の気分は、芳しいものでは無かった。1露里[1.067㎞]程進んだ頃、彼はいつものくせでチョッキのポケットに手を突っ込むと、失ったものに気が付き、あっと叫んだ。
「すっかり盗まれた、確かだ、盗まれたんだ」。イグナートの毛皮外套の上でめそめそぐちぐちと愚痴り出した。嫌疑はすぐに下男にかけられた。あいつは水よりもおとなしく、草よりも身を低くしていたのに、財布を手にしたとたんに胸を張り、自尊心など見せ始め、従順でなくなったんだ。

「あいつだ」。商人は、橇の向きを変え、源流めがけて走り出した。まだ遠くのうちから、こっちに向かって走って来るイグナートを認めた。
「すぐにぐずぐずしないで答えろ」。彼に近づきながら商人は質問し、橇に乗るよう命じた。
「もういやだ、寒くて寒くて」。橇の藁に腰を降ろしながら、下男は言った。
「それ見たことか、聞き分けがない奴、ほら、足布にするよう裂いて履き替えろ」。商人は両足から亜麻布を取ると、イグナートに差し出した。平靴の中で水がべちゃべちゃと音を立て、蝋引き糸がきゅっきゅっと鳴った。
イグナートは履き替えてから、急にはっとした。
「ミローヌィチ、ご親切ありがとうございます」。
「これで済んだと思うなよ。農場に着いたらちょっと話がある」。そう言うと、馬にぴしゃりと鞭を当てた。

農場の入り口で、真ん中の兄弟イワンが手にベルダン銃を持って、商人を迎えた。
「どうしてこんなに遅くなったんだい。親父と巡査が待っていたが、待ちきれずに迎えをやったんだよ。さあ、急げ」。彼は肩越しにこう言うと、馬に拍車を入れ、農場の中心部の方へ駆けて行った。
《農民長であるルーカ・ルキーチ・コロドーシェンキン自らがお出ましとは、何か普通でないことがあるに違いない》。ロマイ・ナガー[足を折れという意味]というあだ名がある、片足が不自由な馬丁のサボンが彼らを迎えに出た屋敷に近づきながら、商人の頭をこのような考えがよぎった。馬丁は一言もしゃべらずに馬の轡を取り、厩に引いて行った。

商人は鞭をひゅうと鳴らすと、イグナートに付いてくるよう命じた。
「ミローヌィチ、こんななりをした手前が、このような立派なお宅に伺えますものやら」。下男は、棒のようになって身体に引っかかっているこちこちに凍った衣類を示した。
「歩け!」。商人は怒鳴りつけ、足でドアを蹴飛ばした。その向こう側から、巡査の憂鬱そうなバリトンが聞こえた。
「彼は不運だ。彼は、ふ・う・ん・なんだよ」。
《酒を飲んで遊んでいるのか? ああ、今日はクリスマス週間の最初の日、復活祭だ》。自分の前をイグナートに行かせながら、商人はこう思った。

「やっと帰ったか。こんなに遅くまでどこに消えていたんだ」。貴賓を迎えて、自分のお気に入りの紺色の羊毛の背広を着たミロン・ブラコーフは、大きなテーブルから飛び出すと、息子の肩を掴んで強く振った。
「耳の遠い人の結婚式で、飲んでいたんだ」。ニコライはうつむいて、ぼそぼそと言った。
「何だって。アルセンチーが結婚したのか。誰と?」。
「立ち寄ったロマの女と。そして匪賊らが結婚式を混乱させたんだ。ラーズム、マコーヴィンとアルセンチーがそいつらを追っ払ったんだよ」。
「お前はしけた顔をしているように、わしには見えるがね。まるで自分の父親を亡くしたようじゃないか」。
「ことばにならんよ。売り上げの入った財布を失くしたんだ」。
「いくら入っていたんだ」。
「千ルーブル近くさ」。
「いやはや。何の咎で神はわしらをこんなに厳しく罰するのか」。
「俺には、こいつの仕業だと思えるんだ」。半外套を脱ぎながら、ニコライは真っ赤になって怒鳴り出した。「ひざまずけ、シラミたかりのこん畜生め」。
イグナートが床にごつんと音を立てて両ひざをつくと、凍り付いた衣類がぽきぽきと割れ始めた。
「神様が見ていなさるだ。絶対に俺はあなた様の銭など取っていない、取っていないだよ」。下男は大梁の下にイコン[聖像画]が吊るされた一角を見ながら、3回十字を切った。
「ごまかすな」。巡査はニンジン色の八の字髭をぴんと立てながら、こぶしでテーブルをどしんと叩いた。「金をどこに隠したのか言え。さもないと痛い目にあわせるぞ」。
「取ってないだよ、知らねえだよ」。イグナートは十字を切った。

「よろしい」。ミロンはイグナートに近づくと、彼に手を貸して立たせた。「それじゃ、息子の財布を巻き上げたのは誰だと、お前は思うね」。
ミロンは木のジョッキに自家製ウオッカを注ぎ、皿に煮たクマ肉の厚切りを載せると、下男に差し出した。
「ほら、空けろ。そしてから順を追って残らず話すんだ」。
イグナートは酒を飲み干し、肉をむさぼるように食べた。
「ありがとうごぜえます、モイセーエヴィチ[父称。モイセーエフの息子という意味だが、ここでは敬称として使われている。本来ならミロン・モイセーエヴィチという名前・父称で呼び掛けると尊敬形になる]」。
「それじゃ、強情を張らんで、イグナート、話せ」。
「俺が思うに、金の入った財布は、アルヒープ・マコーヴィンがミローヌィチを踊り負かそうとした、あの時に掠め取ったんじゃないかと。それともロマの女かも。あいつらは手癖が悪いから」。

「捕まってない者は、泥棒じゃない。そうだろ」。テーブルに近づきながら、イワンが言った。
ミロンは彼を睨みつけた。
「目上の者たちが話している時に、くちばしを入れるな。イグナート、もういい、行け。自分の家を暖めて、服を乾かし、応集する準備をしろ。もうすぐ兵隊に採られるんだぞ」。
「何ですって」。イグナートは巡査の足許にひれ伏した。「どうか、お赦しくだされ」。
「去れ!」。巡査はそうがなり立てると、イグナートを足でこづき、彼の後ろでドアを閉めた。

ミロンは家族テーブルの側に長椅子を動かし、息子たちに自分の近くに座れと命じた。マーリヤは、腹を空かせたニコライの前に湯気を立てたスープのつぼを置いた。
「さて、わしらの大事なお客であるルーカ・ルキーチ様が、いい知らせを持って来てくれた。ラーズムの嘆願書を検討した知事閣下がルーカ・ルキーチ様に書類を送り、その中で、うちの農場から5人を兵役に徴集することを命じておられる。これは知事閣下が、お前たち全員のことを頭に置いているということだ」。
「何だって。それじゃうちの仕事はどうなるんだい。破産じゃないか」。ニコライは、デカンターから麦のウオッカをコップに注ぎ、それを空けると、もう一度デカンターに手を伸ばした。しかし、父親の声が彼をとどめた。
「それ以上は注ぐな。この大変な時にお前ときたら、どうしようもない馬鹿みたいに巻き上げられて・・・ここで破産せずに稼業をきちんと続けるために、わしとルーカ・ルキーチ様が脳味噌をしぼってあれこれ考えて、こういうことに話が決まった。知事の命令書では、招集兵を指名している訳ではないから、お前たち息子の代わりに、下男のイグナート・ポノマレンコ、イワン・マクーハ、セミョン・チューラエフ、アンドレイ・ズリーリン、パーホム・ナセートキンを応集させる。一人一人にお前たちは馬具と馬を与えなければならない」。
「二人だったら何とかね。ただ塹壕の中でシラミが湧くことが無いのだったら」。イエゴールが長椅子の上でぼそぼそ言った。
「また余計なことを言うな。ルーカ・ルキーチ様には、お前たち息子へお情けをかけてくださったのだから、この贈り物を贈呈しよう」。ミロンは身を屈めると、帝政鋳造金貨が口まで詰まった緑色の大型ガラス瓶を、テーブルの下から取り出した。

「ご丁寧に、ミロン・モイセーエヴィチ、厚く感謝致します」。巡査のニンジン色のネコのような口髭が、金貨を見て、より一層ぴーんと立った。「厚く感謝致します」。
吹き出物だらけの赤い首の汗を、手ぬぐいで拭いながら、巡査は接吻をし合うためにミロンの方に身体を近づけた。
「明日は朝早くから、一緒にマーモントフカへ狩りに出掛けましょうぞ。ルーカ・ルキーチ様のためにイジューブル[大鹿]を仕留めなければ」。巡査に接吻しながら、ミロンが言った。「今日はこれでお帰りになられますよう。ルーカ・ルキーチ様も休息をお取りになりませんと」。
(つづく)

  1. 2022/11/03(木) 23:02:08|
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2022/10/26 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑳

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑳
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


「満人だ!」。アキームは、壁から散弾銃と弾薬帯をもぎ取ると、猟師のアルヒープ・マコーヴィンに差し出した。「取れ、お前は腕利きだ。潜水夫の橇に早く乗れ」。
アルセンチーは、素早く身支度をすると、物置から2丁のベルダン銃と薬莢のまるまる入った弾薬盒を持ち出した。
「おお。こんな武器があれば、匪賊どもをさっさと追い払おうぞ」。男たちは、橇に駆け寄った。

「馬たちを死なせる訳にはいかない。馬は貸さない」。半外套の全てのボタンを掛けながら商人は叫び、アキームを橇から突きのけた。
「何言ってんだ。畜生め。あっちではわしらの家族が強奪されているんだぞ。お前は突っ立って見物か」。アルヒープ・マコーヴィンは銃の遊底をかちっと鳴らした。「役立たずの犬みてえにこの場でぶっ殺すぞ」。
商人は後じさりを始め、下男に向かって叫んだ」。
「お前、何突っ立っているんだ、まぬけ、こいつらをやっつけろ」。
「とんでもないがですよ、ミローヌィチ[ミロンの息子さんという意味の敬称〕」。イグナートは飛び退いた。
「いつまで無駄口をたたいているんだ。銃声が聞こえんのか」。アキームは手綱を掴むと、グドークをチェレムシャヌイの中心部に向かって追い立てた。

ミトラコフ蒸し風呂の側で、彼はアルヒープの願いを聞いて、汗だくの馬たちを止めた。
「取れ、ラーズム」。アルヒープは藁の下から商人のベルダン銃と弾薬盒を引き出した。「あいつ、完全武装してたんだ。がめつい野郎。きたないやつ」。
「ところで、お前さん方、真っ直ぐ村の匪賊どものところへ乗り付けては、自分たちも馬も全滅だぞ。搔き集めた財産を匪賊から奪い返し、持ち主に返さねばならん。匪賊らにとってチェレムシャヌイからの道は一つだ。分水流を渡ってフォームキン草地へ行く道だ。道は、あそこの草地で二股に分かれている。分水流の近くで彼らを待ち伏せしよう」。
アキームは手綱を締めてグドークを押さえ、馬たちを裏道にやり、野菜畑を超えて分水流の方へ向かわせた。霜の覆われたヤナギの茂みで彼らは馬を繋ぎ、自分たちは切り立った崖の背後に陣取った。


遠く白い雪の中に乗馬者たちの黒ずんだ人影が見えて来た。橇の軋る音、馬たちの足音や鼻息も聞こえて来た。前面に出て疾走して来たのは、搔き集めた財産を積んだ橇の一隊で、その背後両脇を警護隊が固めて走って来た。
ちょうどこのようにして、かれこれ40年ばかり前、プレーヴナ攻防戦[ブルガリアの町。1877~1878年のロシア-トルコ戦争時の激戦地]において、アキームは自分で掘った塹壕の中に身を置いてトルコ軍の擲弾兵を迎え撃ったのだった。その時はうまいことやっつけた。アキームはアルヒープとアルセンチーが、期待を裏切らないだろうということを知っていた。しかし、自分のことは当てにしていなかった。齢も齢だし、目も衰えて来た。おまけに酔いも抜けきっていなかった。しかし、彼も念のため自分の前の雪の吹き溜まりに、瘤の付いた棒を突き刺し、そこにベルダン銃を備えると、標的に照準を合わせ始めた。匪賊たちの馬が分水流に掛かり始めたちょうどその時、一斉に銃声が鳴り響いた。

御者たちは即死だった。次の3発で警護隊員たちが射殺され、さらにもう3発で射手たちが死んだ。残りの匪賊たちは馬に拍車をかけて、叫び声を上げながら道のないところをフォームキン草地に方へ駆け出した。

その夜、匪賊たちから取り返した財産は、チェレムシャヌイの村人たちのところへ戻った。しかし、アキーム・ダルニッツァの家で持たれた村の寄り合いで明らかになったことには、ダーリヤ・ダルニッツァを含めた多くの村人たちから匪賊たちが奪った金銭は、一味が持ち去ったままになった。今までにも、稼ぎ手を失ったり、山火事、水害、息子たちの徴兵などどん底の不幸を味わっては来たが、チェレムシャヌイの村人たちが、この夜ほど胸が張り裂けんばかりの号泣と苦い涙を流したことは無かった。
「一体私はこれからどうしたらいいんだろう、ねえ、みなさん、うちは一文無しになってしまったのよ。首吊りでもする以外無いよ」。ダーリヤが泣きながらぶちまけると、他の兵士の妻たちもさめざめと泣いた。
男たちは白髪頭をうなだれて、苦い物思いにふけりながら、黙って長椅子に座っていた。

「十分に泣いたかね」。アキームは長椅子から立ち上がった。
女たちは涙を拭いながら近衛兵の方に目を向け、彼が何を言うのか、どう言って慰めるのかを待った。
「女たちよ、涙は苦境から救い出してはくれない。あてにもならぬ誰かの助けを待っていないで、明日は仕事にかかるんだ。馬を持っている者は、リャーピンのところへ雇われて、石炭を鉱山から埠頭まで運ぶ仕事をすれば良い。日給で1ルーブルずつ払って貰える。馬を持っていない者たちは、ルビースのところへ日雇いに出て、製粉所で粉を挽けば良い。誰もが小麦粉を手に入れることが出来る」。

近衛兵の家に、アルセンチーとザーラが橇に乗ってやって来た。彼は5プード[約81.9キログラム]の小麦粉が入った袋をクマのように脇の下に抱え、ザーラの後について家に入った。アルセンチーは、何か微笑みながら、アレーナ・プロスタキーシャや店で見かけた他の兵士の妻たちを目で捜すと、彼女らを袋の方へ手で呼んだ。
「お取りください、お取りください。アルセンチーがただで差し上げます」。ザーラが丁重に言った。

アキームは、1プード[16.38㎏]の小麦粉がちょうど入る、シラカバ樹皮製の容器をアレーナに手渡した。
「決まった量を分ければいいさ」。
「血族って私には不思議に感じる。同じ血が流れていても違っている人もいるんだ。ミロンや彼の息子たちは、私らと同じ人間とは思えない。オオカミのように私らを見る。息子のイワンだって言うまでもないけど、だけどアルセンチーは違って、人間らしい心を持っている。彼と、ワルワーラ、あんたには、ご多幸をお祈りしますよ」。アレーナ・プロスタキーシャはそう言うと、シラカバ樹皮の容器から小麦粉を、マリヤが貸した袋に移し替えた。

兵士の妻たちが、自分たちの間で小麦粉を分けている間に、アキームの頼みで商人に馬を引き渡したアルヒープ・マコーヴィンが帰って来た。彼はアキームに近づくと、彼の耳に何事かをささやいた。
「今行くよ」。二人は寝室に入って行った。アルヒープは顔中で笑って、懐中から膨らんだ革の財布を引き出した。
「あいつからきれいに搔っさらった。事を荒立てようとはすまい。取れ、ラーズム。兵士の妻たちに金を渡そうか。撃ち殺した匪賊どもから俺がこの金を見つけたとでも言おうか。ただ、女たちに財布を見せては駄目だ」。
アルヒープは、百ルーブル紙幣の束を取り出すと、財布をベッドの下に放り投げた。
「正しく説明しろ、アルヒープ。行こう」。

喜びの叫び声の中、アキームとアルヒープは兵士の妻たちに金を分けてやった。彼女らは、自分たちの擁護者である彼らの健康と長命を願って十字を切ると、事が良い方に転じたことに満足して、それぞれの家に散って行った。
(つづく)

  1. 2022/10/26(水) 11:50:13|
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2022/10/19 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑲

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑲
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


結局この商人ニコライ・ミローノヴィチ・ブラコーフの心を動かすことも、説得することも出来なかったのだから、もう何を言ってもこれ以上悪くなりようがないと見て取った女たちは、彼を罵り始めた。
「このけちん坊は、マーマントフカの共同草刈り場で同じ鍋からママルィーガ[トウモロコシ粥]をすくって食べたことを忘れたんだろうか、えっ?」。最初にアレーナ・プロスタキーシャが、商人をあげつらった。「この罰当たりは、軽はずみな彼をエフィムがながえで川から引き上げてやったのを忘れたんだよ。ながえで頭を叩いてやれば良かったのさ」。
「私らの男たちは、ドイツ相手に血を流しているのに、罰当たりの彼は女たちを騙して儲けているという訳だ」。マラーニヤが唾を飛ばした。「だけど、いつまでもそんなことが続くもんかね。そうだろう。もうすぐ兵隊に採られることは、はっきりしているんだよ。ついこの間ラーズムが知事様に、直に嘆願書を書いたんだとさ。あいつの額に弾丸が命中しちまえばいいのさ」。

これらのことばを聞いて、商人のまばらに髭の生えた顎が幾度となくひきつり、顔が赤く染まった。そして、とうとううめき声を発し、足を踏み鳴らし出した。
「しっ!おしゃべりな女ども。イグナート! イグナート! 卑しいやつらが侮辱している。雪の中に引きずり出して、たたきのめしてやれ」。
「ミローヌィチ[ミロンの息子さん、という敬称〕、他の事はともあれ、こればかりは習っておらんよ。かつてはこれらの女たちの連れ合いたちと家を行き来していたんだもの。女たちを殴るなんて滅相も無いがですよ」。イグナートは申し訳なさそうに、両手を左右に広げた。
「それじゃ、俺が自分でお前たちに思い知らせてやる」。商人は、あばたの下男の手から鞭をひったくると、それを振り上げた。
女たちは不幸を予感して、金切り声を上げながら店から飛び出した。

目の前の出来事に何の関心も示さぬ、店の主人ファン・リンに見送られて、むしゃくしゃした気分で店を後にした商人は、イグナートの気後れと弱気を声に出して罵った。
「これからは、はっきりと日雇い人夫扱いにしてやるぞ、このぐず。覚えておけ」。

灰黄色のズヴョーズドチカ[額に白斑が付いているところから星印の意味]と一緒に橇に繋がれた灰色の毛色の雄馬グドーク[汽笛]が、商人を再び陽気にした。アルセンチーの家から婚礼歌が流れ出すやいなや、グドークは、たちまち甲高くいななき始め、合唱が聞こえてくる猟師の屋敷に向かって、ズヴョーズドチカを自分に従えて、だく足で走り出した。
「ハ、ハ!」。商人は、おかしくて息が詰まりそうになって腹を抱えた。「グドークは飲みたくなったんだ。何突っ立っているんだ、間抜け、追いかけろ」。
イグナートは、勢いよく跳躍をして橇に追いつくと、雪の上に延びた手綱を掴み、馬たちに反対を向かせた。
「お座りください、ミローヌィチ」。主人の気に入るように努めながら、イグナートは自分の毛皮外套を彼の前に広げた。
「叔父さんのところへ行こう。道はグドークが自分で見つけるさ。底なしの飲兵衛だからな。とても馬とは言えんな、こいつは」。そう言うと、商人は再び笑い出した。

アルセンチーの家に近づくにつれて、婚礼歌がより高らかに、より呼び招くように響いて来た。グドークは、小刻みなだく足からギャロップへと移行した。玄関の間に走り出た客たちが驚いたことには、橇が玄関の階段間際まで乗り付けられていた。ズヴョーズドチカはうなだれてじっと立っていた。反対にグドークは、鼻息をたて轡を噛んでいた。イグナートが一瞬手綱を緩めた隙に、グドークは橇ともどもポーチまで乗り入れてしまったらしかった。
「ミローヌィチ、この馬は何でこんなに強情を張っているのかね。えっ?」。オスタプ・シェルパイコがいぶかしげに言った。
「代表者さん、こいつに柄杓1杯の酒をやってくれないかね。そうすりゃグドークも落ち着く筈なんだが」。ブラコーフは笑い出し、橇から降りた。
「何だって、潜水夫、冗談を言っているのか」。
「真面目な話だよ。このポーチから木っ端が飛ばないうちに、早く酒の柄杓(ひしゃく)を持って来てくれ」。
「潜水夫、年寄りを笑いものにするんじゃないよ。お前さんだって、わしの歳になるんだから」。
「俺は笑いものになぞしていないよ。酒を柄杓でもって来てくれと言ってるんだよ。グドークが一杯やりたいんだよ」。
オスタプ・シェルパイコは十字を切り、客たちはどっと笑い声を上げた。
「潜水夫よ、一体どうなることやら」。こう言うと、オスタプは人群れの
中に消えた。

少しすると、彼は乳白色の液体の入った木の柄杓の重みを両手で支えながら、ポーチに現れた。グドークは、蜜酒の匂いを嗅いでいななき始め、歯をむき出し柄杓の方に身を乗り出した。
「代表者さん、俺の言ったことが分かったかね」。ブラコーフは、オスタプの肩を手で叩いた。
一方グドークは、周囲には無頓着で、雪を蹄(ひづめ)で蹴り、鼻を鳴らし続けた。
「柄杓一杯じゃ足りなかったな。爺さん、もう一杯持って来てくれ」。玄関の階段を上りながら、満足した商人が言った。
オスタプは、もう一杯の酒の柄杓を持って来て、グドークに飲ませた。
「確かにこやつは酔っ払いだ。こん畜生め、この家を木っ端みじんにしてしまうぞ」。オスタプは不安げだった。
「心配しなさんな、代表者さん。酔っぱらった時のあいつはおとなしいもんさ、ほら」。ブラコーフは、すっかり変わってしまったかのような雄馬を指した。それはズヴョーズドチカの背中に従順に頭を持たせかけて、寝入る前であるかのように静かにじっとしていた。
「芝居をみているようじゃ、全く芝居のようじゃ」。オスタプ・シェルパイコは、涙が出るまで大笑いした。

テーブルを囲んでの宴会が続く中で、商人の短い話から、雄馬がどのようにしてこんな生活に成り下がったかを客たちは知った。ある時、復活大祭の日に、ミロン・ブラコーフは賑やかに飲んでいて、家畜に水を飲ませるのを忘れた。彼は、郷の長と腕を組んで楽しく歌っている時、喉が渇いてへとへとになった雄馬の頭が、開いた窓からにゅうと突出たのを見た。ミロンは、良く考えもせずに、水差しから柄杓に酒を注ぐとグドークに差し出した。グドークはむさぼるように飲み干すと、感謝していなないた。
この時以来グドークは、歌が聞こえるやいなや、尾を真上に持ち上げていななき、窓に向かって走って行くようになった。

「代表者さんよ、今度はお前さんが、芝居みてえに面白いことを話すかね」。ブラコーフは、さっきのオスタプのことばを持ち出した。「ところで、お前さんは、一度でもその芝居とやらに行ったことがあるのかね」。
「何を言うか、潜水夫、行ったよ。うちのカミさんは、嘘をつかせてくれないよ。あん時の後にゃ、わしらの人生はあやうく歪んでしまうところだったよ。何でかって?」。オスタプはキュウリを持った手を持ち上げて、注目を促した。「こういう訳なんだよ。お見合いの後で、わしとナースチェナは町の市場に出掛けたんだ。両親が鶏や豚を商っている。けれども、わしとナースチェナは劇場に行くことに決めたんだ。切符を買って、ホールに入って、前の列に座って見たよ。絹のゆったりしたズボンを穿いた髭の紳士が登場した。そいつはワインを飲んだ。その飲みっぷりといったら、ほれぼれする程で、ジョッキを何倍も重ね、がぶがぶと飲む。そして歌って見せた。《僕の父さんは、樽のように飲んだ。そして、酒のせいで死んだ》。それから連発拳銃でろうそくを次々と撃つと、それらはひっくり返り、床に落ちて音が響いた。香が匂ってきた・・・この最も面白い箇所で、思いがけないことがわしに起こったんだ。ナースチェナと一緒に見ていると、座席の間をうちのジューチカが走って来るんだ。何と主人思いの犬だったろうか。ナースチェナは、ジューチカを認めるや否や、可哀想に、全身真っ赤になった。
「恥ずかしい、何て恥ずかしいの」。こう叫ぶと、ホールを横切って駆けて行く。わしは、もちろん、彼女を追った。

それから一週間程は、わしと話もしないし、会おうともしない。両親のお陰で仲直り出来たんだ。
オスタープの話は、元気な笑い声で、しょっちゅう中断した。
「芝居じゃろうが、まさしく芝居じゃろうが」。尖った肩を震わせながら、オスタープは笑い声を立てた。

「苦いぞ、苦いぞ[新郎新婦に接吻を促す掛け声]」。語り部爺さんが叫んだ。ザーラはつま先立ちをして、両手でアルセンチーの首に抱きつくと、3回接吻した。そして歌い出した。《ロマの女が占った、ロマの女が占った、手を取って占った》。すると、すぐさま、窓際にグドークの頭が見え隠れした。ブラコーフは、通風孔を開けると、雄馬に酒を飲ませた。
「潜水夫は裕福過ぎて、生き物を馬鹿にしてからかっているんだ。女たちを鞭打とうともした。でも、いいってことさ、もうすぐお前さんも兵隊に採られるんだ。塹壕の中で、シラミにでもたっぷり自分の血を飲ませてやるんだな」。アキーム・ダルニッツァのことばは、商人にまで届いた。彼は、この近衛軍人の方へ怒りの視線を投げつけた。
「いいや、ラーズム、兵隊には採られんよ。親父は既に知事様にお会いになって、全て片を付けたのさ」。
アキームの隣に座っていた猟師のアルヒープ・マコーヴィンが、それを聞いて、何か考えながら言った。
「それは、つまり、大金を持っているってことだ。金があれば、女たちもやって来るんだ。あのなあ、ラーズム」。マコーヴィンは、彼に耳打ちした。「わしが、こいつの有り金全部を、小銭に至るまですっかり引き抜いてみせようか」。
「好きなようにするさ」。アキームは手を振った。

この時、ロノマレンコ爺さんのいうことをきかぬ手の中で、アコーディオンが甲高い音を奏で始めた。すぐさま、男たちや女たちが踊り出した。ひょろ長いアルヒープ・マコーヴィンは、腹の出た商人の側で独楽のように踊り回った。彼との競争踊りだった。テンポの速い踊りを踊って商人は暑くなり、膨らんだポケットの付いたビロードのチョッキのボタンを外した。そして、汗にまみれ、荒い息を吐いた。一方、彼の周りをアルヒープが、依然として歌いながら、かかとで小刻みに走り回る。
「そら、お前、橇、橇、橇、私の新しい橇。そら、カア、カア、カラス、みんなのカアさん」。
《ブラコーフの金は、もう戻らないな。飲ませて、アルヒープが潜水夫のがま口を引き抜くだろう。がめつい彼にとっちゃ、おあいにく様》。勇ましい踊り手たちを観察しながら、アキームは喜んだ。
女たちは密かに、ある時はロマの女に、ある時は猟師に視線を向け、神がとうとう孤児に慈悲を与え、彼の全ての苦しみに対して、善良な主婦を使わして下さったことを感謝した。彼女は、もし、勿論のことだが、裏切りさえ働かなければ、彼のもとで何の心配も無く、安らかに暮らせるだろう。

夕闇せまる村の中心部で連続した銃声がとどろき渡った時、結婚式はたけなわだった。
「酔っ払いのブグローフの家だ。銃声で、息子をドイツの戦場に送っているんだろう」。男たちはそう判断して、安心していた。
しばらくして、猟師の家の結露したドアが、突然大きく開き、皆が驚いて見ると、肌着の上にエフィムの綿入れ上衣を無造作に羽織ったダーリヤ・ダルニッツァが戸口に現れた。頭からカシミヤ織のスカーフを、あたかもそれが彼女を窒息させようとでもしているかのようにもぎ取ると、泣き叫んだ。
「男たち、守って! 匪賊が強盗しているわ」。
「満人だ!」。
(つづく)

  1. 2022/10/19(水) 23:24:21|
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2022/10/11 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑱

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑱
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)

*****     *****     *****     *****

歌に目がない百姓娘や若者たちも、戦時の今はもはやロノマレンコ爺さんの屋敷に集まることもなく、ラプタ遊び[ロシアのクリケットに似た球技]をすることもなく、ブランコに乗って揺らすこともなかった。ただ一人聾唖のアルセンチー・ブラコーフだけが、日曜日ごとに夕べの集いにやって来た。ドアの側の釘に羊の両面毛皮の長外套とカワウソの防水帽子を掛けると、自分のお気に入りの場所であるペチカの側の低い椅子に腰を降ろした。イワン・カルポーヴィチと妻のマラーニヤが家の仕事をやっている間、彼は黙ってチョウセンゴヨウの実をポリポリ齧りながら、仲間たちを待っていた。

アルセンチーは、オランダイチゴの丘近くのぽつんと離れた古い家に住んでいた。その家は、死んだ母親からの遺産だった。家はきちんときりもりしていた。馬の他に牛も飼っていて、自分で搾乳量も増やしたし、ブタも鶏もいた。一年中アルセンチーは、一人で狩猟をした。森の中での彼の変わらぬ連れは、二匹のぶち毛の犬で、それらは獣に対する訓練が良く出来ている上、氷の下からカワウソを捕まえることも出来た。エフィム・ダルニッツァと同い年のアルセンチーは、相変わらず独り者だった。聾唖者のところへ嫁に行く者がいなかった。

暑いほどに暖められて、清潔に整えられた部屋には、依然として誰も集まって来なかった。アルセンチーの忍耐もこれまでで、自分の不満を漏らし始めた。
「ぴゃ! ぴゃ!」。回らない舌で言いながら、椅子からいきなり腰を浮かし、両手を左右に広げながら、霜のレースが張り付いた窓の方へ顎をしゃくった。外はもう暗くなったのに、誰も来ないというのだった。

「不運なアルシューシャ[アルセンチーの愛称]。可哀そうにこの人は、友達や娘たちを恋しがっているけれど、今は皆腰を据えて長居出来るような時じゃないってことを分かっていないんだわ」。居座っている客を見ながら、マラーニヤは前掛けの端で涙を拭っていた。
「気が済むまで座らせてやればいい。彼には家族がいないんだから。結婚させればいいんだが。一体誰とさせればよいものやら」。イワン・カルポーヴィチはヤマネコヤナギの細枝を編んで作った肘掛け椅子に腰を降ろし、別に急ぎもせずに馬具を縫い始めた。


ある日の夕方、アルセンチーは狩猟用のラシャの半上衣を着たきりで帽子も被らず、色の浅黒い太ったロマの娘の手を引いて、家に飛び込んで来た。
「おお、聖母様、一体これはどうしたことで」。イワン・カルポーヴィチとマラーニヤは十字を切った。アルセンチーがこんなに輝いて幸福そうなのを、彼らは今まで見たことがなかった。顔を赤カブのように染めて、まるで美しい娘がするように微笑んでいる。反対にロマの娘は、何か不安そうだった。

「お爺さん、この猟師は何ていう名前なの」。ロマの娘は口を開いた。
「アルセンチー・モイセエヴィチ・ブラコーフじゃが、それがどうかしたかね」。イワン・カルポーヴィチはそう彼女に答えた。
「実はあたし、この人が好きなの。で、放浪生活をこれっきりお終いにして彼のところに残るって決めたんです」。太った娘はそう言うと、アルセンチーに接吻した。
「ディブィ! ディブィ!」。アルセンチーは、このロマの娘を胸に抱きしめた。
「見ろ、娘さんの愛情が嬉しくてたまらないんじゃよ。顔つきが変わっている。自分のところにお客に来てくれって言っているよ」。

イワン・カルポーヴィチは、馬具を脇に寄せて前掛けを外すと、ロマの娘の方へ近づいた。
「娘さん、名は何て言うんだね」。
「ザーラ。ザーラです」。
「ああ、ワルワーラじゃな[ザーラはワルワーラの愛称形]。ところでワルワーラ、お前さんは身寄りが無いのかね、それとも家族と一緒かね」。
「あたしは、一団から離れてアルセンチーのところで滞在していたんです。もし、あすこに帰ったら、あたしは連れて行かれてしまって、もうそれっきりアルセンチー・モイセエヴィチに会えなくなるわ。お爺さん、幌馬車隊が行ってしまう朝迄、ここにいさせてくれませんか」。
「哀れだね、いてもいいよ」。マラーニヤは、ザーラが長い毛皮外套と柔毛のショールを脱ぐのを手伝った。「お爺さんや、アルシューシャと一緒にロマたちのところへ行っておくれ。だけど、ワルワーラがうちに隠れていることは、おくびにも出しちゃいけないよ」。
「何て幸福が、アルセンチーに転がり込んで来たことか。娘さんは、見るところ、気立ても良さそうだし、つやつやしている」。爺さんは、肩に綿入れの半外套を羽織った。「さあ、行こう、若いの」。

しかし、当人は強情に広く足を広げて家の真ん中に立ち、微笑みながら、ロマの娘の顔の表情を見守っていた。
「惚れ込んだものよのう、娘から一歩も離れん。分からんのか、この馬鹿、お前のために骨を折ろうってのに」。イワン・カルポーヴィチは、ワルワーラに防寒長靴を脱いで暖炉に這い上るよう指図した。娘が暖炉上の寝台にたどり着くと、アルセンチーは自分が何をしなくてはならないかを理解したようだった。
「ディブィ、ディブィ」。彼はザーラに手を振ると、部屋から出て行った。

アルセンチーの家では一晩中、にぎやかな酒宴が行われた。気前の良いこの猟師は、焼いたクマの肉、イジューブル(大鹿)の足の冷たい固まり肉、大根おろし、歯ごたえの良いキュウリ、漬けたナシ、ミツバチの蜂房でロマたちをもてなした。主人のアルセンチーは、粘土製の水差しからひっきりなしに客たちのジョッキに葡萄酒を注いだ。客たちはこのようなもてなしに酔っ払い、歌を歌いながら踊り出し、床板がたわむ程だった。

「恐らく彼らは、このロシア中に轍(わだち)をつけ回ったことだろう。だけど、こんなお人好しには初めてお目に掛かったに違いない」。イワン・カルポーヴィチは思った。「構うもんか。飲むいい、食うがいい、陽気に過ごせ。その代わり、アルセンチーには、自分の妻が、家の主婦が出来るんだ。こうでもしなければ彼は、タバコの詰まっていないパイプのように、一人のままなんだから」。そして、ロマたちのジョッキに、シカの血のように赤い、泡立つ葡萄酒を注ぎ足し続けた。

朝方、ロマたちは不安になり出した。家中、屋敷中を走り回り、「ザーラ、ザーラ」と叫んだ。
誰よりも大きな声で叫んだのは、片方の耳に耳輪を付けた痩せた老人だった。しかし、ザーラの応えは無かった。すると、彼は家の主人に飛び掛かって言った。「ザーラは何処だ」。
「彼から離れろ。どっちみち、この家の主人は何もしゃべらんよ」。イワン・カルポーヴィチが中に割って入った。「多分お前さんのワルワーラは、匪賊かコサックかが捕らえて連れ去ったのかも知れん。彼らは、しょっちゅう、そういうことをするんだ」。
しかし、老人は聞こうとしなかった。彼の叫びを聞いて、かなり飲んでいたロマたちが、アルセンチーを制裁しようとして駆け寄って来た。

ロマたちが良からぬことを企んでいるのを見て取ったロノマレンコ爺さんは、壁から猟銃と弾薬帯を取り外すとアルセンチーに差し出した。
「もし、無事でいたかったら取れ」。
「ぴゃ! ぴゃ!」。アルセンチーは渋面をつくると、桶の中の食器が音を立てる程足を踏み鳴らした。脅しのために彼は、天井に向かって一発発砲さえした。そのため、漆喰の塊がロノマレンコ爺さんの禿げた頭に音を立てて落ちた。大騒ぎの一団となったロマたちは、激怒した猟師から離れて、屋敷の庭へと飛び出した。そこには馬を付けた幌馬車が何台か彼らを待っていた。馬たちは鼻息を立て、軽快なだく足で新雪を蹴散らし、ロマの一団を運び去った。この時ザーラは、凍った窓にしがみついて幌馬車隊と老人の方を目で追いかけて、涙を拭いながら「さよなら、父さん、さよなら」と、つぶやいていた。

翌日、朝早くアルセンチーは、ロノマレンコ爺さんの屋敷へ橇で滑り込んだ。羊毛の長外套にザーラをしっかりくるむと、クマのように彼女を一抱えして、店に買い物に連れ出した。
彼は売り台の上に、クロテン、カワウソ、ミンクの毛足が長く遊んでいる獣皮を並べてから、主人に、アルコールの瓶を4本、花柄の絹の長い上衣、スカーフ、丸い鏡、中国の美女たちが描かれているルボーク版画を何枚か出すよう頼んだ。
「シャンゴン!」。獣皮を見て満足したファン・リンは、この猟師の前に商品を並べた。

この時、店のドアが、ばたんという音と共に大きく開き、湿った熱気の渦巻きと一緒に、アルセンチーの甥であるニコライ・ブラコーフが入って来た。彼は、広い肩を雪のように白い羊毛の半外套で包み、頭にはジャコウネズミの帽子、足にはシカの毛皮のブーツという派手ないでたちをしていた。ヤギのような顎鬚からつららをもぎ取りながら、居丈高な調子で口を開いた。
「おやおや、ここにおいででしたか、耳詰まりの人も」。
「そんな言い方をして、人を馬鹿にしてはいけません」。ザーラは黒い目を光らせた。
「ジャーナ?[気取ってフランス語の女性の名前Jannaなど言っている]」。ブラコーフの霜の降りた眉が丸くなった。「これは、別嬪さん。全くその通りですな」。
「別嬪だけど、あなたのためのものじゃないわ」。ザーラはアルセンチーの手を取った。
「ディブィ! ディブィ!」。アルセンチーは、ブラコーフの肩を親し気に叩いた。
「立ち寄るよ。必ず立ち寄るよ」。
「何ですって」。ザーラの目が先刻のように光った。「敷居を跨がせないよ、あんな失礼な呼び方を平気でする人は」。
「怒らないで、別嬪さん。アルセンチーは、私の叔父に当たるんですよ。あだ名のことは、ここではそれで呼ぶのが当たり前のことになっているんだ。例えば、僕はニコライという名前だけど、ヌイレーツ[潜水夫]と呼ばれている。別嬪さん。それはね、川の囲いの中で潜って網を引き上げる時に、自分自身が魚の代わりに引っかかってしまったからなんだ。有難いことに、土地の者がちょうど良い具合に馬を走らせて来て、ながえを差し出してくれたという訳なんですよ」。
「いいわ、甥御さんだと言うなら、どうぞおいでください」。ドアを閉めながら、ザーラは言った。

「イグナート、何処にいるんだ」。ブラコーフは下男を呼んだ。すると直ぐに、がっしりとした背の高い男が、脇の下にかます2俵を抱えて、ドアの中に踏み込んで来た。
「それ大男、お前は力持ちだ。ほら、一杯やれ」。ブラコーフは木のジョッキにアルコールを注いだ。イグナートは一気に飲み、喉を鳴らし、前掛けの端で唇を拭うと橇の方へ出て行った。下男が、この商人が運んで来た小麦粉、皮革、蜂蜜、ラードといった商品の荷下ろしをしている間に、何人かの兵士の妻たちが店に入り込んで来た。彼女たちは、太鼓腹の商人を取り囲んで、哀れげに懇願した。
「ミローヌィチ、ねえミローヌィチ、小麦粉の値段を安くしておくれよ。1プード[16.38キログラム]、1ルーブルにしておくれよ。つい先だって迄そうだったじゃないの」。

アレーナ・プロスタキーシャは、涙を流した。
「うちのガヴリューシャは、ドイツ人たちに殺されたんだよ。私は4人の父無し子と一緒に残されたんだ。スープを作るのに炒った木の実やどんぐりをラード代わりにしているんだよ。フスマでどうにかこうにかしのいでいるのさ。憐れんでおくれよ、ミローヌィチ。あんたのために神に祈り続けるから、何とぞお恵みを」。
しかし、この商人に人の良さは無かった。
「おやじが安売りするなと命じたんだ。小麦粉1プード当たり2ルーブルの勘定だよ。それ以下では御免だよ」。
「満腹の者には、飢えた者の気持ちは分からないよ」。アレーナ・プロスタキーシャは絶望的に手を振った。
「お前さんたちなど、くそくらえだ」。商人は唾を吐いた。「騒ぎ立てないでくれ」。そう言うと、ファン・リンが出して並べた札束の上にかがみ込み、前回配達した商品の売上高を念入りに計算し始めた。
(つづく)

  1. 2022/10/10(月) 22:58:30|
  2. ノンフィクション小説 「ヴィクトリア湾のほとりで」
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2022/10/02 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑰

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑰
(ミハイル・ヂェメノーク作 1998)

                      7

翌日、井戸のはねつるべが針のような霜に驚くほどすっかり覆われていた早朝、アキーム・ダルニッツァは綿入れの上着と耳カバー付き防寒帽を身に着け、ぴかぴかに研ぎ上げられた大鎌を持って草地に出かけた。草刈り場に着いてみると、猟師のアルヒープ・マコーヴィンやウースチン・アゾーリン、ロノマレンコ爺さんが既に自分の後ろに白い霜の跡を残しながら大鎌をふるっていた。彼らも、病気のために時期の良い時に家畜の餌を準備しておくことが出来なかったのだ。

こんもり茂ったネコヤナギ付近に荷馬車が集まって止めてあり、遠くに行かないように三本の足を縛られた馬たちが草を食んでいた。その辺りにほてっている馬を止めながら、アキームは陽気に声を掛けた。
「おはよう、みなさん、ご苦労様ですな」。
「おはようさんで、ラーズム」。刈り手たちは一斉に答えた。
アキームが馬をくびきから外し、大鎌を柄に接げている間に、刈り手たちは、中休みに集まった。

「どうしたかね、アキーム。恐らくお前さんとこも必要に迫られて二番草を刈りに来たかね」。イワン・カルポーヴィチ(ロノマレンコ爺さん)は長手袋を脱ぎ、凍えた手でポケットから紐の付いた小袋を取り出した。
「やむを得ず刈るのさ。ほら、エフィムの干し草の山は灰しか残っていない」。そう言って彼は、輝いている霜の針が散りばめられた燃えカスの黒い山々を顎で示した。「片手の猟師が現れなかったかね」。
「いいや、ラーズム、自分の木の長持ちと曲がったウインチェスター銃と共にドロンしてからこっち、音沙汰も無しさ。」。語り部爺さんは頭を振った。「一体オオカミは、誰のヒツジを食ったかなぞ感じるかね?」。

わしは、燃え殻を見て思ったんじゃが」。のっぽの猟師のアルヒープ・マコーヴィンが、タバコの煙を深く吸い込みながら話し始めた。「一体いつになったら人間はお互いに卑劣なことをするのを止めるのじゃろう。例えば、わしなんか全人生でハエを怒らせたこともないというのに、ミローン・ブラコーフはわしに何をしたかね。え? 何で2万の財産をこさえたかね。わしが最初にその石炭を見つけたことに対してくれたものは、侮辱だけだったさ」。
「そうなんださ、アルヒープ。お前さんの失敗は、しゃべっちまったってことさ。口をつぐんでいれば良かったんだよ。そうしてから、自分でこの石炭のことを届け出ればなあ」。ウースチン・アゾーリンが会話に加わった。「お前さんに報奨金が出たのになあ。今頃は二番草なんて刈っていないでよ、ミローンみていに羽毛入りの枕に寄りかかって、なあんにもしねえでいられたのによ」。
「今、ブラコーフの草刈り場に放火してやる。そうすりゃ、あいつんとこの干し草の山は黒い崩れ山ってことになるのさ」。アルヒープは、灰青色の煙が立ち上っている農場の方へ顎をしゃくった。
「おい、おい、正気か、アルヒープ」。アキームは彼に怒りの視線を投げた。「風が吹いて、火がわしらの草刈り場まで回ったりしたらどうするんだ。アルヒープ、そんな考えは頭から追っ払うんだ」。
「ああ、わしはついかっとなって馬鹿なことを言ったよ。わしらは、話に夢中になっちまったんだ。さあ、草を刈りに行こう」。アルヒープは大鎌を手にして、自分用の草刈り場の方へ歩き出した。

くぼ地に沿って細い袖のように延びている、エフィムの持ち分の草刈り場では、秋に間に合って草が生え揃うまでになっていた。コヌカグサやヒメムラサキの中にクサフジさえ見ることがあったので、アキームは次から次へと広い刈跡を残しながら、楽しい気分で二番草を刈った。日暮れまでに半分程まで刈り進み、たまり場に戻ったのは最後だった。
「ラーズム、お前さんの刈跡は荷馬車が楽に通れる程だ。つまり、まだ元気だってことだ。お前さんはもう70だってのによ、そうだろう」。大鎌の刃を叩き直しながら、ロノマレンコ爺さんが言った。
「ああ、イワン・カルポーヴィチ、今んとこ、まだ腰は曲がらぬよ。お前さんの歳まで生きたいもんだがね。お前さんは、もうすぐ90じゃないか」。


不意に遠くの刈跡の向こうに、まるで土から湧いた様に子ジカが現れた。それは、沼沢地の地表に立っていた。黄色い斑点のある茶色の横腹が膨れ上がっていた。突然、何処からともなく口輪をつけた犬たちが子ジカに襲い掛かって行った。森の方から沼沢地の方へ、片腕の猟師が砲身を短くした銃を持って走って来た。
「お前さん方、見てくれ、わしらの所へ誰がおいでなすったか」。荷馬車から斧を取り出しながらアキームは言った。「噂をすれば影、あのサハリン人だ」。
狩り手たちが、片手の猟師に近づくと、彼は銃の遊底をカチンと鳴らし、子ジカと犬たちに向かって立って、言った。
「斧を仕舞え、アキーム。神かけて俺は干し草を焼いていない。エフィムの干し草の山は、恐らくブラコーフのやつらが悪意で焼き払ったのだ」。
「要塞近くのチョウセンニンジンは、誰が掘り出した? スネジョークを草地から誰が連れ去った? 誰がじゃい?」。そう言うと、アキームは銃口近くまで進んだ。

しかしその時、ウースチンが彼を止めた。
「エフィムは、現場で彼の手を捕まえなかったんだ」。ウースチンはアキームの襟をきつく掴んで押しとどめた。
「捕まっていない者は泥棒じゃない、か」。肩から斧を降ろしながら、アキームはため息をついた。「どうして獣を苦しめているのかね、すぐに撃ったらいいじゃないか。お前さんは狙撃兵なんだろうが」。
「まあ、見ていてくれ」。
子ジカが犬たちを角で突いている間に、サハリン人は皆の目の前でシカの腹の下に長い生皮のベルトを棒で差し込んだ。突然、荷馬車が近づき、二人の中国人が飛び降りた。片手の猟師の指図で満州人たちは巧みにシカを押し倒し、そのベルトで脚を縛った。そして、ながえの横木を使ってシカを泥の中から持ち上げ、柔らかいライ麦の藁が敷かれた荷馬車に乗せた。
「ブラコーフのためにシカを捕まえているのじゃろう?」。沼沢地の方へもっと近づきながら、イワン・カルポーヴィチが聞いた。
「思い違いだよ、爺さん。自分の飼育場のために捕まえているのさ。もう1ダースも捕まえたぜ。若いシカの袋角の需要は今大きいからね。飼育場を作ることにしたのさ。今はチェレムシャンカよりも低地の塩水湖のほとりに住んでいるんだ。どうぞ、皆さんおいでください」。サハリン人は、犬たちから革の口輪を外さないまま綱を荷馬車に縛り付けると、草刈り場を横切って道の方へ乗って出て行った。

「あのくわせもの、儲けやがって、畜生。ブラコーフよりもさらに上手だ」。たまり場に向かいながら、アキームは言った。
「もちろん、エフィムの根っこもスネジョークも売り払ったんだ。それで儲けやがって、罰当たりめが」。爺さんは拳骨で脅かすまねをした。
「今日はもう十分だ。明日刈り終えよう」。
刈り手たちは馬を馬車に付け、自分の刈跡を通ってチェレムシャヌイの方角へと出発した。

あくる日、アキーム・ダルニッツァがエフィムの窪地を刈り終える間に、ダーリヤと上の三人の息子たちのステパ、エゴールカ、ワシャートカは全ての二番草を運び終えることが出来た。《干し草はいつもの良いものではないけれど、病気になって死ぬことはないだろう。これで家畜は全部冬を越せるわ》。一番年長の息子、ステパをこっそり見ながら、ダーリヤは思った。《何て上手にフォークを使っているのだろう。父さんにそっくりだわ。同じくらい美しくて、強い。あの不運な人は、今どこにいるんだろう。どうしているんだろう》。

*****     *****     *****     *****
(つづく)

  1. 2022/10/02(日) 21:16:43|
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2022/09/25 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑯

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑯
(ミハイル・ヂェメノーク作 1998)


朝、東の空がやっと白みかけた頃に、チョウセンニンジン採集者たちは起きて動いていた。ハオ・リェンとチェ・ヨンゲンは、チョウセンゴヨウの切り株のそばで少しの間祈り、ズック布の前掛けをしめ、アナグマの毛皮をひっかけ、棒を握った。
「さあ、案内せよ、エフィムカ」。
「出発」。エフィムもきびきびした足取りで、鬱蒼としたチョウセンゴヨウの中をマーマント[マンモス]谷の方へ向かった。黙って、注意を怠らずに進んだ。もし、小休憩が必要な時には、彼らの中の一人が乾いた木の幹を棒で軽くたたいて、残りの者にそれを知らせた。

源流の水源近くまで出たところの鞍部で、突然、略奪の跡を目にした。あたりには、杭、棒、樹皮などの他に、瓶、アワやエンドウ豆が分けて入れられた袋、ござ、といったがらくたが散乱していた。根本から皮を剥がれたエゾマツのそばに、二人の中国人 ― 一人は頭に編み下げのある老人で、もう一人は、剃った頭をした若者 ― が立ち膝をしていた。彼らの顔、手、足はブヨに血が出るまで噛まれていた。
「ここまで人をあざ笑うとは、何という人でなし」。エフィムは、捕らわれた人たちの血まみれの、腫れあがった手の縄をナイフで切った。老人が、続いて若者がエフィムの足に接吻したが、彼は後ずさりした。
「もう、十分だよ」。そう言って、二人が立ち上がるのを助けた。

老人はチェ・ヨンゲンに、何が起こったかを涙ながらに話した。昨晩、彼と息子がチョウセンゴヨウの林を出て、小屋の方へ近づいた時、武装した匪賊たちが待ち伏せていた。山賊たちは、手に入れたチョウセンニンジンの根をよこせと要求した。老人にとっては、根の入った籠を渡す以外に方法が無かった。帰りしな匪賊たちは、小屋を壊し、掠奪を行ったあげく、父と息子をチョウセンゴヨウに縛り付けた。

この犠牲者たちと別れる際に、ハオ・リェンとチェ・ヨンゲンは、持っていた衣類の中からなにがしかを彼らに与え、エフィムは、穀類、獣脂、大鹿の肉を分けた。喜んだ老人は、自分たちの救済者である彼らをきっと探し出して、恩返しをすると約束した。

既に太陽が天頂に懸かり、クモの巣の絹のような糸がからんだ色様々な葉に白い反射が光る頃、ニンジン採集者たちは石の壁[古代国家渤海時代の女真族が作った城塞跡]に近づいた。あちこちに懸かったクモの巣を見て、チェ・ヨンゲンは、暖かい秋になることが分かった。それから、モルタルやクラウトなど一切なしで何千という石の塊を積み上げ頑丈な城塞を築いた石切工たちの技術に、ハオ・リェンと一緒になって驚きながら、黒ずんだ石を興味深げに長いこと眺めたり、手で触ったりしていた。源流の深く険しい、石の多い川床に沿って、半月形に延びている城塞に沿ってエフィムが計ってみると、200歩あった。

「われわれよりも以前に、あなた方よりも以前に、ここに人々が住んでいたということだね」。エフィムはチェ・ヨンゲンに向かってそう言うと、葉を掻き分けながら、かつてチョウセンニンジンに似た草を見た場所に向かって歩き出した。
「そう、ここに昔昔、人々住んでた」。チェ・ヨンゲンは頷き、短く祈った。

沼沢地の側でエフィムは驚いて立ち止まった。自分の目が信じられなかった。足許の、一面に散り敷いた落ち葉や芝で覆われた地面が、掘り返されていた。
ハオ・リェンとチェ・ヨンゲンは、いくつかの穴を覗き込むと、何かささやき交わしながら、地面に転がっているまだちっぽけなチョウセンニンジンの白い根を集めて、それらを穴に一本、一本植え始めた。
「一人の悪い人、きのうここに来て、大きな根っこ全部取った」。チェ・ヨンゲンは、そう断じてから、多くの掘り返した跡から判断すると、その人は20本以上を手にした筈だと説明を加えた。
「あのサハリン人が、ここでひと働きしたんだ。あいつは、だてに俺にしゃべらせたんじゃなかった」。前掛けを外し、エフィムはあきらめた。「タイガをぶらつくのも、もう潮時らしい。家へ帰る頃だ」。

エフィムはチェレムシャヌイに近づく時、銀色に光る川の急カーブや、特にヤナギやウワミズザクラの林に縁取られた浅瀬の急流を眺めるのが好きだった。また、輝いているトタン屋根を載せた良質の、茶色に日焼けし、丸太をほぞ接ぎにしたチョウセンゴヨウの民家にうっとりするのが好きだった。放牧場の柵の中で仔馬たちがいななき、牛たちがもー、もーと鳴き、雌鶏が甲高く鳴くのを聞くのが好きだった。菜園の飯盒の上でシメたちが大騒ぎしながら旋回しているのや、ウズラが歌っているのや、ブランコに乗ったりラプタ遊び[ロシアの伝統的な球技]をしながら子供たちが騒いでいるのを聞くのがすきだった。これら全ては、住み着いて、彼にとって故郷となったこの地で彼を喜ばせるものだった。自由な空間!

しかし、今エフィムは暗く、不機嫌だった。当然だ。自分の草刈り場の近くを通った彼は、チョウセンニンジン採りから帰ったらすぐに家に運ぼうと決めていた干し草の山の代わりに、灰まじりの黒くなった山を見た。フォームキン草地に放牧されていた馬の群れの中に、気に入っていたスネジョークを見つけられなかった。あのサハリン人が、悪意で干し草を焼き、スネジョークを連れ去ったに違いなかった。

家では、嬉しくないニュースが彼を待っていた。玄関で彼を迎えたのは、泣いているダーリヤと、打ちひしがれて陰気なアキームと子供たちだった。
「エフィム、戦争だそうだ」。アキームが小さく言った。
「何処と?」。
「ドイツとだ。成年男子5人程の動員命令が、郷[村の上級行政単位]から来たんだが、お前が当たっている」。彼は、エフィムが重たい背嚢を肩から降ろすのを手伝った。ダーリヤは、エフィムを抱いて、家中に響く声で泣き、かき口説いた。
「ああ、一体誰のために私たちを置き去りにするのよ、あんた」。

二日間、村はハチの巣をつついたような騒ぎだった。チェレムシャヌィの村に、ある時は陽気な、ある時は悲しい歌が響いたり、自暴自棄の笑いの後に悲しい号泣が聞こえたり、銃声が起こったりした。

大騒ぎの真最中に、エフィム・ダルニッツァの屋敷にチェ・ヨンゲンとハオ・リェンが乗った腰高荷馬車が停まった。このチョウセンニンジン採集者たちは、自分たちの信頼する警護者であったエフィムと全ての清算をした。200ルーブルを支払った上に、テーブルの上にはアルコールの瓶を2本置き、妻には花模様のネッカチーフと毛織物の生地を一反贈り、子供たちにはドロップを分け与えた。チェ・ヨンゲンは、エフィムと別れる際に顔をしかめながら、飢えと病気に次いで戦争は、人間の最も恐ろしい不幸だ、と言った。彼とハオ・リェンは、この不幸からエフィムが勝ち残って無事であるようにと、幸運を祈った。

夜明けに、雄鶏の鳴き声と共に招集兵たちは、ヴィクトリア湾の狭いが深く入り込んだ入江近くにへばりついているトーチカ鉄道駅へ向かって、荷馬車で運ばれて行った。イチゴが実る丘の近くで荷馬車が停車し、新兵たちは両親と抱き合って、墓地へと歩いて行った。
「敵の弾丸からお前を守るように」。アキームは、アリョーシカ[幼くして死んだエフィムの弟]の墓土が入った袋をエフィムに差し出した。「ドイツ人を打ち負かせ。徹底的に打ち負かせ」。
ダーリヤとマーリヤは、泣いてかきくどきながらエフィムを抱いた。

「女たちはしっかりしてくれよ。泣いてなぞいる時ではないぞ。いざという時には、わしが家事を手伝うから。それに子供たちだっているじゃないか」。アキームは、エフィムを荷馬車の方へ送って行った。
「ラーズム、お前さん、何も気が付かないかね」。オスタプ・シェルパイコが、自家製タバコをパイプに詰めながら謎めいた調子で言った。
「何をかね」。
「招集兵の中に、ミローン・ブラコーフの息子たちがいないってことさ。どうしてこうなるのかね。俺んとこも、お前さんとこも、なけなしの息子を戦争に送り出すってのに、ブラコーフんとこじゃ5人も息子がいるのに、全員が家に隠れて身を守っているとは」。
「ブラコーフは金で免除してもらったんだ。しかるべき人に賄賂を払ったんだ」。
「もし、男たちが女たちのスカートの後ろに隠れていたら、わしらはドイツ人を打ち負かすことは出来ないんだ。昔そうだったように、みんなが一緒になってやっつけねば」。イグナートとパーヴェルの二人の息子を一度に送り出したイワン・ドヴォルツォフが言った。「ニコーリスク・ウスリースクの県知事のところへ、これこれしかじかだと言って訴えを送ってやらねばならん。ラーズムがそれを送るのが一番ええ」。
「関わり合いにならん方がええ。さもないと後でブラコーフから、どれだけ仕返しされるのか分かったもんじゃない。それでなくとも、オオカミのようにしてわしらを見とるのじゃから」。憂鬱そうで無口のゲラシム・シェフツォーフがアキームに警告した。
しかし、アキームは、課長のパヴリーノフを通してそのような訴えを必ず出すと、村人たちに固く約束した。

もくもく登る蒸気に包まれた蒸気機関車がいきなり到着したトーチカ駅で、チェレムシャヌィの村人たちは、招集兵たちのために十字を切った。《兵士たちよ、どうか神の御加護がありますように。そしてドイツ人を徹底的に打ち負かせ。どうか生きて家に帰ってくれ》。村人たちは、ヴィーンチキ[ネジ]・ボールチキ[ボルト]、ヴィーンチキ・ボールチキとレールの継ぎ目で勇ましいリズムを叩きながら遠ざかって行く蒸気機関車に、長いこと手を振っていた。

駅からの帰路、アキームが二頭立て馬車でエフィムの屋敷の側を通りかかると、一つだけぽつんと、刈り入れ時から残った干し草の山に目が留まった。
「ああ、お前さん」。彼はため息をついて、泣き出したダーリヤの方へ顔を回した。「家畜に何のエサを与えようか。わしらの仕事は大変だ。だけど全てが駄目になった訳じゃない。出口はある。大急ぎで二番草を刈らねばならん」。
「わたしも、子供たちも手伝います」。一つの希望が見えて、ダーリヤは生気を取り戻した。
(つづく)

  1. 2022/09/24(土) 22:56:54|
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2022/09/19 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑮

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑮
(ミハイル・ヂェメノーク作 1998)


しばらくして銃声が響き、辺りは静まった。イジューブルは一発で仕留められた。彼ら二人が、シカの胴体から皮と内臓を取り除き、肉の入った袋を幾つも運んで来て、肉の一部を源流の水に浸した時、おかしな行動をしているハオ・リェンに気が付いた。彼がチョウセンニンジンを見つけた場所のすぐ側にあった若いチョウセンゴヨウの木の代わりに、そこには1メートル半の切り株が突っ立っていて、その周りをハオ・リェンが手に斧を持って動き回り、その切り株を削っては人間の形を作っていた。

「あれは、自分の神様を作っているだよ」。チェ・ヨンゲンは、手を一振りした。そして、仮小屋作りをお終いにして彼は、ハオ・リェンが、ニンジンの大きな根を見つけたことを皆にずっと伝えようと決心したのだと説明を始めた。斧を使って木に人間を作り出そうとしているのも、チョウセンニンジンの根もどこか人間に似ているからなのだと。

一方でハオ・リェンは、この幸福な場所をいつまでも覚えているために、樹齢100年のチョウセンゴヨウの皮を斧で窓の形に剥いで、いわゆる、ポドループ[目印の刻み]を作った。翌年になってハオ・リェンがここの場所に戻った時、目印のポドループによって自分のニンジンの在処を見つけるのだ。たとえ根が無かった時でも、チョウセンゴヨウの窓の中の琥珀色の樹脂に、必ず火を付け焦がしておく。表面が焼かれたポドループを見て、他のニンジン採集者たちは、この場所は既に点検されていて、ここを探しても無駄だと分かるのだ。

「これで、ちっとは分かったか?」。チェ・ヨンゲンは、笑いながら言った。
「何処で聞くよりも、良く分かったさ」。ゴーシャは、ウインチェスター銃の手入れに取り掛かった。「レストランで、ある通訳から聞いたんだが、原住民たちは40歳を過ぎると、力が付いて目が良くなるからとか言って毎年チョウセンニンジンの浸酒を飲むんだそうだ。こりゃ本当かね」。
「そうだよ、本当だよ。良く効くよ」。チェ・ヨンゲンは、何度も頷いた。

「俺は確かに、マーモントフカの石の壁の近くで根っこを踏んづけたんだがな」。チョウセンゴヨウの切り株の、白い人間の形を眺めながら、エフィムが言った。
「わしらはここから壁のところ迄行って、みんなで良く探してみよう」。チョウセンゴヨウの切り株の周りの木屑を集めながら、チェ・ヨンゲンが言った。
「それは沼地の密林近くの高台にある石の要塞の側のことかい?」。ゴーシャがエフィムに聞いた。
「その通り。お前さん、そこに行ったことがあるのかい?」。
「春に俺は、あすこで若ジカを仕留めたのさ。水飲み場のところまで何度も通ったよ」。ゴーシャが自慢した。「本当にここのタイガは豊かだなあ。何でもある。ここで小金を貯めて、ブラコーフみたいに養蜂場を手に入れ、シカを飼おうかなあ」。サハリン人は、夢見るように言った。
木屑を全部集め終わると、チェ・ヨンゲンとハオ・リェンは、この幸福な場所の周りの藪を切り払い、土地を掘り返すと、チョウセンニンジンの赤い種を播いた。
「ニンジンの根は消えることはないよ。それはいつも生きているよ」。チェ・ヨンゲンは、革の膝当てから土を払い落としながら言った。

次にハオ・リェンは、ずっしりと重い蝋のように黄色いニンジンの根が湿ったコケに包まれて入っている、チョウセンゴヨウの若い樹皮で出来た網籠を、注意深くエフィムの手に渡すと、チェ・ヨンゲンに半ばひそひそ声で何かを言った。チェは同意して頷くと、根は一時的保管のためにエフィムに預けるから、それを掌中の珠のように大事にしなければならないと説明した。
エフィムは、根の入った網籠を背嚢に入れると、枕元の、キュウリの香りがする柔らかいシダの小山の脇に置いた。

夕食には、ゴーシャが肉入りの粥を煮て、心臓、肝臓、腎臓を蒸し、茶を沸かし、赤ブドウを煎じた。肉粥はこってりと脂っこく、皆が気に入った。しかし、蒸し煮にした肝臓は、きゅ、きゅと音がして生煮えだったので、チェとハオは絶対に食べようとしなかった。
「何てもったいないことをする人たちだ」。サハリン人は歯を見せて笑った。「俺の分け前が増えるだけだ」。そう言って、肝臓を全部たいらげた。

しかし、野営の準備を始めた時、ゴーシャは気分が悪くなり、窪地の方へ何度も行ったり来たりを始めた。
「腹の具合がおかしくなった。滝みていに沸き立ってやがる」。彼はぼやいた。
チェ・ヨンゲンは、エフィムに網籠をほどき、ニンジンの葉を取り出すように頼んだ。彼が言われた通りにすると、チェ・ヨンゲンは手の形の葉をカップに入れ、お湯を注いだ。
「えますぐ治るべ」。彼はゴーシャに濁った飲み物を差し出した。「飲め!」。
サハリン野郎は、顔をしかめながらがぶがぶとカップを飲み干した。
「おう、キニーネみたいに苦い」。
「よろすい、もう紫斑は出ないよ」。
実際にチョウセンニンジンの煎汁はゴーシャに効き目があり、痛みを取って、彼は間もなく仮小屋じゅうにいびきをかき始めた。

こうして最初の日は過ぎた。それに続く日々も、採集者たちはついていた。ハオ・リェンは17回、チェ・ヨンゲンは11回、エフィムは9回、ゴーシャは2回、《ワンスイ!》を叫んだ。サハリン人の不運の原因をチェ・ヨンゲンは、何よりも彼の悪口にあると見ていた。チョウセンニンジンは、彼に背を向け隠れているだけなんだと。チェ・ヨンゲンのことばによれば、ニンジン採集者は、晴れ晴れとした、陰気でない顔をしていなければならず、笑ったり、冗談を言ったり、小声で歌ったりさえしなければならない。そうすれば、成功を掴むことが出来るだろうというのだ。

ある日の休憩の時、チェ・ヨンゲンとハオ・リェンは例の根っこを掘るのに忙しかった。その折に、ゴーシャがエフィムがいる倒れ木にやって来て腰を降ろすと、いとも気軽にこう言った。
「エフィム、俺はあいつらを見ていて思うんだが、もしも、このウインチェスター銃で彼らをがつんとやったら、根っこは均等分けとしようぜ。全てのカーチカ紙幣は俺たちのものになるな。そうだろ」。
「何だって」。エフィムの顔は真っ赤になった。「もう一回言ってみろ、ずるい奴!」。
「いや、俺は冗談を言ったんだよ、エフィム、まるっきりの冗談だよ」。サハリン人は、倒れ木の上に置かれたウインチェスター銃の方へ、神経質に震える丈夫な方の手を伸ばした。
「触るな」。エフィムは力任せに彼を蹴飛ばした。ゴーシャは倒れ木から転げ落ち、やっとのことで両足で踏みこたえた。青くなったサハリン人の目の前で、エフィムはウインチェスター銃の弾を抜き、二本のくっつき合った木、つまり二股の間に銃を差し込むと、やすやすとそれをひし曲げ、足許に放り投げた。
「撃てるもんなら撃ってみろ!」。

驚いたチェ・ヨンゲンとハオ・リェンが、エフィムの方へ駆け寄って来た。
「彼は悪者なのか?」。背嚢の荷物をまとめたゴーシャを杖で指して、チェ・ヨンゲンが言った。
「悪者で、おまけに卑怯ときている。彼の取り分を返してやって、とっとと何処へでも立ち去ってもらおう」。
チェ・ヨンゲンが震える手で樹皮製の網籠をほどくと、ハオ・リェンは何本かの根を数え分け、サハリン人に返した。
「俺は今分かった。誰のおかげでアレクセイが牢獄の中で苦しんでいるのか。お前のせいだ、ずるい奴!」。エフィムは足を鳴らした。「お前の顔なぞ金輪際見たくもない。覚えて置け、他人の不幸で儲けるな! ロノマレンコ爺さんには、お前に敷居を跨がせるなと、俺は言いつける」。

サハリン人は、黙って背嚢を取ると、ウインチェスター銃を拾い上げ、源流づたいに下に降りて行った。ズック製の前垂れが歩くのに邪魔だった。
「くたばっちまえ!」。彼は、自分の前垂れをもぎ取ると、藪の中に投げ捨てた。それからアナグマの毛皮も同じようにした。
《どうってことないさ、こんな所くんだりまで来ることもなかったのさ。水雷艇では破片爆弾が俺の手を切り落としたが、俺は平気の平左だった。残念なのはウインチェスターだけだが、これだって取り返しのつくことさ。銃身を切って縮めれば撃てるようになるさ。エフィムのやつめ、喜んでいればいいさ。城塞[古代国家渤海時代の女真族が作った城の跡]近くの根っこも掘るだと。干し草を家に運ぶだと。スネジョークを乗り回すだと?!》。下唇を血がにじむまで噛むと、サハリン人は追い詰められたシカのように全速力で密林を通り抜け、石の壁へと向かった。

エフィムは刺すように体が震えた。
「こともあろうに、何てことを考えたんだ、あの阿呆は。あのろくでなしだったら、俺を撃つ時だって手が縮むことはなかっただろう」。
しかし、源流が蛇行した向こう側の高台の、エゾリスたちの威勢の良い鳴き声がしきりに響き渡っている灰青色の針葉樹林の近くで、ハオ・リェンが《ワンスイ!ワンスイ!》と二度叫び、チェ・ヨンゲンが、運がついているハオ・リェンがチョウセンニンジンの群生を見つけたという良い知らせを持って来てから、やっと少し心が落ち着き、楽しくさえなった。

《何はともあれ、この仕事は好ましい》。新しい小屋のために若いチョウセンゴヨウから樹皮を剥がしながら、エフィムは心の中で考えた。
《晴れた日にチョウセンゴヨウの林をこんな風に歩き回ったり、ホシガラス、シジュウカラ、ゴジュウカラやリスたちといった森の仲間たちがチョウセンゴヨウのまつかさをつついたり、大粒の堅果の皮を剥いだりしているのを観察するのはいいもんだ。シマリスたちがコケの生えた丸太の上で直立不動に立ちながら、口笛を吹くように鳴いている様子も、石の多い浅瀬で銀色のフォレーリ[サケマスの一種]が体を震わせている流れに、カエデが火の色の葉を落としている様子も、ガマズミの茂みでエゾライチョウが甲高くぴーぴー鳴いているのも》。
エフィムの視線が、うろのある太いシナノキに止まった。そこからぶんぶんと大騒ぎをしながら、明るい黄色の前垂れをつけた野生のミツバチたちが飛び出していったのだ。
《この場所を覚えていて、葉が落ちた後に立ち寄らなければならないな》。エフィムは、ここにいつか子供たちと一緒に来ることを思い描いた。うろのあるシナノキの側でたき火を起こし、ミツバチたちを燻し出す。そして、蜜房をナイフで薄く切り瓶に詰める。ダーリヤと子供たちにとって、これ以上の土産があろうか。

流れの側の高台で、たちまち12本の根っこを掘り出したハオ・リェンは、ひっきりなしに何かをチェ・ヨンゲンにささやき、チェは同意して頷いた。ヨンゲンのことばによれば、タイガの主は特に今日は気前がいいと言う。それも、多分、悪口をたたくあの片手の狩人がいないせいだと。
「今度は石の壁へ行くべし」と、チェ・ヨンゲンが提案し、エフィムもハオ・リェンも同意した。が、深夜にかけて出掛けることは、決心がつかないようだった。というのも、夜の静寂を縫って、時折遠くからライフル銃の銃声が聞こえていたからだ。
「匪賊たちが撃っている」。エフィムは、チェ・ヨンゲンが指である方角を示しハオ・リェンに何かささやいたのを見た。次にエフィムの方に駆け寄ると、匪賊たちの注意を引かぬよう、小屋の近くでたき火をするな、大声で話すなと彼に頼んだ。
(つづく)

  1. 2022/09/18(日) 23:59:30|
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2022/09/11 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑭

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑭
(ミハイル・ヂェメノーク作 1998)


                      6

エフィム・ダルニッツァが荷馬車2台の最上小麦粉と死んだトラを持ち帰り、おまけに匪賊の頭目リ・ロンその人から貰った素晴らしい馬を連れて来たと言うニュースは、あっという間に近隣に広がった。エフィムが納屋に、小麦粉の入ったかますを入れ終わらぬうちに、昔同じ百姓家に住んでいたチェ・ヨンゲンが、灰色がかった肌の色をした中国人の老人と一緒に現れた。
「良かった、エフィムカ、良かった」。チェ・ヨンゲンは上客に対するような笑顔で、エフィムの手を握った。
「ああ、何でお出ましか分かりますよ。恐らく、もう村中に噂が広がったんだろう」。
エフィムは、客たちを家に通した。

エフィムがタイガに猟に出かける時、チェ・ヨンゲンはいつも彼に頼んだ。《エフィムカ、トラのやつを撃ってくれ。骨からいい薬が取れるんじゃ》。だからこそエフィムカは、毛皮と共にトラの骸骨をも家に運んで来た。物置からは、腐った肉の嫌な臭いが漂っていた。しかし、チェ・ヨンゲンも、灰色がかった肌の中国人もこれを少しも気にしなかった。

チェ・ヨンゲンがエフィムの目の前で特製の木の万力・釘抜きで引き抜いたトラの口髭の剛毛と、骨に対して、ハオ・リェンという名前の中国人は、100ルーブルをエフィムに支払った。彼はそのような金額を夢想だにしていなかったので、目が輝き出した。ブロンドの巻き毛をした女帝[エカテリーナⅡ世]の絵が描いてある、長いぱりっとした紙幣《カーチカ》を右手、左手と置き換えてみながら、エフィムは明かりのほうへそれを近づけると、何の必要も無いのに、声を出して読み始めた。「百ルーブル国家紙幣。国営銀行は、紙幣を1ルーブル=1/15インペリアル金貨、17.424ドーリャ[約0.774g]の純金含有、に制限なく交換する。紙幣偽造者は、全財産、身分の剥奪と懲役に処せられる」。
「子供たちよ、聞いたかい。これが国で一番高額の紙幣《カーチカ》なんだよ」。保管のために紙幣を妻に手渡しながら、満足してエフィムは叫んだ。

品物を買うと、アルコールの瓶をテーブルに置きながら ― ここではこれがしきたりだった。つまり、商人は、商売取引後の饗応をして返礼しなければ、相手の元を去ってはならなかった。さもないと次の取引が出来ないのだ ― ハオ・リェンは、チェ・ヨンゲンを通してエフィムにこう頼んで来た。つきの良い猟師である彼が、護衛として彼らと共にタイガに行ってくれないかと。彼はチョウセンニンジンがいっぱい生えている生育地を知っている。彼らが自分たちでそこに行って来られれば良いのだが、チョウセンニンジン採集者を容赦なく強奪し、殺戮する匪賊たちを恐れている。しかし、エフィムと一緒であれば、安全だ。一味の頭目は、あんな競走馬を贈ったくらいエフィムに敬意を持って対しているのだから。報酬については、分け前を保証するというのだ。

「脳みそをしぼって良く考えねばならん」。ジョッキに酒を注ぎ分けながら、エフィムはこう言い、さらに付け加えた。「どういう事かな。リ・ロンはチェ・ヨンゲンの友人なのに、どうして匪賊を恐れているのかな」。
「今、彼は悪い人!」。チェ・ヨンゲンは拳固を握りしめ、片足をどしんと踏むと、頭目に対する悪口雑言を浴びせ出した。頭目は、チェ・ヨンゲンやその他の何十人という原住民を、悪質年貢未納者ブラックリストに書き入れたのだと言う。だから彼と会ってもろくなことにはならないのだと。

玄関のドアが突然開き、家に、サハリン人のゴーシャ・パチューコフが黒い帆布製水兵服の下にいつもの横縞シャツを着て、せわしく動く茶色の錐のような目をして、相変わらずのすばしこい様で入って来た。片手の猟師 ― チェレムシャヌィの村人たちは、ゴーシャ・パチューコフをこう呼んでいた ― は、ロノマレンコ爺さんのところで少しの間暮らしていた。夏に彼は、フォームキン草地の向こうの天然塩類土壌の所で、数頭のイジューブル、しかも袋角を持つ若シカをうまいこと仕留めて、それから間もなく、瓶詰にした袋角を持って平底船でウラジヴォストークに出て行った。それからこっち、姿をくらましていた。

「水兵さん、座って一緒に飲んでください」。エフィムはジョッキをいっぱいにして酒を注いだ。
「遠慮しないよ」。席に着きながら、ゴーシャは手の切断された端をテーブルにこすりつけた。「何だかむず痒い。ところでエフィム、俺は塩類土壌の側でトラを何度待ち伏せしたか知れないのに、仕留められなかった。エフィム、お前さんの成功に乾杯!」。そう言って、ゴーシャは一気に酒を干した。

チェ・ヨンゲンが頭を傾け、ハオ・リェンに何かささやくと、彼は同意して頷いた。
「おめえさん、わしらと一緒にタイガ行く、チョウセンニンジン探す、どうだ?」。チェ・ヨンゲンが、片手の猟師に聞いた。
ゴーシャは肯定的に頷いた。
「俺は、レストラン《金の角》で有り金全部を賭けで使い果たして、無一文でウラジヴォストークから戻って来たのさ」。
「彼をタイガに行かせるのはいいけど、あんたはだめよ」。ダーリヤが話に口出しした。「冬の薪も貯えていないし、草地から干し草もまだ運んでいないわ。それなのに、エフィム、あんた、タイガの中をさ迷い歩くつもりなの!」。
「どんな迷いだ?」。チェ・ヨンゲンは片足を踏み降ろした。「悪いおカミだ。何も分かっていない。エフィムカは幸せのため、タイガに行くよ」。
「チェ・ヨンゲンは、いわれのない事は言わないよ、ダリユーシカ。わが家じゃいつだって金が必要じゃないか。ほら、あいつらだって、何人分食うかね。もう全員が大人並みじゃないか」。エフィムは、おとなしくなった子供たちが座っている暖炉上の寝台の方を顎で示した。
「分かったわ、行けばいいわ。だけど、出来るだけ早く戻ってね」。ダーリヤは折れて、手を振った。


木々の根っこがむき出しになったバールハトヌィ源流のなだらかな岸辺に、窓の形のまだ新しい刻みの目印があるがっしりとしたチョウセンゴヨウが立っており、木の皮で出来た掘っ立て小屋が建てられている。そこで寝起きしているのは、青い短い上っ張りを着て、革の膝当ての付いた同じ色のズボンを穿き、足には子牛革の柔らかな平靴を履いたチョウセンニンジン採集者たちだ。上っ張りとズボンは、タール塗防水帆布の前掛けで前面を露から守られており、後ろ側はアナグマの毛皮が垂れ下がって、湿った倒れ木に座る時に衣類が濡れるのを防いでいた。彼らがこの場所を選んだのは偶然ではない。

背中に重たい背嚢を背負った採集者たちが、棘のある灌木林をバールハトヌィ源流の方へと、かき分け、かき分け歩いて行くと、先頭を行くハオ・リェンが突然、草を掻き回すための長いカエデの棒を脇に放り出し、肩から背嚢を降ろすと、跪[ひざまず]き、低く頭を下げて何度もお辞儀をして、繰り返し言った。
「ワンスイ、ウーピエンイェーズ! ワンスイ、ウーピエンイェーズ![万岁五片叶子?](万歳五葉?)」。
「彼は何であんなにお辞儀をしているのかい。まるで、彼の前に神様でも立たれているみたいじゃないか」。エフィムは、ゴーシャの脇腹を突っつきながらいぶかしんだ。「確かめてみようじゃないか」。
「彼はニンジンを見つけただよ」。チェ・ヨンゲンはひそひそ声で言うと、静かに、というように指でおどす仕草をした。

ハオ・リェンの目に留まったチョウセンニンジンは、すらりと伸びた紫色の茎が、周囲の植物の中で際立っていた。その茎から五本の葉柄が放射状に伸びて、そこに緑の葉脈が浮かぶ、精巧なぎざぎざの輪郭を持つ五本指のような葉が付き、傘を広げたような形を成していた。その傘からインゲンマメのような鮮紅色の実のつぼみが付いた花茎が、ネギ坊主状に上に向かって伸びていた。
「これなのか! 俺はこの草に出会ったことがあるぞ。だけど何処だったかな、確か石の壁の近くだった気がするが。そこなら、ここから近いぞ」。倒れ木に腰を降ろしながら、エフィムが言った。チェ・ヨンゲンは、立ったままパイプを詰め、ゴーシャも片手で手巻きタバコを巻いた。二人とも、ハオ・リェンが竹の箸を使い、いかに手早く仕事をしているか、一本の根毛をも損なわないようにしながらいかに慎重に根を掘り出しているかを観察しながら、タバコをふかし始めた。

「《ワンスイ》と《ウーピエンイェーズ》とかいうのは、どんな意味なのかい」。ブヨを追い払うためにハオ・リェンの方へ煙の輪を吐き出してはパイプをくゆらせているチェ・ヨンゲンに、エフィムが聞いた。
「《ワンスイ》は長生きのニンジン、《ウーピエンイェーズ》は五枚葉のことよ」。彼は簡単にこう言った。
「覚えておこう」。エフィムは、ラバ革の短靴を脱いでゲートルを巻き直そうとして腰を屈めた。と、倒れ木の下から突き出ている、赤い実の球果の付いた緑の花茎に目が行った。《まさかニンジンでは?》。エフィムはそう思って、ハオ・リェンがナイフで切り落としたばかりの花茎の方に目をやった。《似ている。そっくりだ。まるで瓜二つだ》。
そして、ハオ・リェンがやったような厳かな儀式を、自分のめっけ物にも添えようとして、自分のものではないような声で叫んだ。
「ワンスイ! ウーピエン!」。

ハオ・リェンがその場で跳び上がったように見えた。そして3人全員が、棒で葉を掻き分けながら、辺りを見回しながら倒れ木の方へ飛んで来た。
「冗談を言ったんだろう、エフィム」。真に受けていないゴーシャが言った。
「こういう冗談、悪い!」。チェ・ヨンゲンも、エフィムに棒で脅かす真似をした。
「気をつけろ、エフィム。チェ・ヨンゲンがお前の背中を棒でぶん殴るぞ」。ゴーシャが警告した。
「冗談なんかであるもんか」。注意深く巻かれたゲートルに湿った短靴を履かせながら、エフィムが笑顔で言った。「ほら、赤い頭が見えているじゃないか」。彼は、倒れ木の脇芽によって押しつぶされたようになった大きな、ゴボウに似た葉柄を少し待ち上げた。
「ワンスイ! ウーピエンイェーズ!」。チェ・ヨンゲンとハオ・リェンは同時にささやくと、手を組んで跪き、お辞儀を始めた。

一方、エフィムとゴーシャはその間に少しずつ源流から遠ざかりながら、倒れ木の周辺を回った。今度はゴーシャが、「ワンスイ!」と叫んだ。彼は、棘のあるタラノキの茂みの中でニンジンを見つけた。エフィムは、この時のような嬉しげな、幸福そうなチェ・ヨンゲンを今まで一度も見たことはなかった。
「よろすい、とてもよろすい!」と、彼はささやき、彼の皺の多い顔からは笑みが消えなかった。
ハオ・リェンと何かを話し合ったチェ・ヨンゲンは、ここで彼らも野宿をすると言った。明日、日が出て茂みの中の露が少し乾いてから、皆で一緒に辺りをくまなく探し始める、多分、近くのどこかにまとまって群生している所がある筈だからと。そして彼は、仮小屋を作るために、ナイフでエゾマツの皮を剥ぎ始めた。

エフィムとゴーシャは、この機会にイジューブル(大鹿)の肉にありつこうと決めた。エフィムは、シラカバの皮で筒をこさえ、源流の水にそれを浸してから《バウ・ウ・ウ》というシカの鳴き声のような音をさせて吹き始めた。しばらくすると、隣の谷で雄ジカが動く音とラッパのような鳴き声が響いた。
「ゴーシャ、お前さんは雄ジカにそっと近づけ。俺はあいつを呼び寄せるから。見つけたら肩甲骨を狙って撃て」。エフィムはそう言うと、また《バウ・ウ・ウ》と吹き出した。それに応えて、恐ろしく好戦的な鳴き声と、枯れ枝のパチパチはぜる音が聞こえて来た。
(つづく)

  1. 2022/09/11(日) 10:35:45|
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2022/09/02 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑬

2022/09/02 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑬
(ミハイル・ヂェメノーク作 1998)



軍服外套のラシャから作った、刺し子の綿入れを着た主人が近づいて来て、アキームに答えた。「そんな生易しいもんじゃないのさ。実際に死に絶えたんだ。トラ畜生が、犬を全部殺しちまった。一体、今までにどんだけの犬や家畜が殺されたか」。
「もしも、猟師でも現れてトラを始末してくれたら、わしらはそいつにいくらでも払ってやるんだが」。彼はこう続けて、ニコラエフカで春から暴れ回っているその残忍な獣について、さらに話し始めた。話しながら彼は、馬たちにエンバクを食べさせているオスタプ・シェルパイコの方をずっと眺めていた。

「こんにちは、オスタプ・エメリヤーノヴィチ! お前さんをすぐには分からなかったよ。お前さんは老けて、体が曲がったなあ」。主人の日に焼けた顔に、善良な笑いが浮かんだ。
「あーあーあ、パシュコフ!チェレンチイ・フョードロヴィチ、わしらの代表者! 何という巡り合わせか、やあ、元気だったかね。ヤロスラーヴリ号に乗って、代表者たちが一緒に海を渡って帰ったことを覚えているだろう? あの時、われわれは船酔いして薄い粥さえ吐いたじゃないか」。オスタプは、主人の手を強く握った。

チェレムシャヌイの村人たちがやって来た目的を知ると、パシュコフは丁寧にこう言った。「皆さん方、どうか家の中に入って風呂を使い、旅の疲れを落としてくださいよ」。
パシュコフの家は、何一つ不自由していなかった。家畜、鳥、馬の他に養蜂場も持っていた。床も壁も黄土で塗られていて、そのために殊の外清潔で快適だった。テーブルの中央には、煮立ったサモワールや沢山の食べ物の他に蜂蜜酒の瓶も置かれていた。風呂を使って生き返った客たちに振る舞いながら、パシュコフは、自分と同じくらいの背丈になった三人の息子たちを呼び、屋敷を一軒一軒回って、チェレムシャヌイの村人たちのためにサケとイクラを穀物に交換するように言って来いと命じた。

間もなくパシュコフの屋敷に向かって、小麦粉を積んだ荷馬車が連なり出した。チェレムシャヌイの村人たちは、こんなに早く事が進むとは思ってもいなかった。夕方迄に全ての荷馬車には、魚の入ったヤマネコヤナギの網籠の代わりに、小麦粉、それも挽きたての最上小麦粉が入ったイラクサの袋が積まれた。

隊列の準備が整った時、アキーム・ダルニッツァの方へパシュコフが近づいて来た。
「農民たちが、わしに頼んで来たんだが」。彼は話しかけた。「猟師を選んで、トラを殺してはくれますまいか。わしの息子たちが獣の穴を教えますんで」。
「チェ・ヨンゲンから聞いたんだが、トラは、オオカミと同じように、囮を使って捕らえるんだそうですよ。木に馬か牛を繋いで置いて、側で待ち伏せするんです。俺とスネジョークでやってみましょうか」。パシュコフの頼みを聞いて、エフィムがこう言った。
「それじゃ、やってみろ。そのかわり、ぼやぼやするなよ」。アキームは言った。「どっちみち遅くなっては出かけられん。朝になってから出発するとしよう」。


アキームとその一団が、宿営の準備が既に終わった夜遅く、屋敷では、馬の蹄の音やいななき、エフィムや主人の息子たちの興奮した声が聞こえ出した。それに続いて半裸のパシュコフが家に駆け込み、叫んで、両手を振り回し出した。
「トラが退治された! ああ、とうとう復讐出来た!」。
深夜にもかかわらず、パシュコフの屋敷は百姓たちであふれていた。人々は、黒い横縞のある、黄土色の4メートルの怪物を取り囲んだ。
「うーう、悪党! どれ程の血を流させたか」。百姓たちは、靴で死んだ獣を蹴飛ばし、それに唾を吐きかけた。爺さんの一人は、それでも手ぬるく思われ、胴、体の上に座り、こう言いながら杖でひっぱたき出した。
「これは雌馬の分だ。これは牛っ子の分だ。人でなしめ!」。

ニコラエフカの村人たちは相談して、その場で、エフィムにトラを退治した報酬として小麦粉5袋を贈った。
「こんなに沢山の物を、一体何で運ぼうか」。エフィムは喜んでこう叫んだ。
「心配しなさんな。わしの荷馬車に、お前さんのスネジョークを繋いで運びなされ」。パシュコフは指図した。「トラの内臓も一緒にまるまる持って行っていいぞ」。


皆が屋敷から去って行った時、チェレムシャヌィの人々は、木戸の側にいる、太って口髭のある百姓に気が付いた。彼はもじもじして、手の中で帽子を丸めていた。
「何か用かね」。アキームが彼に聞いた。
その百姓は足許にひれ伏し、低い声でぼそぼそ言った。
「お前さま方、どうか、どうかお助けくだされ。娘のフローシャがずっと寝床から起き上がれずに寝たきりなんだよ。お前さま方の中に、医者かまじない治療師はおらんじゃろうか」。
「あそこにいる爺さんは、少し診察出来るよ」。アキームは、つぎのあたった毛皮長外套を既に両肩に引っかけているロノマレンコ爺さんの方を顎で指し示した。
「寝たきりだと言ったかね」。依頼人の手を取って、彼は心配そうに言った。「行こう、そして見てみよう」。

しばらくすると、ロノマレンコ爺さんが治療に向かった隣の家の方から、歯の隙間から音が漏れるような、例の彼の声が響いた。
「おーい、皆さんよ、殺される、助けてくれ!」。
それに続いて足音と、太いバスの声がした。
「ぶったたいてやる、このおいぼれじじい!」。
イワン・カルポーヴィチは、木戸の中に走り込むと、仲間たちの背中の後ろにイタチのようにすばやく身を隠した。
直ぐ後から口髭の百姓が、両手で杭を掴んで走って来た。
「奴はどこだ? ぶったたいてやる」。杭を振り回しながら、激怒した父親が言った。
「どうしたのかね」。エフィムは杭を掴んで、口髭の男を壁に押し付けた。
「奴はうちのフローシャに、桶から直に井戸水を浴びせかけたんだ。そんな治療があるものかね」。
「精神病患者は、こうやってしか治せないんじゃ。お前さんの頭の中にゃ、ぺんぺん草しか生えてないんじゃろ」。土の上から防寒帽を拾い上げながら、既に落ち着いた調子でイワン・カルポーヴィチは言った。「朝までには、お前さんのフローシャは聞き分けのいい娘さんになるよ」。
「同郷人よ、帰るんだな。この爺さんはいい加減なことは言わない人だよ」。エフィムはこう言って、木戸のところまで彼を送った。
「いいか、もし娘が死んだら、お前だって生きてここから帰れないからな」。口髭は杭で脅かす仕草をすると、自分の家の方へ歩き出した。

翌早朝、チェレムシャヌイの村人たちが雄鶏の鬨の声を聞きながら、長旅の前に馬に餌を与えていた時、例の口髭が屋敷に駆け込んで来て、ロノマレンコ爺さんを抱きながら小躍りして叫んだ。
「うちのフローシャが歩いているんだよ。歩いて、箒で家を掃除しているんだ」。
「疑い深いお人よ、わしはお前さんにそう言わなかったかね」。イワン・カルポーヴィチは満足してにんまりした。
口髭は頭から前びさしの帽子を脱ぎ、地面に投げ捨て片足で踏んだ。
「お前さん、何でも所望してくれ」。
「何もいらんよ」。イワン・カルポーヴィチは肩をすくめた。「お前さんのフローシャが楽しく生きられるようにしてやりなされ」。
「いいや、それは駄目だ。せめて10プード[約163.8キログラム]の最上小麦粉でも受け取ってくれ。取ってくれよ。善には善をもって報いる、だ。食卓に穀物があれば、それは王座、それがなけりゃ、食卓はただの板切れだと言うじゃないか。受け取ってくれよ」。
「穀物は断らないよ。そのためにここまでやって来たんだから」。イワン・カルポーヴィチは、そう言って馬に馬車を付け始めた。

夜明けとともに、隊列は帰路に就いた。
「なあ、代表者よ、今度はお前さん方が、魚を手に入れるためにわしらの所に来てくれよ」。別れの時にオスタプ・シェルパイコは、パシュコフにそう言った。
「良い収穫を祈っているよ。きっと行くよ」。

ニコラエフカを超えて、干し草の山がいくつもある草地が始まった所で、「語り部」のカルポーヴィチ爺さんが、空に向かって両手を挙げて言った。
「お前さん方、見なされや。 ツルたちが飛んどるぞ」。
人気のない草地の上を悲しげに、呼び掛けるように鳴きながら、4羽の白い鳥が滑るように旋回していた。
「これは、わしらが無事に家に帰れるてえ事だ。ほうら、ツルたちが道中の安全を願ってくれているじゃないか」。爺さんは十字を切った。
「最後まで、気を緩めてはいかん」。オスタプ・シェルパイコが異議を申し立てた。

三日目に隊列は、人気のない鬱蒼としたタイガを後ろに遠く残して、チェレムシャヌイに無事帰って来た。
(つづく)


  1. 2022/09/02(金) 00:20:58|
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