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2020/01/30 秋田市の古代水洗トイレ遺構と渤海国 〜7〜 — モヘ(靺鞨)族とウスリースク市地区における彼らの遺跡 —

http://rezerv.narod.ru/history/ussur-mohe.htm

2020/01/30 秋田市の古代水洗トイレ遺構と渤海国 〜7〜
          — モヘ(靺鞨)族とウスリースク市地区における彼らの遺跡 —  

=====渤海という国は、高句麗が滅亡したことが契機となり、靺鞨人たちが中心となり建国した国のようですので、靺鞨人に関する箇所も訳してみました。断続的に連載している「秋田市の古代水洗トイレ遺構と渤海国」シリーズですが、7番目に当たるこの記事が、順番から言うと最初に来るべき内容です。====

[モヘ(靺鞨)の部族]
中世の諸資料は、7つの大きなモヘ(靺鞨 まっかつ)地域・部族結合(部)(靺鞨7部)があったことを物語っている。それはそれぞれ、スモー(粟末 ぞくまつ)、ボードー(伯咄 はくとつ)、アンチョーグー(安車骨 あんしゃこつ)、バイシャン(白山 はくさん)、ハオシー(号室 ごうしつ)、ヘイシュイ(黒水 こくすい)、ファンニエ(払涅 ふつでつ)靺鞨と呼ばれた。どの部族の土地にラズドーリナヤ川が流れていたのかは、今日判断することは困難だ。様々な学者が推測しているのは、スイフン(訳注:綏芬河。1972年からラズドーリナヤ川という名称になる)は、ボードー(伯咄)、ヘイシュイ(黒水)、あるいはファンニエ(払涅)部の土地を流れる可能性があるということだ。モヘ(靺鞨)結合(部)の首領たちは、お互いの仕事に干渉しなかったが、戦いの危機が起こった場合には、団結した。

沿海州におけるその他の部族結合(部)では、ハオシー(号室)靺鞨が住んでおり、彼らは日本海沿岸を占めていた。これら以外の部族は、満州に住んでいた。

モヘ(靺鞨)の考古学的遺跡は、それぞれの他の部と関連づけることは困難だ。考古学的資料が語ることが出来るのは、他の誰の影響も受けなかった靺鞨人たちや、ポーリツェ文化(オリガ文化)(訳注:沿海州における考古学的学術用語で、初期鉄器時代の終わり頃に属する、アムール河岸、沿海州、北東満州に住むツングース・満州人たちの考古学的文化を言う。発掘されたポーリツェ集落、オリガ集落から名付けられた)から影響された靺鞨人たちが沿海州に存在したことだ。

[モヘ(靺鞨)人の歴史より]
モヘ(靺鞨人)たちは急速に目立った政治勢力となり、隣国人たちが彼らのことを話題にしたが、これらの部族の完全な歴史を記録した人はいない。知られているのは断片のみだ。

597年、中国(隋)の皇帝ウェン・ティー(文帝)は、朝鮮(高句麗)の王タン(湯=平原王)を、モヘ(靺鞨人)や隋の家臣たちを迫害したとして非難した。恐らく6世紀末、靺鞨人たちと朝鮮人たちとの関係は難しいものだっただろう。しかし、自分たちの庇護者である中国に対して、靺鞨部族は常に敬意を払っていた訳ではない。598年、1万の靺鞨騎馬隊が中国(隋)の遼西に侵攻した。

モヘ(靺鞨人)の助けを借りて、641年、朝鮮人(高句麗)たちは、強い勢力を持つシュイエントゥオ(薛延陀=6~7世紀にかけて中央ユーラシアの分布したチュルク系遊牧民族鉄勒(てつろく)の有力部族の一つ)部族と同盟を結ぼうと試みた。すぐに中国(唐)と朝鮮の国コグリョ(高句麗)との間で戦争が勃発し、この戦いでは、モヘ(靺鞨)は朝鮮(高句麗)側で戦った。

この戦争での英雄的ページの一つは、朝鮮(高句麗)のアンシ(安市城)の防衛戦だったが、そこでは5万人の靺鞨人たちが参戦した。中国(唐)の大軍が80日間この街を包囲し、それは買収された朝鮮軍の指導者の一人が夜に門を開くまで続いた。中国人たちは、敗残者たちを残酷に懲罰した。彼らの戦利品は、7万の甲冑、10万の家畜、数多くの捕虜だった。3万人の朝鮮人捕虜は放免されたが、3千人の靺鞨人が生き埋めにされた。このようにして中国人(唐)たちはモヘ(靺鞨人)を罰したのだ。この戦いは645年に起こったが、5年後に中国(唐)と朝鮮(高句麗)の間で平和が調印された。

コグリョ(高句麗)人たちとモヘ(靺鞨人)たちは、他の隣人たちに対処するために、この平和を利用した。654年、頻繁に靺鞨の土地に侵入していたキダーニ(契丹)人たちを攻撃し、シンチェン(興城)を占領した。一方で656年には、南朝鮮の国シルラ(新羅)の35の城を占領した。シルラ(新羅)は中国(唐)の同盟国だったので、中国人たち(唐)との戦争が再び勃発した。668年コグリョ(高句麗)が崩壊した。多くのコグリョ(高句麗)人たちがモヘ(靺鞨)の地に逃げた。間もなくモヘ(靺鞨)族の多くが唐に服従することを余儀なくされた。

しかし、30年後中国(唐)は、隣国に次々と敗北を喫して苦しむ。最初はチベット人たち、次に契丹人たちが唐の軍隊を打ち破った。唐の領土をチュルク人(訳注:トルコ人、アゼルバイジャン人、ウズベク人、カザフ人、キルギス人、バシキール人その他のチュルク語系民族の総称)たちが荒廃させる。

この機を利用し、モヘ(靺鞨)人たちは活発な軍事行動を展開する。特に激しく行動したのは、スモー部(粟末部)の首領たちで、その中で名を馳せたのはツィスィ・ビユィ(乞四比羽 こつしひう、きつしひう)とツィツィ・チョンシャン(乞乞仲象 こつこつちゅうしょう、きつきつちゅうしょう)だ。靺鞨人たちを自分の側に引き入れようとして、中国(唐)人たちは、これらの首領に称号を授与した。ツィスィ・ビユィ(乞四比羽)はシュィ(許)国公に、ツィツィ・チョンシャン(乞乞仲象)はチェン(震)国公になった。

まもなく中国人たちは敵たちを打ち負かし、モヘ(靺鞨)鎮圧に着手した。強力な軍隊が靺鞨の土地に押し寄せた。まもなく、シュイ(許)は崩落した。ツィスィ・ビユィ(乞四比羽)は捕らえられ、斬首された。ツィツィ・チョンシャン(乞乞仲象)は、自分の義勇兵たちと共に山に逃れる決断をした。疲労困憊した中国人たちはまもなく、チェン(震)国公の追跡を停止した。しかし、ツィツィ・チョンシャン(乞乞仲象)の健康はすっかり損なわれ、彼は死を迎えようとしていた。新しく公になったのは、彼の息子のツオロン(祚栄 そえい)だった。ツオロン(祚栄)は自分の権力を強化して、かつてのシュイ(許)公国の領地を併合し、歴史上渤海の名で知られる独立国の王であると宣言した。

[ウスリースク市地区におけるモヘ(靺鞨)の遺跡]
ラズドーリ川の盆地は、靺鞨人たちにとって非常に都合が良かったようで、彼らはここに集まってあちこちに住んだ。恐らく、ここの盆地にはいくつかの部族が住んでいた。隣同士に位置したいくつかの小さな村は、それぞれの部族に属するものだった。

ウスリー市地区では、これまでに考古学者たちによってモヘ(靺鞨)集落の4つのグループが明らかになっている。遺跡のうちの一つのグループは、ラコフカ村の近くで発見された。ここではラコフカ集落-10の発掘が行われた。住居と屋敷が発掘された。大量の食器、日常生活道具類が発見された。

遺跡の他のグループもラズドーリナヤ川の支流、ラコフカ川で見つかった。これらの集落は、チミリャゼフスキー村、ミハイロフカ村、ワシーリエフカ村の周辺に位置している。ここには、最も大きなモヘ(靺鞨)集落の一つであるミハイロフカ-2があり、50以上の住居を有していた。

第三のグループは、クグキ村とコルサコフカ村の間にある地域を占めている。この場所では、小さな集落に加えて、靺鞨人たちによって、ポーリツェ時代から残っていた要塞が築かれたが、それは、土城・待避壕に作り直されていた。危険な場合、ここに隠れることが出来た。コルサコフカ-16集落では、道の跡が残っている。これは沿海州で最も古い道路の一つだ。ここには二番目に大きいモヘ(靺鞨)集落、コルサコフカ-41が存在する。もう一つの小さな集落グループはクロウノフカ川の盆地にある。ここにある集落カーメンヌィー・クリューチ(石の泉)は、変わっている。その集落のために靺鞨人たちは、山脈の支脈の先端に、四方を岩で塞がれた、独立した頂きを選んだ。この場所では、防衛のための造営物をもはや建てる必要は無かった。

ウチョースノエ村近郊でも一つの集落が知られている。ここでも、他の場所でも将来、ウスリースク市区や市近郊の他の靺鞨人居住跡が発見される可能性がある。ウチョースノエ-4の発掘の際には、史跡の下層部から二番目の層で、紀元後5世紀と推定される、靺鞨の陶器が見つかった。

モヘ(靺鞨)人たちは、ウスリーの地に早くから定住していたらしく、渤海建国の前も、建国後もここに住んでいた。ミハイロフカ-2の集落は、4世紀末と推定されている。ラコフカ集落-10は、7世紀半ばと推定されている。この集落の住民たちは、アンシ(安市城)崩落の同時代人だった。

ウスリースク市地区は、モヘ(靺鞨)人たちによって活発に開拓されたが、年代記に書かれたような大きな出来事からは離れて、ずっと外側にあった。

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  1. 2020/01/29(水) 23:54:00|
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2020/01/27 オレーク・ワシーリエフ「誰もが恐れていたことが始まった:女子選手たちは自分で自らに課した難易度のレベルをクリアしていない」

https://www.sports.ru/figure-skating/1082747843.html?from=main-news-fs

2020/01/27 オレーク・ワシーリエフ「誰もが恐れていたことが始まった:女子選手たちは自分で自らに課した難易度のレベルをクリアしていない」

ロシアの功労コーチ、オレーク・ワシーリエフは、グラーツで行われたヨーロッパ選手権でのロシア女子選手のパフォーマンスについて考えを述べた。

—全ての3つの表彰台は期待通りに、アリョーナ・コストルナーヤ、アンナ・シェルバコーワ、アレクサンドラ・トルーソワが占めました。しかし、彼女たちの内誰一人、転倒を回避出来なかった・・・

「そのことで、私は少しパニックに陥っている。オリンピック迄にまだ2年あるが、誰もが恐れていたことが始まった:女子選手たちは、自分で自らに課した難易度レベルをクリアしていない。彼女たちは、現在のバーの高さを維持することが出来るのだろうか、という懸念を引き起こす。だって、世界女子スケートには競争がある — 日本の女子選手たちの他に、トリプルアクセルや四回転ジャンプを跳ぶ韓国やアメリカの女子たちも現れているのだ」。

—グラーツでは、彼女たちに競争相手が全くいなかったという要素が影響した可能性はありませんか? 彼女たち三人だけで。

「ロシア選手権でも同様に彼女たち三人だったし、ここでもそうで、世界選手権でもそうだろう。違うのだ、ここでは別の何かが、彼女たちが出来ることを行う障害となったのだ」。

—彼女たちは、背が伸びたことを自ら指摘していました。

「あなたは、彼女たちがこの年齢で成長して欲しくないのですか? 人生ではこれは通常のことだ。一方でどのような競技スポーツでも、1、2センチメートルがたちまち調整力を狂わせる。ところで少女たちは、上にも、失礼な言い方ですまないが、横にも成長する。全てを一つにまとめて、最大限を提示出来るべき時、オリンピックは明日ではない、二年先だ。だから、いささか危険なのだ」。ワシーリエフはこのように語った。

文:マリーヤ・ヴェリーチコ  /  出典:Sport-Express

  1. 2020/01/27(月) 23:58:39|
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2020/01/25 ブライアン・オーサー「羽生結弦はなんとか休息が取れた。彼は良いコンディションにあり、全てが彼にとっての普通に戻りつつある」

https://rsport.ria.ru/20200125/1563861651.html

2020/01/25 ブライアン・オーサー「メドヴェージェワと直接会い、今後の方向を決めるつもりだ」

====エカテリーナ・クラコワ選手と一緒にグラーツのヨーロッパ選手権にやって来たブライアン・オーサーに、ロビーでインタビュしたものの一部抜粋。取り急ぎの感じのインタビュー====

(アンドレイ・シモネンコ)
—ロシア選手権とショーへの出演の後、エヴゲーニヤ・メドヴェージェワは既にトレーニングに着手したのですか?

ブライアン・オーサー:「未だ。彼女は今週末にトロントに戻る。その後、彼女が何をしたいのか、一緒に計画を立てる」。

—シーズン後半に彼女は試合に出るのでしょうか? もしかして、ロシアカップファイナルとか?

「まだ分からないし、彼女とまだ話していない。ここ数週間は、E-メールかショートメッセージだけで彼女と連絡を取っていたから。彼女と直接話し合って、今後何をやるのか、どういう方向へ進むのかを私たちのチームと一緒に決めるだろう」。

—ロシア選手権で起こったスケート靴が壊れた問題は、解決したのですか?

「知らないのだ。それを願っている。より良く解決されればいいのだが(微笑)」。

—羽生結弦はどうですか?

「彼はなんとか休息が取れた。彼は少しクレージーな試合日程だったのだ:NHKトロフィー、グランプリファイナル、日本選手権。これら全てが5週間のうちにあったのだが、これは、このレベルのフィギュアスケーターにとっては非常に多いものだ。結弦は今トロントで、通常の体制でトレーニングしている。彼は良いコンディションにあり、全てが、彼にとっての普通に戻りつつある。来週には、私たちは四大陸選手権に出発する」。

—彼は四回転アクセルの練習を続けているのですか?

「時々やっている。しかし、このようなエレメンツと向き合うには、調子を整えなければならない、つまり・・・正しく。何故なら、四回転アクセルでは怪我をする可能性があるからね、もしそれに対する精神的、身体的準備が出来ていなければ」。

—成功した試技はありましたか?

「近づきつつある。しかし、まだジャンプから出ていない」。

—どうでしょう、今シーズン自分のものに出来るでしょうか?

「分からない。待って、様子を見よう(笑)」。

  1. 2020/01/26(日) 00:09:00|
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2020/01/24 アレクセイ・ミーシン「ヨーロッパ選手権でのドミートリー・アリエフの勝利は偶然ではない」

https://rsport.ria.ru/20200124/1563817215.html

2020/01/24 アレクセイ・ミーシン「ヨーロッパ選手権でのアリーエフの勝利は偶然ではない」

サンクトペテルブルク、1月24日、RIAノーヴォスチ、セルゲイ・ヤレーメンコ。

オーストリアのグラーツで開催されているヨーロッパ選手権で、ロシアのドミートリー・アリーエフが勝利したのは、彼の武器庫に四回転ルッツと2本の四回転トウループがあった以上、偶然では無かったと、フィギュアスケートロシア功労コーチ、アレクセイ・ミーシンは考えている。

アリーエフは木曜日(23日)、自分の選手生活で初めてヨーロッパチャンピオンになった。ショートプログラム終了時点で彼は2位だったが、フリー後に1位に上昇することが出来、金メダルを獲得した。

「ドミートリー・アリーエフと、彼のコーチであるエヴゲーニー・ルカヴィーツィンに勝利の祝意を表したい! この成功は偶然のものではない。四回転ルッツと2本のトウループ — それは既に武器となる備えだった。世界の全ては変化する:(スペインのハビエル・)フェルナンデスがヨーロッパ選手権で1位を占めるのも永遠では無かった。

アルトゥール・ダニエリャーンも、われわれを喜ばせている。まだジュニアでありながら、彼は完全に大人のスケートを披露した。

サーシャ・サマーリンは失望させた。パフォーマンスには成功、失敗がつきものだが、一定のレベルから下に落ちてはならない」。ミーシンは電話でこのように語った。

ロシア選手たちのライバルの中では、総合で4位に入ったイタリアのダニエル・グラスルが最も危険だったと、コーチは指摘した。「男子競技は予想可能なものだった。何故なら、(チェコのミハル・)ブジェズィナは、四回転を一つだけ持っているが、最近は試合でそれを跳ぶのは非常に稀だった。彼は重要なライバルでは無かった。

大きな警戒が必要だったのはグラスルだった。私は彼を良く知っている —  われわれは頻繁にイタリアチームのトレーニングキャンプに招待されている。われわれのトレーニングキャンプでも彼は数年滑っていたから、彼のポテンシャルを良く知っている。グラスルは、大きな成功に到達する可能性がある。少しだけ洗練されなければならないが」。ミーシンはこのように付け加えた。

  1. 2020/01/25(土) 00:33:00|
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2020/ 01/21 アレクセイ・ミーシン「もし羽生がいつか四回転アクセルを跳ぶとすれば、アーティスト・結弦の世界フィギュアスケートへの貢献に次いで二番目に重要な貢献となるだろう」

https://www.sportsdaily.ru/news/aleksej-mishin-kto-v-etom-godu-prygnet-chetvernoj-aksel-esli-bez-politesa-nikto

2020/ 01/21 アレクセイ・ミーシン「ジャンプについて語るとすれば、トルーソワは今、全ての男子に勝てる」

(アンナ・コロプコーワ)
著名なコーチ、アレクセイ・ミーシンは、『スポーツデイリー』特派員との話の中で、四回転アクセルを跳んだ世界最初のスケーターの称号を獲得する戦いについてコメントした。

—今年誰が四回転アクセルを跳ぶでしょうか?

「分からない。儀礼無しに言うとすれば、誰も跳ばないだろう」。

—あなたのかつての生徒アルトゥール・ドミートリエフ(子)は、これを跳べるでしょうか?

「アルトゥール・ドミートリエフはかつて、恐らく世界最良のトリプルアクセルを持っていた。彼は、例えば、両手を上げたり、片手を上げたり、あるいは踏切、空中、着氷時に手を胸の上で組んでトリプルアクセルを跳んだが、四回転アクセルは跳ばないだろう」。

—何故?

「何故なら、彼の身体の解剖学的パラメーターが、私たちが話している結果の達成に寄与しないからだ」。

—羽生結弦の四回転アクセルに関しては、どうでしょう?

「彼のトリプルアクセルは世界最良と言うことは出来ないが、私が見た世界の全ての男子の中で、彼の身体の解剖学的特性は、四回転アクセルの要件を最高の形で満たしている。ドミートリエフと羽生を比べて言えることは、縦軸に対するアルトゥールの身体の慣性モーメントは、結弦の同じ指数よりも、著しく高い。アルトゥールの指数で彼が四回転アクセルを成功させるためには、優れたジャンパーである彼さえも不可能な高さにジャンプする必要がある」。

—羽生に戻りましょう。

「私が結弦に大きな尊敬の念を抱くのは、第一に身体動作のアーティストとして、そしてフィギュアスケートに私が身を置いて来た全歴史を通して彼と同列に置けるのは、トーラー・クランストン(訳注:1976年オリンピック男子シングル銅メダリスト)だけだと言う点だ。私は彼の四回転アクセルの最良の試技を近くで見たことが無いし、彼が今シーズンこのジャンプをクリーンに跳ぶとしたら、私は非常に驚くだろう。一般論として言えば、もし結弦がいつか四回転アクセルを跳ぶとすれば、アーティスト・結弦の世界フィギュアスケートへの貢献に次いで二番目に重要な貢献となるだろう」。

—もしアレクサンドラ・トルーソワの場合を想定したら、いかがでしょう? 彼女は記録も、四回転ジャンプも好きですし、その上男子と一緒に競技したいと思っています。

「もしジャンプに関して言うとすれば、今日明日にでも彼女は、どの男子選手にも勝つことが出来る。経験の少ない愛好者たちには、トリプルアクセルが全てのそれ以外のジャンプよりも、技術的にどこがより難しいのかを解説したいものだ。ここではこの詳細については触れないけれども。

サーシャ(アレクサンドラ)に関しては、もし彼女が選手生活のある時点で、プログラムの中で全ての四回転ジャンプとトリプルアクセルを跳んだなら、もう十分に世界を驚かせるだろう。しかし、彼女は急がなければならない。時は進んでいる・・・」。

  1. 2020/01/22(水) 16:55:00|
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2020/01/12 ラファエル・アルチュニャーン「ネイサン・チェンとの仕事について」

https://www.bolshoisport.ru/articles/ostanovit-konveyer-rafael-arutyunyan-o-rabote-s-natanom-chenom-odnodnevnyh-chempionkah-i-neobhodimosti-podnyatiya-vozrastnogo-tsenza-v-figurnom-katanii

2020/01/12 ベルトコンベアを停めること。ラファエル・アルチュニャーン — ネイサン・チェンとの仕事について、1日だけの女王について、フィギュアスケートの年齢制限を上げる必要性について

=====一部抜粋=====

(ボリス・ホドロフスキー)
アルチュニャーンはフィギュアスケートの初歩を、生まれ故郷のトビリシ(訳注:現在のジョージアの首都)で理解した。その後エレヴァン(訳注:アルメニアの首都)に移り、アルメニアの体育大学を卒業した。10年間エレヴァンのフィギュアスケート学校で働いた後、モスクワに移った。スポーツ宮殿「ソコーリニキ」で、妻のヴェーラと一緒に働いた。彼の生徒の中にはセルゲイ・ヴォーロノフ、アレクサンドル・アプトがいた。2000年にラファエルは渡米した。カリフォルニアで、妻やもう一人のロシアのコーチ、ナジェジダ・カナエワと一緒に多人数のグループを率いて働いている。約20年の海外生活にも関わらず、ロシアフィギュアスケートの問題に話が及ぶと、ラファエルは常に「われわれロシアでは」と語る。

—あなたはカリフォルニアで働いていますが、チェンは国の反対側にあるイェール大学で学んでいます。ネイサンは、他の専門家の下でトレーニングするという話には耳を貸そうともしない。フィギュアスケーターと遠隔で仕事をするというのは難しいでしょうね。

「非常に難しいが、私は10年に渡ってネイサンが独立して練習が出来るように導いて来た。彼をトレーニングしたのではなく、彼が自分でトレーニングすることを教えたのだ」。

—トリノのグランプリファイナルでは、練習や競技以外の自由時間でチェンは教科書に向かって過ごしていた・・・

「それ以外に無いでしょう? 彼にはこれから試験があるし、彼はアメリカで最も権威ある大学の一つで学んでいるのだから。イェール大学の教授たちは、彼らの生徒が権威ある国際大会で国の名誉を守ったからといって大目に見てくれたりはしない。それは、もしネイサンが、学業が山積しているからトレーニングを三日間休ませてくれと頼んだとしても、私は何の譲歩もしないのとちょうど同じだ。彼もそのことは十二分に理解している。学業とスポーツのどちらかを選ぶのか、それとも学業でもスポーツでも成功を収めるのかだ」。

—ピョンチャンオリンピックでは、チェンはショートプログラムをダメにして、フリープログラムに6本の四回転ジャンプを組み込むというリスクを冒さなければなりませんでした。しかし、ミラノの世界選手権では、ネイサンは競技会第一日目で確固たるリードを奪ったのに何故それをする必要があったのでしょうか?

「コーチの仕事は、具体的試合での勝利のために必要なポイントを計算することにあるのではない。自分の生徒を教え、彼の成熟と形成を見つめなければならない」。

—あなたが教えているアスリートたちは、高難度ジャンプが無意識的に自動化されるまで仕上がったと感じる時があるのですか?

「チェンの場合は、そうだ。ただ、四回転サルコウを初めてプログラムに入れた時は、80パーセント位の仕上がりだった。アクセルには問題があった。それ以外の全てのジャンプは、試合で実行する時迄には100パーセント準備が出来ていた」。
・ ・・
—指導的ロシアのコーチ、エテリ・トゥトベリーゼは、仕事のベルトコンベア式方法を非難されていますが・・・

「ロシアのコーチたちは、世界のどの国のコーチたちも出来ないことをやっている。子供たちは5歳からプロになる。どこの国でもそのようなことは無い! 当然、10~12歳のロシアのフィギュアスケーターたちと他の国の同年齢者たちが競うことは不可能だ。もし、ジュニアの競技会も含めて全員に勝つという課題がコーチに課せられるとしたら、ロシアではその課題がやり遂げられる。アメリカではアプローチが違う」。

—アメリカのコーチ、アルチュニャーンの生徒も、グランプリファイナルでロシアのスケーターたちに勝っています・・・

「ちょうどチェンが私のところに来たのが、彼が10歳の時だった。ネイサンがいつでも、どこででも勝つようになどとは、誰も私に要求しなかった。私は彼を当たり前のアスリートに養成したが、彼は世界フィギュアスケートのスーパースター、二度のオリンピックチャンピオン羽生と戦い、一度ならず彼に勝っている。あの日本人がスターであることは、疑いの余地が無い。私自身が彼のファンだ。私はただ、チェンが羽生に勝てるようにと、彼を訓練しただけだ」。
・ ・・
—ロシアでは、ほとんどのコーチは独裁者ですが、アメリカではフィギュアスケーターのパートナー・・・

「アスリートとのパートナーの関係は、何倍も難しい。例えば、オリンピックでチェンに起こった馬鹿馬鹿しい誤りは、このような関係の結果だ。だって彼自身が自発的に、ショートプログラムでミスにつながるようなエレメンツをやる決断をしたのだ。私には全く別のプランがあったが、ネイサンは自分の考えに固執した。そして、ショートプログラムで17位に落伍した。シーズンの重要な試合で、ミスを犯すという機会を私は与えたのだ。しかし、今は私の勧告をチェンは注意深く聞いている」。
・・・・
—モスクワからカリフォルニアに移るというご自分の決断について、後悔したことはありますか?

「一度も無い。モスクワでは200ドル相当をルーブルで稼いだが、生活のためには1000ドル必要だった。アメリカへは利己的欲求だけで行ったが、すぐに十分な金額を稼ぐようになった。それに私は(国の最高機関から任命される)特権的コーチには、本当になりたくなかった。現在そのようなカテゴリーが存在するのかどうか知らないが、19年前には存在した」。

—ロシアでは、オリンピックからスケーターやコーチが帰国すると、連邦予算や地方予算から褒賞が出ました。アメリカではどのようにチャンピオンたちを鼓舞するのですか?

「アメリカではそのような褒賞は必要ない。アメリカのアスリートやコーチは、自給自足で、ショーへの出演料、広告契約料、スポンサー収入などで、自分の勝利を収益化出来る。私には、20分の授業で40ドル支払われていた。チェンが世界チャンピオンになってからは、50ドル迄歩合が上昇した」。

—アメリカにもテストスケートが存在しますが、専門家たちの意見は一般の人々の議論のために出されることはなく、アスリートとコーチにだけ伝えられます・・・

「ロシアではテストスケートの後、誰もがスケーターやコーチに向けた多くの意見を持っている。アメリカでは、誰もが全てを気に入っている。私でさえ、『皆さん、やめましょう!』と言わざるを得ない。私が世界選手権銀メダリストに向かって、彼のプログラムや滑りについてのいろいろな真実を話した時には、アメリカの専門家たちにとって本当にショックだった。私は自分の生徒たちには、ひたすら自分の考えを説いている:褒めことばを聞きたいのか、それとも上手く滑りたいのかと。彼らは全員がまともに受け入れている」。

  1. 2020/01/14(火) 01:35:03|
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2020/01/09 秋田市の古代水洗トイレ遺構と渤海国 〜6〜 — 渤海滅亡後の渤海人 —

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2020/01/09 秋田市の古代水洗トイレ遺構と渤海国 〜6〜
                   —  渤海滅亡後の渤海人 —

[壊滅後の渤海人]
(契丹によって)粉砕された渤海人たちは、自分たちの敗北を受け入れなかった。旧王国の様々な場所で、反乱が次から次に発生する。926年、キダーニ(契丹)は征服した土地にドンダン(東丹)という国を作り、その国王にキダーニ(契丹)皇帝の長男トゥュイ(突欲=耶律突欲ィエリュイ・トゥュイ)が就いた。ドンダン(東丹)の統治下に入ったのは、渤海の若干の土地だけだった。トゥュイ(突欲)が新しい国を統治したのは短期で、930年には、自分の弟を父の王座に就かせないためにリャオ(遼)に移った。沿海州の土地はドンダン(東丹)には入らなかったが、リャオ(遼)に従属した。

渤海人たちを分断するために、キダーニ(契丹)は彼らを征服地から帝国の別の場所に移住させることにした。リャオ(遼)のカンチョウ(康州??)区は、渤海時代のシュアイビン(率實)府から移住した渤海人たちで作ることを、シー・ゾン(世宗)皇帝(947~951年)が定めたことは知られている。

渤海人たちは、あらゆる方法で自分たちの独立を復活させようと試みた。929年には、ダ(大)王族の代表者たちが後渤海国を宣言した。938年には、渤海の名門リエ(烈)一族が今の北朝鮮の地でジンアン(定安)国を宣言した。ジンアン(定安国)は長く独立を保てる運命には無かった。ウ(烏)氏を名乗る後渤海の大将は、この国を征服し、実質的に二つの国を統治し始めた。彼は渤海の旧上京を新たに復興した。後渤海は、長年に渡ってキダーニ(契丹)への戦いの前衛だった。

他の場所でも渤海人たちは、自分たちの独立を回復しようと試みた。いくつかの年代記は、北西渤海国に触れている。最後に渤海人たちは、1116年に大渤海を作り、自分たちの国家体制を復活させようと試みたが、その国は数ヶ月しか存在しなかった。

[契丹への抵抗]
リャオ(遼)に対する活発な闘争は、契丹人たちに渤海人たちを完全に征服することを許さなかった。侵略者たちによって作られたドンダン(東丹国)でさえ、独立してはいるが属国だと見做されていた。ドンダン(東丹国)の統治者たちは、渤海王たちがそうであったように、独自の統治モットーを持っていた。この国では、積極的に渤海の官吏たちを使用した。これら全てのことで、渤海人たちの抵抗を弱体化しなければならなかった。

後渤海もジンアン(定安国)も、 最初の30~40年はリャオ(遼)に対して積極的な戦いは行わなかった。それは力を蓄積する時期で、隣人たちとの関係を樹立した。975~987年にかけて渤海人たちは旧東京をキダーニ(契丹)人たちから奪還しようと試みた。976年にはリャオ(遼)に対する勝ち戦をした。この時迄に渤海人たちは、ジュルジェニ(女真)人たちと同盟の合意に漕ぎつけようとしている。これを予期してキダーニ(契丹)は982年、リャオ(遼)帝国に組み込まれていたドンダン(東丹国)を廃した。

渤海人たちの増強を危惧したキダーニ(契丹)は、ジンアン(定安国)を粉砕する決断をした。983年、彼らはこの国に対する攻撃を成功させた。多くの人々が殺され、住民二千人が朝鮮に逃げた。これは渤海に対する最初の懲罰的討伐軍だった。キダーニ(契丹)はジンアン(定安国)を征服しようとしたが、かろうじて騎馬隊が接近出来ない山々が、完全な壊滅から渤海人たちを救った。

これらの行動を通じて、渤海人たちの抵抗を摘み取ることが容易でないことを理解したキダーニ(契丹)は、渤海人たちに対する新たな討伐軍を入念に準備し、985~986年、ジンアン(定安国)を壊滅させた。生き残った渤海人たちは、ジュルジェニ(女真)人たちや中国人たちと同盟を結ぶことが出来、再びリャオ(遼)に対する戦いを開始する。988~989年、キダーニ(契丹)は、ジンアン(定安)の地に第三次討伐軍を送る。今度は人々を一斉殺戮し、集落を焼き払い、戦利品を分捕った。990年キダーニ(契丹)はさらに別の討伐軍を組織し、渤海人たちの抵抗を最終的に打ち砕いた。キダーニはジンアン(定安国)の北部の土地を征服し、朝鮮軍は南部の土地を占領する。

この後、百年以上渤海人たちはキダーニ(契丹)の支配下で暮らした。

[ウスリー市区におけるこの時代の史跡]
沿海州では、契丹人たちの居住跡は見つかっていない。この時期にここに住んでいた渤海人たちは、比較的独立を保っていたが、契丹人たちに賦課を支払った。賦課は不定期に送り届けられた。

10~11世紀の具体的資料を伴った定住地が、ザゴロドノエ村近くで発見されている。発見されたのは、まだ渤海時代に出現し、渤海国の滅亡後にも存在し続けた大きな集落だった。同様の定住地は、クロウノフカ村-アブリコソフスコエ村とパヴリノフカ村近郊(図中1)、コルサコフカ村とボリソフカ村-コルサコフカ村の間(図中5)でも発見されている。この時代、ウチョースノエ定住地(図中4)も存在し続けた。南ウスリースク土城跡でもこの時代のいくつかの遺物に出会う。後期ジュルジェニ(女真人)が自分たちの町を、渤海後(初期の女真)の定住地に建設した可能性もある。

渤海人たちの経済活動や生活は、以前のまま残っていた。ただ貨幣と瓦の模様の変化だけが、この時代と別の時代の定住地を見分けることを可能にする。

======昨年の11月に秋田市の高清水岡を訪れた際に、渤海人が使ったという古代水洗トイレ遺構を見て、渤海人は本当に豚を常食としていたのか、などという実にお粗末な興味から、このテキストを訳し始めましたが、とうとう渤海国が息の根を止められるところまで来てしまいました。国は滅びてしまいましたが、渤海の中心的役割を担った靺鞨人は、女真になり、女真は次に自ら満州人と名乗り、あの清という国を作りました。沿海州に取り残された女真は、今のウデゲ人、ナナイ人、エベンキ人、オロチ人などの先祖となったそうです。

結局、渤海人は牛、豚を頻繁に食べていました。イノシシも豚も基本的に同じものだけれども、安定的に食料にするのは飼育した家畜でしょう。渤海人は定住して主に農耕を営む民だったのでした。ついでですが、ロシア語で中国のことをキタイと言いますが、これは契丹のことだったのだと今回再確認しました。=====

  1. 2020/01/09(木) 02:33:00|
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2019/12/30 ラファエル・アルチュニャーン「人間が裁く限り、どのようなジャッジシステムも不完全だろう。われわれの競技の審判は、完全に透明で客観的だとは言い切れない」

https://www.sports.ru/figure-skating/1081876746.html

2019/12/30 ラファエル・アルチュニャーン「人間が裁く限り、どのようなジャッジシステムも不完全だろう。われわれの競技の審判は、完全に透明で客観的だとは言い切れない」

著名なコーチであるラファエル・アルチュニャーンは、フィギュアスケートにおけるジャッジについて考えを述べた。

—あなたはネイサン・チェンと一緒に、グランプリフランス大会にいましたが、あそこでの女子競技のジャッジは、グランプリシリーズの中で最も厳しいものの一つでした。

「人間が裁く限り、どのようなジャッジシステムも不完全だろう。テクニカルコントローラーが全ての人たちからただ独立して、見たままの点数を付けた可能性は十分にあるし、あるいはその逆かもしれない。

フィギュアスケート競技の審判には別の問題もある:自国で滑るアスリートは常に支援を受ける。従ってあのエテリ・トゥトベリーゼがやっているように、チャンスを絶対に逃さないためには、頭一つ抜け出していることだけが残されている。

しかし、回転不足に関しても、踏切に関しても、踏切の質と長さに関しても、問題は非常に多い。この後者に関しては、レビューで見直しがなされていないし、ただフリップとルッツの際のエッジのみを確認している。今フィギュアスケーターの半分が、足裏全体からトウジャンプを跳んでいるし、踏切のプッシュの長さがスケート靴3つ分程度の寸法を超えている選手さえいるのだ。

しかし、もしタチヤーナ・アナトーリエヴナ(・タラーソワ)やアレクセイ・ニコラエヴィチ(・ミーシン)が何か言うと、すぐに大量のネガティヴが持ち上がる! 私はいつも思っている:『皆さん、恥ずかしくないのですか?』と。何らかの好みで、彼らやタマーラ・ニコラエヴナ・モスクヴィナをどうして疑うことが出来るのだろう? 

彼らは自分の全人生をフィギュアスケートに捧げたのだ! 彼らは自分たちの夫や妻、子供たちを忘れて、われわれが住んでいた、住んでいる国の栄誉のためにこの競技スポーツを発展させたのだ。それなのにあなた方は、彼らのことを何か悪く言おうとしているのですか?

彼らは功績のある、尊敬されている人たちで、私なら隣に立つことが出来るだけで誇りに思う。今インターネットでは、処罰されない攻撃の時代というようなものが始まっている」。

—ところでシーズン中に、現ヨーロッパ女王ソフィヤ・サモドゥーロワに、何故あのような低い得点が付けられたのでしょうか?

「彼女は今最も困難な成長期にある。その上、成功には常に多くの父親がいるが、失敗は、常に孤児だ。

連盟には、具体的な競技種目の発展に責任を持ち、起こっている物事に純粋に実践的な視点から対応している人々が働いている。どうしたいのか、それを理解してください」。

—トゥクタムィシェワのより高いコンポーネンツのためには、まさしくそのサポートが足りないという意見がありますが・・・

「一方で、オリンピックシーズンにメドヴェージェワの怪我のニュースが流れた後、ザギートワのコンポーネンツの得点が変わった時、何故誰も叫ばなかったのだろう? それこそどういう訳か起こったのだ。

それは何を物語っているか? それは、フィギュアスケートの審判が、完全に透明で、客観的だとは言い切れないということだ。ジュニアの女の子たちがトリノで美しく滑ったとあなたは言うが、ザギートワと同じように美しいだろうか? 違う。しかし、このことは得点に顕著に示されたかどうか — この答えも否定的だ」。アルチュニャーンはこのように語った。

文:リナ・ロツィク  /  出典:Sport-Express

  1. 2020/01/04(土) 01:49:37|
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2019/12/31 アンナ・シェルバコーワ「重要な大会で自信が持てるように、もっと進歩し、もっと難しい構成で滑り込んで行きたい」

https://www.sports.ru/figure-skating/1081871874.html?from=main-news-fs

2019/12/31 アンナ・シェルバコーワ「重要な大会で自信が持てるように、もっと進歩し、もっと難しい構成で滑り込んで行きたい」

ロシア選手権-2020優勝者アンナ・シェルバコーワは、終了したこの大会の印象を語った。

「ポジティブな感情の海でした。このロシア選手権の前は、私は非常に緊張しましたし、緊張は他の大会よりも何倍も大きかったのです。ですから、二つのプログラムと自分のエレメンツに対処出来たことがとても嬉しいです。

もちろん、理想的な滑りだったということは、やはり、出来ません。何らかの欠陥がありました。ミスは修正し、改善し、そして難易度を上げて行くつもりです。しかし、現時点では課題を遂行しましたから、そのことにとても満足しています。

—ここではヨーロッパ選手権への選抜が行われました。確実に選抜されるために、プログラムの難易度を下げるという考えは無かったのですか?

「そのような考えはありませんでした。何故なら、難易度を上げることこそしたいので。もしプログラムをより簡単なものにすれば、立ち止まっていることになるでしょう。重要な大会でより自信を持つために、より難しい構成を滑り込んで行きたいのです」。

—ここクラスノヤールスクでの準備はどうでしたか? 時差などはどれ程影響したのでしょうか?

「時差などの影響は少しありましたが、大きなものではありませんでした。最初の何回かの練習は上手く行き、良い準備が出来ました。ショートの前には、全てが整いました。

フリーの前の練習では、いくつかのミスがありましたし、理想的には程遠い練習になりました。しかし、そのようなことはあることだし、その後はただ集中すれば良いことだと私は知っています。だってそれは自分にとってウォームアップに過ぎなかったのですから」。

—勝利の後の夜はどのようにして過ごしましたか?

「昨日は、何が起こったのかをまだ少し理解出来ませんでした。まだ何も終わっていないかのような、何らかの緊張がやはり残っていて。しかし、朝の4時まで寝入ることが出来なかったことを除いては、何も特別なことはありませんでした」

—新年には自分自身のことで何を願いますか?

「健康と自信、それに全ての計画が実現できますように」。シェルバコーワはこのように語った。

文:リナ・ロツィク  / 出典:youtube-チャンネルOlga E

  1. 2019/12/31(火) 16:51:30|
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2019/12/27 ドミートリー・アリーエフ「ロシア選手権での勝利は自信を与えてくれる」

https://tass.ru/sport/7437373

2019/12/27 ドミートリー・アリーエフ「ロシア選手権での勝利は自信を与えてくれる」

クラスノヤルスク、12月27日、TASS。
フィギュアスケートロシア選手権で金メダルを獲得したドミートリー・アリーエフは、このタイトルは自分の力への自信を与えてくれるだろうと、記者たちに語った。

アリーエフは、フリープログラムで四回転ルッツをクリーンに跳んだが、その後の四回転トウループとステップシークエンスで転倒した。二つのプログラムの合計で260.98ポイントを獲得し、自分の競技生活で初めてロシア選手権で金メダルを獲得した。

「初めてこのような気持ち、このような奇妙な感情になった — 自分が何のためにここに来ようとしているのか、何が出来るのかを僕は分かっていた。

待機するのは最も嫌なものだ — (ウォーミングアップの後)6番目の滑走なら、座って待たなければならない。10点満点で7を自分に点ける、ミスはあった、しかし、ショートの滑りからフリーの滑りへと調子が上がっていく状態が僕は好きだった。

フリーは、活発に動けない上位8人の組だったが、アスリートたちの中にいる自分を感じていた — 他の選手たちや自分自身と戦いたいという想いは、プラスだった

もっと磨きをかけて、自分自身を鍛えるつもりだ。ロシアチャンピオン、これはタイトルだ。ロシアは大きな国だ。この勝利は僕に自信と、意志の芯を与えてくれるだろう。自分はロシアチャンピオンだと感じてみたかった。このような形で終わって嬉しい」。

アリーエフはまた、スケート靴を換えるつもりだと語った。「靴を交換するつもりだ。これらはもうダメだから」。

ロシア選手権の競技そのものは28日に終了する。この大会の結果によってヨーロッパ選手権への代表チームメンバーが編成される。

  1. 2019/12/29(日) 00:30:00|
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2019/12/23 エレーナ・チャイコフスカヤ「フィギュアスケートには、純粋な形での記録というものは無い。計器盤に向かって座っているのは人間。主観的な視線を捨て去ることは誰も出来ない

https://www.sports.ru/figure-skating/1081651639.html

2019/12/23 エレーナ・チャイコフスカヤ「フィギュアスケートには、純粋な形での記録というものは無い。計器盤に向かって座っているのは人間。主観的な視線を捨て去ることは誰も出来ない」

ロシアフィギュアスケート連盟コーチ会議議長エレーナ・チャイコフスカヤは、フィギュアスケートの記録に関して考えを述べた。

—今のフィギュアスケートで数々の世界記録が出ることを、あなたは何故気に入らないのですか?

「何故なら、フィギュアスケートには純粋な形での記録は無いからです。明確な形でのセンチメートルや秒がありません。昨日、一つの審判団が座り、プログラムをあのように評価した、今日は別の審判団が座る。パフォーマンスは、前のものと比べることが出来ますが、得点は比べることが出来ません。何故なら、計器盤に向かって座っているのは人間で、今のところ誰も主観的な視線を捨て去ることは出来ないからです。

しかし、記録を調べるのが好きな人がいるなら、誇りの根拠としたら良いでしょう。現在は、非常に難しい競技スポーツになっているのです。見て御覧なさい、女の子たちが何をやっているのかを! これが現実なのです。

長年、フィギュアスケートにおいて方向性を指し示したのは、正にわれわれ、ロシア人だったということを私は嬉しく思っています。ダンス、ペア、男子シングルで指導的役割を果たしました。今や、女子シングルにおいても完全に正確に方向性を指し示しています。その方向に沿って私たちの競技種目は発展しているのです」。チャイコフスカヤは、このように語った。

文:リナ・ロツィク /  出典:kommersant

  1. 2019/12/28(土) 00:45:34|
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2019/12/23 アリ・ザカリャン「今フィギュアスケートは、ロシアと日本」

https://www.sport-express.ru/figure-skating/reviews/ari-zakaryan-segodnya-figurnoe-katanie-eto-rossiya-i-yaponiya-1625349/

2019/12/23 アリ・ザカリャン「今フィギュアスケートは、ロシアと日本」

====スポーツエージェント、マネージャーおよび演出家アリ・ザカリャンのインタビュー記事。一部抜粋====

(エカテリーナ・ベスパーロワ)
「ロシアの男子スケーターだって、それ程悪くはない。ただあのジェーニャ・プリューシェンコが2010年も2014年も非常に立派に滑り、リーダーだった。彼と戦える選手がいなかった。彼は当時ライオンだった。その結果彼と競い合っている他のスケーターたちが途方に暮れ、自分に自信を得ることが出来なかった。ジェーニャは氷に出なくても、ライバルたちを撃滅した。彼は一つの現象だったし、フィギュアスケートを前進させた。既に20年が経過したが、多くの人たちは今になっても彼とヤグージンとの対立を覚えている。その後現れたのは、ザギートワ対メドヴェージェワ、チェン対羽生、ナダル対フェデラーだ。

新世代について語るとすれば、それは強く、文字通り1、2年後には世界男子スケートで優位を占めるだろう。この点では、われわれ西洋は遅れをとっている。今男子スケートのビッグネームは、羽生、チェン、宇野だ。ロシア男子選手は、ちょっと脇だ」。
・ ・・
—今シーズンの誰のプログラムをあなたは本当に気に入りましたか?  何度か見直したいと思えるような。

「ロシアの主要なダンスペアである二組、 シニーツィナ/カツァラーポフ組とステパーノワ/ブーキン組、それにフランスのパパダキス/シゼロン組、カナダのギレス/ポワリエ組のプログラムだ。エイモスも良く見える。羽生現象は、議論の余地が無い。彼は異星人のようだ。チェンはスーパータレントで、日を追う毎に仕上がって行っている。それにロシア男子:サマーリンは本当に驚くべきスピードの四回転ルッツで飛行している。アリーエフは非常に柔らかで、優美な動作だ。

女子は・・・もし純粋にプログラムについて語るとすれば、ザギートワとメドヴェージェワの今シーズンのプログラムは二つとも良い。サーシャ・トルーソワが氷に出ると、四回転を跳ぶだろうか、どうだろうと皆が待っている。そしてそれは特別な気持ちだ — 記録や宇宙的到達への期待。ウサイン・ボルトとマイケル・フェルプスの場合のように。記録が更新されれば、スーパーマンだ!とあなたは思うだろう。

コストルナーヤはエレガントな美人で、『フルパッケージ』のスケーターだ。アーニャ・シェルバコーワは、賢く、素晴らしく躾が良く、自分の芯を持っている — だって2017年に足を骨折するという重い怪我の後なのに、四回転を跳んでいるのだ。彼女のプログラムは、世界で二番目の難易度を持っている。

23歳で四回転ジャンプを習得したリーザ・トゥクタムィシェワの前では、帽子を取って敬意を表する」。
・ ・・・
—トゥクタムィシェワの最も大きな問題の一つは、コンポーネンツの方の評価なのですが・・・

「私に取ってはそこが分からないところだ。私は採点のやり方を古典(6点方式)に戻すことに賛同する者だ。選手がキャメルスピンを立派にやる時、それは見応えがある。それなのに、色々なポーズをして難易度レベル4を獲得し、欠点を隠している・・・シットスピンが普通に出来ない選手が、レベルのお陰で、スピンを最高にカッコ良くやっている選手に勝つことが出来るのだ、それはスピンに限らない。私が望んでいることは、フィギュアスケーターたちが魂で滑り、喜びを感じ、踊り、スピードを持って動き、一方で観客たちは、彼らのエネルギーを捉えるようになることだ。そうなれば、私たちは即座に理解できるだろう:誰が悪い滑りをして、誰が良い滑りをしているかを」。


  1. 2019/12/25(水) 01:35:00|
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