あれこれ

2018/07/19 タチヤナ・タラソワ「このようなギャング行為のなかで、どのように命を守れば良いのか、私は分からない」

http://tass.ru/sport/5388001

2018/07/19 タチヤーナ・タラーソワは、暴漢の手にかかって死亡したデニス・テンを生徒であるだけでなく、同志だと考えていた

モスクワ、7月19日、TASS。
フィギュアスケートコーチ、タチヤーナ・タラーソワは、木曜日(19日)アルマトイで強盗の手にかかって死亡したカザフスタンのフィギュアスケーター、デニス・テンを、自分の生徒としてだけでなく、良き同志とも考えていた。このことを彼女はTASSに語った。

2014年ソチオリンピック銅メダリスト、カザフスタンのフィギュアスケーター、デニス・テンは、木曜日、アルマトイで刃物傷が原因で死亡した。

「このようなギャング行為の中でどう命を守れば良いのか、私は分かりません。私たち皆がとても愛し、彼の人間性を愛していた天才、才能ある人間の命が奪われました。彼は、私の生徒であったばかりでなく、私の同志でもありました。本当にことばがありません」。タラーソワはこのように語った。

アルマトイ内務局の資料によれば、木曜日(19日)、15:00頃(モスクワ時間12:00)、テンは、彼の自動車からミラーを盗もうとした二人の見知らぬ者を捕まえた。生じたつかみ合いの結果、悪漢たちはテンにナイフ傷を負わせ、彼は病院に搬送されたが、その後、死亡した。捜査が開始され、容疑者の捜索が行われている。

テンは、6月13日、25歳になった。彼はまた、世界選手権での二度のメダリスト。

*****    *****  *****  *****

https://www.sports.ru/figure-skating/1065373622.html

(抜粋)カザフスタン保健省報道官談「状態は重篤だ。彼は集中治療を受けている。今、手術をしている。デニスは3ℓの血液を失った」

予備診断:「右大腿の上三分の一に刃物傷。大腿血管の損傷。外部出血」

事件が起こったのは、アルマトイ都心。

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  1. 2018/07/20(金) 00:35:00|
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2018/06/19 エヴゲーニヤ・メドヴェージェワ「私は目を開けた。気に入った」〜その③〜

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2018/06/19 エヴゲーニヤ・メドヴェージェワ「私は目を開けた。気に入った」〜その③〜

====一部抜粋====

(R-Sport、エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ)
—あなたは既にオーサーと、シーズンに向けたプログラムの選定について話し合ったのですか?

「いいえ、まず私は、これについての様々な多くの意見を聞きたいのです。ブライアン自身の意見だけでなく、彼を助けているトレーシー・ウィルソンや、私のプログラムを作ってくれる筈のデイヴィッド・ウイルソンの意見も」。

—あなたはこれらの専門家たちと、個人的な知り合いですか?

「デイヴィッドとは知り合いです。トレイシーとはデイヴィッド程ではありません。変ですが、彼らの生徒たちとは、遥かに良い知り合いです。結弦(羽生)、ハビ(フェルナンデス)、ジェイソン(ブラウン)と」。

—あなた自身は、何を望んでいますか?

「シーズン全体について言うとすれば、どの大会も欠場するつもりはありません。公開テストスケートであれ、グランプリ大会であれ。

滑りのスタイルを変えたいと思います。第一に、私は人間として変わりましたから、氷上でも以前のままではいられないでしょう。人生の認識も、世界観も変わりました。これからカナダに行き、私の頭の中も全てがまた大きく変わるでしょう。氷上で何らかの新しいイメージの自分を試したいです。まだ一度も滑ったことがなく、試したこともないイメージが沢山あります」。

—自分のプログラムの中でどのようなジャンプ構成を見たいですか?

「これに関するアイディアを持っていますが、それを話すにはまだ時期尚早です」。

—この点では、プログラム後半のジャンプ数を制限している規則変更によって触発されるものがあるかもしれませんね?

「これらの変更は、さらなる仕事のための理由を私に与えたとも言えます。もし、私たちがこれから、全てのジャンプを後半でやることを義務付けられたとしても、私は黙って出て行き、やることでしょう」。

—あなたは、氷上で滑らなければならなかったプログラムをいつも好きでしたか?

「耳が聞こえない女性を演じている、いちばん最初のシニアのプログラムは非常に好きでした。『カレーニナ』はとても気に入っていました。私が二回目の世界女王になった時の作品は、最初全く気に入りませんでした。私はやっと終わり近くになって、それを『味わいました』。滑り込んで、世界記録を樹立し、それから、目標を達成出来るものとしてそれが気に入りました。

一方『カレーニナ』からは、私の、いわゆる、頭の上の覆いが取り払われました。特に、コスチュームだけが綺麗だった『January Stars』の後では(訳注:シーズン途中で『カレーニナ』に変更するまでこのプログラムを滑っていた)。私はこの『カレーニナ』のプログラムの中に全身入り込みました」。

—オクサーナ・バユール(訳注:ウクライナの女子シングルスケーター。1994年リレハンメルオリンピック女王)のコーチがかつて言ったことがあるのですが、もしフィギュアスケーターがイメージのなかにあまりにも深く自分を入り込ませると、トリプルジャンプに入っても、彼は氷上に寝転がってこのジャンプを終えることになると。あなたは滑っている時、どの程度自分がエレメツから離れることを許せますか?

「『カレーニナ』は、かなりそれが出来ました。オリンピックでこのプログラムを滑っていた時、自分の身体には自分の仕事をさせて、自分自身は完全にイメージの中に入り込みました。どうにかして自分をエレメンツから引き離し、想像させようなどとさえせずに、練習の時にフリーをひたすら滑っていることが時として起こるように。何らかの狂気じみた、内面の自由がありました。ステップシークエンスが始まった時に、私の頭のなかに何が起こったのかを、あなたが知っていたとしたら!」。

—一体何を?

「私は滑りながら、自分に聞きました:『これは、オリンピックだということを分かっている? あなたを何百万人という人たち、もしかして十億人もの人たちが見ていることを分かっている? もし今、ほんの小さなミスでも犯すとすれば、全てが地獄に転げ落ちることを分かっている?』と。私は自分に答えました:『分かっているわ』。『最高?』-『最高!喜びを得ることを続けましょうよ!』。完全に一切の緊張はありませんでした」。

—あなたはいつか、次のような質問を受けたことがありますか:今までのオリンピック女王は、ごく少数の例外を除いて、何故二回目のオリンピック迄到達出来なかったのでしょうか、あるいはそれを望まなかったのでしょうか? 何故バユールも、タラ・リピンスキーも、アデリーナ・ソートニコワも残れなかったのでしょうか?

「おそらく、それは、何年間にも渡って働いて得たものの全てを失うことの恐怖でしょう。滑り続ける願望は、常にあるのだと私は感じます。ただ人は、何らかの他の人生を試す機会を得ると、それもまた魅力なのです。競技スポーツと普通の人生は、常に共存出来る訳ではないことを理解する機会がある人は、少数です」。

—23歳で、オリンピックで勝利した後、次のようなことばを残して引退した格闘技選手を私は知っていました:「私がトレーニングをしている間に、人生が側を通り過ぎて行くのを望まないから」。その気持ちは分かりますか?

「いいえ、私は一度もそのようなことはありませんでした。普通の子ども時代でした — 私はいろいろなごっこ遊びもしましたし。確かに家の外ではなく、ジムでしたが、でも私は楽しかった。それに今だって、人生が側を通り過ぎて行くとは思いません。私は学校を卒業し、大学に入学したのですから」。

  1. 2018/07/19(木) 00:58:00|
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2018/06/19 エヴゲーニヤ・メドヴェージェワ「私は目を開けた。気に入った」〜その②〜

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2018/06/19 エヴゲーニヤ・メドヴェージェワ「私は目を開けた。気に入った」〜その②〜

====一部抜粋====

(R-Sport、エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ)
—あなたがカナダに行くことを決めたのは、真剣にトレーニングを続けるためなどではなく、そのようにして自分のためにエキシビジョンショーの可能性を広げるためだけなのだという説が、私の耳に聞こえてきたことがあります。

「あなたに内々で申し上げますが、ショーのために私に足りないものはありません」。

—ブライアン・オーサーは、あなたの唯一のコーチ候補者だったのですか?

「はい」。

—何故、彼なのですか?

「何故なら、ユナ・キムです。私が移行を考え始めた時、最初に頭に浮かんだのが、これでした。ユナは19歳で、バンクーバーオリンピックで勝利し、23歳とちょっとで、ソチオリンピックで2位になりました。北京オリンピックでは私は22歳になります。もちろん、彼女のことだけではありません。そもそもオーサーのところには、一度以上のオリンピックを経験し、フィギュアスケートでは歳だと言われているようなアスリートが多くいます。ユナ・キムは、それらの一人に過ぎません」。

—この夏、オーサーがかなり多くの新しいスケーターたちを自分のグループに採用したことは、あなたを困惑させていませんか?

「少しもそんなことはありません。私は物心がついて以来、常に競争のなかで成長し、トレーニングを積んできました。ですから、私はそれを全く気にしません。ましてブライアンのところのグループの主要メンバーは、男子です。これが一つ目。

二つ目は、オーサーは、それぞれのアスリートに個別のアプローチを実践していますし、彼自身がそのことを常に強調しています。ですから、全員に向けた彼の時間と注意は足りているのです。それにそもそも私は、トップレベルの非常に多くのアスリートたちが目の前にいるのを気に入っています。彼らは、これまで以上に多くのことを私に与えてくれるでしょう」。

—本格的に滑る場所がどこにも無かったのに、あなたはどのようにしてコンディションを維持出来たのですか?

「私のオリンピックの時のようなコンディションを、純粋に物理的に保持することは不可能ですし、必要でもありません。オリンピックで私には非常に強い消耗がありました — フリープログラムに最高のピークが来るようにと、私は自分を準備しました。そこでは最小限の体重と最大限の精神状態にありました。

ですからオリンピックの後には回復に長い時間をかけなければなりませんでした。体重は増やしましたが、あまり多くではありません。家には、仕事が出来る状態に私の筋肉を維持することを可能にしたシミュレーターがあります。機能的コンディションに関して言えば、いかなるアスリートも集中的トレーニング抜きで自己を保持することは出来ません。このために、私は今カナダに行くのです」。

—オーサーは、何らかの願望を言いましたか?

「いいえ。私と彼が韓国で話をした時、私が自分の可能性のためにトレーニングを続けるのだということを、彼は十分良く理解したのだと思います。つまり、諸事情のためですが。氷があれば — そこに通うでしょう。モスクワには、私には氷がありませんでした。ホームベースが無かったという意味も含めてですが。日本でのショーに出発する数時間前に、私たちは何とか探し出すことが出来て、数本のジャンプを『上げる』ことが出来ました。とても跳びたかったのです」。

—随分長い間、跳んでいなかったのですか?

「随分長い間、跳んでいませんでした。ジャンプが遂に出来た時には、非常に大きな満足を感じました」。

—ところで、いつも興味があったのですが:ジャンプの最中に、あなたは何かを考えることが出来ますか?

「全てのことを! この瞬間に頭の中には千もの考えがあります。それに私は、周囲で起こっている全てを見ることも出来ます。全てをコントロールしようとしています」。

  1. 2018/07/14(土) 21:16:00|
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2018/06/19 エヴゲーニヤ・メドヴェージェワ「私は目を開けた。気に入った」〜その①〜

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2018/06/19 エヴゲーニヤ・メドヴェージェワ「私は目を開けた。気に入った」〜その①〜

====一部抜粋====

(R-Sport、エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ)
エヴゲーニヤ・メドヴェージェワがカナダに出発する前の最後の晩、RIAノーヴォスチ特別特派員エレーナ・ヴァイツェホフスカヤは、二度の世界女王、オリンピック準優勝者と、彼女の今後について語り、彼女が負けることを恐れているのかどうか、何故逡巡なくブライアン・オーサーを指導者に選んだのか、氷の上を跳んで浮かんでいる間に何を考えることが出来るのかを知ることが出来た。

私とメドヴェージェワは、かつての彼女のホームリンクからすぐ近くの池のほとりに座っている。皆の目にはゆったりとしたおしゃべりに映るかもしれないが、それは錯覚だ。数時間後には、彼女の飛行機はフランクフルトに、その後トロントに向かい、その後は・・・

—ジェーニャ、あなたとママはアパートメントを探し出すことは出来たのですか?

「はい、もちろん。インターネットで選びました。住むところが無くて、知らない国に行けますか?」

—ということは、空港で、あなたの名前を書いた案内札と鍵を持った家主が、あなたを出迎えるのですか?

「いいえ、私を出迎えるのはジェイソン・ブラウンです。私とママを出迎えて、私たちの新しい住居まで運んでくれます。18日からはもうトレーニングプランの詳細な日程表があります」。

—あなたはほぼ3年間、非常にたくさんの競技会で、負け知らずで滑って来ました。しかし今、実質的にゼロから選手生活を始めようとしています:新しいコーチ、新しい生活環境、どれくらい早く適応出来るのかも分からないし、結果がどう出るのかも分からない。何もはっきりしていることが無い。負けるかもしれないという考えから、少しでも不安になることがありますか?

「私は本質的に現実主義者です。自分の結果に関して悲嘆にくれるとしたら、それはただ、もっと良い演技が出来た筈だったのにそれをやらなかったと理解する時だけです。私は、何らかのあまり嬉しくない事柄を認めることが出来ます。つまりもし、確かにこれは自分の限界だし、現時点でこれ以上のことは出来ないということを理解するとすれば、すぐに、自分は自分にしかるべき順位を占めたのだと認めるでしょう。

今私は、自分にとって完全に新しい人生が始まっているとはっきりと理解しています。私は一度も別の国に住んだことはないし、外国の専門家のもとでトレーニングしたこともありません。2-3週間よりも長く、慣れない食べ物を食べたこともありません。つまり、完全に全てが変わろうとしています。完全な白紙なのです」。

—それは怖いですか?

「いいえ。私はそれを、首を長くして待っています。正直に言えば、今私は、誰かに負けるかもしれないということについて、全く考えていません。数年先を見ようとしています。まずは、健康を保持したいです。それは重要な私の目標です。この目標が結果の妨げにならないように、正しいバランスを見出すよう努めなければなりません。負荷、食事、精神の状態、身体的状態において」。

—ピョンチャンオリンピク迄のあなたの全生活は、スケートリンクという枠に限られていました。あなたは練習するか、眠るか、練習への準備をするかでした。

「その通りです! 私が滑っている全期間を通して」。

—それなのに今は、あなたは内面的に自分を解放したことは明らかです。あなたには自由な時間が現れ、フィギュアスケートがそれ程多くないような全く別の生活を試みるチャンスが生まれました。それは、あなたがコーチと別れ、毎日リンクに通う機会を失ったせいでもある訳ですが。この『別の生活』をどう捉えていますか?

「私は自分を解放したのではありません。より正しく言えば、目を開けて、周りを見回しただけです。確かに私には、オリンピックという目標がありました。オリンピックで滑ることだけを目標にしながら、これに向かって歩んできました。それ以外のことは何も見ないで。

私は自分のことをかなり多面的な人間だとは思っていますけれども、私には実質的に友人はいませんでしたし、何らかの興味もありませんでした。何の新しい出会いも起こりませんでした。時間が無いからと私はそういったものを支持しなかっただけですが、時には願いはありました。

練習だけがありました。しかし、内面では何らかの成長があったようです。冬に、私が怪我をして滑ることが出来なかった時、私は突然思いに駆られました:私が引退する時、私はこのまま友人も無く、これといった学業もスキルも無く、個人的な生活も無く — 何も無いままなのかしら? 

そしてオリンピックが終わった途端、私は、何と言ったら良いか、目を開けると、生活そのものが別の水路に流れ出しただけでなく、遥かに大きな水量になって、あたかも小川から川に変わったかのようでした。私には友人たちが現れ、私が気に入るかもしれないような将来の職業への出発点(しかも150回も変えられるような)をも含めて興味の山が出現したのです」。

—あなたは、そのような生活を自発的に断ることが出来ますか? 自分を服従させ、以前の枠でおとなしくして、目的に向かって再び進むことが出来ますか? そうしたいですか?

「したくなるように、したいです。結果のために完全に全てから離れる用意が出来ると思います。大事なことは — 現実主義者になることです。自分や自分の肉親に損失となることをしないことです。私がフィギュアスケーターとして成長する機会を持つために、私のママや祖母が自分たちの人生を大きく犠牲にしたことを、私はとても頻繁に考えます。もし突然、私が彼らの期待に応えられないと感じるとしたら・・・私はそれを感じたくありません」。

—つまり、あなたの心の奥底のどこかで、近親者への罪の意識が、やはり時々起こるということですか?

「非常に稀ですが。私の両親も同じように現実主義者で、人生において最も大事なことは、働き続けることだと理解しています。結果が得られないのであれば、すなわち、もっと働きましょうと。ですから、もし私が、やらなければならない義務を、何らかの理由で果たさなければ、その時には罪悪感が生まれるのです」。

—オリンピック後は、どれくらい早く、自分を取り戻すことが出来ましたか?

「それは長いプロセスでした。私の身体と脳は、私がどんな負荷の後でも急速に回復するように出来ています。精神的にも、肉体的にも。しかし、オリンピックの後は全てが非常に長くかかりました。実際、今言えることは、精神的には完全に回復したということだけです」。

  1. 2018/07/13(金) 11:59:00|
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2018/06/29 エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ「ショートプログラムはモダンな振付けのタンゴ、フリーは『軽妙な』プログラム」

http://fsrussia.ru/intervyu/3757-elizaveta-tuktamysheva-poka-est-sily-i-zhelanie-khochu-prodolzhat.html

2018/06/29 エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ「力と意欲がある間は続けたい」

====一部抜粋====

(タチヤーナ・フレイド)
—新プログラムを既に作ったということですが、それらについて話すことは出来ますか?

エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ:「ショートプログラムのために私たちは、映画『Mr. & Mrs. Smith』の音楽を選びました。私は大分以前にそれが気に入っていたのですが、何故かこの音楽はあまりにも『難しい』と思っていました。しかしその後、なぜそれでダメと言えるかしら?と思いました。

今この音楽を選ぶスケーターはほとんどいません。それに(昨年はフリープログラムが、今年はショートが)またタンゴになる訳ですが、私たちはこのプログラムをモダンな振付けで作りました。

私たちは、御自身でも踊っているバレエマイスターの女性を招待しました。彼女はボリス・エイフマンのバレエに似たプログラムを作りました。このことが、私には特に気に入りました。何故ならそれは、私にとって氷上での新たな可能性を開くものだからです。

このプログラムは、最近の私の最良のプログラムの一つだと感じています。それは本当に新しい何かです。クラシックのタンゴではありませんから、タンゴにあるような特徴的な動きもプログラムの中にはありません。何故なら、タンゴのダンスそのものを見せるのではなく、感情、意識、男と女の相互関係を見せるのです。

当然のことながら、私はこのプログラムを一人で滑るのですが、愛の力と情熱を伝えようとしています。面白いものになると思います。もし、プログラムを最後まで仕上げ、私のコンディションが良く、ジャンプも入るとすれば、『ボレロ』のレベルの、非常に成功したものになるかもしれません」。

—フリーは別のスタイルになるのですか?

「フリープログラムは『遊び心のある』ものになるでしょう。正にこのようなものを前から望んでいました。私たちはいくつかの音楽の断片を選びました。基本は『You Don’t Love Me』(Caro Emerald)と『Petite Fleur』(The Hot Sardines)です。

私とアレクセイ・ニコラエヴィチ(・ミーシン)がポーランドのセミナーに行き、そこでウクライナ出身の振付師の女性、エヴゲーニヤと知り合いになりました。彼女はフィギュアスケートでは新顔だと言えます。しかし私は、彼女と一緒に働くことがとても気に入りました。彼女はスケートを素晴らしく自分のものにして、仕事に完全に打ち込み、私のフリープログラムを良くしようと、本当に多くのことを考えました。振付師がこのように全力を出している時には、それが必ず感じられるものです」。

—「遊び心のある」ということばで何を理解しているのか、教えて下さい。

「このプログラムはキャバレーのスタイルで、アリョーナ・サフチェンコ/ブリュノ・マッソ組のショートプログラムとか、映画『The Great Gatsby』の音楽にどこか似ていると言いたいのです。ひたすら快感を得るような、このような『軽妙な』プログラムを以前から求めていました。

昨年の私のショートプログラムはジプシーのメロディーのものでしたが、それは正に『ジプシースタイル』でした。でも今度は、ストラップ(肩紐)ドレスです — 純粋な恋のたわむれなのです! 実は演出は複雑で、快感を楽しむことはまだ出来ません。しかし私は、このプログラムをとても気に入っています!」。

  1. 2018/07/04(水) 03:34:00|
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2018/06/29 エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ「引退することは考えなかった。なぜなら、自分の中に滑る力と願望を感じるから」

https://www.sports.ru/figure-skating/1064697777.html

2018/06/29 エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ「引退することは考えなかった。なぜなら、自分の中に滑る力と願望を感じるから」

2015年世界女王エリザヴェータ・トゥクタムィシェワは新シーズンに向けての準備について語った。

「多分、フリープログラムの中でトリプルルッツ-トリプルトウループのコンビネーションをやります。少なくとも、そういう計画があります。またトリプルアクセルも忘れていません。トリプルアクセルに関して言えば、昨シーズンの末よりもはるかに上手く行っています。

シーズンに向けての準備の時期に、怪我の治療に時間を取られないで済むということは、なんと素晴らしいのかが判ります。直ぐにとても進歩するのです! これがどんなことだったのかを、私は既に忘れていました。なぜなら、私のシーズン終了は、(いつも)はっきりせず、分からないものになっていましたから。でも今は、落ち着いて仕事をして、何か新しいことを試みることが出来るのです。

女子スケートの今の状況では、誰かを驚かすことは恐らく出来ないだろうと理解していますが、少なくとも私には、ここ数シーズンに自分がやってきたことよりも、少し多くのことをやれる現実的可能性があります。

ヨーロッパ選手権や世界選手権に行くのは難しいでしょう。恐らく、引退することだって出来たでしょう。なぜなら、ロシア代表チームの中での競争のレベルがどのようなものなのかを自覚していますから。しかし、引退するという考えは起こりませんでした。なぜなら自分の中に、滑ってフィギュアスケートを動かそうとする力、願望、志向を感じているからです。『ハードなスポーツ』としてではなく、芸術として、霊感を与えるスポーツとして。

確かに競争は、進歩のエンジンです。それは確かです。しかし、私が自分の目標と決めたことは、競争が成功を促し、それに貢献出来るということだけでなく、魂のための滑り、観客のための滑りも見せることなのです。単にコーチに気に入られるためのパフォーマンスではなく、観客、ジャッジ、自分自身を喜ばせるためのパフォーマンスです。

私の例を見て、子供たちが、両親か誰かに強制されるからではなくても結果に到達出来ることを、毎日10回ずつ同じことを繰り返し、リンクサイドにぶつかり声を上げて泣かなければならないのは、自分の仕事が好きだからなのだと理解出来るようにしたいのです。そして、上手く行かない時だって、少しだけ休息して、また始めることが出来ることを。このような気持ち、このような考え、興味が生まれた時には、全てのことがやって来て、上手く行くでしょう。

もちろん、練習しなければなりませんが、しかしそれは、健康を損なうことを意味していません。ですから私は、自分のフィギュアスケートを正にこの方向へ向かわせ、変えたいのです。かつて私には、自分のグループで大きな競争はありませんでしたが、世界選手権、ヨーロッパ選手権で勝利し、種々の大会でメダリストになることが出来ました。

私は当時、自分がやっていることや、トレーニングからひたすら快感を感じていただけでした。自分の周囲に何の過酷さも、忌み嫌うようなこともありませんでした。あのカロリーナ・コストナーは、私にとって非常に重要な手本です。彼女は今でもトップスケーターのままですし、彼女の滑りは喜びを呼び起こし続けています」。トゥクタムィシェワはこのように語った。

文:アントン・ピリャソフ / 出典:ロシアフィギュアスケート連盟

  1. 2018/06/30(土) 01:48:42|
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2018/06/18 イリヤ・アヴェルブーフ「アリーエフにロシア男子フィギュアスケートの未来があると信じる! 彼は出来る!」

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https://www.instagram.com/p/BkKGAxHHC5d/?utm_source=ig_embed

2018/06/18 イリヤ・アヴェルブーフ「アリーエフにロシア男子フィギュアスケートの未来があると信じる! 彼は出来る!」

振付師イリヤ・アヴェルブーフは、ドミートリー・アリーエフとのプログラム作成について語った。

「スプレッドイーグルからダンスへ、ダンスからスプレッドイーグルへ。ドミートリー・アリーエフと一緒にリンクで過ごす二日目の夜。前のシーズンが終われば、すぐに新シーズンへの準備が始まる。

『教えることは学ぶこと』という素晴らしい金言がある。作品作りをする度に、自分にとっての新しい何かを得る。この若者にロシア男子フィギュアスケートの未来があると信じる! 彼は出来る!」。アヴェルブーフはこのように書き込んだ。

出典:イリヤ・アヴェルブーフのInstagram

  1. 2018/06/25(月) 00:00:00|
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2018/06/15 ミハイル・コリャダー「選手たちは、難しいプログラムで観客たちを盛り上げた」

http://www.sobaka.ru/city/sport/74454

2018/06/15 ミハイル・コリャダー「選手たちは、難しいプログラムで観客たちを盛り上げた」

(フョードル・ポゴレーロフ)
—今あなたは、名のあるフィギュアスケートペテルブルク派の最も輝いている代表者です。しかし、2017/18年シーズンはあなたにとって矛盾したものとなりました。オリンピック団体戦では銀メダルを獲得しましたが、多くの人たちは、あなたの転倒を理由に、あなたはこの賞に十分ふさわしい訳ではないと考えています。個人戦でもあなたは失敗しました。その代わり、世界選手権では個人の銅メダルを獲得することが出来ました。あなた自身は、今年自分に起こったことの全てをどのように評価していますか?

「シーズンは非常に・・・言って見れば教訓に富むものだった。否定的面も、肯定的面もあった。しかし、もし結果だけを見るとすれば、全ては十分良いものとなった」。

—あなたはピョンチャンで、4回滑って6回転倒しました。それらの時に、あなたは何を思いましたか?

「転倒の瞬間には、当然ながら、何も考えなかった。ただプログラムを滑り続けた。何が原因だったのかを言うのは難しい。もう少し多く仕事をしなければならない、そうすれば全てが上手く行くだろうと思う」。

—オリンピックの後、あなたはこう言いました:「自分の中で何かが変わり、それが2018年オリンピックでのパフォーマンスの成功を妨げた」。どのような変化だったのでしょうか?

「(じっと考えている)分からない。多分、物事が違った風に見え出したのだろう。いずれにせよ、オリンピックは非常に重要な試合だ。オリンピック — それは特別な世界だよ、と多くの人たちが僕に警告していた。しかし、そこに身を置いて初めて、これらの人々が何を言っていたのかを理解した。本当に、何か別の雰囲気が感じられた。ピョンチャンでは、僕が以前に一緒に滑った選手たちと全く同じ顔ぶれだったし、ジャッジたちも同じだったのに。しかし、別の感覚だった」。

—より具体的に言うとすれば、何に関係することですか?

「恐らく、より神経質になるような状況が影響したのだろう」。

—あなたが中立の旗の下で滑ったことは、負担になりましたか?

「基本的にそれはない。皆は理解を持って接してくれた。他のチームの多くの選手たちは、僕たちを応援してくれた。僕たちがどこから来たのか、僕たちがどんな人間なのかを皆知っていた。ファンたちは、僕たちを素晴らしく励ましてくれたし、愉快なコールを、リズムをつけて繰り返した。ドーピングスキャンダルの全てを考えないようにして、より用心深くしようとだけ努めた。何故なら、ドーピング役員からのロシア選手への特別な注目が感じられたからだ」。

—カーリング選手クルシェリニーツキーのドーピング検体が陽性という状況が起こった時には、神経質になりましたか?

「少しそうなった。オリンピック前とオリンピックの期間中に、自分は何をしたか、どこにいたかを頭の中でしばらく記憶を手繰り寄せた。そのような失策はどこでも犯していない筈だった」。

—世界選手権であなたは、男子シングルで7年ぶりにロシアに銅メダルをもたらしたにもかかわらず、その後で伝説的コーチのタチヤーナ・タラーソワは、あなたのプログラムを女子のプログラムだと呼びました。そのことで傷つきましたか?

「僕なら自分のプログラムを女子のものだなどと呼ばない。だって、四回転ジャンプもあったし、非常に良く実行した他のエレメンツもあったのだから。ただ現在はそういう時代なのかもしれない。アスリートたちは、何本もの四回転ジャンプを入れた難しいプログラムで観客たちを盛り上げた。僕は僕で、全てを素晴らしくやったのだ。しかし、タラーソワに腹を立てたりしていない。腹を立てる理由がある?」。

—ロシア中に向けてあなたが女子呼ばわりされたら、多分、少なくとも腹が立つでしょう。

「僕はただ理解することでこれに向き合っている。それが全てだ」。

—しかし、これは言うなれば、非常に建設的な批判という訳ではないでしょう? このようなコメントを聞いたら、ある者は絶望するとか、落ち込むとかするかもしれませんよね?

「どのような批判も僕を駆り立てるだけだし、もっと多く練習して、練習だけでなく競技でも自分の最大限のパフォーマンスをするよう仕向けるだけだ。残念ながら、今シーズン僕はまだ自分の最大限を見せなかった。出せたのは70パーセントから75パーセント位だったと思う」。

—まだオリンピックが進行中にあなたに襲い掛かった、インターネットでのネガティブな攻撃に対して、あなたはどのように対処したのですか?

「僕はただソーシャルネットに立ち寄らなかったし、何も読まなかったし、何も見なかった。それにチームの仲間たちが助けてくれた。友人たちや両親が電話をして応援してくれた。家に帰ってからこれら全てを読んだが、嬉しいものはほとんど無かった。しかし、僕はポジティブでいようと努めた。基本的に僕は陽気な人間なのだ。他人だけでなく、自分のことも笑い飛ばすのが好きなのだ。だから、インターネットにあった何らかのミーム(meme)やジョークは、僕を笑顔にさせた」。

—悪い考えから離れるには、何が役立ちますか?

「そのような時、僕は出来るだけ多く誰かとおしゃべりをしようとする。吐き出してしまえば、はるかに楽になる。さらには活発に体を動かすゲームだ。例えば、サッカー。しょっちゅう友人たちとサッカーをする。滅多にゴールはしないけれど、でもプロセスが好きだ。

また友人たちと映画に行くのも好きだ。その中でも、1946年のオデッサでの出来事を描いた『リクヴィダーツィヤ(根絶、清算)』シリーズは惹きつけられる。それは通常でない結末になる。あのような急激な話の展開は大好きだ」。

—世界選手権で、銅メダルを獲得したと分かった時、やっと皆に、全てを証明したという感覚が起こりましたか?

「少しそのような感覚はあった、確かに。しかし、100パーセントではない。相変わらず、フリープログラムに関しても問題が残ったし、借りを返したという完全に満たされた気持ちでもなかった。僕はただ、もっと良く出来た筈だということが分かっていた」。

—誰に対する借りなのですか?

「第一には、自分自身に対する借りだ。その次にはもう、コーチや国、そして親族に対してだ」。

—あなたは、アメリカに研修に行く予定だと聞きました。何故ですか?

「経験の交流のために行くのだ。西側ではどのようなトレーニングをしているのか、興味がある。もしかしたら、何らかの新しいメソッドを見ることが出来るかもしれない。人は全てを知ることは出来ない。もしかしたら、僕も向こうで何か面白いことをシェア出来るかもしれない」。

—2022年のオリンピックは計画に入っていますか?

「もちろんだ。もし健康であるなら、さらに滑るつもりだ」。

—あなたにはモスクワから何度も声がかかったと聞いています。それにもかかわらず、何故あなたはペテルブルクに残ったのですか? 未知のものを恐れたのですか?

「いいえ、そのような恐怖は無かった。逆に、僕は変化が好きだ。しかし、ふるさとの街や、5歳の時から学んでいるコーチのワレンチーナ・ミハイロヴナ・チェボタリョーワや、僕のために全ての環境を作ってくれている学校を頼りにした。ペテルブルクで僕は全てに満足しているし、それに善いことが(身近に)ある時に、(欲張って)もっと善いことを探したりはしないものだよ」。

  1. 2018/06/18(月) 20:11:00|
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2018/06/09 アレクセイ・ミーシン「プログラムはバランスが取れたものでなければならない」

https://news.ru/sport/mishinmishin-predlozhil-sdelat-fizionomiyu-figurnogo-kataniya-obayatel-noj/

2018/06/09 アレクセイ・ミーシンがフィギュアスケート新規則について意見を述べた

ISUは総会で、フィギュアスケート規則に一連の新しい変更を加えた。広く論議を呼んだ問題の一つ、シニア競技への出場許可年齢を(15歳から17歳に)上げることに関しては、議題にも載らなかった。その代わり、ショートとフリープログラム後半での1.1倍の係数を掛けて評価されるジャンプの数に制限を加えることが採択された。

カナダ人たちは、後半のジャンプをショートプログラムで2本、フリーでは4本に制限することを提案した。日本人たちは、係数を掛けて高く評価されるジャンプの数を、ショートプログラムでは最後の1本だけに、フリーでは最後の3本だけにすることを提案した。結果として日本の提案が支持された。

—アレクセイ・ニコラエヴィチ、(係数を掛けて高く評価されるジャンプの数を)制限する決定に対して、どのようにコメントしますか?

アレクセイ・ミーシン:「それは常識的な考え方だと私は感じる。何故なら、もし宴席に例えるとするならば、最初に前菜を食べ、次にスープを飲み、次に肉か魚料理を食べて、その後でデザートを楽しみ、次にコニャックを飲むわけだが、これは伝統的に確立された宴席だ。

一方でプログラムを見る時、最初に選手がスピンとステップシークエンスをやり、その後でプログラムの最後の1分半で次々とジャンプを跳び始める・・・ISU総会のこの決定は、正しいと私は感じる。何故なら、プログラムはバランスが取れたものでなければならないからだ。さまざまな音楽があり、さまざまなアスリートがいて、さまざまなアイディアがある。だから、プログラム後半への全てのジャンプの移動 — それは言わば歯髄炎だったと思う。歯髄炎はいつも片側だ(片側の頬が腫れる)。

フィギュアスケートのプログラムは、両方の頬の大きさが同じ位になるようにしようではないか。難易度の高い全てのエレメンツが、プログラム前半で行われた時代があったが、その時は左の頬が右の頬よりも大きく腫れていたのだ。今は、右の頬が左よりも腫れて大きくなっている。だから、これらの両頬が同じような重要さで、同じ大きさにしようではないか。そうすれば、フィギュアスケートの『人相』もより魅力的に見えるだろう」。

ちなみに、オリンピック女王アリーナ・ザギートワと、二度の世界女王エヴゲーニヤ・メドヴェージェワは、プログラム後半にジャンプを移動したことで知られている。

  1. 2018/06/15(金) 00:23:00|
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2018/06/05 インナ・ゴンチャレンコ「年齢の成熟度ではなく、スケーティングの成熟度に注目すべき」

https://rsport.ria.ru/figure_skating/20180605/1137670831.html

2018/06/05 インナ・ゴンチャレンコ「もしトゥトベリーゼをシニアから遠ざければ、彼女はジュニアスポーツを独占してしまう」

モスクワ、6月5日、RIAノーヴォスチ、アナトーリー・サモフヴァーロフ。
ロシア功労コーチのインナ・ゴンチャレンコは、ISUは年齢ではなく、スポーツとしての大人の滑りに注意を払い、滑りのコンポーネンツをもっと奥深く評価すべきだ、そうでなければ、シニアスケートへの年齢資格が上がった場合、ジュニア大会はエテリ・トゥトベリーゼのグループの女子選手たちばかりが占める試合に変わってしまうとの考えを、RIAノーヴォスチに語った。

ISUは、シニアフィギュアスケートへの出場年齢資格を15歳から17歳に上げる問題を、6月4〜8日の総会で審議しないことにした。立案権に必要な支持票を集められなかったからだが、しかし今後、このテーマは再び起こる可能性がある。

「出場年齢資格を上げる問題は、歴史的に繰り返されています。声が高まっては、その後に弱まります。しかし、エテリ・トゥトベリーゼのところのあのような才能ある女子選手たちをシニアに出せないとしたら、トゥトベリーゼは、ジュニアの競技会を独占するでしょう。そこでは、彼女のグループの女子選手たちばかりが競技をするでしょう。そしてそこでも、解決されるべき問題が起こります」。

彼女によれば、その場合は「偏りが起こる」と言う。「現在、一つの子供の大会には、50人の女子選手が出場していますが、(シニアに出られない選手がジュニアの大会に出場すれば)100人になるでしょう。ですから、年齢資格の変更は沈静化させ、現状のままに残し、演技構成点に取り組まなければならないのです」。

その際ゴンチャレンコは、出場資格の問題は、「議論の余地のあるもの」だと言う。「私自身は、次のような状況が想像出来ます:出場資格を決定した、だからオリンピックは大人のものになったと。この考えは、外面的には正しく見えます。なぜなら、オリンピックは最終カテゴリーの試合になるのだから。しかし、実は才能ある人々というのは、様々な年齢のカテゴリーで生まれます。私たちには50人のザギートワはいないのです。そして、ザギートワがシニアで滑っているからといって、この最も世界的レベルを、幼稚園の大会だと言うことは出来ないのです! 私たちは出場資格を決める時に、何を柵から追い出すべきなのか? 才能ある人たちを、ですか? 10年に一度生まれる人を、ですか?

もちろん、これはロシアを襲撃したものです。私は小さなレーナ・ラジオーノワを教えていた時に、同様の襲撃に遭いました。私にも人々は言いました。ラジオーノワをシニアに上げる必要はありません、彼女のような人たちが、シニアで競技するのを禁じなければなりません、彼女、つまりレンカ(レーナと同じく、エレーナの愛称)は、大人たちを圧迫するからです、と」。

ゴンチャレンコは、ラジオーノワはジュニア時代、競争の凄まじい圧力に耐え抜いたと考えている。「レーナは一定の使命を実行しました。なぜなら、当時私たちへの演技構成点はひどく抑えられ、私たちは技術点で勝利していました。私たちは言われました:『待ってください、これは子供のスケートなのだから・・・』と。私は理解出来ませんでした:何を待つの? レーナはあなた方の国の多くのシニアたちよりも芸術的だわ! 彼女には豊かな表現力があります。あなた方はなぜそれを同等に評価しないのですか?」。

「しかし、時が経ち、この面での状況も少し進展しました — アリーナ(・ザギートワ)に対しジャッジたちは、オリンピックまでに少しずつ慣れました。彼女を少し良く評価するようになりました。ですから今度は、年齢の成熟度ではなく、スケーティングの成熟度に注目すべきだと私は思います」。

ゴンチャレンコの考えによれば、「コンポーネンツの評価を正確に行う」必要があると言う。「私の個人的意見では、ジェーニャ・メドヴェージェワのコンポーネンツのレベルは、アリーナ(・ザギートワ)のものよりも、もっと高くなければならなかった。ここの詳細化が必要なのであって、ザギートワが今後も女子ジュニアたちと一緒に駆け回るようにと、全員の年齢資格の導入が必要なのではないのです」。ゴンチャレンコはこのように語った。

  1. 2018/06/11(月) 21:53:15|
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2018/06/04 アレクセイ・ミーシン「ISUがシニア女子スケートへ移行年齢を従来のまま残したのは、正しい行動だ」

http://tass.ru/sport/5260192

2018/06/04 アレクセイ・ミーシン「ISUがシニア女子スケートへの移行年齢を従来のまま残したのは、正しい行動だ」

モスクワ、6月4日、TASS特派員アルチョム・クズネツォーフ。
シニア女子フィギュアスケートへの移行資格年齢を引き上げる問題を審議しないとした、ISU(国際スケート連盟)の決定は正しい。ロシア功労コーチ、アレクセイ・ミーシンは、このような考えをTASSに語った。

月曜日(4日)、ISU総会は、女子シングルスケートへの移行年齢を15歳から17歳に引き上げるというオランダフィギュアスケート連盟の提案を、審議しない決定をした。

「ISUは保守主義だと多くの批判を受けて来たが、しかし私は、その保守主義のなかに若干の肯定的側面を見て来た、と前回のインタビューのなかで私は発言した。(訳注:
https://goldenskate.com/2018/06/mishin-warns-of-arbitrariness-in-judging-after-rule-changes/

ISUは今回、正しい判断をしたと思う。なぜなら、才能ある少女たちの運命に対し、そのような断固とした、冷酷な態度を取ってはならないからだ。ISUのような慣性機構にとっては、保守主義はしばしば肯定的要素となる」。

「将来また、この問題に立ち返るだろうが、このような決断は十分に長期的展望のなかで着手されると思う」。ミーシンはこのように語った。

ロシアスケート連盟は、年齢資格の引き上げには反対の立場だった。

先の2月のピョンチャンオリンピックでは、女子シングルスケートでロシアの15歳アリーナ・ザギートワが勝利した。

  1. 2018/06/05(火) 14:47:00|
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2018/06/01 マクシム・トランコフ「タラソワ/モロゾフ組と1シーズンのコーチ契約をした」

http://www.sport-express.ru/figure-skating/news/maksim-trankov-s-morozovym-i-tarasovoy-dogovorilis-na-odin-sezon-1416289/

2018/06/01 マクシム・トランコフ「タラーソワ/モローゾフ組と1シーズンのコーチ契約をした」

二度のオリンピックチャンピオン、マクシム・トランコフは、ペアのエヴゲーニヤ・タラーソワ/ウラジーミル・モローゾフ組のコーチになるというオファーを受け入れたことを語った。今までペアと一緒に働いていたニーナ・モーザーは、休養を取りたいと表明していた。

「ニーナ・ミハイロヴナが休養を取るために、二人の選手たちは、氷上での恒常的コーチがいないという状況に陥った。短期の休養であることを願っているが」。トランコフは語った。「それで彼らは、この困難な時期に彼らを助け、支えてくれるようにと僕に頼んできた。僕は長いこと考え、受け入れるか断るかで全てのことを考量した。だって3年の間僕は全く違う人生を歩み、その中で多くのことが上手く行ったのだから。フィギュアスケートに戻ることは難しかった。しかし、決断したからには働くつもりだ」。

—彼らとはどんな約束をしたのですか?

「僕は、彼らと毎日働くコーチになる。彼らの今の高い結果を一層高めようと挑戦する。僕にとってこのことが、とりわけ大きな責任だ。

コーチとして僕は経験がないし、しかも現時点ではコーチでも何でもない。だから僕たちは、来たる1シーズンを働いてみるという取り決めをした。そうすれば、僕が上手く行かない時でも、または何らかのものが二人の気に入らない時でも、次のオリンピックで滑るための別の指導者を見出すためにまだ3年ある」。
(アントン・バボーシン)

  1. 2018/06/03(日) 00:39:35|
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