楽天市場 あれこれ ノンフィクション小説 「ヴィクトリア湾のほとりで」
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2022/12/25 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉘―最終回―

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉘―最終回―
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)



山道で彼を出迎えたのは、ブラコーフ家の息子たちのイェゴールとニコライだった。行く手を遮り、ステパの背嚢の中身を引き出してから、彼らはステパの両手を縛り、武器で脅かしながら、あまりにも成功している猟について白状させようとした。しかし、ステパは一言も発しなかった。
「ちぇっ、このガキ、おやじに全部言いつけてやるからな」。
相手が手ごわいことを理解したブラコーフの息子たちは、分捕り品を分け合ってから、去って行った。ステパには、冬の仕事小屋に戻る以外に、方法は残されていなかった。

夜になって、もっと悪い事が起こった。ステパのひどい話を聞いたアキームは、手に湯沸かしを持ったままドアの方へ歩いて行き、怒りに任せてドアを蹴飛ばした。しかし、ドアが開かなかった。
「凍り付いたのかな」。彼は、もう一度力を入れて、ドアを足で蹴った。しかし、それはぴくりともしなかった。そこで、ドアが押さえつけられていることが分かった。
アキームは、小屋の中を歩き回っていたが、その後で長椅子に静かに腰を下ろして、石積みの炉に目を走らせた。
「小屋の中には、薪の蓄えも無い。うまいことを考え付いたもんだ。わしらが凍え死んでから、小屋に入って来てクロテンの入った背嚢を奪うつもりだ。ブラコーフの仕業に違いない。もはやクロテンどころではなく、お前たちの生き死にの問題だ。さあ、一緒に押すんだ」。アキームは、肩をドアに押し付けながら命令した。アルセンチーとステパは、彼のやり方に従った。しかし、その甲斐も無く、ドアは、あたかも土に根っこを生やしてしまったかのように、微動だにしなかった。

アキームは、板寝床の下を覗き込んで、そこから、チョウセンゴヨウの松かさを叩き落す時に使う突き棒を取り出した。
「こうなったら何でも試してみよう」。彼は丸太小屋の丸太の一つでも叩き落せないかと願って、突き棒をさっと振り上げ、壁に打ち当てた。しかし突き棒は、ほぞ組みになった松やにの匂いのする丸太から、毬のように跳ね返った。
「一つ方法が残っている」。アキームは切ったトドマツの枝に膝をつくと、少し腐りかけている丸太組の側で、猟師ナイフを動かし始めた。「地下道を作ろう。それ以外にここから抜け出す方法は無い」。

二日二晩、一瞬の休みも無く、その間に凍ったイジューブルの肉をつまむことが出来ただけで、猟師たちは手や膝に血をにじませながら、ナイフで地面を掘り続けた。太陽が差し込む鬱蒼としたエゾマツ林にやっとのことで抜け出した時まで。ドアから大木を取り払ってから、アキームが最初にやったことは、マーモント谷[マンモス谷]まで続いている、他の足跡を観察することだった。間違いなく、これは潜水夫[ニコライのあだ名。当時村では、あだ名で呼び合うことは普通だった]とイェゴールのやったことだ。ステパのクロテンが、彼らには足りず、こちらを羨んで、3人全員を殺し奪い取ろうとしたのだ!

冬の仕事小屋を後にする時、アキームはブラコーフ家の人たちへ、畜生!とつぶやき、クロテンを取り戻すことを誓った。ステパとアルセンチーを、ブラコーフの冬小屋から半露里[約500メートル]のところの若木の茂みに残し、自分は、鉄の煙突から煙が上がるのを待った。それは、ブラコーフ家の者たちが落ち着いて、夕食に取り掛かったことの確かな印だった。そうなってから、アキームは灌木の茂みから出て、手にずっしりと重たい木の根元を持って、小屋の方へこっそりと忍び込んだ。ドアにその根元を押し付けると、大木の後ろまで身を引いて、悪意の無い声で叫んだ。
「お前さん方、自分たちの行いが災いを招いたぞ。これでも人を嘲笑するつもりかね、えっ?」。

その後、大きな悪口雑言が聞こえ、叩く音が響いて来た。ブラコーフ家の兄弟は、何かでドアを破ろうと試みていた。それが半時間程続いた。しかし、とうとう自分たちの出口の無い状況に観念して、口々に嘆願した。
「ラーズム、俺たちをここに見捨てないでくれ。寒くて、歯の根が合わないんだ。聞いているのかい。お前は何が必要なんだい、何でもやるよ」。
「何がだと? ステパのクロテンを返してくれ。そしたら解放してやろう」。
「分かった、ラーズム」。潜水夫が、しょげた声で答えた。
「ドアを細く開けたらすぐに、クロテンを雪の上に投げるんだ。ふざけたことを絶対に考えるなよ、さもないと」。アキームはベルダン銃の遊底をがちゃりといわせて、警告のために叫んだ。「ステパよ、アルセンチーと一緒に反対側から回り込め」。
彼は手を差し出せるように、足で木の根元を押しのけた。すぐさま戸口に手が現れ、雪の上に4枚のクロテンの毛皮が落ちた。アキームは戦利品を掴むと、ドアを押し付けていた木の根元を肩でひっくり返し、一瞬のうちに、綿のような雪で被われた針葉樹林に姿を消した。


*****     *****     *****


1917年の春。チェレムシャヌイの周りの、暖かさを待ちくたびれていたタイガが目覚めて来た頃、エゾムラサキツツジの最初の花と共に、村に、戦争が終わったというニュースが流れて来た。
出征軍人たちが、次々と、チェレムシャヌイの自分の家や農場に戻って来た。彼らが村で最初にしたことは、家々を訪ねて行っては、遠い異郷の地で死んだ近しい人たちを悼んで泣くことだった。

エフィム・ダルニッツァも、家に戻った。澄み切った空に静かな朝焼けが現れた頃、彼は、わが家の屋敷の傍らに立った。帽子を後頭部にずらせて、戦争の年月の間に少し歪んだ百姓家を、コケが覆った煤けた屋根を、傾いた垣根を長いこと見ていた。羽根のもげたツルが何羽かいる井戸、荒廃し、切り払われた果樹園、いつだったか若い頃、そこで気の荒い雄ウシのシフカを調教したのに、今やガマがはびこっている湖、それら全てが心を重たく、痛く締め上げた。早く、家の中へ・・・。そこでは、涙で濡れたダーリヤの熱い抱擁と、子供たちの喜びの叫び声が、この兵士を待っていた。
(終わり)

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2022/12/21 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉗

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉗
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)



アキーム、ダーリヤ、ステパが、道を付ける仕事をした窪地から立ち去ろうとしていた時、斜面が禿げた山の小さな谷で、犬たちの激しい吠え声が聞こえ、それがどんどん大きくなって来た。と、その時、切り立った高台から大きな白いイジューブルが、下に向かって突進してくるのが、彼らに見えた。その雄ジカめがけて、山麓から聾唖者の猟師アルセンチーが、一直線に走って来た。ちょうど雄ジカが雪の奔流とともに険しい斜面からずり落ちた瞬間、銃声が響いた。イジューブルは、後ろ足で垂直に立つと、そのまま音を立てて倒れ、静かになった。

犬たちが吠えていた方角で猟師たちの声が聞こえ、すぐに、仰向けに倒れている白いイジューブルをブラコーフ家の主人を頭とした、武器を携えたその家の者たちが取り囲んだ。
「耳が遠いお前さんが、何処から現れたんだよ。何をやらかしたんだ。この純血種の種雄を殺っちまったのか。よおし、こいつに代わってお前をくたばらせてやる」。そう言うとミロンは、アルセンチーの顔を拳骨で力任せに殴った。彼はかろうじて立っていた。ちょうどそこに来たミロンの息子たちは、この不幸な人に飛び掛かり、無慈悲に叩いたり、蹴飛ばしたりした。

アキームは不幸な事態を避けようと、ウマで、争いの場に駆け付けた。
「やめろ」。彼は橇から飛び降りると、つるはしを手にして、ブラコーフ家の者たちに向かって走って行った。
「どうして自分の肉親を殴るんだ。彼がお前さんたちに代わってイジューブルを仕留めたからか?」。
「わしらには、生きているシロが必要だったのに」。ミロンは地団駄を踏んで、ぶつぶつ言った。「積み込め」。彼は、橇で近づいて来た下男に命じた。
「それは人のやり方じゃなかろう、それはないぞ」。肩からつるはしを降ろしながら、アキームは言った。「どこの猟師の決まりを見たって、お前さんは、アルセンチーに分け前をやるべきじゃないかね」。
「彼の分け前などあるもんかね。軽く済んだんだから礼を言ってもらいたいよ」。ブラコーフ家の者たちは、イジューブルの体を橇に乗せると、農場の方に向けて馬を駆った。

「ピャ、ピャ」。ブラコーフ農場の方を手で指しながら、アルセンチーは声を発した。
「座ってくれ、アルセンチー、座ってくれ」。アキームは、黙りこくったダーリヤの傍らに、彼を座らせた。「もちろん、何の理由も無しにお前さんを殴るなんて、腹が立つさ。しかし、もっと腹が立つのは、自分たちの身内を殴るってことだ。ステパよ、アルセンチーをタイガに連れて行こう。彼は罠を仕掛ける名人だし、彼にとっちゃタイガは自分の庭みたいなもんだからな」。


昨日同様、ようやく東の空が明るんで来た頃に、猟師たちは鬱蒼としたエゾマツ林の中のバールハトヌィ源流の岸に張り付いた冬の仕事小屋を出て、遠くに白い丘陵として見えている山麓に向かった。
厳寒の空中には、白鳥の羽根のようにふんわりした雪が一面に飛び回り、草、灌木、木々の上に積もって行く。タイガを歩く者にとって、新雪は一つの障害だ。白い灌木に肩を押し付けでもするや、たちまち足の先から頭の先まで、雪ほこりにまみれてしまう。

近道をしようと決めたアキームは、自分の後ろに猟師たちを従わせて、木のない裸地を歩いて行った。その道はしょっちゅう、出来たばかりの刺し子の縫い目のようにイジューブルの足跡が横切ってあった。足跡が新しいということは、シカたちは近くのどこかにいるのだ。アキームは、源流の氾濫原に視線を投げた。と、彼は自分の目が信じられなかった。白く、ふんわりした灌木から、ゆっくりと、どでかい縞のトラが現れ、イジューブルの足跡を辿って真っ直ぐ歩いて行った。そのすぐ後、でかい身体を地面にへばりつかせて、隠れた。手足をいっぱいに広げたトラは、興奮で震えながら尾を打ち、力強い身体を少し前に移動させた。明らかに、自分の犠牲者を観察しているのだ。しかし、その時、トラは屈強な、流れるような筋肉を緊張させ、後ろ足を蹴って裸地から離れると、一瞬のうちにとげとげした針葉樹林に紛れて見えなくなった。

「見たかね。トラがイジューブルに忍び寄るところを」。アキームは、息を呑んでいる猟師たちの方を振り返った。
「今、家畜は放し飼いになっているけど、そのうちの一頭が噛み殺されるまで、きっと誰も気付かないよ」。痺れた手に父親の猟銃を持ったステパが言った。
「ディブィ。ディブィ」。トラが身を隠した針葉樹林の方を手で示しながら、アルセンチーは回らない舌で何かを言った。

草木の無い石がちの小山の周りに巻き付いた、曲がりくねった小径を行く時、猟師たちは、あたかも周辺の針葉樹の巨大な釜に入り込むかのようだった。タイガは依然として静まり返っていた。切り倒され十文字に重ねられた枯れ木の側では、アルセンチーが巧みにこしらえた、小さな家の形の罠にしょっちゅう出会った。その罠の中には、どんな小さな動きでもばたんと倒れてクロテンを挟む、何本かの細い杭があり、その上にあるかもいの真下に、干したコクワが撒かれている。4つの罠で、猟師たちは、3匹の背の黒い、つまりは最も高価なクロテンを捕まえた。アルセンチーは有頂天になった。彼は袋の中から自分の手のひらに一掴みの干しコクワを取り出すと、 長いこと頭を振っていた。
「ディブィ、ディブィ」。そして再び、小さな家の中の杭を仕掛けて、落ち葉の上に直接コクワをばら撒いた。
「何がどうなるかってことが、分かったかね」。アキームは、同意を示してアルセンチーの肩をぽんと叩いた。

全てが上手く行った。倒木を回って猟師たちは、たった2週間で1ダースのクロテンを捕まえ、石がちの段丘崖の一つでは、肉付きの良い雄ジカを仕留めた。
しかし、ここで災難にあった。小さな家の罠に、ミヤマカケスやホシガラスが群れをなして集まって来た。特に、暖かい日はそうであるということに猟師たちは気付き始めた。鳥たちは、猟師の罠の中で干しコクワを探し当てて、威勢よくついばんでは食べてしまったのだ。猟師たちは、鳥たちの《エサ場》を諦めて、静かで、しつこい食いしん坊の鳥たちがいない場所を、他に捜さねばならなかった。
しかし、この時、あいにくなことに、干しコクワが底をついてしまった。アキームはステパを、干しコクワを取りに家に向かわせた。ダーリヤへの手土産に、4枚のクロテンの毛皮を託すことも忘れなかった。しかし、ステパはチェレムシャヌイまで行き着くことは出来なかった。
(つづく)

  1. 2022/12/21(水) 23:08:38|
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2022/12/15 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉖

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉖
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)



チェレムシャヌイの人々を不意に襲った、気まぐれな自然の猛威は、人のいい鍛冶屋のところでウマに蹄鉄を打とうと朝からウスチン・アゾリンの屋敷にやって来た、村の男たちの賑やかな議論の種となった。
「聖母様に誓ってもいいが、生まれてこの方何年もこの世に生きているが、中国の春節に雷が鳴るなんぞ、一度だって聞いたことはねえぞ」。鍛冶屋の炉の炭で手巻きタバコに火を付けながら語り部爺さんが言った。「聖書によれば、戦争が長引くって訳だが」。
「そりゃ本当だぜ、爺さん」。猟師のアルヒープ・マコーヴィンが頷いた。「わしゃ、二番草を家に運んでいる時に、マーモントフカでこの動乱の時代を目の当たりにしたんだ。ブラコーフの農場から、新兵が連れて行かれたんだよ」。
「ブラコーフ家の人間か?」。アキーム・ダルニッツァが彼をさえぎった。
「いんや、ラーズム、あそこの下男たちが連れて行かれたのさ」。
「金でけりを付けたな、悪党めが!」。去勢馬のひずめから金づちで氷を落としながら、アキームは口の中でもぐもぐ言った。

「そしてな、わしがあいつらに追いついた時には」。マコーヴィンは話を続けた。「ちょうど、大砲をぶっ放したみてえな雷と、バケツをひっくり返したみてえな雨だったのさ。かわいそうな新兵たちは、お互いにしがみついて祈っているのさ。アルセンチーの結婚式に、商人と一緒にいたイグナートは、わしに言ったものさ。冬の真っ最中の雷は縁起が悪い、別の戦争が起こって、彼らを確実に破滅に導くんだと。彼はこれを言うと、自分はおいおいと泣いているんだよ」。

「みんなを惑わすようなことを言うもんじゃないぞ、アルヒープ」。突然、無口なゲラシム・シェフツォーフが口を開いた。「別の戦争なんて起こる訳がない。ドイツとの戦争だって終わりが近いんだ」。
「ところがどうして」。イワン・カルポーヴィチが薄くなった顎鬚を梳いた。「ドイツとの戦争の直前に、真っ赤な竜がチェレムシャヌイの上空を飛んだことを忘れたんじゃないかね。お前さん、見たろうが。わしはその時、お前さんに言ったろう、大不幸が起こるって。そしたら戦争が勃発したんだ」。

「何だってお前さん方は、戦争だ、戦争だって、そうしてわめいているんじゃい。戦争なんて、3回呪われるがいいや!」。2、3日前に、長男パーヴェルの戦死公報を受け取った、陰気な顔をしたイワン・ドヴォルツォフがぼそぼそ言った。「果樹園や秋まき作物の心配でもした方が、よほどましじゃないのかい」。
「その通りだよ」。アキームは、ズック布で出来た鍛冶屋の前掛けで手を拭いた。「果樹園は、根元から切り倒さねばならんし、春になれば、新しい秋まき穀物の苗を植え付けねばならん。畑が凍ったり、氷が降らなければ良いが」。
「ラーズム、お前さんには、切り倒すなんて簡単に言えるさ。お前さんとこの果樹園は、傷一つ負ってねえんだもの。一体、お前さんは魔法の呪文でも唱えたんじゃないかね」。
「木の下から、つっかえ棒を外すのを忘れていたんだよ。そのお陰で果樹園が無傷で済んだんだ」。


この時、ウスチン・アゾリンの屋敷に、鈴を鳴らした三頭立て馬車が飛ぶように入って来て、円を描いて向きを変えると鍛冶場の側で停まった。橇の中からは、高価な白い毛皮外套を着て、もったいぶった、背の低いリャーピンが降りて来た。
「道をつけるのを頼みに来たんだ」。アキームは男たちにささやいた。「請け負うんだ。だけど、一日2ルーブルだ。それ以下では駄目だ」。

「変わりないかね、きみたち。みんなお揃いで、どうしたのかね」。
「お元気で何よりでごぜえます。こちらにどうぞ、パンテレイ・マルコーヴィチ様」。皆に代わってウスチン・アゾリンが、気を利かして答えた。「お客様をお通ししてくれ」。
リャーピンは、狭い人垣を通って炉の方へ歩いて行くと、凍えた手を火にかざした。
「ウマに蹄鉄を打つことにしたのかね。それはいいことだ」。太鼓腹の男は、毛皮外套の前をはだけた。「ところで、お前さんたちの中で、明日、道をつける仕事をしたい者はいるかね」。
「行くことは出来るが」。最初にイワン・ドヴォルツォフが口を開いた。「支払いは、どうなっているのかな」。
「日当は1ルーブルだ」。
「1ルーブルだったら、クマにでも掘らせるんだな」。アキーム・ダルニッツァが手を振って言った。
「こんなにつるつる滑る日にゃ、自分の飼い犬だって家から出さぬというのに、あなた様は1ルーブルですと! 安すぎますぜ、ご主人」。男たちはリャーピンに背を向けて、自分の仕事を続けた。
「よろしい、1ルーブルと50コペイカ払おう」。
「2ルーブル! 2ルーブル!」。皆が騒然とした。
「分かった、2ルーブル出そう! ただし条件がある。暗くなるまで働くんだ」。
「よし、決まった」。男たちは、応じた。
リャーピンは、アキーム・ダルニッツァの方を横目で見た。
「これはみんな、お前の仕業だな」。小男は、アキームを鞭で脅す仕草をした。「どこにでも余計な口出しをしやがって。扇動者め」。そして、鞭をひゅっと鳴らすと、ラズビータヤ・チャーシャ山[壊れ茶碗山]の方へ、鉱山に向かってウマを駆った。

     *****     *****


人気(ひとけ)のない冬。タイガは風で煙っている。木々が、夜に降った新雪の細かな白いビーズを、自分の体から払い落としているのだ。エゾマツやチョウセンゴヨウの大木の硬化した枝が、厳寒の中で凍裂する音が響く。源流では、岸から張り始めた堅い氷が、断続的にうつろな音を響かせる。その後辺りは、もやの微細な針状の氷片が空中で触れ合う音さえ聞こえる程の静寂が支配する。しかし、ラズビータヤ・チャーシャ山の人気(ひとけ)のない密林の朝のまどろみを、ウマの長く延びたいななきと人々の声が破る。

表面が固く凍った雪に覆われた狭軌道沿いに、橇の隊列が姿を現した。長いこと揺られていたため疲れて、口を利く元気も無かった人々が生気を取り戻した。素早くウマを橇からはずすと、つるはしやシャベルを握り、手慣れた仕事に取り掛かった。雪のリャーピン道路の道をつけるのだ。アキーム、ダーリヤ、ステパの組は、少し楽な箇所が当たった。二つの低く丸い山の間の狭い窪地で、地吹雪も吹き込まず、風の当たらない場所だった。彼らは丸々6日ここに通い、約2露里[約2.13キロメートル]の道をつけた。仕事は終わりに近づいていた。

太鼓腹(背の低いリャーピンはこう呼ばれていた)が、仕事が良くないと言いがかりをつけたり叱責したりしないように、アキームは念のため、角形のずっしりと重たい倒木を牽引用鎖に繋げて、軌道に沿って端から端まで2回、ウマに引きずらせた。リャーピンは出来上がった仕事を受け取り、日雇い人夫たちに支払うべき額を支払う以外になかった。

「石炭運搬の手間賃は計算しなくていいぞ」。太鼓腹は、額の下からじろりとアキームを見て、吐き捨てるように言った。「希望者はいっぱいいるからな」。
「勝手にしやがれ!」。憤怒のため、シャベルの柄がアキームの強い手の中でぽきりと音がして二つに折れた。「ダーリヤ、悲しむな、あいつなど当てにせずに何とかやって行こう。明日は、ステパを連れてタイガにクロテンを捕まえに行こう。お前さんは、干しコクワの袋を用意しておくれ」。

干したコクワをエサにしてクロテンを捕まえよう、という考えがアキームの頭に浮かんだのは、ダーリヤとステパと一緒にバールハトヌィ[ビロードのようなという意味]源流でコクワを採った、まだ秋のことだった。四方のタイガは、冷気を吸って生き生きと息づいていた。アキームは、前日に樽状の実の付いたサルナシの蔦が地面を這っているのを見つけた古い伐採地に向かって、少し色づき始めた木の葉のトンネルを通り抜けながら小道を急いでいた。当てにしていた場所に行き着くまでに、小道を2回、クロテンが横切った。そのそれぞれが、歯で緑色のコクワを運んでいた。クロテンたちは、倒木に向かっていた。そして、また向きを変え、その倒木から飛び降りると、最も近い蔓の方に走って行き、しばらく経つと、再び現れるのだった。

「どうして、あの倒木がクロテンを惹きつけるんだろう」。アキームはそう思って、倒木の方へ歩いて行った。着いて見ると、あっと驚いた。平らな枯れ木の上に、緑色のコクワの実が同じような列になって並べられていた。それらの中の幾つかは既に熟し、ところどころ齧られていたのだ。
(つづく)

  1. 2022/12/15(木) 15:18:41|
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2022/12/05 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉕

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉕
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)



「大丈夫だから、お前、撃ってみな。あん畜生らが回れ右して引き返すかも」。ダーリヤは手綱を取って、ラーストチカを急き立てた。
「はいどう! 進め! はいどう!」。雌馬は従順に、規則正しい足取りから、だく足に移行した。それに続いてルレートも足を速めた。

しかし、これも彼らを救うことにはならず、却ってオオカミどもを、より大胆に、より敏捷にさせただけだった。一度逃げたら敵を乗じさせるだけで、尽くす手は無くなるのだ。狭軌道まであとほんのわずか、200か300サージェン[約400か600メートル]を残すまでという時になって、オオカミの群は、あたかも号令を掛けられたかのように分離した。今や線路の右も左も三頭ずつのオオカミが身体をいっぱいに伸ばして走っていた。より大きな一頭が丸く回ってから、トロッコの方へ一直線に向かって来た。

ダーリヤは状況を見て、息が詰まった。何よりも彼女は、血を分けたわが息子から死の危険を引き離さなければならなかった。ダーリヤの手は機械的に、橇の干し草の下にある斧に伸びた。
「停めて、母さん、停めて!」。ステパが叫んだ。「手が揺れてて、撃てないよ」。
確かに、トロッコと橇が、ひょっとするとひっくり返るかもしれない程ガタガタ揺れている時に、どうして銃を撃つことが出来ようか。

ダーリヤは、全力を振り絞って手綱を引いた。ラーストチカは、一瞬膝を屈めてから停まると、大きなオオカミの方に頭を向けて、釘付けになったように立っていた。しかし、すぐにオオカミの嫌な臭いを鼻孔にとらえると、鼻息を荒くして、再び、だく足でその場から駆け出した。

ステパは、停止したちょっとの間に、橇に一番に走り寄って来たオオカミをめがけて発砲した。オオカミは吠えて、血にまみれて、凍った雪の上に転がった。しかし銃声は、猛獣どもを止めることは出来なかった。ステパンは、再び発砲した。が、命中しなかった。というのも、トロッコがひどく揺れ、橇が線路側溝に落ちたため、彼は立っているのがやっとだったのだ。その拍子に、食糧が入った背嚢が、干し草の束と一緒にどすんと雪だまりに落ちた。
すると、すぐさまその場所で取り合いの乱闘が起こった。オオカミたちは、お互いにぶつかり合いながら背嚢を歯で引き裂いた。

突然、一筋の光が差し込むように、ある考えがステパンの心に浮かんだ。オオカミどもが再びトロッコに向かって突進して来た時に、ステパは足で、橇からヤギの体を突き落とした。気が付いた時には、ヤギを八つ裂きにしている灰色の群れは、もう遠く後方にあった。驚いた馬たちはたっぷり2露里[約2.1キロメートル]を走ったが、危険が去ったことを感じて、いつもの規則正しい歩みに移って行った。

「ああ、無事かい、お前」。ダーリヤは、ここでやっと汗だくの馬たちを停めると、ステパに飛びついて、彼を抱いた。
「無事だよ、母さん。だけど、父さんの背嚢だけが残念だ」。
「お前は本当にもう、立派な大人になったんだね。お前のお陰で助かったんだよ」。


二人は疲れて、しかし、終わり良しになったことに満足して、埠頭からの帰路に着いた。フォームキン草地の近くで、橇に乗った、怒っているアキームが彼らに追いついた。彼は突然、嫁に食って掛かった。
「お前や、どうしてわしに声を掛けずに、こんな仕事に子供を連れ出したんだね」。
「この子は子供なんかじゃないんですよ」。ダーリヤはアキームに顔を向けた。「今日、オオカミどもに襲われた時、この子はどんな大人よりも立派だったんですよ」。
「謎かけ遊びをしているのかね、ダーリヤ、何のことやら」。アキームは、霜で被われた、それでなくとも白くなった眉をひそめた。「明日はリャーピンのところへ一緒に行こう」。
「ええ、行きましょう」。ダーリヤは、おとなしく同意した。「そして、お義父さん、途中でオオカミを運びましょう」。
「どのオオカミだね」。アキームは橇の上で不審がった。
「ステパが仕留めたやつですよ。四方からわたしらに向かって来て、やっとのことで助かったんですよ」。
そして、彼女は義父に、オオカミとの一件を詳しく話して聞かせた。

「何ということだ」。アキームは頭を振った。そして、初めて見るような目で、注意深く、長いことステパを見た。「しかし、この坊主は機転の利く子の様じゃな。明日は、わしらと一緒に鉱山に行こう」。
この日から、ダーリヤ・ダルニッツァの子沢山の家庭に、稼ぎ手が一人増えた。

翌日。黒ずんだ紫色の空を、縁がちぎれちぎれになった鉛色の雨雲が、ヴィクトリア湾の方からどこかに向かって列を成して飛んで行く。すると、すぐさまチェレムシャヌイに雷鳴がとどろき渡った。暗い空から、まるで篩(ふるい)にかけたようにして雪あられが落ちて来た。それはすぐに、雪交じりの冷たい雨へと移って行った。
「焼き石を持って来るんだったなあ。霜枯れた冬に雷なんて、こんなことがあるもんだか」。エフィムの屋敷に橇を乗り入れながら、アキーム・ダルニッツァは十字を切った。ダーリヤとステパは、馬たちを馬車に繋いでいた。

「寒気が緩んで行くに違いないね」。ダーリヤが言った。
「緩むには緩むだろうが、どしゃ降りになるんじゃないかね」。陰気な黒雲をじっと見ながら、アキームは橇から降りずに、ちょっと腰を上げた。「お前、今日出掛けるのは取りやめにして、あったかい家の中でみぞれが終わるのを待つのが良くはないか」。
「オオカミはどうなるの」。ステパが聞いた。
「明日までそのままにしておくさ。毛皮はなんともないよ」。アキームはそう判断して、ウマを自分の屋敷の方へ向けた。


雷鳴が繰り返しとどろき、それらはすぐに厚い雲に吸い込まれて行った。みぞれは絶え間なく一昼夜降り続き、次に寒波が襲った。朝まだきにチェレムシャヌイの村人たちが目を覚ました時、みんな息を呑んだ。果樹園には、氷で被われた雪の重みで先が折れた大枝や小枝が一面に散乱していた。
(つづく)

  1. 2022/12/05(月) 23:31:15|
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2022/11/28 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉔

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉔
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


子供たちを見回して、ダーリヤは気付いた。
「ステパはどこ? 何が起こったの?」。
「何も起こらないよ、ママ」。鼻が上を向いているマルーシヤが答えた。「ステパとアンドレイがちょっと口喧嘩しただけ」。
「どんな口喧嘩?」。
「いつもの口喧嘩だよ。ステプカは負けたから、アンドレイカが靴底を付けられるように、語り部爺さんのところへ錐を借りに裸足で駆け出したんだよ」。
「裸足で? 雪の上を?」。ダーリヤは肝を冷やした。

氷に覆われたドアが軋んだ音を立てて、父親の毛皮外套を着たステパが家に走り込んで来た。彼の裸足の両足は、ザリガニのように真っ赤だった。
「ほら、アンドリューシャ、お前のための錐だよ。イワン・カルポーヴィチは、明日必ず返すように言っていたぞ」。
「ほら、ほら、お利口さん、すぐに寝床まで行進! 病気にでもなったらどうするの」。ダーリヤは、手元にあった箒で凍えているステパの足を軽く叩いて脅かした。

「病気になんてならないよ、母さん、俺は頑丈にできているんだよ。父さんは一度も俺にそんなことを言わなかったな」。ステパは笑って、ネコのようにすばやく暖炉の前に移動した。「ねえ、母さん、俺、母さんと一緒にリャーピンのところへ石炭運びに行こうかな。母さん、言ってただろう、日給が1ルーブルだって。ということは、今、1ルーブルだけど、それが一気に2ルーブルになるんだよ」。

「何を言い出すの、お前は」。ダーリヤは毛皮の半外套を脱ぐと、木の長椅子の上に広げて敷いた。頭が混乱して、食欲が無かった。子供たちをそれぞれの板寝床に寝かしつけ、ござを掛けてやった。お休み、みんな! そして紡ぎ車の前に座った。

「俺、行こうか、ねえ、母さん」。暖炉上の寝台から、ステパがまた声を掛けて来た。
「お前、あそこは10露里[約10.67キロメートル]も歩かにゃならないんだよ。しかも、ずっと枕木の上をね」。
「ああ、行くともさ。俺は足は丈夫だし、途中でキジを撃つんだもの」。
「あそこには、確かにキジはいっぱいいるけど」。
「ほら、自分でもそう言っているじゃないか」。
「分かった、もし病気にならなかったら行ってみよう」。


その日、ダーリヤは、約束通りに長男のステパを連れて行った。ずっと一緒だったら、どんなに心強く、楽しくやれるだろうと思ったのだ。
アリョーナ・プロスタキーシャは、馬が枕木で脚を痛めたので、今は哀れにも仕事を失くして家にいる。前を行くのは、エフィムがクマの胆嚢と交換にチェ・ヨンゲンから手に入れた毛皮外套を着たステパだ。羊の毛皮の大きな外套を着たステパは、13歳という自分の年齢よりも上に見え、少し不格好で、ぎこちなく見えた。

暗赤色の丸い太陽が、雪の吹き溜まりの、雲母の層のようになって凍った表面を弱々しい光で照らして、白い山々から顔を出した。それは、その日が風のある、厳寒になることの確かなしるしだ。
エフィムの羊の毛皮外套を着た息子は暖かいだろう。ウサギの長外套だったら、凍えきってしまうところだった、とダーリヤは思った。

ノバラやサンザシのとげとげした藪を通り抜けて行く途中で、何羽かのキジを脅かして飛び立たせた。ステパは父親の猟銃を何発か撃ち、虹色の光沢の羽を持つ堂々とした雄のキジを二羽射止めた。
《本当に、息子はもうすっかり大人なんだわ》。息子の戦利品を喜びながら、ダーリヤはこう思った。

リャーピン鉱山は、二つのはげ山の間の、歯をむき出した獣を思い起こさせるようなぎざぎざに樹冠が並んだ、暗く鬱蒼と木々が生い茂った一角の端っこにへばりついていた。雨と太陽のせいですっかり黒ずんだ、低いあばら屋の側には、石炭を積んだトロッコが既に待機していた。ところが、その近くで労働者たちが群れており、つるはしを振り回しながら、何か叫んでいた。なめし革の半外套、シカ皮の帽子、防寒長靴という行軍風の服装をしたリャーピンが、手摺りに両手をもたせて、自分の事務所の高いポーチに立っていた。

事務所の方に近づいたダーリヤとステパは、労働者たちが自分たちの要求を訴えているのが分かった。
「それじゃ駄目だ、ご主人!」。手織りの粗ラシャ製の上張りを着たのっぽが、誰よりも大きく、バスの声を張り上げた。「夏場も冬場も同じじゃないか。冬場の石炭堀りは、夏場よりもきついんだ。だから多く払うべきなんだ」。
「出来ない!」。短い足で板張りを踏み鳴らしながら、リャーピンは叫んだ。「出来ない原因は一つだ。ここの石炭は灰分が高いので、外国人たちはそっぽを向いて、買うのを断っている。わしとお前さん方は、一緒に落ちぶれるのさ」。

「もし灰なんだったら、鉱山は閉山にすればいいさ。俺たちは騙されないぞ」。のっぽは言い切った。彼のこれらのことばを聞いて、ダーリヤは不安になった。《鉱山が本当に閉山になったら、私らはどうなるかしら》。彼女はそう思い、ちびのリャーピンがせかせかと動いているポーチの方を不安な気持ちで見ながら、急いでラーストチカを橇から外した。もしかしたら、たびたび起こるように、怒った労働者たちが石炭を積み込んだトロッコをひっくり返し、彼女とステパは肩透かしを食って家に帰らなければならないかもしれない。ダーリヤはラーストチカを、端の方にあるトロッコの一つに連れて行くと、何カ所かの鉄の穴に鎖を通してボルトでしっかりと固定した。そして橇はトロッコの後ろに繋げた。ステパの馬のルレートにも、彼女は同じことをした。

群れはまだ騒いでいた。労働者たちが何について騒いでいるのか、それ以上は聞かずに、ダーリヤは手綱を引いてラーストチカを駆り立てた。ラーストチカは従順に枕木の間に足を入れ替えながら、自分の後ろに石炭を積んだトロッコと誰も乗っていない橇を引きずって、軌道を歩き出した。すく後から、ルレートがトロッコと橇を引きずって続いた。トロッコは激しい振動で跳ね上がったり、揺れてぐらぐらした。このようにして1露里[約1.067㎞]ばかり過ぎた。丘陵地が始まり、斜面に狭軌道が敷かれたところで、ダーリヤは馬を停めた。

「疲れただろう、お前」。ブレーキになっているヤチダモの締め具を調節しながら、寒さで赤い顔をしたダーリヤが声をかけた。
「どうってことないよ。行こう、母さん。慣れなくちゃ」。羊皮外套のボタンを外しながら、息子は答えた。
「もっと、もっと疲れるんだよ、お前、道は長いんだから。休憩して、ちょっと腹に入れよう」。
ダーリヤは橇から干し草を一抱え取ると、ラーストチカとルレートの足許に置いた。そうしてから、エフィムの使い古しの背嚢をほどいて、卵、獣の脂身、ジャガイモのピロシキを出して麻布の上に並べた。
「食べなさい、口を動かす元気があるうちに。休まないと、埠頭までは、そりゃあ遠いんだから」。
「母さん、マーマントフカの草刈り場で父さんがやったみたいに、脂身をあぶってから食べない?」。
「ああ、いいね。あぶって食べよう」。

雪の上にたき火が燃え上がり、火の周りでは、ヘビみたいにシューシューと言って雪が融けた。
ダーリヤは凍った脂身をナイフで薄く切って、それぞれを、良くしなるヤナギの細枝に刺し、たき火のそばに持って行った。火に脂がしたたり始め、たき火は思わずシューシューと声を上げた。
「お前、ジャガイモのピロシキもおいしいよ」。
ステパは、汁を飛び散らせじゅうじゅう音をさせている脂身の下に冷たいピロシキを当てて、口に運んだ。
「うまいよ、母さん」。
「ここで私らは脂身にかぶりついているけど、父さんは塹壕の中でシラミに食われているんだよ」。ダーリヤは十字を切り、こみ上げてくる涙を拭った。
「泣かないで、母さん。アキーム爺ちゃんが言ってたけど、父さんがゲオルギー勲章を貰ったからには、わが軍が必ずドイツ人を一か所に封じ込めて、そこを追撃して、父さんはそこから戻って来るって」。
ダーリヤは笑い出した。
「ああ、お前のことばが神様のところまで届くといいね。さあ、腹ごしらえは出来たし、少しは暖まった。さて、出発しよう」。

そして再び、馬たちは鼻嵐を吹き始め、レールが軋み悲鳴に似た声を上げ、トロッコが揺れ始めた。両側には、小さな林、草地、湖、表面が光る氷で被われた雪だまりなどが続いていた。小さな林の中は静かだったけれど、草地に出るや否や、ダーリヤとステパはいつも寒さに凍えそうになった。小さな林の出口近くの、狭軌道から100サージェン[約213.4メートル]のところに、背の高い雑草の中から空き地にアカギツネが飛び出して来て、カチンカチンに凍った雪を脚で掘りながら、その場でぐるぐる回り出した。
「母さんの襟巻になるよ」。橇から猟銃を取り出しながら、ステパはミトンの手袋でキツネを指した。しかしキツネには、橇の後ろから来る毛皮外套の男が何を考えているかを察知するのに、彼のこの一つの動きだけで十分だったのだろう。身体全体を平らにして地面にくっつけながら、一瞬のうちに雑草を横切り、林の中に身を隠した。
「お前、あれはひどくずる賢いんだよ」。ダーリヤは、逃げて行くキツネの後ろから手を一振りした。

平地が狭まって、ハシバミが生い茂っている山の山麓に狭軌道がぴったりと張り付いている場所で、突然4頭のヤギの白い三角巾のような頭が見え隠れした。先頭を走っていたヤギが雪だまりにはまり込み、どうにも動けなくなった。そこをステパンの銃声が襲った。
「ほら、肉を手に入れた。お前は運が付いている子だねえ」。ダーリヤは、ヤギを橇に積むのを手伝った。「さあ、急ごう。お天道様が、もう頭の上だ。埠頭はまだ見えてこないというのに、何だか暗くなってきたよ」。

実際その時、むくむくと広がった黒雲がヴィクトリア湾の方から押し寄せて来た。空には灰色の雲を通して、太陽の光がぼんやりと漏れていた。ダーリヤには、これは良くない印だと思えた。
・・・オオカミを最初に見たのは、ダーリヤだった。疾駆する灰色の点々が、小さな林の方から、凍って輝く雪の表面を軽々と滑るように進んでくる。
「6頭、いいえ、脇の方に7頭目がいる、ひどく大きな奴が。多分、あれがリーダーだね。私とアリョーナは、ついこないだ、マーモントフカの近くでシカを追い立てているあいつらを見たんだよ。集まって群れたよ、あ、今度はきょろきょろ見回している。あいつらは、多分、こっちに曲がって来るよ」。ぎょっとして、ダーリヤがささやいた。
「母さん、早く馬を走らせよう!」。
「出来ないよ、お前、出来ないよ、トロッコがひっくり返っちまうじゃないか」。
ステパは、母親の顔が真っ青になり、大きな青い目だけが異常に光っているのを見た。
(つづく)

  1. 2022/11/28(月) 00:04:36|
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2022/11/16 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉓

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉓
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


                       9

チェレムシャヌイ村は不安で、憂鬱で、悲しく、苦しかった。女たち、特に兵士の妻たちにとっては辛かった。虐げられ、従順な奴隷のような扱いを受けながら、女たちは、戦争に行った者たちに代わり、様々な困難に立ち向かって行った。自分の物憂い気分は、毎日の労働と日常的心配事のなかで吹き散らしてしまおうと決めていた。恐らくダーリヤ・ダルニッツァは、昼に夜に誰よりもあくせく働いたに違いない。何しろ、家には8人の子供がいて、そのそれぞれに食べさせ、履かせ、着せなければならなかった。

アキーム・ダルニッツァとアルヒープ・マコーヴィンが匪賊たちから取り返したお金を兵士の妻たちに分けたにしても、彼女には取られた金額の四分の一も戻らなかった。エフィムの貯金箱である革の袋には、万一に備えて、少なくとも2千ルーブル以上が蓄えられてあったのだ。今や何とかやりくりを付けるために、ダーリヤ・ダルニッツァはアリョーナ・プロスタキーシャと組んで、リャーピン街道を埠頭迄石炭を運ぶ雇い仕事に出ていた。

早朝にはもう彼女たちは、ラズビータヤ・チャーシャ[壊れ茶碗山]の方向に平地を横切って橇を飛ばし、リャーピン鉱山へと向かう。そこでは、石炭を積み込んだトロッコが彼女らを待っていた。そのトロッコを馬の牽引用鎖に繋いでから、日雇い労働者たちは10露里[約10.67キロメートル]の道のりを、過度の苦しさから口を泡だらけにした馬に付いて枕木に沿ってのろのろと進むのだ。汽船が煙突をくゆらせている埠頭まで。

家に帰り着くのはいつも暗くなってからで、子供たちが寝てしまった後だった。ダーリヤは、いの一番に、藁を詰め込んだ板寝床にかわいい子供たちが雑魚寝している寝室に向かう。小さなランプの弱い光の下で、彼らの裸の足を数えて確かめる。《あかぎれがある、これはリュープカの足。親指の爪が齧られたようになっているこれは、マルーシカの足。クマの子みたいに広くてひび割れているのはステープカの足ね》。

子供たちを数え終わると、ダーリヤはありあわせのもので夕食を取ってから紡ぎ車の前に座り、深夜まで糸を紡ぐか麻布を織った。そうでなければ、小桶にチョウセンゴヨウの実を入れて、臼を使ってそれを挽き、脂を絞る。

たくさんの仕事をやり終えた後、ダーリヤは大梁の下の聖なる一角にある、大天使聖ミハイルの聖像が置いてある祭壇から、エフィムの黄色く変色した何通かの手紙を取り出す。そして手製のテーブルクロスが掛かった丸テーブルに座り、それを何度も読み返し始めるのだった。実を言えば、彼女は字を読むことが出来ない。ただもう大分以前から暗記して、良く知っている文句を声に出しているだけなのだ。手紙はどれも簡潔なものだった。

最初の手紙でエフィムは、国境線で戦っていると書いて来た。自分たちがドイツ軍を押し返したり、その逆だったりと。食べ物がまずいことと、将校の粗暴と横暴への不満を訴えていた。何よりも恐ろしいことは、どんなちっぽけな過失に対しても野戦裁判か、あるいは死刑が待っていることだと。

エフィムは書いた。《俺はこらえている。きみは8人の子供たちと、どのように戦っているのだろう、愛する、いとしいお前。飛べるものなら、必ずやチェレムシャヌイに飛んで行くだろうに。たとえそれがほんの一時であろうとも。お前たちを一目見るために、仕事を助けるために。願わくはドイツに勝てるように、そうすれば再会出来るだろう》。

次の手紙でエフィムが知らせて寄越したのは、ペレムィシュリ[第一次世界大戦では、ロシアにとっての最大の会戦、ペレムィシュリ攻囲1914-1915があった。現在はウクライナとの国境にあるポーランドのあまり目立たない流通、居住地点]近郊での白兵戦で、流れ弾によって彼の臀部が少しかすり傷を負った。そのため彼は激怒して、フォークにニシンを刺すように、ドイツ人たちを銃剣に串刺しにしたというものだった。ハエも怒らせないような、彼女のエフィムがドイツ人たちにこんな制裁を加えることが出来たということに、ダーリヤは首を傾げた。

さらにエフィムの手紙には、司令官のコルニーロフが退却命令を遂行せず、包囲され、師団全体と共に捕虜になったと書かれてあった。そして彼は護送兵を倒して、捕虜の身から逃げ、前線を越えて皇帝陛下の最高司令部に出頭したこと、皇帝が彼に聖ゲオルギー3級勲章を授与し、今エフィムが所属している第25歩兵軍団の司令官に任命したことが書かれてあった。そして文末には、最近の戦いにおける勇敢な行動に対し、彼女の夫に聖ゲオルギー1級軍事勲章が授与されたという朗報と、だから、父さん、これからはあなた一人が十字勲章受章者ではないですよ、ということばが付け加えられてあった。

エフィムの手紙を読み直してから、ダーリヤはイコン、守護天使の聖像を哀願するように見つめ、愛する夫のために長いこと祈り、そして神に、敵の弾丸から夫を守ってくれるよう頼むのだった。

彼女は石積みの暖炉の側の長椅子の上で、身体の近くにエフィムの半外套をしのばせて、寝に着いた。

ある日、ダーリヤは埠頭から夜遅くなってから帰った。リャーピンが日雇い女たちを引き留め、ブラコーフ家のシカ飼育場のための金網を荷船から降ろすよう命じたためだった。彼女は慣れた手つきで、汗だくの馬のラーストチカ[ツバメの意味]を馬具から外すと、厩に引いて行った。畜舎はきちんと片付いていた。表の柵の中は、清潔に掃除されていたし、それぞれの飼い葉桶には干し草が分配されていた。みんな彼女の愛する子供たちが頑張ってやったことだった。

家の中では、いつもの子供たちの寝息の代わりに、何かに興奮した子供たちの騒々しい声がダーリヤを立ち止まらせた。
(つづく)

  1. 2022/11/16(水) 20:28:07|
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2022/11/10 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉒

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉒
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


その翌日、取り決めておいた通りに、東の空が白み始めた頃、ブラコーフ家の人々と巡査はマーマントフカへと出発した。先頭の橇には、手に雷管発火式の銃を持ったルーカ・ルキーチとミロンが乗った。その後ろには一列縦隊になって、手に手に銃を持った息子たちが馬を飛ばした。馬たちは新雪のすがすがしい匂いを嗅いで、元気に、陽気に走った。人っ子一人いない畑、草地、伐採地が次々と現れては消えて行く。金持ちになったミロン・ブラコーフは、けちで打算的な主人になり、自分の仕事を、頭を使って行っていた。貧困に陥った戦争未亡人たちから分配地を買い上げ、自分の農地を増やしていった。そして今は、この機会を利用して、マーモントフ源流氾濫原づたいのシラカバ林伐採の同意を取り付けるため、巡査を説得しようとしていた。

雪の下から一面に切り株ばかりが突出て、いくつもの穴の中で土や芝を被せられた木炭が燻されている道端で、ミロンは馬を止めた。
「木炭やタールに対する需要は、今日では非常に大きいものがありましてな」。頭の上のトナカイの子の毛皮で出来た帽子を直しながら、巡査の方を振り向き、ミロンは口を開いた。
巡査は無関心な様子で伐採地を見た。
「そうかね。それが何か」。
「農場の周りに生えていたシラカバ林は、大分以前に伐採してしまいました。ルーカ・ルキーチ様、もしお許しいただければ、この場所を伐採したいのですが」。
「必要なら切ればよかろう」。巡査は手を振った。「巡回人には、わしが知らせておく」。
「あなた様とお子様方のご健康とご多幸をお祈りいたします」。

ミロンは鞭をひゅうと鳴らすと、馬たちを源流の岸辺に沿って追い立てた。その岸辺には、低く細長い小屋が張り付いていて、煙突からは早い時間にもかかわらず、ハト色の煙が立ち上っていた。
「お前たちは少し身体をほぐしてこい。わしとルーカ・ルキーチ様は、下男たちを訪ねて少し話をしなけりゃならん」。先に巡査を橇から降ろしてから、自分も降りながら、ミロンは息子たちにこう言うと、小屋の扉を開けた。

何度も継ぎを当てた麻布のシャツを着て、長年の煤で黒い顔をしたタール乾留工たちが、板寝床に座って裸足の足を垂らし、水っぽいスープにありついていた。
「やあ、お前さん方」。ミロンは両足を大きく広げて、小屋の真ん中に立った。「班長のクルィーコフは何処だね」。
「わしは、ここでがす」。雄牛の内臓で出来た光をあまり通さぬ小窓の側で、乱れた白髪頭の男が応えた。彼は暖炉の後ろを手探りすると、丸く滑らかな石を取り出し、主人と巡査を胡散臭そうにじろりと見ると、思わせぶりに斧を研ぎ始めた。

「馬車一台分に、あと1ルーブルずつ上乗せしておくんなせいよ、モイセーエヴィチ。どうでがす? 寒さがきつくて我慢がならねえ、もう苦しいのなんのって。それが出来ないとすりゃ」。クルィーコフは硬くなった指で刃をなでると、暖炉近くに置いてあった短い丸太に斧を力任せに突き刺した。
主人と巡査は驚いて、老人から跳び退(しさ)った。
「それが出来ないとすりゃ、人っ子一人残らずリャーピンの鉱山に行く迄よ」。班長はこう言って話を切り上げると、食べかけのスープをすすり始めた。

「上乗せしてくだされ、上乗せしてくだされ、モイセーエヴィチ」。木こりたちは、ミロンと巡査の周りを取り囲むと、生活の不満を訴え始めた。
「分かった。馬車二台分で1ルーブル上乗せしよう、それ以上は駄目だ。分かったか、クルィーコフ」。
「まあ、よかろう」。スープをすすり続けながら、班長は応じた。「ただ、森がありませんや。何処で伐(き)るんです?」。
「源流沿いのシラカバ林を伐れ」。
「これはまた、いつからシラカバ林があなた様のものになったんで?」。老人が、匙をガチャンといわせた。
「森は神のものだ。誰のものでもない」。巡査が説明した。「役立つと思う者が使えば良いのだ!」。
「そうですかい」。爺さんは手を振った。「源流沿いと言うなら源流沿いでいいさ」。

あばら屋にイワンが息を切らして駆け込んで来た。
「出発だ、父さん、猟が犠牲になるよ」。
「猟に行きなさるんですかい」。班長がふむ、と鼻を鳴らして言った。「ついこないだ、俺たちみんなでストゴヴァヤ山で枯れたエゾマツを何本か薪に挽いたんだがね。それでだ、次の日もそこに行ったら、真昼間に母ジカ、子ジカ、それに雪みてえに白い雄ジカがそこを歩き回ってんのよ。つい1メートル先に角があるんだ。信じられるかい。銃が無くてもったいない話だったよ」。
「白いだと」。ミロンは目を丸くした。「嘘じゃないな、クルィーコフ」。
「誓ってもいいだよ」。爺さんは十字を切った。
「ストゴヴァヤ山へ行こう」。ミロンと巡査は、あばら屋から走り出た。

エゾマツ林の深緑色の首飾りをまとった山迄行き着かぬうちに、彼らは馬から降りた。馬を繋いでから源流の氾濫原に降り、列になって氷に沿って歩いて行った。森林伐採地迄あと百歩程のところで、灌木林の霜に覆われた木々の間からイジューブルの一群を彼らは認めた。角の無い母ジカや子ジカに混じって、手のひらのように広く枝分かれした角を持った、白くてすらりとした雄ジカがいた。驚いている猟師たちの目の前で、イジューブルたちは枯れたエゾマツから漁網のようになって垂れ下がっている地衣類に舌鼓を打っていた。

「俺が白ジカを撃つ」。イェゴールがベルダン銃を肩に当てた。
「撃つな」。ミロンが毛皮外套を振り回した。「母ジカと子ジカを撃て。種付けの白ジカは、雪解け始めのつるつるに凍ったクラスト[雪殻]の上で生け捕りにしよう」。
すぐさま四頭のイジューブルが仕留められ、猟師たちが橇に積み込んだ。それから杯に一杯ずつ麦ウォッカを飲み干し、鍋で煮た新鮮なレバーをつまんでから農場への帰途に就いた。

帰り道ではずっと、真っ白いイジューブルがミロンの頭から離れなかった。
「ルーカ・ルキーチ様、あなたの目分量では、あの白ジカからどれくらいの袋角が取れると思われますかね」。
「神のみぞ知るだな」。巡査はあくびをした。
「全部で6キロにはなるでしょうな。中国人の店では、あれ位の袋角一組で1500ルーブルは出すんですよ」。そしてミロンは、自分とこのシカ飼育場で大きな角を持ったオスが絶えてしまったことを嘆き出した。しかし、こういったオスから切り取る袋角だって3キロはいかない。せいぜい400か500ルーブルだ。これはもちろん、少ないものだ。今や全ての希望は、あの白い大物だ。雪解け始めのつるつるに凍ったクラスト[雪殻]の上であの雄ジカを生け捕りにし、雌ジカを孕ませるためには、何でもやらなければならない。そうすれば飼育場の経営も、さらに改善出来るのだ。

「雪解けはまだ先のことだよ、モイセーエヴィチ。それにあのシロだって他の谷に移動するかもしれないさ。その時は野っぱらで風でも追うんだな」。巡査は、疑わし気に言った。
「わしらは、あいつを餌付けするのさ。ストゴヴァヤ山にある地衣類が下がっている太いエゾマツを数十本も切り倒してしまえば、生き延びるために嫌でも食いついてくるさ」。

農場に着くと、巡査は寒さを忘れるために蒸し風呂に入り、豊猟を祝ってたんと飲むと、馬丁のロマイ・ナガーに送らせてそそくさとチェレムシャヌイに帰って行った。もちろん、金貨の詰まった瓶と、シカ丸々一頭を忘れることなく携えて。

白ジカのために飼い葉桶を設置するというアイディアに、ミロン・ブラコーフは、すっかり夢中になった。巡査が帰ると、彼はさっそく自分の決心を息子たちに明らかにし、彼らの支持を取り付けると、ストゴヴァヤ山に出かけて行った。その麓の氾濫原で四方に枝分れしたエゾマツの木々を見つけた。彼の後に付いて来た、のこぎりを持った息子たちが巨木を挽き倒した。緑の紡ぎ糸のように地衣類が一面に絡み付いたエゾマツ林が倒されたのを見ながら、ミロンは来るべき成功の予感で喜びが沸き上がって来るのだった。
(つづく)

  1. 2022/11/10(木) 21:23:27|
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2022/11/03 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉑

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉑
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


                     8


アルヒープ・マコーヴィンの手から、無事で何の傷も無い馬たちを受け取ってから、商人は怒りをこらえて自ら手綱を取ると、グドークと灰黄の雌馬をその場からフォームキン草地の方へと駆り立てた。さらには、暗い山々が押し迫る、陰気で狭い窪地を通ってクチェリーナヤ谷の方角、農場を目指した。暖かい、冬中凍結しない源流を渡っている時、商人は突然、汗だくの馬たちを止めた。陰険な笑いが浮かんだ彼の冷たい視線が、イグナートの使い古して破け、多くの穴から藁がはみ出た平靴にちらっと注がれた。

「イグナート、口笛を吹け。二日酔いのグドークに水を飲ませたいんだ」。
イグナートは従順に唇を丸く突き出し、口笛を吹き始めた。
馬たちは耳を前後に動かすと、頭を下げ、冷たい水を唇で漉すようにしてうまそうに飲み始めた。
「十分に飲んだかね。それじゃ、イグナート、橇から水の中に降りろ」。首も回さずに商人は命令した。
「何ですって」。
「全く簡単なことだ。お前は橇から降りろ、と言っているんだよ」。
「何のためにです、ミローヌィチ、お前さまには人の心というものがねえのですかい」。イグナートは、頭からフェルトの穴の開いた帽子を取ると、十字を切り始めた。
「何のためだか自分で分かるだろう。従順でないことに対する罰だな。橇から降りて、自分の二本の足で農場まで走って行くがいい」。
「一体そんなことが出来ますかい。憐れみをかけてくだされ、ミローヌィチ」。イグナートは自分の主人の方に顔を向けながら、立ち上がらずに、橇の中でぐずぐずした。
「何だ、このシラミたかり!」。こう言うと商人は、イグナートの顔面を足で蹴飛ばした。イグナートは、橇からどぶんと水に落ちた。

「死にはすまいて。原住民なんだから」。馬たちは、橇を岸へと引きずって行き、そして森に沿った道を遠くに明滅する明かりを目指して駆け出した。

商人の気分は、芳しいものでは無かった。1露里[1.067㎞]程進んだ頃、彼はいつものくせでチョッキのポケットに手を突っ込むと、失ったものに気が付き、あっと叫んだ。
「すっかり盗まれた、確かだ、盗まれたんだ」。イグナートの毛皮外套の上でめそめそぐちぐちと愚痴り出した。嫌疑はすぐに下男にかけられた。あいつは水よりもおとなしく、草よりも身を低くしていたのに、財布を手にしたとたんに胸を張り、自尊心など見せ始め、従順でなくなったんだ。

「あいつだ」。商人は、橇の向きを変え、源流めがけて走り出した。まだ遠くのうちから、こっちに向かって走って来るイグナートを認めた。
「すぐにぐずぐずしないで答えろ」。彼に近づきながら商人は質問し、橇に乗るよう命じた。
「もういやだ、寒くて寒くて」。橇の藁に腰を降ろしながら、下男は言った。
「それ見たことか、聞き分けがない奴、ほら、足布にするよう裂いて履き替えろ」。商人は両足から亜麻布を取ると、イグナートに差し出した。平靴の中で水がべちゃべちゃと音を立て、蝋引き糸がきゅっきゅっと鳴った。
イグナートは履き替えてから、急にはっとした。
「ミローヌィチ、ご親切ありがとうございます」。
「これで済んだと思うなよ。農場に着いたらちょっと話がある」。そう言うと、馬にぴしゃりと鞭を当てた。

農場の入り口で、真ん中の兄弟イワンが手にベルダン銃を持って、商人を迎えた。
「どうしてこんなに遅くなったんだい。親父と巡査が待っていたが、待ちきれずに迎えをやったんだよ。さあ、急げ」。彼は肩越しにこう言うと、馬に拍車を入れ、農場の中心部の方へ駆けて行った。
《農民長であるルーカ・ルキーチ・コロドーシェンキン自らがお出ましとは、何か普通でないことがあるに違いない》。ロマイ・ナガー[足を折れという意味]というあだ名がある、片足が不自由な馬丁のサボンが彼らを迎えに出た屋敷に近づきながら、商人の頭をこのような考えがよぎった。馬丁は一言もしゃべらずに馬の轡を取り、厩に引いて行った。

商人は鞭をひゅうと鳴らすと、イグナートに付いてくるよう命じた。
「ミローヌィチ、こんななりをした手前が、このような立派なお宅に伺えますものやら」。下男は、棒のようになって身体に引っかかっているこちこちに凍った衣類を示した。
「歩け!」。商人は怒鳴りつけ、足でドアを蹴飛ばした。その向こう側から、巡査の憂鬱そうなバリトンが聞こえた。
「彼は不運だ。彼は、ふ・う・ん・なんだよ」。
《酒を飲んで遊んでいるのか? ああ、今日はクリスマス週間の最初の日、復活祭だ》。自分の前をイグナートに行かせながら、商人はこう思った。

「やっと帰ったか。こんなに遅くまでどこに消えていたんだ」。貴賓を迎えて、自分のお気に入りの紺色の羊毛の背広を着たミロン・ブラコーフは、大きなテーブルから飛び出すと、息子の肩を掴んで強く振った。
「耳の遠い人の結婚式で、飲んでいたんだ」。ニコライはうつむいて、ぼそぼそと言った。
「何だって。アルセンチーが結婚したのか。誰と?」。
「立ち寄ったロマの女と。そして匪賊らが結婚式を混乱させたんだ。ラーズム、マコーヴィンとアルセンチーがそいつらを追っ払ったんだよ」。
「お前はしけた顔をしているように、わしには見えるがね。まるで自分の父親を亡くしたようじゃないか」。
「ことばにならんよ。売り上げの入った財布を失くしたんだ」。
「いくら入っていたんだ」。
「千ルーブル近くさ」。
「いやはや。何の咎で神はわしらをこんなに厳しく罰するのか」。
「俺には、こいつの仕業だと思えるんだ」。半外套を脱ぎながら、ニコライは真っ赤になって怒鳴り出した。「ひざまずけ、シラミたかりのこん畜生め」。
イグナートが床にごつんと音を立てて両ひざをつくと、凍り付いた衣類がぽきぽきと割れ始めた。
「神様が見ていなさるだ。絶対に俺はあなた様の銭など取っていない、取っていないだよ」。下男は大梁の下にイコン[聖像画]が吊るされた一角を見ながら、3回十字を切った。
「ごまかすな」。巡査はニンジン色の八の字髭をぴんと立てながら、こぶしでテーブルをどしんと叩いた。「金をどこに隠したのか言え。さもないと痛い目にあわせるぞ」。
「取ってないだよ、知らねえだよ」。イグナートは十字を切った。

「よろしい」。ミロンはイグナートに近づくと、彼に手を貸して立たせた。「それじゃ、息子の財布を巻き上げたのは誰だと、お前は思うね」。
ミロンは木のジョッキに自家製ウオッカを注ぎ、皿に煮たクマ肉の厚切りを載せると、下男に差し出した。
「ほら、空けろ。そしてから順を追って残らず話すんだ」。
イグナートは酒を飲み干し、肉をむさぼるように食べた。
「ありがとうごぜえます、モイセーエヴィチ[父称。モイセーエフの息子という意味だが、ここでは敬称として使われている。本来ならミロン・モイセーエヴィチという名前・父称で呼び掛けると尊敬形になる]」。
「それじゃ、強情を張らんで、イグナート、話せ」。
「俺が思うに、金の入った財布は、アルヒープ・マコーヴィンがミローヌィチを踊り負かそうとした、あの時に掠め取ったんじゃないかと。それともロマの女かも。あいつらは手癖が悪いから」。

「捕まってない者は、泥棒じゃない。そうだろ」。テーブルに近づきながら、イワンが言った。
ミロンは彼を睨みつけた。
「目上の者たちが話している時に、くちばしを入れるな。イグナート、もういい、行け。自分の家を暖めて、服を乾かし、応集する準備をしろ。もうすぐ兵隊に採られるんだぞ」。
「何ですって」。イグナートは巡査の足許にひれ伏した。「どうか、お赦しくだされ」。
「去れ!」。巡査はそうがなり立てると、イグナートを足でこづき、彼の後ろでドアを閉めた。

ミロンは家族テーブルの側に長椅子を動かし、息子たちに自分の近くに座れと命じた。マーリヤは、腹を空かせたニコライの前に湯気を立てたスープのつぼを置いた。
「さて、わしらの大事なお客であるルーカ・ルキーチ様が、いい知らせを持って来てくれた。ラーズムの嘆願書を検討した知事閣下がルーカ・ルキーチ様に書類を送り、その中で、うちの農場から5人を兵役に徴集することを命じておられる。これは知事閣下が、お前たち全員のことを頭に置いているということだ」。
「何だって。それじゃうちの仕事はどうなるんだい。破産じゃないか」。ニコライは、デカンターから麦のウオッカをコップに注ぎ、それを空けると、もう一度デカンターに手を伸ばした。しかし、父親の声が彼をとどめた。
「それ以上は注ぐな。この大変な時にお前ときたら、どうしようもない馬鹿みたいに巻き上げられて・・・ここで破産せずに稼業をきちんと続けるために、わしとルーカ・ルキーチ様が脳味噌をしぼってあれこれ考えて、こういうことに話が決まった。知事の命令書では、招集兵を指名している訳ではないから、お前たち息子の代わりに、下男のイグナート・ポノマレンコ、イワン・マクーハ、セミョン・チューラエフ、アンドレイ・ズリーリン、パーホム・ナセートキンを応集させる。一人一人にお前たちは馬具と馬を与えなければならない」。
「二人だったら何とかね。ただ塹壕の中でシラミが湧くことが無いのだったら」。イエゴールが長椅子の上でぼそぼそ言った。
「また余計なことを言うな。ルーカ・ルキーチ様には、お前たち息子へお情けをかけてくださったのだから、この贈り物を贈呈しよう」。ミロンは身を屈めると、帝政鋳造金貨が口まで詰まった緑色の大型ガラス瓶を、テーブルの下から取り出した。

「ご丁寧に、ミロン・モイセーエヴィチ、厚く感謝致します」。巡査のニンジン色のネコのような口髭が、金貨を見て、より一層ぴーんと立った。「厚く感謝致します」。
吹き出物だらけの赤い首の汗を、手ぬぐいで拭いながら、巡査は接吻をし合うためにミロンの方に身体を近づけた。
「明日は朝早くから、一緒にマーモントフカへ狩りに出掛けましょうぞ。ルーカ・ルキーチ様のためにイジューブル[大鹿]を仕留めなければ」。巡査に接吻しながら、ミロンが言った。「今日はこれでお帰りになられますよう。ルーカ・ルキーチ様も休息をお取りになりませんと」。
(つづく)

  1. 2022/11/03(木) 23:02:08|
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2022/10/26 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑳

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑳
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


「満人だ!」。アキームは、壁から散弾銃と弾薬帯をもぎ取ると、猟師のアルヒープ・マコーヴィンに差し出した。「取れ、お前は腕利きだ。潜水夫の橇に早く乗れ」。
アルセンチーは、素早く身支度をすると、物置から2丁のベルダン銃と薬莢のまるまる入った弾薬盒を持ち出した。
「おお。こんな武器があれば、匪賊どもをさっさと追い払おうぞ」。男たちは、橇に駆け寄った。

「馬たちを死なせる訳にはいかない。馬は貸さない」。半外套の全てのボタンを掛けながら商人は叫び、アキームを橇から突きのけた。
「何言ってんだ。畜生め。あっちではわしらの家族が強奪されているんだぞ。お前は突っ立って見物か」。アルヒープ・マコーヴィンは銃の遊底をかちっと鳴らした。「役立たずの犬みてえにこの場でぶっ殺すぞ」。
商人は後じさりを始め、下男に向かって叫んだ」。
「お前、何突っ立っているんだ、まぬけ、こいつらをやっつけろ」。
「とんでもないがですよ、ミローヌィチ[ミロンの息子さんという意味の敬称〕」。イグナートは飛び退いた。
「いつまで無駄口をたたいているんだ。銃声が聞こえんのか」。アキームは手綱を掴むと、グドークをチェレムシャヌイの中心部に向かって追い立てた。

ミトラコフ蒸し風呂の側で、彼はアルヒープの願いを聞いて、汗だくの馬たちを止めた。
「取れ、ラーズム」。アルヒープは藁の下から商人のベルダン銃と弾薬盒を引き出した。「あいつ、完全武装してたんだ。がめつい野郎。きたないやつ」。
「ところで、お前さん方、真っ直ぐ村の匪賊どものところへ乗り付けては、自分たちも馬も全滅だぞ。搔き集めた財産を匪賊から奪い返し、持ち主に返さねばならん。匪賊らにとってチェレムシャヌイからの道は一つだ。分水流を渡ってフォームキン草地へ行く道だ。道は、あそこの草地で二股に分かれている。分水流の近くで彼らを待ち伏せしよう」。
アキームは手綱を締めてグドークを押さえ、馬たちを裏道にやり、野菜畑を超えて分水流の方へ向かわせた。霜の覆われたヤナギの茂みで彼らは馬を繋ぎ、自分たちは切り立った崖の背後に陣取った。


遠く白い雪の中に乗馬者たちの黒ずんだ人影が見えて来た。橇の軋る音、馬たちの足音や鼻息も聞こえて来た。前面に出て疾走して来たのは、搔き集めた財産を積んだ橇の一隊で、その背後両脇を警護隊が固めて走って来た。
ちょうどこのようにして、かれこれ40年ばかり前、プレーヴナ攻防戦[ブルガリアの町。1877~1878年のロシア-トルコ戦争時の激戦地]において、アキームは自分で掘った塹壕の中に身を置いてトルコ軍の擲弾兵を迎え撃ったのだった。その時はうまいことやっつけた。アキームはアルヒープとアルセンチーが、期待を裏切らないだろうということを知っていた。しかし、自分のことは当てにしていなかった。齢も齢だし、目も衰えて来た。おまけに酔いも抜けきっていなかった。しかし、彼も念のため自分の前の雪の吹き溜まりに、瘤の付いた棒を突き刺し、そこにベルダン銃を備えると、標的に照準を合わせ始めた。匪賊たちの馬が分水流に掛かり始めたちょうどその時、一斉に銃声が鳴り響いた。

御者たちは即死だった。次の3発で警護隊員たちが射殺され、さらにもう3発で射手たちが死んだ。残りの匪賊たちは馬に拍車をかけて、叫び声を上げながら道のないところをフォームキン草地に方へ駆け出した。

その夜、匪賊たちから取り返した財産は、チェレムシャヌイの村人たちのところへ戻った。しかし、アキーム・ダルニッツァの家で持たれた村の寄り合いで明らかになったことには、ダーリヤ・ダルニッツァを含めた多くの村人たちから匪賊たちが奪った金銭は、一味が持ち去ったままになった。今までにも、稼ぎ手を失ったり、山火事、水害、息子たちの徴兵などどん底の不幸を味わっては来たが、チェレムシャヌイの村人たちが、この夜ほど胸が張り裂けんばかりの号泣と苦い涙を流したことは無かった。
「一体私はこれからどうしたらいいんだろう、ねえ、みなさん、うちは一文無しになってしまったのよ。首吊りでもする以外無いよ」。ダーリヤが泣きながらぶちまけると、他の兵士の妻たちもさめざめと泣いた。
男たちは白髪頭をうなだれて、苦い物思いにふけりながら、黙って長椅子に座っていた。

「十分に泣いたかね」。アキームは長椅子から立ち上がった。
女たちは涙を拭いながら近衛兵の方に目を向け、彼が何を言うのか、どう言って慰めるのかを待った。
「女たちよ、涙は苦境から救い出してはくれない。あてにもならぬ誰かの助けを待っていないで、明日は仕事にかかるんだ。馬を持っている者は、リャーピンのところへ雇われて、石炭を鉱山から埠頭まで運ぶ仕事をすれば良い。日給で1ルーブルずつ払って貰える。馬を持っていない者たちは、ルビースのところへ日雇いに出て、製粉所で粉を挽けば良い。誰もが小麦粉を手に入れることが出来る」。

近衛兵の家に、アルセンチーとザーラが橇に乗ってやって来た。彼は5プード[約81.9キログラム]の小麦粉が入った袋をクマのように脇の下に抱え、ザーラの後について家に入った。アルセンチーは、何か微笑みながら、アレーナ・プロスタキーシャや店で見かけた他の兵士の妻たちを目で捜すと、彼女らを袋の方へ手で呼んだ。
「お取りください、お取りください。アルセンチーがただで差し上げます」。ザーラが丁重に言った。

アキームは、1プード[16.38㎏]の小麦粉がちょうど入る、シラカバ樹皮製の容器をアレーナに手渡した。
「決まった量を分ければいいさ」。
「血族って私には不思議に感じる。同じ血が流れていても違っている人もいるんだ。ミロンや彼の息子たちは、私らと同じ人間とは思えない。オオカミのように私らを見る。息子のイワンだって言うまでもないけど、だけどアルセンチーは違って、人間らしい心を持っている。彼と、ワルワーラ、あんたには、ご多幸をお祈りしますよ」。アレーナ・プロスタキーシャはそう言うと、シラカバ樹皮の容器から小麦粉を、マリヤが貸した袋に移し替えた。

兵士の妻たちが、自分たちの間で小麦粉を分けている間に、アキームの頼みで商人に馬を引き渡したアルヒープ・マコーヴィンが帰って来た。彼はアキームに近づくと、彼の耳に何事かをささやいた。
「今行くよ」。二人は寝室に入って行った。アルヒープは顔中で笑って、懐中から膨らんだ革の財布を引き出した。
「あいつからきれいに搔っさらった。事を荒立てようとはすまい。取れ、ラーズム。兵士の妻たちに金を渡そうか。撃ち殺した匪賊どもから俺がこの金を見つけたとでも言おうか。ただ、女たちに財布を見せては駄目だ」。
アルヒープは、百ルーブル紙幣の束を取り出すと、財布をベッドの下に放り投げた。
「正しく説明しろ、アルヒープ。行こう」。

喜びの叫び声の中、アキームとアルヒープは兵士の妻たちに金を分けてやった。彼女らは、自分たちの擁護者である彼らの健康と長命を願って十字を切ると、事が良い方に転じたことに満足して、それぞれの家に散って行った。
(つづく)

  1. 2022/10/26(水) 11:50:13|
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2022/10/19 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑲

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑲
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


結局この商人ニコライ・ミローノヴィチ・ブラコーフの心を動かすことも、説得することも出来なかったのだから、もう何を言ってもこれ以上悪くなりようがないと見て取った女たちは、彼を罵り始めた。
「このけちん坊は、マーマントフカの共同草刈り場で同じ鍋からママルィーガ[トウモロコシ粥]をすくって食べたことを忘れたんだろうか、えっ?」。最初にアレーナ・プロスタキーシャが、商人をあげつらった。「この罰当たりは、軽はずみな彼をエフィムがながえで川から引き上げてやったのを忘れたんだよ。ながえで頭を叩いてやれば良かったのさ」。
「私らの男たちは、ドイツ相手に血を流しているのに、罰当たりの彼は女たちを騙して儲けているという訳だ」。マラーニヤが唾を飛ばした。「だけど、いつまでもそんなことが続くもんかね。そうだろう。もうすぐ兵隊に採られることは、はっきりしているんだよ。ついこの間ラーズムが知事様に、直に嘆願書を書いたんだとさ。あいつの額に弾丸が命中しちまえばいいのさ」。

これらのことばを聞いて、商人のまばらに髭の生えた顎が幾度となくひきつり、顔が赤く染まった。そして、とうとううめき声を発し、足を踏み鳴らし出した。
「しっ!おしゃべりな女ども。イグナート! イグナート! 卑しいやつらが侮辱している。雪の中に引きずり出して、たたきのめしてやれ」。
「ミローヌィチ[ミロンの息子さん、という敬称〕、他の事はともあれ、こればかりは習っておらんよ。かつてはこれらの女たちの連れ合いたちと家を行き来していたんだもの。女たちを殴るなんて滅相も無いがですよ」。イグナートは申し訳なさそうに、両手を左右に広げた。
「それじゃ、俺が自分でお前たちに思い知らせてやる」。商人は、あばたの下男の手から鞭をひったくると、それを振り上げた。
女たちは不幸を予感して、金切り声を上げながら店から飛び出した。

目の前の出来事に何の関心も示さぬ、店の主人ファン・リンに見送られて、むしゃくしゃした気分で店を後にした商人は、イグナートの気後れと弱気を声に出して罵った。
「これからは、はっきりと日雇い人夫扱いにしてやるぞ、このぐず。覚えておけ」。

灰黄色のズヴョーズドチカ[額に白斑が付いているところから星印の意味]と一緒に橇に繋がれた灰色の毛色の雄馬グドーク[汽笛]が、商人を再び陽気にした。アルセンチーの家から婚礼歌が流れ出すやいなや、グドークは、たちまち甲高くいななき始め、合唱が聞こえてくる猟師の屋敷に向かって、ズヴョーズドチカを自分に従えて、だく足で走り出した。
「ハ、ハ!」。商人は、おかしくて息が詰まりそうになって腹を抱えた。「グドークは飲みたくなったんだ。何突っ立っているんだ、間抜け、追いかけろ」。
イグナートは、勢いよく跳躍をして橇に追いつくと、雪の上に延びた手綱を掴み、馬たちに反対を向かせた。
「お座りください、ミローヌィチ」。主人の気に入るように努めながら、イグナートは自分の毛皮外套を彼の前に広げた。
「叔父さんのところへ行こう。道はグドークが自分で見つけるさ。底なしの飲兵衛だからな。とても馬とは言えんな、こいつは」。そう言うと、商人は再び笑い出した。

アルセンチーの家に近づくにつれて、婚礼歌がより高らかに、より呼び招くように響いて来た。グドークは、小刻みなだく足からギャロップへと移行した。玄関の間に走り出た客たちが驚いたことには、橇が玄関の階段間際まで乗り付けられていた。ズヴョーズドチカはうなだれてじっと立っていた。反対にグドークは、鼻息をたて轡を噛んでいた。イグナートが一瞬手綱を緩めた隙に、グドークは橇ともどもポーチまで乗り入れてしまったらしかった。
「ミローヌィチ、この馬は何でこんなに強情を張っているのかね。えっ?」。オスタプ・シェルパイコがいぶかしげに言った。
「代表者さん、こいつに柄杓1杯の酒をやってくれないかね。そうすりゃグドークも落ち着く筈なんだが」。ブラコーフは笑い出し、橇から降りた。
「何だって、潜水夫、冗談を言っているのか」。
「真面目な話だよ。このポーチから木っ端が飛ばないうちに、早く酒の柄杓(ひしゃく)を持って来てくれ」。
「潜水夫、年寄りを笑いものにするんじゃないよ。お前さんだって、わしの歳になるんだから」。
「俺は笑いものになぞしていないよ。酒を柄杓でもって来てくれと言ってるんだよ。グドークが一杯やりたいんだよ」。
オスタプ・シェルパイコは十字を切り、客たちはどっと笑い声を上げた。
「潜水夫よ、一体どうなることやら」。こう言うと、オスタプは人群れの
中に消えた。

少しすると、彼は乳白色の液体の入った木の柄杓の重みを両手で支えながら、ポーチに現れた。グドークは、蜜酒の匂いを嗅いでいななき始め、歯をむき出し柄杓の方に身を乗り出した。
「代表者さん、俺の言ったことが分かったかね」。ブラコーフは、オスタプの肩を手で叩いた。
一方グドークは、周囲には無頓着で、雪を蹄(ひづめ)で蹴り、鼻を鳴らし続けた。
「柄杓一杯じゃ足りなかったな。爺さん、もう一杯持って来てくれ」。玄関の階段を上りながら、満足した商人が言った。
オスタプは、もう一杯の酒の柄杓を持って来て、グドークに飲ませた。
「確かにこやつは酔っ払いだ。こん畜生め、この家を木っ端みじんにしてしまうぞ」。オスタプは不安げだった。
「心配しなさんな、代表者さん。酔っぱらった時のあいつはおとなしいもんさ、ほら」。ブラコーフは、すっかり変わってしまったかのような雄馬を指した。それはズヴョーズドチカの背中に従順に頭を持たせかけて、寝入る前であるかのように静かにじっとしていた。
「芝居をみているようじゃ、全く芝居のようじゃ」。オスタプ・シェルパイコは、涙が出るまで大笑いした。

テーブルを囲んでの宴会が続く中で、商人の短い話から、雄馬がどのようにしてこんな生活に成り下がったかを客たちは知った。ある時、復活大祭の日に、ミロン・ブラコーフは賑やかに飲んでいて、家畜に水を飲ませるのを忘れた。彼は、郷の長と腕を組んで楽しく歌っている時、喉が渇いてへとへとになった雄馬の頭が、開いた窓からにゅうと突出たのを見た。ミロンは、良く考えもせずに、水差しから柄杓に酒を注ぐとグドークに差し出した。グドークはむさぼるように飲み干すと、感謝していなないた。
この時以来グドークは、歌が聞こえるやいなや、尾を真上に持ち上げていななき、窓に向かって走って行くようになった。

「代表者さんよ、今度はお前さんが、芝居みてえに面白いことを話すかね」。ブラコーフは、さっきのオスタプのことばを持ち出した。「ところで、お前さんは、一度でもその芝居とやらに行ったことがあるのかね」。
「何を言うか、潜水夫、行ったよ。うちのカミさんは、嘘をつかせてくれないよ。あん時の後にゃ、わしらの人生はあやうく歪んでしまうところだったよ。何でかって?」。オスタプはキュウリを持った手を持ち上げて、注目を促した。「こういう訳なんだよ。お見合いの後で、わしとナースチェナは町の市場に出掛けたんだ。両親が鶏や豚を商っている。けれども、わしとナースチェナは劇場に行くことに決めたんだ。切符を買って、ホールに入って、前の列に座って見たよ。絹のゆったりしたズボンを穿いた髭の紳士が登場した。そいつはワインを飲んだ。その飲みっぷりといったら、ほれぼれする程で、ジョッキを何倍も重ね、がぶがぶと飲む。そして歌って見せた。《僕の父さんは、樽のように飲んだ。そして、酒のせいで死んだ》。それから連発拳銃でろうそくを次々と撃つと、それらはひっくり返り、床に落ちて音が響いた。香が匂ってきた・・・この最も面白い箇所で、思いがけないことがわしに起こったんだ。ナースチェナと一緒に見ていると、座席の間をうちのジューチカが走って来るんだ。何と主人思いの犬だったろうか。ナースチェナは、ジューチカを認めるや否や、可哀想に、全身真っ赤になった。
「恥ずかしい、何て恥ずかしいの」。こう叫ぶと、ホールを横切って駆けて行く。わしは、もちろん、彼女を追った。

それから一週間程は、わしと話もしないし、会おうともしない。両親のお陰で仲直り出来たんだ。
オスタープの話は、元気な笑い声で、しょっちゅう中断した。
「芝居じゃろうが、まさしく芝居じゃろうが」。尖った肩を震わせながら、オスタープは笑い声を立てた。

「苦いぞ、苦いぞ[新郎新婦に接吻を促す掛け声]」。語り部爺さんが叫んだ。ザーラはつま先立ちをして、両手でアルセンチーの首に抱きつくと、3回接吻した。そして歌い出した。《ロマの女が占った、ロマの女が占った、手を取って占った》。すると、すぐさま、窓際にグドークの頭が見え隠れした。ブラコーフは、通風孔を開けると、雄馬に酒を飲ませた。
「潜水夫は裕福過ぎて、生き物を馬鹿にしてからかっているんだ。女たちを鞭打とうともした。でも、いいってことさ、もうすぐお前さんも兵隊に採られるんだ。塹壕の中で、シラミにでもたっぷり自分の血を飲ませてやるんだな」。アキーム・ダルニッツァのことばは、商人にまで届いた。彼は、この近衛軍人の方へ怒りの視線を投げつけた。
「いいや、ラーズム、兵隊には採られんよ。親父は既に知事様にお会いになって、全て片を付けたのさ」。
アキームの隣に座っていた猟師のアルヒープ・マコーヴィンが、それを聞いて、何か考えながら言った。
「それは、つまり、大金を持っているってことだ。金があれば、女たちもやって来るんだ。あのなあ、ラーズム」。マコーヴィンは、彼に耳打ちした。「わしが、こいつの有り金全部を、小銭に至るまですっかり引き抜いてみせようか」。
「好きなようにするさ」。アキームは手を振った。

この時、ロノマレンコ爺さんのいうことをきかぬ手の中で、アコーディオンが甲高い音を奏で始めた。すぐさま、男たちや女たちが踊り出した。ひょろ長いアルヒープ・マコーヴィンは、腹の出た商人の側で独楽のように踊り回った。彼との競争踊りだった。テンポの速い踊りを踊って商人は暑くなり、膨らんだポケットの付いたビロードのチョッキのボタンを外した。そして、汗にまみれ、荒い息を吐いた。一方、彼の周りをアルヒープが、依然として歌いながら、かかとで小刻みに走り回る。
「そら、お前、橇、橇、橇、私の新しい橇。そら、カア、カア、カラス、みんなのカアさん」。
《ブラコーフの金は、もう戻らないな。飲ませて、アルヒープが潜水夫のがま口を引き抜くだろう。がめつい彼にとっちゃ、おあいにく様》。勇ましい踊り手たちを観察しながら、アキームは喜んだ。
女たちは密かに、ある時はロマの女に、ある時は猟師に視線を向け、神がとうとう孤児に慈悲を与え、彼の全ての苦しみに対して、善良な主婦を使わして下さったことを感謝した。彼女は、もし、勿論のことだが、裏切りさえ働かなければ、彼のもとで何の心配も無く、安らかに暮らせるだろう。

夕闇せまる村の中心部で連続した銃声がとどろき渡った時、結婚式はたけなわだった。
「酔っ払いのブグローフの家だ。銃声で、息子をドイツの戦場に送っているんだろう」。男たちはそう判断して、安心していた。
しばらくして、猟師の家の結露したドアが、突然大きく開き、皆が驚いて見ると、肌着の上にエフィムの綿入れ上衣を無造作に羽織ったダーリヤ・ダルニッツァが戸口に現れた。頭からカシミヤ織のスカーフを、あたかもそれが彼女を窒息させようとでもしているかのようにもぎ取ると、泣き叫んだ。
「男たち、守って! 匪賊が強盗しているわ」。
「満人だ!」。
(つづく)

  1. 2022/10/19(水) 23:24:21|
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