あれこれ

2015/08/26 ドミートリー・アリーエフ「ジャンプがとても好きだ。それは本当に快感だ!」

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2015/08/26 ドミートリー・アリーエフ「ジャンプがとても好きだ。それは本当に快感だ!」

=====ラトビアのリガで行われたジュニアグランプリ第二戦、男子シングルで優勝したドミートリー・アリーエフが、大会直前に行ったインタビュー記事より。ロシアフィギュアスケート連盟オフィシャルサイトより====

—誰がプログラムを作ったのですか?

「ショートプログラムは、僕たちの振付師・演出家オリガ・グリンカで、フリーは、僕たちのステップのコーチ、ワレンチン・モーロトフだ。新プログラムは、夏合宿でプログラム作りに時間を失わずにすぐに練習に入れるようにと昨シーズンの末に作成した。ショートプログラムにはゲーリー・ムーアの曲を選んだ。初めてのブルースのプログラムだ。フリーは、『ノートルダム・ド・パリ』の曲だ。最初からプログラムは、滑って満足を感じ、自分の気持ちを表現出来て、感情を伝えられるようにと、あまり活発なものではなく落ち着いた音楽で作りたいという希望があった。それでワレンチンが『ノートルダム』を試すことを提案した時には、全員が賛成した。非常に面白いプログラムになったと僕は思う」。

—プログラムのエレメンツの配置はどこが変わりましたか?

「技術的な面では、二つのプログラムとも僕にはより難しくなった。ショートプログラムでは、トリプルルッツ-トリプルトウループのコンビネーションとトリプルフリップの二つのジャンプエレメンツを後半に持って来た。最初、トリプルアクセルも後半で計画していたが、当面、このアイディアは止めることを決めた。僕たちはかなりこれを練習したのだが、いつも出来るという訳にはいかない。現時点ではこのジャンプは冒頭にやるのがより確実だ。

フリーでは、二つの四回転トウループを計画した。最初は四回転とダブルトウループとのコンビネーションで、二番目のエレメントが、トリプルアクセル-ループ-トリプルサルコウだ。次にもう一つの四回転トウループで、次がトリプルアクセル。つまり、フリープログラムの前半に四つの難しいジャンプエレメンツがある。

後半は、トリプルルッツ-トリプルトウループのコンビネーション、フリップ、ループ、アクセルだ。後半は少し易しいが、ジャンプ以外でも、他のエレメンツのことを忘れてはならない。全てをクリーンにやって、感情のことも覚えていなくてはならない。

フリープログラムのために、僕が聖職者になるような面白いコスチュームを縫ってもらった。冒頭僕はフードを被っているが、すぐに脱ぐのだ。背中に十字架がある。僕はその背中がとても気に入っている。プログラムでこんなのは僕には今まで無かったのだ」。

—昨シーズンの終わりにあなたは練習で四回転サルコウと四回転ループをやりました。これらのジャンプをプログラムにはまだ組み込まないと決めたのですか?

「はい。昨シーズン僕は四回転サルコウと四回転ループを飛び始めた。そして僕たちは、最初のジャンプに四回転サルコウを、次に四回転トウループ-トリプルアクセルのコンビネーションをする配置で滑ってさえいた。つまり、プログラムの中で、二種の四回転と二つのトリプルアクセルをするつもりだった。でも、これはまだ僕には難しい。フリープログラムで二つの四回転トウループで最終決定した。でも、今のような構成のフリープログラムでさえ、これは、ママ、泣かないで!だ」。

—ジーマ、あなたのパパはスキーのコーチだというのは本当?

「はい。彼は、スキーロシア代表チームメンバーのスタニスラフ・ヴォルジェンツェフを育てた」。

—彼はあなたの選択を賛成したの?

「すぐに。僕は3歳からスキーを始めたが、6歳からはフィギュアスケートに熱中した。11歳までは二種のスポーツを一緒にやっていたが、その後自分で決めた」。

—後悔しませんか?

「一度も。フィギュアスケートは僕を引きつける。そして年を追うごとにますます好きになる。心の体験が出来る新しいプログラムを作るのが好きだ。観衆の前で滑るのが好きだ。特に全てがうまく行く時に。それに僕はジャンプが大好きだ。それは何という快感か!」。
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  1. 2015/08/31(月) 00:44:46|
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2015/08/29 エレーナ・クスタローワ「同じシーズンにカルメンとフリーダをぶつける訳にはいかなかった」

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2015/08/29 エレーナ・クスタローワ「同じシーズンにカルメンとフリーダをぶつける訳にはいかなかった」

ロシアのダンスデュエット、エレーナ・イリイヌィフ/ルスラン・ジガンシン組とアンナ・ヤノーフスカヤ/セルゲイ・モズゴーフ組は、シーズンに向けて準備を続けている。準備のなかで何が変わったか、プログラムのためにどんな音楽を彼らが選択したのか、ソチのテストスケートへの期待などについて、ポータルTEAM RUSSIA-2014特別特派員ボリス・ホドロフスキーに、彼らのコーチ、エレーナ・クスタローワが語った。

「今シーズン私たちは、選手たちの基礎体力の準備に大きな注意を払いました」。エレーナ・クスタローワは語った。「このために、私たちのグループと一緒に働いてくれる素晴らしい専門家、ナターリヤ・ミローネンコ、イーゴリ・ミローネンコを招待しました。彼らのスポーツの専門は陸上競技ですが、フィギュアスケーターにとって彼らとの仕事は非常に有益でした」。

—多くのシングルスケーターたちが、映画「フリーダ」のサウンドトラックをフリープログラムの曲として使いました。しかし、カーロとディエゴ・リベラのラブストーリーを氷上で見せようと決心したのはあなたが初めてです。イリイヌィフ/ジガンシン組のフリーダンスのためにこのような興味深い企図を持つに至ったキッカケは?

「このダンスのアイディアが浮かんだのは、既に昨シーズンです。『カルメン』の音楽でショートダンスに取り組んでいたスペインの振付師アントニオ・ナハーロの仕事を観察していた時でした。ただ、カルメンとフリーダのようなエモーショナルな二人の女性を、同じシーズンでぶつけたくなかったのです。カーロとリベラは、『鳩と象』と呼ばれていました。彼らの恋愛、それは、情熱、裏切り、嫉妬の嵐です。このような感情の層は、ダンス作成にインスピレーションを起こさずにはいられません」。

—あなたは二人に、このメキシコの画家たちの絵を見せているのですか?

「ダンス作成に取り掛かる前に、当然二人はディエゴ・リベラとフリーダ・カーロの作品を鑑賞しました。彼らに特別な印象を与えたのは、1939年にリベラと決裂した後に苦しみの波の中でカーロが描いた絵画『二人のフリーダ』でした。その他にもレーナとルスランは、理解を深め、氷上で彼らのイメージを具象化出来るように二人の画家の経歴も調べました」。

—2015年ジュニア世界チャンピオン、アンナ・ヤノーフスカヤとセルゲイ・モズゴーフのジュニアからシニアへの移行はどのように行われていますか?

「シーズンに向けて彼らは本当に大人のプログラムを準備しました。ショートダンスは、映画『私の可愛い、優しい獣』My Sweet and Tender Beastへのエヴゲーニー・ドーガの音楽で、リュドミーラ・ヴラーソワが作りました。フリーダンスは、映画『華麗なるギャツビー』The Great Gatsbyのサウンドトラックで滑ります。ジュニアからシニアのフィギュアスケートへの移行は容易なプロセスではありません。しかし、このペアにはロシア代表チーム入りを目指して戦うための大きな可能性があります。二人には優れた技術的基盤と興味深いダンスがあります」。

—来るべきソチのテストスケートでは何を期待していますか?

「私たちのペアの新しいダンスが、観客や審判たちに気に入られることを願っています。専門家たちからの意見や提案を楽しみにしています。常に彼らのことばには耳を傾けていますし、シーズンが進むなかでダンスを磨き上げていこうと心がけています」。
  1. 2015/08/30(日) 00:25:46|
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2015/08/27 キーラ・コルピ「引退の決断をするには時間が必要だった」

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2015/08/27 キーラ・コルピ「引退の決断をするには時間が必要だった」

フィンランドのフィギュアスケーター、キーラ・コルピは、彼女が引退したとの報道を肯定した。

「現役引退という今の気持ちで一番大きいのは、感謝です。沢山の専門家の方々とご一緒に仕事をするという幸せに恵まれたことにとても感謝しています。この決心をするに当たっては、時間が必要でした。私は今でも滑ることが好きなのですから」。コルピはこう語った。

彼女のことばによれば、現役引退の引き金になった理由の一つは、足の怪我だった。

「私の左足が、怪我以前と同じ状態まで戻らなかったという事実です。私はこの足をもっと良い状態に仕上げることは出来ますが、ジャンプがやれる以前のレベルに戻るためには、もっと何倍も働かなければならなかったでしょう」。彼女はこのように話した。

彼女は、また、これからはコーチの活動に従事するかもしれないと言った。秋にはファッション業界で働く自分のボーイフレンドと一緒に住むためにミラノに移住する予定だ。

文:アレクサンドル・チェルノーフ / 出典:Icenetwork
  1. 2015/08/29(土) 01:33:42|
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2015/08/28 ミーシャ・ジー「新シーズンは昨シーズン程成功しないかもしれないが、それはそれでOKだ」

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2015/08/28 ミーシャ・ジー「新シーズンは昨シーズン程成功しないかもしれないが、それはそれでOKだ」

前回の世界選手権で6位に入った、ウズベキスタン最良のフィギュアスケーター、ミーシャ・ジーは、来たるべきシーズンへの計画を語った。

「新シーズンへの僕の準備は一歩一歩進んでいる。北京ダンスアカデミーとハリウッドダンスアカデミーで振付けコースを受講している。プログラムの音楽選択に際しては、自分のチームや世界的専門家たちと何ヶ月もかかってリサーチや話し合いをして来た。この夏は、技術の進歩や全てのエレメンツの進化、ジャンプの難度を上げることに、かなりの時間を費やした。自分の技術をより向上させようと、毎日少しずつ試みを続けている。

昨シーズンは僕の選手生活で最高のものだった。何の財政的援助もそのほかのサポートも受けられないような小さな国のフィギュアスケーターとしては、本当に良い結果を達成した。今シーズンは少し違った結果になるかもしれないが、それはそれでOKだ。しかし、僕は自分の滑りの全ての面で成長するために出来ることの全てをやるつもりだ」。ジーはこのように語った。

24歳の彼は、2022年北京オリンピックへの出場の可能性についてもコメントした。「そのような遠い将来のことは考えていない。目標は、今シーズンのことで、その次には2018年オリンピックだ。もちろん、北京オリンピックには出場したい(ミーシャは一部中国人)。もしかしたら選手としてではなく、コーチか振付師かチーム役員としてかもしれない」。ジーはこう語った。

文:マリーヤ・セレンコワ / 出典:Icenetwork
  1. 2015/08/28(金) 23:51:02|
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2015/08/27 コンスタンチン・メンショフ「プルシェンコよりも氷上で『生きながらえる』という目標はない」

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2015/08/27 コンスタンチン・メンショフ「氷上でプリューシェンコよりも『生きながらえる』という目標はない」

今日、8月26日、サンクトペテルブルクカップ第1戦男子シングル競技が終了した。この大会には、若いフィギュアスケーターたちと一緒に、ロシア代表チーム候補者たちが出場した。彼らにとってニコライ・パーニン-コロメーンキン記念フィギュアスケートアカデミーの氷は、ソチのテストスケート前のチェックの場となった。

「僕にとっては試合の感覚を思い出すことが非常に重要だった」。コンスタンチン・メンショフは語った。「氷に出る前少しだけ神経質になり、集中し、練習でやったことの全てを見せること。6分間練習でどう振る舞うかを思い出すことも有益だ。ソチでの前回のロシア選手権の結果、僕は代表チームに入れなかった。その後、競技会で滑っていないのだ」。

—新シーズンはどのようなプログラムで代表入りを目指すのですか?

「ショートプログラムは変えなかった。タンゴのリズムで滑る。このプログラムは気に入っているし、昨シーズンでの滑りは成功だった。振付けの面で何かしら付け加えたし、感情表現には取り組んだ。技術面ではステップを変えた。昨シーズンのフリープログラムは合わなかった。夏に新しいものを作った。音楽は自分で選んだ。歌詞のついた歌で初めて滑る」。

—各プログラムで何度の四回転を計画していますか?

「ショートで2つの四回転を試し、一つはコンビネーションにする。フリーでは3つだ。これもまた一つはコンビネーションだ。もし、これらをクリーンにやることが出来たなら、全ての競技会で最も高い順位を争うチャンスがやって来る。スケーティング技術の面で、カナダ、アメリカ、日本の選手たちに遅れを取っていることは分かっている。彼らは氷上でもっと解放されている。だから唯一のチャンスは、プログラムの難度を上げることだ」。

—多くのロシアのフィギュアスケーターたちはその方向で行こうとしています。この方向というのは現代の傾向に沿っているのですか?

「ロシアの選手に限らずに、自分たちのプログラムに複数回の四回転を入れている。前回の世界選手権でも多数の選手がこれに挑戦した。皆跳んでいるし、皆難しくしようとしている」。

—今シーズンの国際大会の計画はもう出来ているのですか?

「グランプリ大会はアメリカと日本で滑る。これに関しては選ぶことが出来ない。オーベルストドルフのチャレンジャーシリーズ大会に出場するつもりだ。その後の大会は様子を見ながらだ。いくつかの競技会は、元気づけに必要だ」。

—シーズン前になると毎回、あなたを「年金生活」に送ろうとしたり、エヴゲーニー・プリューシェンコの勤続年数とあなたのプロスポーツにおける「長寿」を比べようとする人たちがいます。ぜひ彼に勝ちたいだとか、せめて彼よりも長いシーズン氷に留まりたいとかの望みがあるのですか?

「僕にあるのは全く別のモチベーションだ。勝利への欲求と、クリーンに美しく滑れることを皆に証明したいのだ。プリューシェンコよりも遅く引退するだとか、彼と同時に引退するだとかの目標はない。力と競技への意欲がある間は滑るだろう。ラトビアとスウェーデンでの合宿の後、僕にはスランプのようなものがあった。練習で多くのことが出来なかった。サンクトペテルブルクカップ大会では、四回転サルコウを跳んだ。このことだって自分自身に対して小さな勝利を収めたことだ」。

出典:Team Russia-2014
  1. 2015/08/27(木) 22:35:08|
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2015/08/25 アレクサンドル・スミルノフ「毎年同じスタイルで滑ることは不可能だ」

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2015/08/25 アレクサンドル・スミルノフ「毎年同じスタイルで滑ることは不可能だ」

今日8月25日、フィギュアスケートサンクトペテルブルクカップ第1戦が始まり、ロシア代表チームへの候補者たちが出場した。ペア競技のショートプログラムは、二度のヨーロッパチャンピオン、ユーコ・カワグチとアレクサンドル・スミルノフが勝利した。滑りの後、アレクサンドル・スミルノフが自分の感想を、ポータルTEAM RUSSIA-2014特別特派員ボリス・ホドロフスキーに語った。

「僕とユーコのパフォーマンスを、僕の最も重要なファン — 10ヶ月になったばかりの息子のフョードルが見ていた」。アレクサンドル・スミルノフは語った。「驚いたことに、フィギュアスケーターたちの滑りを見るのは既に初めてではないがこの子は、よく注意を向けている。僕たちの滑りだけじゃなく、他の選手たちをも」。

—チャンピオンの養成をいつ始める計画ですか?

「スケート靴は履かせるだろうが、フョードルがフィギュアスケートをやることは義務じゃない。ホッケーの方が好きになるかもしれない」。

—準備期間の実質ほとんどを、あなたはなぜサンクトペテルブルクとレーニングラード州で過ごしたのですか?

「僕にはそれが都合が良かっただけだ。家族から遠く離れなくても済む。それに今では僕たちはとても大きなグループだ。十分なメンバーで、イゴラ保養地での合宿を行うことが出来た」。

—ソチのテストスケートに向けて準備が出来ましたか?

「今日自分たちが滑ったショートプログラムには、全く満足している訳ではない。最初の試合だったというせいもあったかもしれない。それに疲れも溜まっていた。土曜日にイゴラのリンクで僕たちはフリープログラムを全部滑り、その後他のナンバーもいくつか披露した。今日の僕には力強さが足りなかった。ユーコが僕に対して大きな不満を抱かないことを願っている」。

—これは(訳注:バーブラ・ストライザンド&ブライアン・アダムスI've Finally Found Someone)あなた方の最初のヴォーカル入りの曲になりますか?

「もしエキシビションでの滑りを入れなければそういうことになる。エキシビションナンバーでも歌入りは、僕たちにはそれ程多くはなかった。音楽の選択を僕は気に入っている。何か新しいことに挑戦したいから。まだ僕たちは最後のところまでプログラムを感じ取ってはいなかったが、それでもそれを滑ることで満足を得ている。毎年同じスタイルで滑るのは不可能だ」。

—新シーズンのフリープログラムはどういうものになりますか?

「僕たちのファンを喜ばせることになるのか、悲しませることになるのか分からないが、今のところ僕たちは、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーのシンフォニー『マンフレッド』の昨年の曲を少し変えて残した。さらにもう一つの四回転スロージャンプを予定しているが、内容の筋は変えない。僕たちのチームの全員を満足させるような曲を探すことが出来なかった。シーズン中に見つけ出すことも除外してはいない。僕たちの演出家のピョートル・チェルヌィショーフは常に何らかのアイディアを提案しているが、まだ最適な案を見つけられなかった」。
  1. 2015/08/27(木) 01:21:22|
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2015/08/25 エヴゲーニー・プルシェンコは腰の問題でソチでのテストスケートに参加しない

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2015/08/25 プリューシェンコは腰の問題でソチでのテストスケートに参加しない

モスクワ、8月25日、R-Sport、セミョン・ガルケヴィチ。
二度のオリンピックチャンピオン、エヴゲーニー・プリューシェンコは、R-Sport通信に対し、腰の問題のためロシア代表チームテストスケートには参加しないと表明した。

ロシア代表チームの主要メンバーであるフィギュアスケーターたちが参加するテストスケートは、9月12、13日にソチの「シャイバ」パレスで行われる。

「健康上の問題によりテストスケートには参加しない。僕はイスラエルから帰国するが、イスラエルでは腰にブロック注射をした。
来週には滑り始めるが、テストスケートまでには間に合わない。
どの大会に最初に出場するのか、準備するのかは言うことが出来ない」。プリューシェンコは電話で語った。

「医師たちは、当面大きな負荷は控えた方が良いと言っている。それゆえ、9月初旬は難しいエレメンツ抜きでやっていくことは明らかだ」。プリューシェンコはこう語った。
  1. 2015/08/26(水) 11:51:16|
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2015/08/24 アレクセイ・ヤグディンとタチヤーナ・トチミャーニナは次女の誕生を待っている

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2015/08/24 アレクセイ・ヤグージンとタチヤーナ・トチミャーニナは次女の誕生を待っている

5歳のリーザを育てているフィギュアスケーター、アレクセイ・ヤグージンとタチヤーナ・トチミャーニナは、二人目の子供の両親になる。彼らには再び女の子が生まれる予定だ。誕生予定日は11月。自分の二人目の娘に彼らは珍しい名前を付けようと決めている。このことや、その他の多くのことをアレクセイとタチヤーナはHELLO!のインタビューで語ってくれた:最新号は本日発売される。しかし、ここではメーキングにまつわる話を紹介しよう。バックステージからのレポを編集者のサビーナ・ダダーシェワがお届けする。

アレクセイ・ヤグージンと家族はこの夏をソチで過ごしている。ここでオリンピックチャンピオンは週に5回、ウインタースポーツの宮殿「アイズベルク」の氷に出て、氷上スペクタクル「カルメン」の重要な男性ソロ — 闘牛士エスカミーリョのパートを踊っている。タチヤーナ・トチミャーニナは、この出し物には出演していない。最初彼女のための役がシナリオに書かれていたけれども。その理由は明白で、非常に喜ばしいものだ:もうすぐ彼女は二人目のママになるのだから。

HELLO!のための撮影とインタビューはソチの山岳保養地「ローザ・フートル」で行われた。そこでアレクセイと彼の家族が休日を過ごすよう私たちが提案したのだ。14:00に二人のオリンピックチャンピオンを待った。空を見上げると、黒雲が厚さを増していた。豪雨が始まった。企画していた撮影は行わないと私たちは決めた:山に登ることも、ムズィムタ川の急流に沿って散歩することも出来ないだろうから。しかし・・・アレクセイは電話をくれて、『パパが寝過ごした』ので遅れるけれども必ず行くからと言った。驚いたことに、ヤグージンが現れるや否や空が明るくなり、間も無く黒雲が遂に追いやられ、太陽が顔を出したのだ。
「リョーシャはいつもこうなの。何を決めても最後の最後で全てがうまく行くのよ」タチヤーナはこう言った。

彼らは総勢3人と1匹でやって来た — アレクセイ、タチヤーナ、彼らの5歳の娘リーザ、それにワーリャと呼ばれるヨークシャー犬。全員が、つまり小さな犬をつれた小さな女の子、お腹に赤ちゃんがいる女性、それにかつて高所恐怖症だった(タチヤーナが私たちにそう語った)オリンピックチャンピオンは、山岳保養地の最も高い地点 — 2320mのローザ・ピーク展望台へ向かう乗り物に乗り込むことが出来た。谷間を見下ろす美しい景色が広がっている展望台には、少なくない人たちがいて、皆が写真やサインを求めてヤグージンとトチミャーニナの方に近寄って来た。二人のチャンピオンは誰一人断らなかった。

最後の数枚と表紙は、もっと低い場所で、ムズィムタ渓流の岸辺に保養地が広がっている場所で撮影することにした。川の側の手すりのところに、タチヤーナと、リーザを手に抱いたアレクセイが並んで、カメラマンが向かいに立った。と、突然、リーザが、大きな目の付いた長毛の犬のぬいぐるみを手から離してしまった。それは一日中手に持っていたものだったのに手すりの向こう側に落ちてしまった。リーザはひどくがっかりして、悔しくて大声で泣いた・・・

しかし、両親はすぐに彼女を落ち着かせた。タチヤーナは、厳しく、しかし同時にやさしく、ママたちだけが出来るやり方で説明した:別の犬が来るわよ。泣いても悲しみが消える訳ではないのよ。

アレクセイはずっと黙っていた。しかし、撮影が終わり、私たちが皆で夕食の席に着いた時、ヤグージンは娘を連れて岸辺に向かった。手すりをよじ登って超えると、ぬいぐるみを見つけることが出来た。長毛のぬいぐるみは、岸と渓流の間の堤に落ちたのだった。リーザは幸せだった。アレクセイは娘のためならどんなことでもする用意があることを、あらためて示したのだ。

「とても面白いのだ:ターニャは星占いで言ったらさそり座だ。リーザは11月20日生まれだから、やはりさそり座だ。そして僕たちは今二人目の赤ん坊を待っていて、また女の子なのだが、彼女もまた11月が予定日なのだ! 11月の始めだけれど。皆に言われる:『リョーシャ、調子はどうだい?!』って。だけど僕は、女の子ばかりで楽しいのだ。ターニャが赤ん坊の性別を知ろうとしてエコー検査に行った時には、僕はとても不安だった。もし男の子だったら、どう反応したかは分からない・・・でも今は幸せだ!」アレクセイはこう語った。
  1. 2015/08/26(水) 02:59:40|
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2015/08/24 アレクセイ・ミーシン「トゥクタムイシェワのショートプログラムは『カルミナ・ブラーナ』。プルシェンコはイスラエルのクリニックで検査を受けてから、シーズンへの準備を始める」

http://www.team-russia2014.ru/article/22322.html

2015/08/24 アレクセイ・ミーシン「プリューシェンコはイスラエルのクリニックで検査を受けてから、シーズンへの準備を始める」

コーチのアレクセイ・ミーシンのグループは、タルトゥでの合宿を終えサンクトペテルブルクに戻った。自分の生徒たちの新シーズンに向けた準備状況について、アレクセイ・ミーシンは、ポータルTEAM RUSSIA-2014特別特派員ボリス・ホドロフスキーに語った。

「合宿は基本的にフリープログラムの仕事が主要なものだった」。アレクセイ・ミーシンは語った。「われわれのグループ内では、プログラムが最終的に出来上がったという理解はしていない。われわれは外国からも含め多くの演出家を仕事に招いたが、構成の研磨は、コーチたちとわがグループの振付師タチヤーナ・プロコフィエワが取り組んでいる」。

—長い間あなたはエリザヴェータ・トゥクタムイシェワの新プログラムの音楽を秘密にしていました。今はもう話せますか?

「インターネットの時代には何も隠せないよ。トレーニングの一部が既にネットに上がっている。ショートプログラムのためにわれわれが選んだのは『カルミナ・ブラーナ』だ。フリーはエドヴァルド・グリーグの『ペール・ギュント』だ」。

—トゥクタムイシェワの役作りが独特のものでした。なぜクラシックを? しかも非常に難しいものに?

「リーザがグラーゾフからサンクトペテルブルクにやって来た時は、全く小さな女の子だったから、イメージを具現化する面での可能性は小さなものだった。しかし今は彼女の才能の新しい域を見せることが出来る。グリーグの音楽は悲劇的で、このようなプログラムはトゥクタムイシェワにはまだ無かった。このようなイメージも氷上で表象化する力が彼女にはあると確信している」。

—ショートかフリープログラムにトリプルアクセルのコンビネーションジャンプを組み込む計画はありますか?

「そのような考えはある。しかし、トリプルアクセルは非難の余地なく遂行する必要がある。だからこそわれわれはこんなにも長い間このジャンプを練習して来たのだし、完璧に出来るまでになって初めて競技会で披露したのだ」。

—世界チャンピオンの隣で、アレクサンドル・ペトローフやアルトゥール・ドミートリエフ-ジュニアは、どのように練習していますか?

「素晴らしいよ。新シーズンに彼らは、昨シーズンとは違ったイメージで氷上に登場すると言えよう」。

—二度のオリンピックチャンピオン、エヴゲーニー・プリューシェンコは、シーズンへの本格的準備をいつ始めるのですか? 彼の計画は、母親の死で狂いが生じたのですか?

「われわれは文字通り昨日、ジェーニャと話しをして、新シーズンへの準備について相談した。不幸な目にあったけれども、彼の生活は滞っていない。プリューシェンコは手術をしたイスラエルのクリニックで検査をしなければならない。その後、われわれは仕事を始める」。
  1. 2015/08/24(月) 23:05:36|
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2015/08/23 アンドレイ・ブーキン「イワンとエレーナ・イリイヌィフとのペアを作るという提案に、直ちに同意した」

http://www.sport-express.ru/se-velena/reviews/909630/

2015/08/23 アンドレイ・ブーキン「息子がヨーロッパ選手権で3位になった時、一晩中歓喜の叫びを上げていた」

=====アンドレイ・ブーキン(アイスダンス。ナターリヤ・ベステミヤノワとペアで1988年オリンピックチャンピオン、4度の世界チャンピオン、5度のヨーロッパチャンピオン)のインタビュー記事より抜粋=====

「正直に言うと、ワーニャ(イワン・ブーキン)のフィギュアスケートは始めは、彼にとっても、僕とレーナ(アンドレイ・ブーキンの妻。有名なフィギュアスケーターのエレーナ・ヴァシュコーワ)にとっても苦役だった。彼は絶対に滑ろうとしなかった。しかし、祖母が僕たちの反対を無視して、彼をフィギュアスケーターにするという目標を立てたのだ。

イワン自身は、当時練習に行かなくてすむようありとあらゆる手を使った。プールにはすっ飛んで行きたがったが、リンクに行こうとすると、頭だの腹だの、喉だの・・・が痛み出した。最初の肯定的な変化が起こったのは、僕たちが皆一緒にラトビアの合宿に行った時だ。ワーンカが10歳位の時だった。あるトレーニングで彼は突然全ての二回転ジャンプを跳んだのだ。フィギュアスケートの物差しで言ったら、これはとても遅い。10歳の男の子だったら既にトリプルジャンプを盛んに跳んでいる。しかし、それとは別に、息子の目の中に僕はその時突然、初めて熱中というものを見たのだ。うまく出来始めたということが、彼には気に入ったのだ。そうなると彼はもう練習に向かう態度が違ってきた。

問題は、彼は、基本的にシングルスケートに向いていなかった — 転倒を怖がり、そのせいでより難しいジャンプに進めなかった。正確に言うと、やったことはやったのだが、両足で着氷しようとするため回転不足になった。ダンスでは彼はうまくやる余地があった。実は彼の最初のコーチであるアンドレイ・アレーホフは、子供たちに非常に正確にスケーティングを教え、エッジ使いも身に付けさせた。これを教えるのは難しいことで、子供たちをジャンプに急き立ててはならないのだ。しかし、この仕事のおかげでワーンカは、ジャンプはあまりうまくなかったが、常に誰よりも速く滑れた。

だから僕たちに、イワンとエレーナ・イリイヌィフとのペアを作るという提案があった時には、僕たちは直ちに同意した。イリイヌィフが素晴らしいパートナーであることは、彼女が10歳の当時から既に明白だった。

最初の3ヶ月、僕自身が子供たちと一緒に働いていた時に、レーナのママが僕のことをひどく怒っていた。僕が彼女の娘をほとんど指導していないということで。僕はワーンカを『パートナー』に仕立て上げようと全力で取り組んでいた。女性パートナーの前で赤くなったり、青くなったりしながら柱のように立っているのではなく、ペアとして滑り、エレメンツをこなせるように。

ついでに言えば、レーナとワーニャをイーラ・ジュークとアレクサンドル・スヴィーニンが自分のグループに入れてくれて、一年でペアに仕立て上げてくれたことを今でも感謝している」。

—なぜペアは解散したのですか?

「レーナのママが、コーチたちが二人のペアにほとんど時間を割いていないとずっと感じていた。実際それはあたりまえのことだった:イーラとサーシャはその時、ヤーナ・ホフロワとセルゲイ・ノヴィツキーをトリノオリンピックに向けて準備していたのだから。全ての力をまさにこのデュエットに対して費やし、ジュニアにまで手が回らなかったのは理解できる。しかし、リーリャは少なくとも、他の指導者に移ることを提案した。つまり、レーナとワーニャを一緒に移すという考えだった。しかし、僕たちは断った。僕は正直言って、より望ましいコーチという『バージョン』が思いつかなかった。僕は常に、ジュークとスヴィーニンの働きぶりが気に入っていたのは言うまでもないことだ」。
  1. 2015/08/24(月) 02:58:35|
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