楽天市場 あれこれ 2018年06月
fc2ブログ

あれこれ

2018/06/29 エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ「引退することは考えなかった。なぜなら、自分の中に滑る力と願望を感じるから」

https://www.sports.ru/figure-skating/1064697777.html

2018/06/29 エリザヴェータ・トゥクタムィシェワ「引退することは考えなかった。なぜなら、自分の中に滑る力と願望を感じるから」

2015年世界女王エリザヴェータ・トゥクタムィシェワは新シーズンに向けての準備について語った。

「多分、フリープログラムの中でトリプルルッツ-トリプルトウループのコンビネーションをやります。少なくとも、そういう計画があります。またトリプルアクセルも忘れていません。トリプルアクセルに関して言えば、昨シーズンの末よりもはるかに上手く行っています。

シーズンに向けての準備の時期に、怪我の治療に時間を取られないで済むということは、なんと素晴らしいのかが判ります。直ぐにとても進歩するのです! これがどんなことだったのかを、私は既に忘れていました。なぜなら、私のシーズン終了は、(いつも)はっきりせず、分からないものになっていましたから。でも今は、落ち着いて仕事をして、何か新しいことを試みることが出来るのです。

女子スケートの今の状況では、誰かを驚かすことは恐らく出来ないだろうと理解していますが、少なくとも私には、ここ数シーズンに自分がやってきたことよりも、少し多くのことをやれる現実的可能性があります。

ヨーロッパ選手権や世界選手権に行くのは難しいでしょう。恐らく、引退することだって出来たでしょう。なぜなら、ロシア代表チームの中での競争のレベルがどのようなものなのかを自覚していますから。しかし、引退するという考えは起こりませんでした。なぜなら自分の中に、滑ってフィギュアスケートを動かそうとする力、願望、志向を感じているからです。『ハードなスポーツ』としてではなく、芸術として、霊感を与えるスポーツとして。

確かに競争は、進歩のエンジンです。それは確かです。しかし、私が自分の目標と決めたことは、競争が成功を促し、それに貢献出来るということだけでなく、魂のための滑り、観客のための滑りも見せることなのです。単にコーチに気に入られるためのパフォーマンスではなく、観客、ジャッジ、自分自身を喜ばせるためのパフォーマンスです。

私の例を見て、子供たちが、両親か誰かに強制されるからではなくても結果に到達出来ることを、毎日10回ずつ同じことを繰り返し、リンクサイドにぶつかり声を上げて泣かなければならないのは、自分の仕事が好きだからなのだと理解出来るようにしたいのです。そして、上手く行かない時だって、少しだけ休息して、また始めることが出来ることを。このような気持ち、このような考え、興味が生まれた時には、全てのことがやって来て、上手く行くでしょう。

もちろん、練習しなければなりませんが、しかしそれは、健康を損なうことを意味していません。ですから私は、自分のフィギュアスケートを正にこの方向へ向かわせ、変えたいのです。かつて私には、自分のグループで大きな競争はありませんでしたが、世界選手権、ヨーロッパ選手権で勝利し、種々の大会でメダリストになることが出来ました。

私は当時、自分がやっていることや、トレーニングからひたすら快感を感じていただけでした。自分の周囲に何の過酷さも、忌み嫌うようなこともありませんでした。あのカロリーナ・コストナーは、私にとって非常に重要な手本です。彼女は今でもトップスケーターのままですし、彼女の滑りは喜びを呼び起こし続けています」。トゥクタムィシェワはこのように語った。

文:アントン・ピリャソフ / 出典:ロシアフィギュアスケート連盟

スポンサーサイト



  1. 2018/06/30(土) 01:48:42|
  2. フィギュアスケート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2018/06/18 イリヤ・アヴェルブーフ「アリーエフにロシア男子フィギュアスケートの未来があると信じる! 彼は出来る!」

https://www.sports.ru/figure-skating/1064279555.html
https://www.instagram.com/p/BkKGAxHHC5d/?utm_source=ig_embed

2018/06/18 イリヤ・アヴェルブーフ「アリーエフにロシア男子フィギュアスケートの未来があると信じる! 彼は出来る!」

振付師イリヤ・アヴェルブーフは、ドミートリー・アリーエフとのプログラム作成について語った。

「スプレッドイーグルからダンスへ、ダンスからスプレッドイーグルへ。ドミートリー・アリーエフと一緒にリンクで過ごす二日目の夜。前のシーズンが終われば、すぐに新シーズンへの準備が始まる。

『教えることは学ぶこと』という素晴らしい金言がある。作品作りをする度に、自分にとっての新しい何かを得る。この若者にロシア男子フィギュアスケートの未来があると信じる! 彼は出来る!」。アヴェルブーフはこのように書き込んだ。

出典:イリヤ・アヴェルブーフのInstagram

  1. 2018/06/25(月) 00:00:00|
  2. フィギュアスケート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2018/06/15 ミハイル・コリャダー「選手たちは、難しいプログラムで観客たちを盛り上げた」

http://www.sobaka.ru/city/sport/74454

2018/06/15 ミハイル・コリャダー「選手たちは、難しいプログラムで観客たちを盛り上げた」

(フョードル・ポゴレーロフ)
—今あなたは、名のあるフィギュアスケートペテルブルク派の最も輝いている代表者です。しかし、2017/18年シーズンはあなたにとって矛盾したものとなりました。オリンピック団体戦では銀メダルを獲得しましたが、多くの人たちは、あなたの転倒を理由に、あなたはこの賞に十分ふさわしい訳ではないと考えています。個人戦でもあなたは失敗しました。その代わり、世界選手権では個人の銅メダルを獲得することが出来ました。あなた自身は、今年自分に起こったことの全てをどのように評価していますか?

「シーズンは非常に・・・言って見れば教訓に富むものだった。否定的面も、肯定的面もあった。しかし、もし結果だけを見るとすれば、全ては十分良いものとなった」。

—あなたはピョンチャンで、4回滑って6回転倒しました。それらの時に、あなたは何を思いましたか?

「転倒の瞬間には、当然ながら、何も考えなかった。ただプログラムを滑り続けた。何が原因だったのかを言うのは難しい。もう少し多く仕事をしなければならない、そうすれば全てが上手く行くだろうと思う」。

—オリンピックの後、あなたはこう言いました:「自分の中で何かが変わり、それが2018年オリンピックでのパフォーマンスの成功を妨げた」。どのような変化だったのでしょうか?

「(じっと考えている)分からない。多分、物事が違った風に見え出したのだろう。いずれにせよ、オリンピックは非常に重要な試合だ。オリンピック — それは特別な世界だよ、と多くの人たちが僕に警告していた。しかし、そこに身を置いて初めて、これらの人々が何を言っていたのかを理解した。本当に、何か別の雰囲気が感じられた。ピョンチャンでは、僕が以前に一緒に滑った選手たちと全く同じ顔ぶれだったし、ジャッジたちも同じだったのに。しかし、別の感覚だった」。

—より具体的に言うとすれば、何に関係することですか?

「恐らく、より神経質になるような状況が影響したのだろう」。

—あなたが中立の旗の下で滑ったことは、負担になりましたか?

「基本的にそれはない。皆は理解を持って接してくれた。他のチームの多くの選手たちは、僕たちを応援してくれた。僕たちがどこから来たのか、僕たちがどんな人間なのかを皆知っていた。ファンたちは、僕たちを素晴らしく励ましてくれたし、愉快なコールを、リズムをつけて繰り返した。ドーピングスキャンダルの全てを考えないようにして、より用心深くしようとだけ努めた。何故なら、ドーピング役員からのロシア選手への特別な注目が感じられたからだ」。

—カーリング選手クルシェリニーツキーのドーピング検体が陽性という状況が起こった時には、神経質になりましたか?

「少しそうなった。オリンピック前とオリンピックの期間中に、自分は何をしたか、どこにいたかを頭の中でしばらく記憶を手繰り寄せた。そのような失策はどこでも犯していない筈だった」。

—世界選手権であなたは、男子シングルで7年ぶりにロシアに銅メダルをもたらしたにもかかわらず、その後で伝説的コーチのタチヤーナ・タラーソワは、あなたのプログラムを女子のプログラムだと呼びました。そのことで傷つきましたか?

「僕なら自分のプログラムを女子のものだなどと呼ばない。だって、四回転ジャンプもあったし、非常に良く実行した他のエレメンツもあったのだから。ただ現在はそういう時代なのかもしれない。アスリートたちは、何本もの四回転ジャンプを入れた難しいプログラムで観客たちを盛り上げた。僕は僕で、全てを素晴らしくやったのだ。しかし、タラーソワに腹を立てたりしていない。腹を立てる理由がある?」。

—ロシア中に向けてあなたが女子呼ばわりされたら、多分、少なくとも腹が立つでしょう。

「僕はただ理解することでこれに向き合っている。それが全てだ」。

—しかし、これは言うなれば、非常に建設的な批判という訳ではないでしょう? このようなコメントを聞いたら、ある者は絶望するとか、落ち込むとかするかもしれませんよね?

「どのような批判も僕を駆り立てるだけだし、もっと多く練習して、練習だけでなく競技でも自分の最大限のパフォーマンスをするよう仕向けるだけだ。残念ながら、今シーズン僕はまだ自分の最大限を見せなかった。出せたのは70パーセントから75パーセント位だったと思う」。

—まだオリンピックが進行中にあなたに襲い掛かった、インターネットでのネガティブな攻撃に対して、あなたはどのように対処したのですか?

「僕はただソーシャルネットに立ち寄らなかったし、何も読まなかったし、何も見なかった。それにチームの仲間たちが助けてくれた。友人たちや両親が電話をして応援してくれた。家に帰ってからこれら全てを読んだが、嬉しいものはほとんど無かった。しかし、僕はポジティブでいようと努めた。基本的に僕は陽気な人間なのだ。他人だけでなく、自分のことも笑い飛ばすのが好きなのだ。だから、インターネットにあった何らかのミーム(meme)やジョークは、僕を笑顔にさせた」。

—悪い考えから離れるには、何が役立ちますか?

「そのような時、僕は出来るだけ多く誰かとおしゃべりをしようとする。吐き出してしまえば、はるかに楽になる。さらには活発に体を動かすゲームだ。例えば、サッカー。しょっちゅう友人たちとサッカーをする。滅多にゴールはしないけれど、でもプロセスが好きだ。

また友人たちと映画に行くのも好きだ。その中でも、1946年のオデッサでの出来事を描いた『リクヴィダーツィヤ(根絶、清算)』シリーズは惹きつけられる。それは通常でない結末になる。あのような急激な話の展開は大好きだ」。

—世界選手権で、銅メダルを獲得したと分かった時、やっと皆に、全てを証明したという感覚が起こりましたか?

「少しそのような感覚はあった、確かに。しかし、100パーセントではない。相変わらず、フリープログラムに関しても問題が残ったし、借りを返したという完全に満たされた気持ちでもなかった。僕はただ、もっと良く出来た筈だということが分かっていた」。

—誰に対する借りなのですか?

「第一には、自分自身に対する借りだ。その次にはもう、コーチや国、そして親族に対してだ」。

—あなたは、アメリカに研修に行く予定だと聞きました。何故ですか?

「経験の交流のために行くのだ。西側ではどのようなトレーニングをしているのか、興味がある。もしかしたら、何らかの新しいメソッドを見ることが出来るかもしれない。人は全てを知ることは出来ない。もしかしたら、僕も向こうで何か面白いことをシェア出来るかもしれない」。

—2022年のオリンピックは計画に入っていますか?

「もちろんだ。もし健康であるなら、さらに滑るつもりだ」。

—あなたにはモスクワから何度も声がかかったと聞いています。それにもかかわらず、何故あなたはペテルブルクに残ったのですか? 未知のものを恐れたのですか?

「いいえ、そのような恐怖は無かった。逆に、僕は変化が好きだ。しかし、ふるさとの街や、5歳の時から学んでいるコーチのワレンチーナ・ミハイロヴナ・チェボタリョーワや、僕のために全ての環境を作ってくれている学校を頼りにした。ペテルブルクで僕は全てに満足しているし、それに善いことが(身近に)ある時に、(欲張って)もっと善いことを探したりはしないものだよ」。

  1. 2018/06/18(月) 20:11:00|
  2. フィギュアスケート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2018/06/09 アレクセイ・ミーシン「プログラムはバランスが取れたものでなければならない」

https://news.ru/sport/mishinmishin-predlozhil-sdelat-fizionomiyu-figurnogo-kataniya-obayatel-noj/

2018/06/09 アレクセイ・ミーシンがフィギュアスケート新規則について意見を述べた

ISUは総会で、フィギュアスケート規則に一連の新しい変更を加えた。広く論議を呼んだ問題の一つ、シニア競技への出場許可年齢を(15歳から17歳に)上げることに関しては、議題にも載らなかった。その代わり、ショートとフリープログラム後半での1.1倍の係数を掛けて評価されるジャンプの数に制限を加えることが採択された。

カナダ人たちは、後半のジャンプをショートプログラムで2本、フリーでは4本に制限することを提案した。日本人たちは、係数を掛けて高く評価されるジャンプの数を、ショートプログラムでは最後の1本だけに、フリーでは最後の3本だけにすることを提案した。結果として日本の提案が支持された。

—アレクセイ・ニコラエヴィチ、(係数を掛けて高く評価されるジャンプの数を)制限する決定に対して、どのようにコメントしますか?

アレクセイ・ミーシン:「それは常識的な考え方だと私は感じる。何故なら、もし宴席に例えるとするならば、最初に前菜を食べ、次にスープを飲み、次に肉か魚料理を食べて、その後でデザートを楽しみ、次にコニャックを飲むわけだが、これは伝統的に確立された宴席だ。

一方でプログラムを見る時、最初に選手がスピンとステップシークエンスをやり、その後でプログラムの最後の1分半で次々とジャンプを跳び始める・・・ISU総会のこの決定は、正しいと私は感じる。何故なら、プログラムはバランスが取れたものでなければならないからだ。さまざまな音楽があり、さまざまなアスリートがいて、さまざまなアイディアがある。だから、プログラム後半への全てのジャンプの移動 — それは言わば歯髄炎だったと思う。歯髄炎はいつも片側だ(片側の頬が腫れる)。

フィギュアスケートのプログラムは、両方の頬の大きさが同じ位になるようにしようではないか。難易度の高い全てのエレメンツが、プログラム前半で行われた時代があったが、その時は左の頬が右の頬よりも大きく腫れていたのだ。今は、右の頬が左よりも腫れて大きくなっている。だから、これらの両頬が同じような重要さで、同じ大きさにしようではないか。そうすれば、フィギュアスケートの『人相』もより魅力的に見えるだろう」。

ちなみに、オリンピック女王アリーナ・ザギートワと、二度の世界女王エヴゲーニヤ・メドヴェージェワは、プログラム後半にジャンプを移動したことで知られている。

  1. 2018/06/15(金) 00:23:00|
  2. フィギュアスケート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2018/06/05 インナ・ゴンチャレンコ「年齢の成熟度ではなく、スケーティングの成熟度に注目すべき」

https://rsport.ria.ru/figure_skating/20180605/1137670831.html

2018/06/05 インナ・ゴンチャレンコ「もしトゥトベリーゼをシニアから遠ざければ、彼女はジュニアスポーツを独占してしまう」

モスクワ、6月5日、RIAノーヴォスチ、アナトーリー・サモフヴァーロフ。
ロシア功労コーチのインナ・ゴンチャレンコは、ISUは年齢ではなく、スポーツとしての大人の滑りに注意を払い、滑りのコンポーネンツをもっと奥深く評価すべきだ、そうでなければ、シニアスケートへの年齢資格が上がった場合、ジュニア大会はエテリ・トゥトベリーゼのグループの女子選手たちばかりが占める試合に変わってしまうとの考えを、RIAノーヴォスチに語った。

ISUは、シニアフィギュアスケートへの出場年齢資格を15歳から17歳に上げる問題を、6月4〜8日の総会で審議しないことにした。立案権に必要な支持票を集められなかったからだが、しかし今後、このテーマは再び起こる可能性がある。

「出場年齢資格を上げる問題は、歴史的に繰り返されています。声が高まっては、その後に弱まります。しかし、エテリ・トゥトベリーゼのところのあのような才能ある女子選手たちをシニアに出せないとしたら、トゥトベリーゼは、ジュニアの競技会を独占するでしょう。そこでは、彼女のグループの女子選手たちばかりが競技をするでしょう。そしてそこでも、解決されるべき問題が起こります」。

彼女によれば、その場合は「偏りが起こる」と言う。「現在、一つの子供の大会には、50人の女子選手が出場していますが、(シニアに出られない選手がジュニアの大会に出場すれば)100人になるでしょう。ですから、年齢資格の変更は沈静化させ、現状のままに残し、演技構成点に取り組まなければならないのです」。

その際ゴンチャレンコは、出場資格の問題は、「議論の余地のあるもの」だと言う。「私自身は、次のような状況が想像出来ます:出場資格を決定した、だからオリンピックは大人のものになったと。この考えは、外面的には正しく見えます。なぜなら、オリンピックは最終カテゴリーの試合になるのだから。しかし、実は才能ある人々というのは、様々な年齢のカテゴリーで生まれます。私たちには50人のザギートワはいないのです。そして、ザギートワがシニアで滑っているからといって、この最も世界的レベルを、幼稚園の大会だと言うことは出来ないのです! 私たちは出場資格を決める時に、何を柵から追い出すべきなのか? 才能ある人たちを、ですか? 10年に一度生まれる人を、ですか?

もちろん、これはロシアを襲撃したものです。私は小さなレーナ・ラジオーノワを教えていた時に、同様の襲撃に遭いました。私にも人々は言いました。ラジオーノワをシニアに上げる必要はありません、彼女のような人たちが、シニアで競技するのを禁じなければなりません、彼女、つまりレンカ(レーナと同じく、エレーナの愛称)は、大人たちを圧迫するからです、と」。

ゴンチャレンコは、ラジオーノワはジュニア時代、競争の凄まじい圧力に耐え抜いたと考えている。「レーナは一定の使命を実行しました。なぜなら、当時私たちへの演技構成点はひどく抑えられ、私たちは技術点で勝利していました。私たちは言われました:『待ってください、これは子供のスケートなのだから・・・』と。私は理解出来ませんでした:何を待つの? レーナはあなた方の国の多くのシニアたちよりも芸術的だわ! 彼女には豊かな表現力があります。あなた方はなぜそれを同等に評価しないのですか?」。

「しかし、時が経ち、この面での状況も少し進展しました — アリーナ(・ザギートワ)に対しジャッジたちは、オリンピックまでに少しずつ慣れました。彼女を少し良く評価するようになりました。ですから今度は、年齢の成熟度ではなく、スケーティングの成熟度に注目すべきだと私は思います」。

ゴンチャレンコの考えによれば、「コンポーネンツの評価を正確に行う」必要があると言う。「私の個人的意見では、ジェーニャ・メドヴェージェワのコンポーネンツのレベルは、アリーナ(・ザギートワ)のものよりも、もっと高くなければならなかった。ここの詳細化が必要なのであって、ザギートワが今後も女子ジュニアたちと一緒に駆け回るようにと、全員の年齢資格の導入が必要なのではないのです」。ゴンチャレンコはこのように語った。

  1. 2018/06/11(月) 21:53:15|
  2. フィギュアスケート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2018/06/04 アレクセイ・ミーシン「ISUがシニア女子スケートへ移行年齢を従来のまま残したのは、正しい行動だ」

http://tass.ru/sport/5260192

2018/06/04 アレクセイ・ミーシン「ISUがシニア女子スケートへの移行年齢を従来のまま残したのは、正しい行動だ」

モスクワ、6月4日、TASS特派員アルチョム・クズネツォーフ。
シニア女子フィギュアスケートへの移行資格年齢を引き上げる問題を審議しないとした、ISU(国際スケート連盟)の決定は正しい。ロシア功労コーチ、アレクセイ・ミーシンは、このような考えをTASSに語った。

月曜日(4日)、ISU総会は、女子シングルスケートへの移行年齢を15歳から17歳に引き上げるというオランダフィギュアスケート連盟の提案を、審議しない決定をした。

「ISUは保守主義だと多くの批判を受けて来たが、しかし私は、その保守主義のなかに若干の肯定的側面を見て来た、と前回のインタビューのなかで私は発言した。(訳注:
https://goldenskate.com/2018/06/mishin-warns-of-arbitrariness-in-judging-after-rule-changes/

ISUは今回、正しい判断をしたと思う。なぜなら、才能ある少女たちの運命に対し、そのような断固とした、冷酷な態度を取ってはならないからだ。ISUのような慣性機構にとっては、保守主義はしばしば肯定的要素となる」。

「将来また、この問題に立ち返るだろうが、このような決断は十分に長期的展望のなかで着手されると思う」。ミーシンはこのように語った。

ロシアスケート連盟は、年齢資格の引き上げには反対の立場だった。

先の2月のピョンチャンオリンピックでは、女子シングルスケートでロシアの15歳アリーナ・ザギートワが勝利した。

  1. 2018/06/05(火) 14:47:00|
  2. フィギュアスケート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

2018/06/01 マクシム・トランコフ「タラソワ/モロゾフ組と1シーズンのコーチ契約をした」

http://www.sport-express.ru/figure-skating/news/maksim-trankov-s-morozovym-i-tarasovoy-dogovorilis-na-odin-sezon-1416289/

2018/06/01 マクシム・トランコフ「タラーソワ/モローゾフ組と1シーズンのコーチ契約をした」

二度のオリンピックチャンピオン、マクシム・トランコフは、ペアのエヴゲーニヤ・タラーソワ/ウラジーミル・モローゾフ組のコーチになるというオファーを受け入れたことを語った。今までペアと一緒に働いていたニーナ・モーザーは、休養を取りたいと表明していた。

「ニーナ・ミハイロヴナが休養を取るために、二人の選手たちは、氷上での恒常的コーチがいないという状況に陥った。短期の休養であることを願っているが」。トランコフは語った。「それで彼らは、この困難な時期に彼らを助け、支えてくれるようにと僕に頼んできた。僕は長いこと考え、受け入れるか断るかで全てのことを考量した。だって3年の間僕は全く違う人生を歩み、その中で多くのことが上手く行ったのだから。フィギュアスケートに戻ることは難しかった。しかし、決断したからには働くつもりだ」。

—彼らとはどんな約束をしたのですか?

「僕は、彼らと毎日働くコーチになる。彼らの今の高い結果を一層高めようと挑戦する。僕にとってこのことが、とりわけ大きな責任だ。

コーチとして僕は経験がないし、しかも現時点ではコーチでも何でもない。だから僕たちは、来たる1シーズンを働いてみるという取り決めをした。そうすれば、僕が上手く行かない時でも、または何らかのものが二人の気に入らない時でも、次のオリンピックで滑るための別の指導者を見出すためにまだ3年ある」。
(アントン・バボーシン)

  1. 2018/06/03(日) 00:39:35|
  2. フィギュアスケート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0