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2018/08/24 マリーヤ・ソツコワ「ショートプログラムはラテンに固執した」

https://rsport.ria.ru/interview/20180824/1140728499.html

2018/08/24 マリーヤ・ソーツコワ「インターネットでの自分のことは全て読む」

====一部抜粋====

(エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ)
—あなたが自分の人生に関する重要な決定は全て自分で自主的に行うということは、身近にいる人たちにとっては、既に慣れっこになっているそうですね。大学を選択しなければならなかった今回はどうだったのですか?

マリーヤ・ソーツコワ:「正にそのようにしました。11年生になったらすぐに、どこに入りたいかを考え始めました。体育大学に行くのはあまり気が進みませんでしたし、それで深く考え始めました、そもそも具体的に何を自分は望んでいるのかと。

一昨年私は振付師としての仕事という、とても興味深い経験をしました:小さな女の子にプログラムを作ったのです。それで頭に考えが浮かびました:ロシア舞台芸術学院氷上振付け学部のチャイコフスカヤ先生のところへ入ることに挑戦しようと。

ところが、エレーナ・アナトーリエヴナ(・チャイコフスカヤ)は今年、グループを募集しないことになったのです。それでバレエ演出家の学部に入ることになったのです。『バレエ演出家・振付師』学部に」。

—これからの教育課程を、あなたはどう思い描いていますか?

「とても漠然と。9月1日にそれがどんなものなのかが分かります。学校の時よりも負担が大きくなることへの心理的な準備は出来ています。

しかし私は先生たちと既に話をして、何らかの場合は授業を欠席出来るかどうかを質問しました。その答えは、その場合に大きな問題は無いが、小テストや試験は皆と同じように受けなければならないということでした。

学校の時もそうでしたから、そのことは恐れていません。大部分のものは校外生として学びましたから。当然、なるべく授業には出るつもりです:学院の授業は朝の8時に始まり、夜の10時まで行われていますから、可能性はあるでしょう」。

—ロシア舞台芸術学院の試験を受けるのは、緊張しましたか?

「ええ、とても。創作の試験と口頭試験がありました。最初、『ジプシー』のテーマで即興演技をするよう言われ、その次に自分自身で二つのダンスを考え出さなければならなかったのです。そして口頭試験の後には、歌わなければなりませんでした。

私には音楽の才能が欠けていますから、それは、多分、とても可笑しかったでしょう。幸いなことに、この試験の時には多くの観客はいなくて、教師たちだけでした」。

—口頭試験では何について質問されたのですか?

「バレエの全歴史を話すよう言われました。それは何度も掘り返され、洗い直された概念で — このテーマで何日でも話すことが出来る程です。長く、非常に面白い歴史なのですから。私はこの全てをかいつまんで述べようと試みました。

全体として悪くない点数を獲得しました。創作試験では、100点中97点で、口頭試験では87点でした。実のところ、試験に向けて準備をすることは面白く、合宿の間、実質的にありとあらゆるバレエの文献を読みながら過ごしましたし、バレエに関する、バレエ演出家に関する、ダンサーたちに関する歴史的な映像を見ました。

そしてフィギュアスケートと共通する非常に多くの要素を見出しました。それに指導者たちは同じように振る舞い、全体としての仕事は非常に似通って成り立っています。

ですから、実を言えば、もう出来るだけ早く学び始めたいのです。待ちきれないでいます」。

—あなたの新シーズンに向けてピョートル・チェルヌィショーフが振り付けた作品は、随分と早くに出来上がったのですか?

「私たちは二つのプログラムを五月の末には既に作り終えました。私のフリープログラムは、ジャズのSummer Timeです。ショートプログラムは、ラテンです。私自身がこれに固執したのです。エレーナ・ゲルマノヴナ(・ブヤーノワ)が非常に長いこと抵抗したのにもかかわらず」。

—何故?

「なぜなら、彼女はこのイメージが私にぴったりと合うとは思えないのです。でも私はとても望んでいましたし、この構想を夢見ていました。

かつてかなり前のことですが、私のプログラムにBlack Magic Womanというラテンがありました。その時私はまだ全く小さかったので、ダンスの熱情を全て伝えることは恐らく出来なかったでしょう。

今こそ、自分のイメージに何らかの新しいものを取り入れたい、成長するための何らかの新しい刺激を自分に与えたいととても望んでいるのです。観客や審判たちに、私が多面的で、様々なものになれることを見せたいのです。それで私はラテンに固執したのです」。

—慣れない動きで、長いこと筋肉が痛んだのでは?

「私は前もって全ての準備をしました。シーズンの終わりに床の上で舞踏会ダンスに取り組みました。とてもたくさん踊り、今後のプログラムのために自分を何とか活気付かせ、強く踊ろうと試みました。もしラテンアメリカのリズムを選択し、それに基づいてプログラムを作るなら、これを上等にやらなければならないと理解していました。

当然、身体を準備しなければなりませんでした。これは難しいことですが、その準備をしました。ですから、フリープログラムは全てが簡単に行きました。振付けは非常に迅速に進みましたし、最初から全てが上手く運びました。そして全体として全員が結果に満足でした」。

—昨年、アリーナ・ザギートワの例で、女子シングルスケートにおいて難易度の優位性がどれ程大きな意味を持ち得るかがはっきりと示されました。自分のプログラムの難易度を高める面で、あなたが前進出来る余地はありますか?

「今シーズンはそのような目標は立てません。エレメンツに関してそれは可能ですが、しかし主要な課題は他にあります:オリンピックシーズンが一定の刺激を私に与えたことを見せること、フィギュアスケーターとして私が成長し、成熟したことを見せることです。そして、審判や観客が私を見ることに慣れていたようなものではない、全く別のものに氷上でなれることを見せることです。

その際、非常に注意深くライバルたちを観察し、彼らの滑りを見て、自分のために何かを気付き、何かを借りることです。例えば、カナダのガブリエル・デイルマンは非常に早く滑り、正に氷上を飛び回っています。私はこの力と強さも、自分のなかに何とか備えるよう挑戦します」。

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  1. 2018/08/29(水) 01:51:42|
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2018/08/11 タチヤナ・タラソワ「今回の規則だけを見ている必要はない」 ー ジュニアテストスケートについて ー

  1. https://rsport.ria.ru/figure_skating/20180811/1140315322.html

2018/08/11 タチヤーナ・タラーソワ「世界ジュニア選手権で勝利したコーチやアスリートたちは、功労スポーツマスターの称号を受ける価値がある」

モスクワ、8月11日、RIAノーヴォスチ。
ソ連邦功労コーチ、ロシアフィギュアスケート代表チームコンサルタント、タチヤーナ・タラーソワは、世界ジュニア選手権で勝利し、難易度の高い多回転ジャンプを跳んでいるジュニアの女子選手たちに功労スポーツマスターの称号を授けることを提案した。

現世界ジュニア女王、14歳のアレクサンドラ・トルーソワは、ロシアジュニア代表チームのフィギュアスケーターたちのテストスケートで、フィギュアスケート史上女子で誰も公式試合で跳んだことがないルッツを含む、3本の四回転ジャンプを一つのプログラムで実行した。

先に2018年サッカーW杯で準々決勝まで進んだサッカーロシア代表チームが、その戦いの功績で功労スポーツマスターの称号が授けられた。

ロシアフィギュアスケート連盟のサイトに掲載されている連盟公式サイトインタビューのなかで、タラーソワは次のように語った。「私はもちろん、あれ程の難易度を克服している子供たちと一緒に働き、世界ジュニア選手権やグランプリの勝利でさえそこからやる気を得ているようなコーチたちに、これらのコーチたちや子供たちに功労スポーツマスターを授けることを提案します」。

彼女は、ISUが「全員に易しいプログラムに移ることを望んで、コスチュームや使用する音楽、良いスピンやトリプルジャンプのみで判定したがっているらしい」ことを嘆いた。「そのようなことは世界で何千人もやることが出来ます。しかし、少数者がやることを評価しなければなりません。しかも非常に高く評価しなければなりません」。タラーソワは指摘した。

「なぜなら、それが、私たちが目指すもの、地平線だからです。子供たちもコーチたちも、守られるべきです。技術的に全てを素晴らしくのみこみ、さらにやる気を持っている、このような優れた女子アスリートたちは、滅多にいないのですから」。彼女はこう続けた。

今フィギュアスケートは、「非常にシリアスな」ものになったと、コーチは指摘した。「まさにジュニアスポーツの時に多回転ジャンプを学び、その後はそれらを保持し磨き上げるだけです。なぜなら、16歳の人間は、特に女子は、四回転を習得することが難しいからです。ロシアの私たちにとって大きな喜びは — エテリ・トゥトベリーゼのグループが、セリョージャ・ドゥダコーフやダニイル・グレイヘンガウスというコーチたちと共に並外れた結果に到達したことです」。

タラーソワによると、トルーソワは(テストスケートで)「真の闘士に見えた」と言う。「彼女は喜びとやる気を得ており、そのような時には非常に多くのことが出来るのです。実際彼女とコーチたちは、やりました。トルーソワは何も恐れていません。彼女は、この世界で数名の男子がやっている四回転ルッツを跳びました」。このエレメントを男子たちが試合で跳び始めたのは、「ごく最近のこと」だと彼女は付け加えた。「トルーソワは、男子たちがやるよりも上手にルッツを跳びました。彼女は、一人の男子選手によっても、オリンピックを含む一度の競技会でもやられたことが無かったような、(ジャンプからの)素晴らしい出を実行しました」。

「このルッツ以外に、彼女はさらに二つのコンビネーションジャンプを跳びました(4-3と3-3):四回転トウループ-トリプルトウループ、単独の四回転トウループ、そしてプログラム後半に彼女は、トリプルルッツ-トリプルループを跳びました。これは、アリーナ・ザギートワがそれによってオリンピックで勝利したジャンプです」。

また専門家であるタラーソワは、トリプルフリップ-シングルループ-トリプルサルコウのシークエンスと、スケーティングの質も取り上げて、トルーソワを褒めた。

「彼女はそれぞれのステップを進化させました。彼女の一つ一つのステップは最大限のものでした。このことで私は本当に驚きました。全体として、彼ら(トルーソワとコーチたち)は進む道を示しました。どんな場合でも、降参し、(ISU総会で採択された)今回の規則のみを見ている必要はありません。なぜなら、規則を変えるのは、コーチたちだからです」。タラーソワはこのように注意を喚起した。

彼女によれば、「コーチたちが世界観を変える」と言う。「確かに、私たちに相談はありませんでした。これは正しくないし、四回転ジャンプの発展にブレーキをかけていると思います。しかしやはり、それは発展するだろうし、遥か遠くのことではありません。今、跳ぶことが出来る人たちに対し、跳ぶことを恐れない人たちに対し道に特別な障害を作ることは絶対に間違っていると私は思います。この少女(トルーソワ)がやっていることは、最大限人道に適っていることです」。タラーソワはこのように語った。

また彼女は、トゥトベリーゼの別の生徒であり、同じように四回転ルッツを持っている14歳のアンナ・シェルバコーワにも言及した。「シェルバコーワもウォームアップで四回転ルッツを素晴らしく跳びました。一回目は上手く行きませんでしたが、二回目は素晴らしいものでした。これはコーチたちの功績であり、何ものも恐れず練習している少女たちの功績です」。

「このような子供たちが私たちには必要なのです。なぜなら彼らは自分たちの才能で、今の私たちが知らない遠くの地平線を照らすに違いないからです。彼らと彼らのコーチたちのお陰で、どこに向かって前進出来るのかを私たちは見ているのです。そしてこれは非常に重要なことです。トルーソワには昨年、さらに四回転サルコウがありましたから、もし彼女がルッツを跳んでいるなら、多分、彼女は四回転ループも練習しているでしょう」。タラーソワはこのように予想した。

  1. 2018/08/14(火) 01:17:38|
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2018/08/02 アリーナ・ザギートワ「夢が叶う時」

https://vk.com/eteritutberidze?w=wall-97272391_75232

2018/08/02 アリーナ・ザギートワ「夢が叶う時」

====「フィギュアスケートの世界」より一部抜粋====

(オリガ・エルモーリナ、タチヤーナ・フレイド)

—もしオリンピックシーズンについて語るとすれば、それはあなたにとってどのようなものでしたか?

「シーズン始めに、オリンピックサイクルだとかオリンピックシーズンだとか沢山考えましたが、でもそれが一体何なのか、はっきりとは理解出来ませんでした。なぜならオリンピックでも、シニアの国際大会でも私は滑ったことがなかったのですから。

今言えることは、オリンピックシーズンは長くて、困難なものだったということです。最初から私は常に緊張していました。テストスケート、シーズン前の大会、グランプリ、選手権大会・・・

私たちの練習には、ちょくちょく連盟からの専門家たちがやって来ましたから、私にとってはそれも試合のようで、大会で滑るのと同じように緊張します。シーズンの間ずっと気を抜く時がありませんでした。

それぞれの試合ごとに集中しなければなりませんでした。この一年間で、私はとてつもない経験をしたと言えます。

ミラノの世界選手権では、やりたかった全てが出来た訳ではなく、悔しいです。しかし、全てのアスリートはこういったことを通り抜けるのです。私たちは、常に勝利するだけのロボットではありませんから。どんなことでも起こります。つまり、誰かが私よりも、このメダルを必要としていたのです。そして、誰かがあそこで、頭上で、あのように取り計らったのです。それに、もし私が世界選手権で勝利したなら、どうなっていたか分かりません。でもそうでなかったからこそ、前進するための刺激と動機が生まれたのです」。

—分かりきったことですが、オリンピックでの勝利は、多くのエネルギーを奪います。しかしあなたは、自分がミラノであのような滑りをすることは、考えていなかったでしょうね?

「思ってもいませんでした。オリンピックでも私は最初のコンビネーションジャンプが上手く行きませんでしたが、連続ジャンプを付け加えることが出来、そしてプログラムの最後にコンビネーションをやりました。ミラノではそれが出来ませんでした。

でもそれは、多くの人たちが言っていたみたいに、私が転倒して動揺し、次の滑りに行けなかったからではありません。そうではありません。私にはシーズンのなかで既にあのようなことがありました。最初のジャンプで転倒して、その後プログラムの最後までクリーンに滑り切ったことが。フリープログラムで気が緩み、戦意が落ちたのだとも言えません。ただ、その日私はまるで滑っているのではなく、それは夢のようでした。私は緊張していませんでした。絶対に緊張していませんでした。そして、そのことが自分にとってショックでさえあったのです — 試合の前に緊張していない? その時に、思いがチラついたのです:何かが違うわ」。

—内面の空虚さ。

「はい。身体的には私は準備が出来ていました。私とコーチたちは、プログラムを完全に滑り込んでいました。練習では全てをやりました。それなのに・・・このようなこともあるのです」。

—世界選手権ではフリープログラムの後で、エキシビション迄あなたには休息日がありました。多分多くのことを考えたのでしょう。

「頭の中で何が起こっていたか、説明することさえ出来ません。本当に、それは夢の中のようでした。何が起こっているのか理解出来ませんでした。ああそれに、滑った後で、私はドーピング検査をしなければなりませんでした。私は泣きじゃくり、頭が痛む、それなのにドーピングを受けなければならないのです」。

—長くかかったのですか?

「ご存知でしょう。一時間で済めば、この上なく有難いのです。その日私は、夜中の3時迄続きました。終わり近くになって、やっと落ち着き、受け入れました。朝起きると、また泣きました。

その後で、お陰様で、分析を始めました — 少しずつ我に返ったのです。考えました:ここで涙は役に立たないと。思い巡らし始めました — 何が上手く行かなかったのか、何故? 

その後、コーチたちや私たちの学校の幹部たちと、ミラノ散策に出かけました。彼らは私の気を紛らせました。彼らはどうすべきか知っているのです。叱ることも、勇気づけることも・・・出来ます。そして、基本的に彼らは成功しました。ガラの時は、私は別の良い気分で出て行ったのです」。

—ミラノでは何を見ましたか?

「私は既に、『ロンバルディア・トロフィー』でミラノには行ったことがあります。でもその時は、ダニイル・マルコーヴィチ(・グレイヘンガウス)と街の中心部に行き、ドゥオーモの近くを散歩しただけで、大聖堂には寄りませんでした。でも今回は、エテリ・ゲオルギエヴナ(・トゥトベリーゼ)と一緒に、長い列に並び、中に入りました。そこはとても静かでした。そして心が何か穏やかになりました。その後私たちは様々なお店を覗き、私は自分に顔の(美容液の付いた)ケアマスクを買い、最終的に落ち着いたのです」。

—あなたは今シーズンの間に、大きく変わりましたか?

「もちろんです。私の経験は、はるかに大きなものになりました。このことは、私を精神的により強くしました。自分により注意を払うようになりました:何をしなければならないか、ウォームアップの時にどう行動すべきか、動きをどう調整するか。何を変え、取り除き、付け加えるべきか・・・食事でも自分をコントロールするようになりました — もし昨日、必要以上の水を飲んだなら、翌日は液体を飲むのを減らすべきだと・・・

私は物事に、より注意を払うようになりました。ただ出て行って、滑って、自由だというのではなく」。
・・・
—(おばあちゃんと一緒に住んでいるということですが)おばあちゃんのどんな料理が、一番好きですか?

「ベリャーシ(ひき肉入りの丸い小さなピロシキ)、ドライフルーツと米の入ったピロシキ、様々なスイーツです。おばあちゃんは、祭日ごとにタタールのパイを作ります。私は一切れ、少し食べることが出来ます。なぜなら、体重を見ていなければならないから。もし余計な重さが増えたなら、ジャンプをするのも、プログラムを滑るのも困難になります。それに見た目も良くなくてはなりません。でも私は普通に食べています」。
・・・
—あなたは10年生になりました。学校で一番好きな教科は何ですか?

「私は『サンボ-70』で学んでいます。学校には週に一度通い、その他の時間は、自習か先生たちと一緒に勉強します。最も好きな教科は代数です。9年生の後、基礎国家試験に合格しなければなりませんでした。世界選手権の後、このことを言われた時、私は途方に暮れました:『試験? 本当に? もうすぐなの?』。もちろん、私は勉強していましたし、教科書を持ち歩いて読んでいましたが、それでも4教科の試験に合格するのは、簡単なことではありませんでした」。
・・・
—人生でのあなたの主要な目的は?

「面白い仕事を見つけることです。仕事が喜びをもたらすような。やりたくないのにやらなければならないというだけで、毎日どこかに通わなければならないような仕事ではなく、決まり切ったことではなく。もちろん、家族も持ちたいです。でも私は16歳です。ですから、これについてはまだ真剣に考えていません」。

  1. 2018/08/06(月) 17:11:02|
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2018/08/04 マリーヤ・ソツコワは、ロシア舞台芸術学院バレエ演出家学部に入学した

https://www.sports.ru/figure-skating/1065802343.html

2018/08/04 マリーヤ・ソーツコワは、ロシア舞台芸術学院バレエ演出家学部に入学した

ロシアのフィギュアスケーター、マリーヤ・ソーツコワは、ロシア舞台芸術学院バレエ演出家学部に入学した。

前日(3日)、名簿登録令が発表され、ソーツコワは、学部の通学課程入学者名簿に記載があった。彼女は、「振付け芸術」を学ぶ。

ソーツコワはグランプリ大会で四度メダリストになり、2017/18シーズンは、グランプリファイナルで2位になった。ヨーロッパ選手権では、二度4位になり、世界選手権では8位、ピョンチャンオリンピックでは8位だった。

文:マリーヤ・セレンコワ / 出典:連邦国家予算高等教育機関ロシア舞台芸術学院

  1. 2018/08/05(日) 12:14:37|
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2018/08/01 セルゲイ・ドゥダコーフ「トゥトベリーゼと分かり合うことは難しいことではなかった。なぜなら、彼女は常に公平だから」

https://www.sports.ru/figure-skating/1065731790.html

2018/08/01 セルゲイ・ドゥダコーフ「トゥトベリーゼと分かり合うことは難しいことではなかった。なぜなら、彼女は常に公平だから」

エテリ・トゥトベリーゼのグループのコーチ、セルゲイ・ドゥダコーフは、どのようにコーチの仕事を始めたかを語った。

「(出来たばかりのリンク『フルスターリヌィー』があるモスクワの地区)ベリャーエヴォのリンクでは、初心者グループを最初に預かったが、私にはそれは興味深かった。その時迄私は子供たちと働いたことが無く、果たして上手く行くのかどうか?を理解したかった。私自身は、(フィギュアスケートロシアジュニア選手権では、いつも6~8位で、その後モスクワ氷上バレエで踊り、その後国外、クルーズ船でのアイスショーで滑っていたから)スケート靴で立つことは下手ではないにしても、滑ることと、フィギュアスケートを教えることは別のことだ。私は『健康コース』のグループから始めた — 彼らに週三回教えた。少しずつ私の教え子たちは進み、グループのなかの優秀者たちは、スポーツグループに移って行った。

二年後、マーシャ(マリーヤ)・ブティルスカヤがクルィラーツカエ地区のリンクに私を招いた。5年間そこで働いた。しかし、また『フルスターリヌィー』に戻った。これは私のもう一つの幸福の切符だった。最初の時に(『フルスターリヌィー』に)行くのを助けてくれたのは、マリーナ・グリゴリエヴナ・クドリャーフツェワとヴィクトル・ニコラエヴィチ・クドリャーフツェフだったが、二回目はエテリ・ゲオルギエヴナ・トゥトベリーゼだった。クドリャーフツェフ夫妻は、(ジュニア時代に)私にフィギュアスケートを教えてくれ、トゥトベリーゼは、コーチとして自己実現する機会を与えてくれた。私は彼女に非常に感謝している。

エテリ・ゲオルギエヴナは、1日24時間、常に働く用意が出来ている。彼女のエネルギーと、結果を得ることへの意欲が、周りの者たちを動かしている。彼女と一緒に働くなかで、成長したアスリートたちと一緒に仕事をする機会が生まれた。当時グループ内には、ポリーナ・シェレペーンや小さなジェーニャ・メドヴェージェワがトレーニングしていて、ユーリャ・リプニーツカヤがやって来た・・・

エテリ・ゲオルギエヴナと分かり合うのは、私には難しくなかった。何故なら、彼女は常に公平だからだ。競技スポーツ — それは厳しい規律と自制だ。もしアスリートがいい加減な練習をするなら、自分自身でその罰を受けることになる。

これらの年月の間には、私たちには多くの生徒たちがいたし、選手生活もそれぞれに違うものになった。アジヤン・ピトケーエフが去った時には、私はとても辛かったし、グループ内の女子選手や男子選手たちの成功は嬉しかった。何故なら、一人一人のアスリート — それは私たちの生活、コーチ人生の一部だからだ。それぞれの生徒の成功、失敗 — それはコーチたちの成功、失敗だからだ」。ドゥダコーフはこのように語った。

出典:「フィギュアスケートの世界」誌

  1. 2018/08/02(木) 23:38:00|
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