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2019/08/23 タチヤナ・タラソワ「カミーラ・ワリーエワは、五回転の高さで四回転トウループを跳んだ」

https://rsport.ria.ru/20190823/1557806759.html

2019/08/23 タチヤーナ・タラーソワ「氷上での痙攣は、死に至る可能性がある」

====一部抜粋====

(エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ)
—クーリックは、四回転ジャンプを跳んでオリンピックで勝利した最初の選手になりました。ヤグージンは2002年のオリンピックで2本の四回転を跳びました。ピョンチャンではネイサン・チェンが6本の四回転ジャンプを実行しました。今と比較すると、以前の男子スケートは、難易度の点から言って、何か全く不体裁だったという感じがありませんか? 

「だって私たちは当時先駆者でした。だって今日は三回転だけを跳んでいて、明日からは全員が四回転を跳ぶなんてことがある訳無いでしょう。私とヤグージンは四回転フリップにも挑戦して、このジャンプのアメリカの録画さえ存在しています。ただ、さらにもう一つのジャンプを学ぶ、というような目標はなかったのです。二つのトリプルアクセル、そのうちの一つはコンビネーション、二つの四回転、そのうちの一つはコンビネーション、それが勝利の最大限だった。それぞれの世代は、難易度の面で何かしら自分たちのものを付け加えるのです。

今では、子供の時からやたらに難易度の高いエレメンツを身に付けています。子供たちが、非常に若い年齢で全ての三回転を跳べるようになったのは、いつのことだったかしら?」。

—それは良いことですか、悪いことですか?

「良いことだと思います」。

—それではどうして、子供に過重な負担をかけることは非常に危険だという話が際限もなく続いているのでしょうか?

「そこにはパラドックスがあります。子供たちにとって多回転ジャンプは負荷ではなく、一種の遊びなのです。彼らは軽いです。もし技術的に教えられたなら、二回転を回ることも、三回転、あるいは四回転することも違いは無いのです。リーザ・トゥクタムィシェワを見てください。彼女は子供の時にトリプルアクセルを習得しています。その後しばらくの間このジャンプを失いましたが、再び見出し、それを上手く跳んでいます。しかし、かつて習得していなかったなら、後になって見いだすことは不可能です」。

—ところで、幾分理屈に合わないと私が感じていることは、大量の少女たちが四回転ジャンプを習得したのが、技術の面では世界で肩を並べるものがいないアレクセイ・ミーシンのグループではなく、自分の仕事の多くを手探りで進んだエテリ・トゥトベリーゼのグループであるということです。

「エテリは、自らの中に力と、正しい道を進んでいるという自信を感じています。それに加えて彼女のところには非常に良質な生徒たちと、非常に強いコーチングスタッフがいます。ロシア中の親たちが自ら子供たちを彼女のグループに連れて来ます。ちょうどかつてユーリャ・リプニーツカヤが連れて来られたように。この面では、モスクワの方がペテルブルクよりもやはり幾分利があるのです。

そしてこれらの子供たちは、レベルが違っています。少し前の競技会で、カミーラ・ワリーエワがどのように氷に出て行き、フリープログラムで四回転トウループを五回転の高さで跳んだのを私は自分で見ました。その高さは、さらにもう一回転加えることが十分に可能なものでした。そこには何かがありました。第一に、そのようなジャンプをする子供の能力に私はショックを受けました。第二に、この背後に私は、正しく組織され、システム化された仕事を見ています。いかなるシステムも、それがどこか不完全であったとしても、やはり結果を出すのです」。

—現在、多く言われていることは、自分の武器としてトリプルアクセルも四回転ジャンプも持たないアリーナ・ザギートワは、自分のグループの女子選手たちと戦って代表チームに選抜されるのがおぼつかなくなる状況に陥る可能性があるということです。

「私はそう思いません。なぜなら、スキル、スケーティング、プログラム解釈のレベルが、演技構成点でアリーナを低く落とすことを許さないからです」。

—同じことが、恐らく、エヴゲーニヤ・メドヴェージェワに関しても言えますか? だって滑りの部分では彼女は何もザギートワに負けていないのでは?

「負けていません。彼女がルッツ-ループを習得するのかどうか分かりませんが、しかし、これはあまり重大ではありません:彼女はサルコウ-ループをやっていますし、しかも非常に良くやっているのです。オリンピックで跳ばなかったことが残念です」。

—私の知る限りでは、彼女はやりたかった。

「そうです。私もそのことを知っています。しかし、彼女は自分に書かれたものに従った。もちろん、痛い足ではそれはリスクだったでしょうし、容認しがたいことだったかもしれない。それに加えて脊椎の状態もひどく悪かったと、私たちの間の話だった。それ程のナンセンス、でしょう?

現在、メドヴェージェワはスケーティングがさらに良くなったことを私は見ています。彼女がブライアン・オーサーとどう働いているか、モスクワに来た時に一人でどう仕事をしているのかを私は見ました。

しかし、エキシビション出演の時の自主活動は終わりにしなければならないと私は思います。ジェーニャがエキシビションナンバーを自分自身で作ったことは知っていますが、それは何の役にも立ちません。どのエキシビションナンバーでも、自分の中の何かを発見しなければなりません。何かで驚かせなければなりません:コンセプト、新しいエレメンツ、新しいアプローチ、新しい振り付けなどで」。
・ ・・
—ソチで、団体戦でユーリヤ・リプニーツカヤがセンセーションを巻き起こし、アデリーナ・ソートニコワが勝利した後、彼らのコーチたちはその時、その責任に対する用意が出来ておらず、アスリートたちに自分たちの将来に関して自主的に決定する機会を与えたという感じが、あなたには起きませんでしたか? 少なくともエレーナ・ブヤーノワは、アデリーナがアマチュアスポーツから去ったことを正にこのように説明しました。

「私の考えでは、アデリーナを自由にさせてはならなかったのです。彼女は一度も一人で泳いだことがありませんでした。彼女にこれを教える時間は全く無かったのですから。もしかして間違っているかも知れませんが、レーナ(・ブヤーノワ)は最初、四年間のためだけでなく、一度の勝利のためだけでなくこのアスリートを準備していたと感じます。ただあのオリンピックの後、ソートニコワの周りで起こった全てのことが全体主義的狂気に少し似ていました。

全く同じことが、ユーリヤ・リプニーツカヤの周りにも起こったと、私は感じています。アスリートが大きな成功を収めると、彼の周りには、何をどうすべきかについてコーチよりも良く知っている大量のアドバイサーが瞬く間に形成されます。このプロセスを必ずコントロールしなければならないのですが、コーチには大抵これに対処する何の力も、もはや残っていないのです。その時も、ブヤーノワにも、トゥトベリーゼにも、自分たちの手の内から状況が流れ出さないように、次の仕事を構築出来る筈だった明確なプランの持ち合わせが無かったと思います。残念ながら、このようなことはいつも遅くなってから理解し始めるのです」。

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  1. 2019/08/28(水) 23:36:00|
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2019/08/20 ペアヨーロッパチャンピオン、アレクサンドル・スミルノフのインタビュー:「僕たちにとってフィギュアスケートは、生き方そのもの!」

https://www.sports.ru/tribuna/blogs/zzzjjj/2548654.html

2019/08/20 ペアヨーロッパチャンピオン、アレクサンドル・スミルノフのインタビュー:「僕たちにとってフィギュアスケートは、生き方そのもの!」

====Sports.ru掲載のブログ『フィギュアスケートを好きですか?』より一部抜粋=====

アレクサンドル・スミルノフ:ユーコ・カワグチとのペアで、二度のヨーロッパチャンピオン、二度の世界選手権銅メダリスト。

—数年前あなたとユーコは、招待ペアとして北朝鮮のフィギュアスケートフェスティバルに行きましたね。この謎の国に関しては多くの決まり切った物言いがなされています。あなたの個人的な印象に興味があります。

「雰囲気は興味深く、不慣れなものだった。国境で携帯電話を取り上げられ、出国する時にそれらを返すと言われた時は、怖かった。僕たちは、家族に電話をすることさえ出来なかった。フェスティバル主催者の代表者たちが、街のどこに行くにも僕たちに同行して、地元の住民たちは入れなかった。フィギュアスケートはかの地では愛されていて、何人かの人たちはサインを欲しがったのだけれども。

僕たちの訪問は、労働をお祝いする日に当たっていて、ピョンヤンのどの通りにも、広告のバナーの代わりに、仕事へのスローガンが書かれたポスターが掛かっていた。北朝鮮ではスポーツが発達していて、僕たちはリンクで地元のフィギュアスケーターたちを見た。彼らのペアはピョンチャンオリンピックで滑った程だ。技術的観点からは立派な北朝鮮フィギュアスケーターたちが存在するが、しかし、芸術的部分では、彼らは弱い。彼らのプログラムは、『冷たい』」。

—ユーコ・カワグチは、今どうしていますか? 外交官の子供たちのためにトレーニングに関する講義をし、日本語の授業もしていましたが。

「僕のパートナーはペテルブルクに残って、僕たちは良い関係にあり、周期的にトレーニングをして、ショーに出演している。現在ユーコは、タチヤーナ・ナフカのショー『シンデレラ』で(グループナンバーに関わって)滑っている。それ以外の時間にユーコが何をやっているかは、彼女に直接聞いた方が良い。彼女はいつだって喜んでプレスと会うよ。僕には正確な情報が無いから、彼女のために必ずしも正しい答えにはならないだろう」。

—ミーシンとモスクヴィナの祝賀会で、あなたは片手でパートナーを颯爽と高く持ち上げていましたね。引退から二年経っているのに、このようなコンディションをどのようにして維持していられるのですか?

「これにはいくつかのファクターがある。第一に、僕とユーコは10年以上一緒に滑っているし、この期間に双方とも一度も他のパートナーと試したことが無かった。僕たちは経験豊富な、調和の取れた整ったペアなのだ。第二に、筋肉の記憶だ — 身体が全ての動きを覚えているから、プログラムにそれらを集めて、滑る前日にリハーサルするだけで良いのだ。

僕たちはまだ若いし、ほぼ毎日氷の上にいる。他の人たちに教えているにせよ、自分たち自身でエレメンツを生徒たちに見せている。フィギュアスケートは自分たちにとって、生き方そのものだ。『中途半端』な仕事はしない — もし滑るのなら、様々な意味で理想的に、高いレベルで。ついでに言えば、ショーのためのあのプログラムを僕たちは一日で作った。あれは愛するコーチへの、彼女の創造的活動の記念日のための贈り物だった」。

—あなたの創造的夢と計画はどのようなものですか?

「僕のスポーツクラブが成長するように、そしてフィギュアスケートという僕たちの魔法の世界への扉を、子供たちにも(アマチュアの)大人たちにも開け続けることを願っている。ますます多くの人たちがこのスポーツ種目を愛して、ここに子供たちを連れて来てくれることが、僕は嬉しい。もちろん、自分たちのチャンピオンを育てたいし、さらにペテルブルクでフィギュアスケートの普及を続けたい — 何よりも自分の仕事の結果によって」。

最後に、2015年ヨーロッパ選手権で勝利した時のユーコ・カワグチ/アレクサンドル・スミルノフ組の演技を鑑賞しよう。(訳注:スロー四回転サルコウジャンプもクリーンに決めています)
https://www.youtube.com/watch?v=eFZHyvf2qx0

  1. 2019/08/24(土) 12:13:00|
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2019/08/15 インナ・ゴンチャレンコ「一位にだけ興味ある者が、競技スポーツに行く」

https://www.sports.ru/tribuna/blogs/zzzjjj/2543644.html

2019/08/15 インナ・ゴンチャレンコ「一位にだけ興味ある者が、競技スポーツに行く」

===『モスクワのフィギュアスケート』より一部抜粋。前回の2019/08/15 インナ・ゴンチャレンコ —トゥトベリーゼの仕事の方法について:「私たちは皆、厳しく仕事をしているが、全員が全員、彼女のところのような結果を出せている訳ではない」の続き。
====

—それは良いことのように聞こえます。しかし、西側では練習方法が根本的にロシアとは違っていることは同意なさいますね — そのことは誰が見ても分かります。何故私たちは、彼らのように働くことが出来ないのでしょうか?

「かつてソヴィエト時代に私たちが教えられたことは、コーチとしての私たちはアスリートに対して声を荒げる権利は無いし、怠け者だからとか言うことを聞かないからと言って、練習から彼を追い出すことは出来ないというものでした。そうする代わりに、教育方法によってこの苦しい労働に彼を引き入れ、鼓舞しなければならないのだと。残念ながら、実態はその通りにはなっていません。

それに対して、アスリートとの相互関係というコーチ倫理が非常に定着している西側では、コーチは声を荒げることをしないし、怠けても(ロシアのように)責めず、遅刻しても(ロシアのように)叱責しません。そこでのコーチは、背中の姿勢や足の形を直すために手でアスリートに触れようともしないのです。だって、そのためのライセンスも無いのに、その場に居られるし、そこに居座ることさえ出来るのです。このせいで、教育は、ロシアよりも何かゆっくりと進むのです。

このようなアプローチでは彼らに結果はほとんど得られないだろうに、しかし、西側では、アスリートたちは、グループでではなく、完全な個人指導で学びます。

どうか、子供たちに対して怒鳴り、サンドバックのように彼らを揺することが正しいと私が考えているなどとは思わないでください。ただロシアの仕事の環境、仕事の方法がそのように出来上がっていて、西側とは違っているのです。かの地では、コーチと両親が直接的な商品-金銭関係にあります。両親にとってアスリートは、安くない投資であり、それゆえ海外ではコーチが要求を出すのではなく、アスリートの家族が要求を出すのです。

特に、もしこの家族が移民の家族であれば、そして特にもし、この家族が東洋からの移民の家族であれば。中国や日本では、国民のメンタリティーが、ロシアや西欧のそれとは違っています:そこでの彼らはワーカホリックであり、自分たちの子供をスパルタ式に教育します。

私はある時偶然、このことを確信したことがあります。それは、あるグランプリ大会が終わってエキシビションのための朝の練習を目撃した時のことです。朝7時のアスリートたちを想像してみてください。皆、力も気持ちも抜けた状態です。彼らは氷の上をあちらこちらへと滑り、あるいはリンクサイドの近くでただ立っています。その中でネイサン・チェンただ一人、練習の時間中ずっと四回転ジャンプを跳んでいました。注意深く彼を監視していた母親の前で。固まり切っていない氷の上で、天井の照明も無いところで」。

  1. 2019/08/21(水) 00:12:00|
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2019/08/15 インナ・ゴンチャレンコ —トゥトベリーゼの仕事の方法について:「私たちは皆、厳しく仕事をしているが、全員が全員、彼女のところのような結果を出せている訳ではない」

https://www.sports.ru/figure-skating/1077234268.html

2019/08/15 インナ・ゴンチャレンコ —トゥトベリーゼの仕事の方法について:「私たちは皆、厳しく仕事をしているが、全員が全員、彼女のところのような結果を出せている訳ではない」

コーチのインナ・ゴンチャレンコは、エテリ・トゥトベリーゼの仕事の方法について考えを述べた。

—あなたの見方では、何のお陰で、このような(フィギュアスケートの最近の)進歩が可能になったのでしょうか?

「何よりも先ず、何らかの心理的バリアを克服したからであり、また同様に経験の蓄積、教育方法の研鑽のお陰でもありますね」。

—このバリアを乗り越えたのは、子供たちですか、それともコーチたちですか?

「もちろん、コーチたちです。彼らは自分たちなりの総括をし、四回転ジャンプを怖がるのを止めたのです。この心理的決壊が可能になったのは、四回転ジャンプを早期に教えるのは可能だし、むしろそうしなければならないということを、自分の仕事によって証明したトゥトベリーゼグループのお陰なのです」。

—今日、実際にそれぞれのアイロンから、過剰な負荷や骨折した足、痛めた腰について、またそもそも子供の頃からヘトヘトになったフィギュアスケーターの泣き声が洩れています。コーチの野心がアスリートたちの人生や健康を脅かしてはいませんか?

「誰も何も、通常以上にひどく壊してはいません。同じような調整能力を要する競技スポーツのどれを見ても — 体操、飛び込み、トランポリンなど — どこでも教育は幼い年齢で始まっています。そうでなければ、必要なことの全てを学び切れないからです。ところでバレエやサーカスでも丁度同じことが言えます:非常に早期で集中的教育です。しかし、最も才能のある者たちからしかバルィーシュニコフ、ヌリーエフ、ツィスカリーゼたち(共に有名なバレエアーティスト)は出て来ないのです。

プレスは最近、エテリ・トゥトベリーゼの厳しい仕事の方法について書き立てています。私が言えることは、私たちは皆、厳しく仕事をしているということです。ただ皆が皆、彼女のところのように結果を出せているわけではないということです。

エテリは、子供たちが毎日氷にやって来て闘争するという仕事のメカニズムを見つけることが出来たのです。エレメンツの闘い、エテリの注意を引き付ける闘い、自分との闘い、仲間との闘い。

だから、彼女のアスリートたちは試合においてあんなにも不屈で、安定性があるのです。一日2回、一週間に6日、一年に350日の練習毎に、彼女のグループでは自分たちのオリンピックが行われているのです。これは簡単なことだとは、私は思いません。彼女自身にとっても、彼女のスタッフたちや指導部全体にとっても。だって、タチヤーナ・タラーソワが言うように、大動脈が破裂するまで、毎日働かなければならないのですから。

突破口を作り宇宙に最初に出て行った、何らかの実際の人々は常にいます。しかし、世界的に有名なコーチになる前のエテリのコーチとしてのキャリアの最初は、フィギュアスケートは余暇の遊びだと思っていた子供たちとの仕事だったし、不適格の烙印を押されスポーツ学校から追い出された者たちを集めていたのです。

それは普通の子供たちだったし、特別に才能がある訳でもなく、特別に勇気がある訳でもなかった。そのような子供たちを、勇気と才能のある者たちになることを得心させなければならなかった。彼女は、それを今もやっているのです」。ゴンチャレンコは、このように語った。

文:アントン・ピリャソフ / 出典:『モスクワのフィギュアスケート』

  1. 2019/08/17(土) 16:21:00|
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2019/08/07 アーラ・ロボダー「フィギュアスケートにおける恋愛は、私にとってはタブー」

https://rsport.ria.ru/20190807/1557249622.html

2019/08/07 アーラ・ロボダー「フィギュアスケートにおける恋愛は、私にとってはタブー」

====一部抜粋===

(アナトーリー・サモフヴァーロフ)
(パーヴェル・ドローストとのペアで)世界ジュニア選手権アイスダンスの二度のメダリスト、アーラ・ロボダーは、20歳で正式に選手生活から引退した。その後、記者アナトーリー・サモフヴァーロフに、アイスダンスの現役を引退する時期について、周りの人たちが自分より優れている時に感情をどう隠すかについて語った。

—ドローストとのペア解消は、彼のイニシアチブだったのですか?

「はい、休暇の後、練習開始の前に彼は二人で会うことを頼んできて、自分の決断を説明しました」。
・ ・・
—アイスダンスでは自分の女性のミトンでパートナーをしっかりと掴んでいなければならない、という考え方を知らなかったのですか? ジーマ・ソロヴィヨーフを決して離さなかったカーチャ・ボブローワのように。彼女は引退した後でさえ、(ジーマがペアを組むかもしれないと話題になった)エレーナ・イリイヌィフと彼にスポーツ的に嫉妬したと、RIAノーヴォスチのインタビューで打ち明けました。

「誰を、どのようにして私が捕まえていなければならなかったのか分かりません。私自身は温和で、素直な人間で、私は常にパートナーの言うことを聞き、我を張って自分の見解を曲げないと言うことはほとんどありませんでした」。

—パーシャ(パーヴェル)のカーリーヘアーを掴んで、『どこにも行かないわよね?』と言いたくなかったのですか?

「いいえ。彼は自分の決断について明瞭に私に言いました。彼を引き止めて置くと言う考えはありませんでした。嫉妬も私にはありませんでした。私と彼は真剣な道を歩んできました、6年間。ですから、彼のためにこれらの年月が無駄にならないように、このスポーツ種目で彼の全てが上手く行くように、私は願ったのです」。
・ ・・
—パーヴェル・ドローストは、非常に丁重な人です。あなた方に精神的関係はありましたか?

「友情と仕事の関係で、それ以上ではありません。プロフェッショナルな尊敬です。『化学反応』はありませんでした」。
・ ・・
—パートナー同士の実生活での関係は、デュエットに有益なのか、どう思いますか?

「私にとってパートナーとのロマンスは、タブーです。しかし、それは個人的な問題です。私にとっては、仕事が家の中に持ち込まれるのは受け入れられない気がします」。

—ある素晴らしい女性フィギュアスケーターが私に言ったことですが、自分の個人生活で、フィギュアスケート出身の人とはもう決して付き合わないそうです。あなたは彼女を理解出来ますか?

「そのようなラジカルな言い方は、私は出来ません。何故なら、フィギュアスケーターの中には多くの物事に憧憬が深く、興味深い人たちがたくさんいますから。今、私の心は自由です」。

  1. 2019/08/16(金) 23:11:00|
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2019/08/06 ルスラン・ジガンシン「シニーツィナ/カツァラーポフ組は、誰よりも近くにパパダキス/シゼロン組に忍び寄っている」

https://sport24.ru/news/other/2019-08-06-figurnoye-kataniye-intervyu-ruslana-zhiganshina---o-rasstavanii-s-sinitsinoy-i-ilinykh-trenirovkakh-v-amerike-u-shpilbanda-i-velichii-tutberidze-foto-video-instagram/amp?__twitter_impression=true

2019/08/06 ルスラン・ジガンシン「アメリカのシュピリバンドの下でのトレーニングに、一ヶ月一万ドル払った」

====一部抜粋====

(マリーナ・クルィローワ)
ルスラン・ジガンシンは、4歳の時にフィギュアスケートを始めた。12歳でヴィクトーリヤ・シニーツィナとペアを組んだ。彼と彼女は一緒に、ジュニアグランプリファイナル、世界ジュニア選手権で勝利した。シニアに移ってからも悪くなかった:ロシア選手権銅メダル、ヨーロッパ選手権4位、ソチオリンピック出場。

ソチオリンピックの直後、シニーツィナ/ジガンシン組とイリイヌィフ/カツァラーポフ組という二つのペアの解体が、ロシアフィギュアスケート界の大きな話題となった。ニキータ(・カツァラーポフ)がヴィーカ(・シニーツィナ)と一緒に滑る決心をしたのだ。レーナ(・イリイヌィフ)とルスランも一緒になった。スキャンダルの程度は、ジューバ(サッカー選手)が『スパルターク』から『ゼニート』に移籍したレベルだった。

誰もこのような入れ替わりの成功を信じていなかった。ファンたちは、この崩壊を自分個人の悲劇のように悲しんだ。かつてのパートナーたちは、2014/15年シーズンのグランプリモスクワ大会で初めて相まみえた。その時、ヴィーカとニキータは相当冷たく受け入れられた。彼らは4位になったが、難しい雰囲気だったと訴えた。レーナとルスランは2位だった。そして2ヶ月後、ロシア選手権で勝利した。

その他の主な戦果としては、グランプリ中国大会での銅メダルとチャレンジャーシリーズでのいくつかの輝かしい勝利がある。最後の試合の一つとなったのは、2016/17シーズンのチェリャービンスクでのロシア選手権だ。イリイヌィフ/ジガンシン組は、そこで銅メダルのためには百分の何点か足りずに4位に甘んじた。その後五月中旬、ルスランは現役引退を発表した。が、数ヶ月後、コーチとして氷に戻った。
・ ・・
—あなたが訪れた中で、最も驚くべき場所はどこですか?

ルスラン・ジガンシン:「僕は日本がとても気に入っている。これこそ僕にとって最も驚くべき場所だ」。

—何故だか私はそれを聞いても少しも驚かされません。フィギュアスケーターたちの日本へのそのような愛はどこから来るのでしょうか?

「さあ、どうだろう。他のスケーターたちの意見を聞いてみたことは一度もない。ただヨーロッパにも、アメリカにも、アジアにも滞在したから、比較することが出来る。同じように中国も僕は基本的に気に入った。しかし、中国はもっと特有だ。僕は以前、日本と中国は何かしら似ているのだろうと思っていたが、違った。全く違う。

日本、それは別の惑星だ。僕は彼らの厳格主義、彼らの自己献身が気に入っているのだ。日本には、労働日が終わる時に、会社から人々を追い出す専門の人さえいるのだという。彼らは、凄まじいワーカーホリックなのだ」。

—日本のフィギュアスケーターたちも、そのように凝り性なのですか?

「僕は日本のフィギュアスケーターたちとはほとんど会話しなかった。しかし、もちろん、彼らを観察した。彼らは非常に教養ある人たちらしかった。彼らは常に非常に押し出しが良く見え、自分の価値を知っている」。
・ ・・
—引退する少し前あなたとエレーナ・イリイヌィフは、アメリカのイーゴリ・シュピリバンドのところへ研修に出かけましたね。あれは有益な経験でしたか?

「僕はあの研修を、人生を良い方向へ変えるチャンスだと捉えていた。実際には全てが全くそうはならなかった。僕が非常に気に入ったのは、ファビアン(Sport24注:ファビアン・ブルザ。フランスの元フィギュアスケーター。ナタリー・ペシャラと組んでアイスダンスで滑った。世界選手権銅メダリスト)との仕事だった。彼は、全仕事の80パーセント位を行った。

僕は、イーゴリとは仕事の歩調が揃わなかった。僕は、彼の仕事のスタイルが好きになれなかった。彼のところへトレーニングに通いたくない程になった。彼らのやり方が気に入らなかった。ロシアではコーチは、アスリートに何倍も近い存在だ。あなた自身を観察してくれ、体重や、生活全般を気に掛ける — つまり、あなたの目的を達成し、結果を出せるように全てのことをやる。

アメリカでは、支払われた個人授業の時間だけが僕とコーチの結び付きだ。

さらには、あそこでは皆が非常に礼儀正しく、寛容で、顔では微笑んでいるが、目の奥では批評している。そのことも僕は好きではなかった」。

—ということは、イーゴリ・シュピリバンドは、今は実際のコーチというよりもむしろ顔だということですね。

「今何なのか知らない。それに他のアスリートたちと彼がどのように働いているのかも知らない。僕たちが彼のグループでトレーニングした時は、言って見れば顔だった、確かに。もちろん彼は、プログラム製作のプロセスに参加した。しかしやっぱり、その参加は何か奇妙だった。

演出者は普通、具体的に君は何をやるべきかを言い、あるいは演技のいくつかのバージョンを提案する。しかし、『まあ、どうにかしなさい』的な提案で、僕個人は評価出来なかった。シュピリバンドの対極をなすのがイリヤ・アヴェルブーフだ。彼はアイディアの宝庫だ」。
・・・
—今ではあなた自身に、コーチとしての経験があります。過去を振り返って見て、現役だった時のフィギュアスケートへの自分の対応で、出来るとすれば何を変えますか?

「自分が14歳位だった時の、何かを変えるだろう。ロシアでは、滑ることが何かソヴィエト的というか、静止ポーズの滑りが愛されている。そのようなことはかなり前から、フランス人たちも、アメリカ人たちも、カナダ人たちもやっていない。われわれだって、既に当時やる必要が無かった。ロシアでは各エレメントを十分に厳密に顕示し、固定しなければならない。彼らのところでは一つのエレメントが他のエレメントに移行して、それら全てが非常にスムーズで滑らかだ。

われわれは教えられた通りにやった。ここで僕は決して何もコーチたちを非難することはしない。コーチたちがやってくれたことの全て、彼らの忍耐、勤勉に対し、僕は深く感謝している。彼らもまた、自分たちが教えられたように僕たちと仕事をした。長い鎖のように繋がっているのだ」。
・ ・・
—どうしてアイスダンスがオリンピック種目になったのでしょうか? 国際オリンピック委員会が、ロシアフィギュアスケーターたちの言うなりになったのです。

「難易度に関して言えば、これもロシア派はどの西側とも違っている。ロシアでは常に何か付け加えようと、難易度を上げようと、何らかのターンを鋭くしようとする。これら全ては重く、静止して見える。これは、少し労働者-農民的スタイルになる。

一方でアメリカ人やフランス人たちは、最も簡単な方法で大きなスピードを得ており、これは軽快で、舞踊・振付けが優れて見える。ロシアペアの中で、現時点でほとんどこれと同じように見えるのは、ヴィーカ(・シニーツィナ)/ニキータ(・カツァラーポフ)組だ。彼らは良くやっている! 彼らは、誰よりも近くにフランス人たち(パパダキス/シゼロン組)に忍び寄っているという感じがある」。

  1. 2019/08/08(木) 21:59:00|
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2019/08/02 エヴゲーニー・プリューシェンコ —息子について「お前がプリューシェンコという苗字を持っているなら、最高の中の最高にならなければならない。そうでなければいじめられる!」

https://www.sports.ru/figure-skating/1076809285.html

2019/08/02 エヴゲーニー・プリューシェンコ —息子について「お前がプリューシェンコという苗字を持っているなら、最高の中の最高にならなければならない。そうでなければいじめられる!」

二度のオリンピックチャンピオン、エヴゲーニー・プリューシェンコは、苗字は彼の息子のアレクサンドルに、人生で成功しなければならない義務を負わせているとの考えを表明した。

プリューシェンコは、Instagramに息子をトレーニングしている写真を載せ、コメントを添えた:「お前は、私よりも優秀にならなければならない」。

一人の女性読者が彼に質問した:「どうしてそうならなければならないの?」。

「それじゃ何のために競技スポーツに進むのだろう? もし何にも、誰にも果たすべきものが無いのであれば — 何もせずに家に居れば良い。しかし、もしプリューシェンコという苗字を持っているのなら、最高の中の最高にならなければならない。さもなければいじめられる! それが人生と競技スポーツの法だ!」。プリューシェンコはこう答えた。

文:リナ・ロツィク / 出典:エヴゲーニー・プリューシェンコのInstagram

  1. 2019/08/04(日) 17:12:00|
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