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2019/12/31 アンナ・シェルバコーワ「重要な大会で自信が持てるように、もっと進歩し、もっと難しい構成で滑り込んで行きたい」

https://www.sports.ru/figure-skating/1081871874.html?from=main-news-fs

2019/12/31 アンナ・シェルバコーワ「重要な大会で自信が持てるように、もっと進歩し、もっと難しい構成で滑り込んで行きたい」

ロシア選手権-2020優勝者アンナ・シェルバコーワは、終了したこの大会の印象を語った。

「ポジティブな感情の海でした。このロシア選手権の前は、私は非常に緊張しましたし、緊張は他の大会よりも何倍も大きかったのです。ですから、二つのプログラムと自分のエレメンツに対処出来たことがとても嬉しいです。

もちろん、理想的な滑りだったということは、やはり、出来ません。何らかの欠陥がありました。ミスは修正し、改善し、そして難易度を上げて行くつもりです。しかし、現時点では課題を遂行しましたから、そのことにとても満足しています。

—ここではヨーロッパ選手権への選抜が行われました。確実に選抜されるために、プログラムの難易度を下げるという考えは無かったのですか?

「そのような考えはありませんでした。何故なら、難易度を上げることこそしたいので。もしプログラムをより簡単なものにすれば、立ち止まっていることになるでしょう。重要な大会でより自信を持つために、より難しい構成を滑り込んで行きたいのです」。

—ここクラスノヤールスクでの準備はどうでしたか? 時差などはどれ程影響したのでしょうか?

「時差などの影響は少しありましたが、大きなものではありませんでした。最初の何回かの練習は上手く行き、良い準備が出来ました。ショートの前には、全てが整いました。

フリーの前の練習では、いくつかのミスがありましたし、理想的には程遠い練習になりました。しかし、そのようなことはあることだし、その後はただ集中すれば良いことだと私は知っています。だってそれは自分にとってウォームアップに過ぎなかったのですから」。

—勝利の後の夜はどのようにして過ごしましたか?

「昨日は、何が起こったのかをまだ少し理解出来ませんでした。まだ何も終わっていないかのような、何らかの緊張がやはり残っていて。しかし、朝の4時まで寝入ることが出来なかったことを除いては、何も特別なことはありませんでした」

—新年には自分自身のことで何を願いますか?

「健康と自信、それに全ての計画が実現できますように」。シェルバコーワはこのように語った。

文:リナ・ロツィク  / 出典:youtube-チャンネルOlga E

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  1. 2019/12/31(火) 16:51:30|
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2019/12/27 ドミートリー・アリーエフ「ロシア選手権での勝利は自信を与えてくれる」

https://tass.ru/sport/7437373

2019/12/27 ドミートリー・アリーエフ「ロシア選手権での勝利は自信を与えてくれる」

クラスノヤルスク、12月27日、TASS。
フィギュアスケートロシア選手権で金メダルを獲得したドミートリー・アリーエフは、このタイトルは自分の力への自信を与えてくれるだろうと、記者たちに語った。

アリーエフは、フリープログラムで四回転ルッツをクリーンに跳んだが、その後の四回転トウループとステップシークエンスで転倒した。二つのプログラムの合計で260.98ポイントを獲得し、自分の競技生活で初めてロシア選手権で金メダルを獲得した。

「初めてこのような気持ち、このような奇妙な感情になった — 自分が何のためにここに来ようとしているのか、何が出来るのかを僕は分かっていた。

待機するのは最も嫌なものだ — (ウォーミングアップの後)6番目の滑走なら、座って待たなければならない。10点満点で7を自分に点ける、ミスはあった、しかし、ショートの滑りからフリーの滑りへと調子が上がっていく状態が僕は好きだった。

フリーは、活発に動けない上位8人の組だったが、アスリートたちの中にいる自分を感じていた — 他の選手たちや自分自身と戦いたいという想いは、プラスだった

もっと磨きをかけて、自分自身を鍛えるつもりだ。ロシアチャンピオン、これはタイトルだ。ロシアは大きな国だ。この勝利は僕に自信と、意志の芯を与えてくれるだろう。自分はロシアチャンピオンだと感じてみたかった。このような形で終わって嬉しい」。

アリーエフはまた、スケート靴を換えるつもりだと語った。「靴を交換するつもりだ。これらはもうダメだから」。

ロシア選手権の競技そのものは28日に終了する。この大会の結果によってヨーロッパ選手権への代表チームメンバーが編成される。

  1. 2019/12/29(日) 00:30:00|
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2019/12/23 エレーナ・チャイコフスカヤ「フィギュアスケートには、純粋な形での記録というものは無い。計器盤に向かって座っているのは人間。主観的な視線を捨て去ることは誰も出来ない

https://www.sports.ru/figure-skating/1081651639.html

2019/12/23 エレーナ・チャイコフスカヤ「フィギュアスケートには、純粋な形での記録というものは無い。計器盤に向かって座っているのは人間。主観的な視線を捨て去ることは誰も出来ない」

ロシアフィギュアスケート連盟コーチ会議議長エレーナ・チャイコフスカヤは、フィギュアスケートの記録に関して考えを述べた。

—今のフィギュアスケートで数々の世界記録が出ることを、あなたは何故気に入らないのですか?

「何故なら、フィギュアスケートには純粋な形での記録は無いからです。明確な形でのセンチメートルや秒がありません。昨日、一つの審判団が座り、プログラムをあのように評価した、今日は別の審判団が座る。パフォーマンスは、前のものと比べることが出来ますが、得点は比べることが出来ません。何故なら、計器盤に向かって座っているのは人間で、今のところ誰も主観的な視線を捨て去ることは出来ないからです。

しかし、記録を調べるのが好きな人がいるなら、誇りの根拠としたら良いでしょう。現在は、非常に難しい競技スポーツになっているのです。見て御覧なさい、女の子たちが何をやっているのかを! これが現実なのです。

長年、フィギュアスケートにおいて方向性を指し示したのは、正にわれわれ、ロシア人だったということを私は嬉しく思っています。ダンス、ペア、男子シングルで指導的役割を果たしました。今や、女子シングルにおいても完全に正確に方向性を指し示しています。その方向に沿って私たちの競技種目は発展しているのです」。チャイコフスカヤは、このように語った。

文:リナ・ロツィク /  出典:kommersant

  1. 2019/12/28(土) 00:45:34|
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2019/12/23 アリ・ザカリャン「今フィギュアスケートは、ロシアと日本」

https://www.sport-express.ru/figure-skating/reviews/ari-zakaryan-segodnya-figurnoe-katanie-eto-rossiya-i-yaponiya-1625349/

2019/12/23 アリ・ザカリャン「今フィギュアスケートは、ロシアと日本」

====スポーツエージェント、マネージャーおよび演出家アリ・ザカリャンのインタビュー記事。一部抜粋====

(エカテリーナ・ベスパーロワ)
「ロシアの男子スケーターだって、それ程悪くはない。ただあのジェーニャ・プリューシェンコが2010年も2014年も非常に立派に滑り、リーダーだった。彼と戦える選手がいなかった。彼は当時ライオンだった。その結果彼と競い合っている他のスケーターたちが途方に暮れ、自分に自信を得ることが出来なかった。ジェーニャは氷に出なくても、ライバルたちを撃滅した。彼は一つの現象だったし、フィギュアスケートを前進させた。既に20年が経過したが、多くの人たちは今になっても彼とヤグージンとの対立を覚えている。その後現れたのは、ザギートワ対メドヴェージェワ、チェン対羽生、ナダル対フェデラーだ。

新世代について語るとすれば、それは強く、文字通り1、2年後には世界男子スケートで優位を占めるだろう。この点では、われわれ西洋は遅れをとっている。今男子スケートのビッグネームは、羽生、チェン、宇野だ。ロシア男子選手は、ちょっと脇だ」。
・ ・・
—今シーズンの誰のプログラムをあなたは本当に気に入りましたか?  何度か見直したいと思えるような。

「ロシアの主要なダンスペアである二組、 シニーツィナ/カツァラーポフ組とステパーノワ/ブーキン組、それにフランスのパパダキス/シゼロン組、カナダのギレス/ポワリエ組のプログラムだ。エイモスも良く見える。羽生現象は、議論の余地が無い。彼は異星人のようだ。チェンはスーパータレントで、日を追う毎に仕上がって行っている。それにロシア男子:サマーリンは本当に驚くべきスピードの四回転ルッツで飛行している。アリーエフは非常に柔らかで、優美な動作だ。

女子は・・・もし純粋にプログラムについて語るとすれば、ザギートワとメドヴェージェワの今シーズンのプログラムは二つとも良い。サーシャ・トルーソワが氷に出ると、四回転を跳ぶだろうか、どうだろうと皆が待っている。そしてそれは特別な気持ちだ — 記録や宇宙的到達への期待。ウサイン・ボルトとマイケル・フェルプスの場合のように。記録が更新されれば、スーパーマンだ!とあなたは思うだろう。

コストルナーヤはエレガントな美人で、『フルパッケージ』のスケーターだ。アーニャ・シェルバコーワは、賢く、素晴らしく躾が良く、自分の芯を持っている — だって2017年に足を骨折するという重い怪我の後なのに、四回転を跳んでいるのだ。彼女のプログラムは、世界で二番目の難易度を持っている。

23歳で四回転ジャンプを習得したリーザ・トゥクタムィシェワの前では、帽子を取って敬意を表する」。
・ ・・・
—トゥクタムィシェワの最も大きな問題の一つは、コンポーネンツの方の評価なのですが・・・

「私に取ってはそこが分からないところだ。私は採点のやり方を古典(6点方式)に戻すことに賛同する者だ。選手がキャメルスピンを立派にやる時、それは見応えがある。それなのに、色々なポーズをして難易度レベル4を獲得し、欠点を隠している・・・シットスピンが普通に出来ない選手が、レベルのお陰で、スピンを最高にカッコ良くやっている選手に勝つことが出来るのだ、それはスピンに限らない。私が望んでいることは、フィギュアスケーターたちが魂で滑り、喜びを感じ、踊り、スピードを持って動き、一方で観客たちは、彼らのエネルギーを捉えるようになることだ。そうなれば、私たちは即座に理解できるだろう:誰が悪い滑りをして、誰が良い滑りをしているかを」。


  1. 2019/12/25(水) 01:35:00|
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2019/12/20 秋田市の古代水洗トイレ遺構と渤海国 〜5〜 — 渤海の国家組織と社会構造 —

http://rezerv.narod.ru/history/ussur-bohaigos.htm

2019/12/20 秋田市の古代水洗トイレ遺構と渤海国 〜5〜
             — 渤海の国家組織と社会構造 —

=====このテキストを書いている人たちは、ウスリースク市の「若き考古学者のクラブ《予備隊》」で、指導者はアレクサンドル・レオニードヴィチ・メーゼンツェフとアンドレイ・ヴィクトロヴィチ・ブルドーノフとあります。

私はウスリースク市には、かつて訪れたことがありますが、確かにアジア的な顔つきをしていた人たちが非常に多かったです。食堂に入りパンを食べた同行者の一人が、あまりにも硬いパンで歯を折ってしまったことを思い出します。また下記に出て来るハンカ湖にも偶然寄りましたが、岸辺一面に葦が生えて風が吹き荒ぶ、寂しいところだったと思い出します。向こう岸など見えない、広大なあの湖の周りに渤海という国があり、栄えていたのかと少し感慨深いです=====

[行政機構]
渤海が誕生した最も初期の段階に国を統治したのは、王自身や最も力のある首領たちであったとすれば、(3代目の王)チンマオ(欽茂)の時代になると、官位システムが現れた。官吏になるためには、あるいは自分の地位を上げるためには、試験を受けなければならなかった。渤海の試験に関する情報は残っていない。しかし、行政機構の多くを渤海から真似たキダーニ(契丹)では、主要な試験科目は、弓道と詩歌だった。恐らく、同じようなものが渤海にもあったのだろう。

国の最高権力は、王(渤海人たちは彼をケドゥと呼んだ)に属した。王権を譲渡する明確なシステムは無かった。王権は、父から息子に、兄弟から兄弟に、おじから甥へと譲渡された。国の全ての重要な職は、王族や最も名門の氏族の代表者たちが占めた。ドゥドゥ(都督)は、府の軍民両政長官だった。彼の下に上級官吏が位置した。それは州の長官スィシー(刺史)、部族や農村コミュニティ(部落)の監督官となっているショウリン(首領)やその他の様々な官吏たちだ。

国家行政機関(政堂省)は、左平章事と右平章事の二つで構成された。左平章事に入る部には、忠部、仁部、礼部があり、また部局として、勲封局、倉庫局、食料局があった。右平章事に入る部は、智部、義部、信部があり、部局として、決済局、軍事局、水利局があった。

全国は15府に分けられた。府の下には州が、州の下には県があった。全体で62州と125県があった。主要な行政権力は、5京(けい)にあった。上京は、(満州の)ロンチュエン(龍泉)府に置かれ、中京は、(満州の)シェンデュー(顕徳)府に、東京は(東満州、北朝鮮、ハサン地区の)ロンユエン(龍原)府にあった。西京は、(満州、北朝鮮の)ヤールー(鴨緑)府にあり、南京は(北朝鮮の)ナンハイ(南海)府にあった。府の位置に関しては、学者たちの一義的見解は無い。最初の見解の一つは、府の位置を次のように比定した(訳注:他の研究者たちの論文をネットでチラ見したものと比べるとあまりにも違っていますがそのまま訳しています):フアンユエン(懐遠)府(パルチザン地区とシュコトヴォ地区)、アンユアン(安遠)府(ハンカ湖の西と南西)、シュアイビン(率實)府(ラズドーリナヤ川の流域)、ディンリ(定理)府(ハンカ湖の東)、アンビエン(安辺)府(アヌーチノ地区、チェルニゴフカ地区)、トンピン(東平)府(ハンカ湖の北、多分ビキンまで)、ヒエリー(鉄利)府(ダリネゴルスク地区、カヴァレーロヴォ地区)、マオチエー(鄚頡)府(一説によるとスンガリ川下流、別の説では、チェルネイ地区)。その他の府は、満州と北朝鮮にあった。

[軍と軍事]
渤海は、その誕生の時から強力な軍隊を誇った。渤海軍は、衛と名付けられたいくつかの大きな部隊で構成された。衛を率いたのは、将軍か大将軍だ。次のような7つの部門が知られている:猛勇大熊衛、ヒグマ衛、南左衛、南右衛、北左衛、北右衛。パルチザン地区では、左猛賁衛将軍の札が発見された。

考古学者たちによって多種の矢尻が大量に発見されている。弓矢は基本的な武器だった。その他、槍先、刀、兜も発見されている。兵士の身体は、鉄の板で作られた甲冑で保護された。

軍の土台を構成したのは騎兵隊だったが、後になって歩兵が現れた。必要に応じて、敵の背面で偵察を行った特別部隊が創設された。渤海人たちは水軍も持っていたが、渤海の軍船が具体的にどのようなものだったのかは、確定的な見解は無い。

軍は野戦で勇猛だったばかりでなく、町を襲撃することも出来た。渤海では、町の防衛も良く発達していた。町は土塁や石壁で囲まれ、その前には塹壕が掘られていた。山城への道は、敵が正門を襲うことが出来ないように付けられていた。

[社会構造]
初期の渤海では、モヘ(靺鞨)社会制度が維持され続けた。社会全体は平等の部落民と首領から成っていた。首領の座は、相続か功績によるものだった。ダ・チンマオ(大欽茂)の統治が進むにつれて、渤海社会はより複雑に成った。国の全権力は、王に属し、その地位にある者は神聖だった。王族(全ての肉親)は、最強の官吏だった。最も高い貴族階級は、六つの名門氏族(ガオ高、チャン張、ヤン楊、タオ陶、ウ烏、リ李)の代表者たちで構成された。これらの氏族の長は、かつては大首領だった。彼らの地位は王族とほぼ同じくらい高かった。これらの氏族たちは王子たちに花嫁を提供し、省の長官や都督(府の長官)の地位を占めた。主要な富は、彼らの掌中にあった。

多数の官吏たちは、最高の貴族階級ほどは名門ではなかった。基本的にそれは国の仕事や軍務で自分のキャリアを作った、世襲に頼らない上流階級で、時にそれらは庶民出身者たちだった。渤海社会で最も多数を占めたのは、自由な部落民たちだった — 彼らは村の住民たちで、農作業や手仕事に従事したり、貴族の荘園で働いたり、独立して働いていた。社会の最下層は奴婢だった。それは不平等な部落民から奴隷までの従属させられた人々だった。奴隷は多くはなく、基本的に彼らは家の召使いだった。

  1. 2019/12/23(月) 23:52:00|
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2019/12/17 ロシアフィギュアスケート連盟は、ザギートワの発表を機に起こったスキャンダルについてコメントした

https://rsport.ria.ru/20191217/1562505969.html

2019/12/17 ロシアフィギュアスケート連盟は、ザギートワの発表を機に起こったスキャンダルについてコメントした

モスクワ、12月17日、RIAノーヴォスチ、ミハイル・ゴンチャロフ。
ロシアフィギュアスケートにおけるスキャンダルは、記者たちからの挑発的な質問によるものだ、故に第一番には彼らが倫理について深く考える必要があると、ロシアフィギュアスケート連盟会長アレクサンドル・ゴルシコーフはRIAノーヴォスチに語った。

金曜日(13日)、2018年オリンピック女王アリーナ・ザギートワは、競技生活の休止を発表した。その後フィギュアスケートコーチのエテリ・トゥトベリーゼチームは、有名なスケーター、エヴゲーニー・プリューシェンコとソ連邦功労コーチのタチヤーナ・タラーソワのことばに対してInstagramで反応した。メッセージ文の投稿者たちは、『偉大な女子選手』であるザギートワの功績を尊重するよう呼びかけた。これより以前メディアが報じたところでは、タラーソワは、ザギートワは競技には戻らないだろうとの意見を述べ、プリューシェンコは、17歳の女子スケーターである彼女は、競争を恐れたのだと推測した。

連盟は、フィギュアスケートにおけるスキャンダルに関する倫理委員会を創設する計画はないのかとの質問に対し、ゴルシコーフ会長は次のように答えた:「私なら、ジャーナリスト組合のどこかに(倫理)委員会を作るだろう。このスキャンダルは、まさにジャーナリストたちによって誘発され、誇張された。何の挑発的質問も無かったならば、スキャンダルも無かっただろう。

連盟は、アリーナの発表の後すぐに態度を表明した。連盟は、アリーナの決断に理解と敬意を持って対している。彼女がトレーニングを続けること、彼女が代表チームメンバーに入ること、言わなければならなかった全てのことを、われわれは既に述べている」。ゴルシコーフはこのように付け加えた。

  1. 2019/12/19(木) 19:18:44|
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2019/12/14 「トルーソワ、シェルバコーワ、コストルナーヤがいなかったら、ザギートワはあと5年滑っているだろうになどと誰が言った?」ザギートワは何故離れようとしているのか。

https://www.sport-express.ru/figure-skating/reviews/figurnoe-katanie-alina-zagitova-pochemu-uhodit-alina-zagitova-mnenie-eksperta-1621985/

2019/12/14 「トルーソワ、シェルバコーワ、コストルナーヤがいなかったら、ザギートワはあと5年滑っているだろうになどと誰が言った?」ザギートワは何故離れようとしているのか。

====インナ・ゴンチャレンコへのインタビュー記事。一部抜粋====

(エカテリーナ・ベスパーロワ)
「アリーナは、現在競技で滑っている女子フィギュアスケーターの中で、最もタイトル持ちの選手です」。インナ・ゴンチャレンコは話し始めた。

「そして彼女は、2018年ピョンチャンオリンピックでの勝利を含めて、フィギュアスケートに消すことの出来ない足跡を残しました。オリンピックの後も選手として留まり、大きな尊敬を呼び起こしました。

彼女の(一時休止の)決断は、敬意を持って受け止めるべきです。これに関しての嘆息は少なくしたいものです。誰も死んではいませんし、人がそのように決心したのなら、何故という詮索は必要ありません。彼女は全ての『賛成』も『反対』も理解していると思います。

今ザギートワには名声があり、皆が彼女をとても愛しています。アリーナには理想的なイメージがあります。そして基本的に、良い流れの中で離れるのは、正しいことです」。

—ちょっとだけトリノでの事に戻りましょう。ほとんど理想的な練習、ショートプログラムでの立派な滑り。ところがフリープログラムでは一転して多くのミスが出て、最終的に最下位になりました。あなたの考えでは、何のせいで上手く行かなかったのでしょうか?

「それは純粋に心理的なものだったと感じます。アリーナは最終滑走でした。どんなに閉じこもったとしても、至る所にモニターがあり、ライバルたちがどのようなパフォーマンスをしたかは、分かります。きっと彼女は理解したのです。どれ程クレージーな高さのハードルが立ちはだかったのかを。その結果ザギートワは、燃え尽きたかのように、ほとんど絶望して氷に出て行ったのです。しかし、アリーナはどんな場合でも非常に明るく、美しいアスリートでしたから、全てがあのようになってしまうことは滅多に無いのですが・・・

純粋に理論的に言えば、ロシア選手権の結果に応じて国の代表チームの三番手はコーチ会議によって決定され、ザギートワのためにそれを確保しておくことも出来ました。しかし、四回転ジャンプを学ぶことは自分には非常に難しいことを理解しているザギートワ自身が、試合に行って、何故なのか理解出来ない順位になることを欲していなかった。全てのファンたちにも、専門家たちにも同じ認識があり、そして愛も存在している時に。

純粋に人間的にアリーナを理解する必要があります」。

—プラス面の一つに、この発表に対して、メドヴェージェワがトゥトベリーゼから離れた時と比べれば、よりプロフェッショナルで思慮深いアプローチがなされている・・・

「はい、今は全てがわきまえを知って、正しいものになっています。しかし、マスコミもまたこのようなことを理解しなければなりません。現在ドーピングスキャンダルから私たちのスポーツへの多くのネガティブが行われていますが、ザギートワは、私たちのスポーツのポジティブな面です。圧迫を加えてはなりません。だって彼女はロシアで愛されているだけでなく、世界中で非常に好意的に受け入れられているのですから」。

—しかし、女子フィギュアスケーターの鮮やかな活躍が最大で2シーズンずつだという状況を気に入っている人は、ほとんどいないでしょう。どう捉えたら良いのでしょうか? マイナスの面をどう考えるか、あるいは才能ある女子選手の数を喜ぶべきなのか?

「ここでの本質は、これから皆が話し始めるだろう『賞味期間』では、全くありません。実は、全てのコーチたちがシングルスケーターを個人主義者、エゴイストとして育てていることにあるのです。何故なら、そうならなければならないからです。彼らは子供の頃から一番になりたいと思っている。一位、それは一つしかないのです。

そして自分の国の女子選手たちがあなたを圧しつけている時・・・進歩は揺るぎないものになります。アリーナがこれからさらに5年間滑らないことが嘆くべきことですか? 彼女はそんなに長く滑りたいのかどうか、練習グループでの若いライバルたちがいなくなることを望んでいるのかどうか、私たちは恐らく推し量ることが出来るのではないでしょうか?

今アリーナは、自分が離れることで、誰のことも嫌な目に合わせないことを理解しているのです。もし、彼女がロシアで唯一無二の選手であり、例えばですが、結婚しようとしたら? その時はどうなるのでしょう? 若い女子選手たちは、邪魔などでは全くないと私は思います。

私たちのスポーツ種目は、選手の身体の状態に非常に左右され、その差異は非常に繊細です。もしかしたら彼女には心理的、身体的疲労が蓄積されていたのかもしれません。今、アリーナはショーで滑り、とても長い間練習を続けてきたおかげで得た自分の名声でお金を稼ごうと思っています。それが何故いけないことでしょうか?」。

  1. 2019/12/17(火) 01:35:00|
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2019/12/14 秋田市の古代水洗トイレ遺構と渤海国 〜4〜 — 渤海国の歴史 —

http://rezerv.narod.ru/history/ussur-bohaihist.htm

2019/12/14 秋田市の古代水洗トイレ遺構と渤海国 〜4〜
渤海国の歴史 —

====「渤海って一体何?」と興味にかられて軽い気持ちで訳し始めましたが、泥沼が待っていました。人名、地名などの漢字を読んで(聞いて?)ロシア語話者がロシア語流に表記する、それを日本語のカタカナで工夫して表記し直す。これだけでも無理を承知で強引にやっています。中国語話者はこれを見て笑うと思います。しかし、万が一正確に表記したとしても、渤海人が現代中国語と同じ発音をしたとは到底思えません。日本人だって大祚栄をダイソエイと発音しているのですから、渤海人だって渤海流に漢字を読んだのでは? 大祚栄がコグリョ(高句麗)の住民だったとしたら、テ・ジョヨンと朝鮮語読みの方が説得力がある気がします、その上、元になっている漢字を探しても、それがもう使われていなかったら、ここで表記も出来ないし、発音することも出来ません・・・でも固有名詞表記は今だって頭が痛い問題です。ここでは単に識別出来れば良いと思って頂くほかはありません。=====

[国家の創立と強化]
父から残された強大な義兵を持っていたツオロン(祚栄)は、隣人たちの中国(唐)への襲撃を利用して、698年、自らを独立国チェン(震)の王だと宣言し、ダ(大)の姓を名乗った。

中国(唐)は新しい国家をすぐには認めなかったが、705年チェン(震)に外交使節を派遣した。713年中国(唐)皇帝は、ダ・ツオロン(大祚栄:だいそえい)に渤海郡王と一連の高位の称号を授与する勅令を発した。これによりツオロンは、中国皇帝の手から高い地位を得るところとなった。中国人たちが、帝国の首都からそう遠くないところに位置する渤海郡を、何故少し前までの自分の敵に贈ったのか、多くの学者たちは奇妙だと考えている。きっとモヘ(靺鞨)族がこの地域を占領し、その後になって天子は自分の失敗を何とかして糊塗するために郡贈与の勅令を出したのだろう。この時から中世の年代記でモヘ(靺鞨)の国家が新しく、渤海と称せられようになった。そして渤海領土内に住んでいたモヘ(靺鞨)族は、渤海人と呼ばれるようになった。

ダ・ツオロンは、自分の軍を強化し、領土を広げた。彼の統治の期間に、隣人たちは渤海を重んじるようになった。719年、初代渤海王が死の床にあった。新しい王になったのは、彼の息子のダ・ウイン(大武芸)だった。

強力な軍隊を遺産として受け継いだ新王は、隣接する土地の征服を続ける。しかし、ここでウインは近親たちであるヘイシュイ・モヘ(黒水靺鞨)に突き当たる。ヘイシュイ・モヘ(黒水靺鞨)の指導者たちは、自分たちの独立を維持したいと願ったが、彼らの義兵は渤海軍よりも弱いことを理解していた。それ故彼らは、渤海人たちに抵抗する同盟国を熱心に探す。この時期に中国は、渤海軍の力を既に幾度も経験しており、『夷を以て夷を制す』の兵法を適用する決心をする。このためには渤海を周辺諸国のいずれかとの戦争に誘い込まなければならなかった。中国とヘイシュイ(黒水)が早速に同盟国となったのは何ら驚くに当たらない。

渤海もまた熱心に同盟国を探しており、727年、日本に派遣された使節は、翌年、日本の渤海支援のニュースを持ち帰った。長い戦争が始まる。この戦いは、数年後にヘイシュイ(黒水)の敗北で終了した。

この戦争が始まったばかりの時に、渤海軍総司令官であり、王の弟でもあるメンイン(門芸)が、敵側に亡命し、中国に身を隠した。ダ・ウイン(大武芸)は、中国皇帝に裏切り者の引き渡しを要求したが、誰一人引き渡されなかった。この時、渤海人の特殊部隊が中国領土に侵入し、メンイン(門芸)の隠れ家を見つけ出した。奪おうと組織したが、失敗した。一連の交渉の後ウイン(武芸)は、裏切り者隠匿の罪で中国人たちを罰する決断をした。733年渤海水軍(原注:数多くの海賊たちが渤海人たちに味方したという推定が存在する)は中国最大の港の一つデンチョウ(登州)を攻撃した。正にこの町から唐と東の周辺国との貿易が行われており、正にここに帝国水軍の主力があった。デンチョウ(登州)は渤海人たちにより破壊され、略奪され、唐の水軍も被害を受けた。

738年、ダ・ウイン(大武芸)が死去した。初期の王たちの統治期間に渤海は強国になり、強大な中国を含む全ての隣国が、渤海を重んじた。渤海のその後の歴史についてはほとんど知られていない。何故なら、ダ・ウイン(大武芸)が天子(天孫?)の称号を自ら名乗ったために、中国皇帝は渤海人たちに非常に腹を立て、彼らについて国の年代記の中で触れないように命じたためだ。

新しく渤海王になったのは、ダ・ウインの息子のチンマオ(欽茂)だった。彼は、半世紀以上にわたって統治した。今やもう隣人たちは渤海に侵略しようとはしなかったので、ダ・チンマオ(大欽茂:だいきんも)は国の整備に着手した。彼は5つの首都(5京)のシステムを導入した。それぞれの首都の総督は、征服した土地を統治した。全国は府と州に分けられた。部族の指導者たちに代わり、官僚制度が作られた。官僚たちは8つの階級に分けられ、そのそれぞれが識別の標識と衣服の色を持っていた。

チンマオ(欽茂)は外交政策においても渤海の立場を変換した。彼は渤海と中国、シルラ(新羅)との関係を修復することが出来たが、日本との関係は難しくなった。彼は、755年に(唐)皇帝に対して蜂起した中国の将軍アン・ルーシャン(安禄山)を支援したと、何人かの学者は考えている。同時にチンマオ(欽茂)は、自らの居城を上京から東京に移した。794年王は亡くなった。

渤海のその後の歴史に関しては、ほとんど分かっていない。隣人たちとの関係は維持された。チンマオ(欽茂)の後は、一年足らずユアンイー(元義)が統治し(794)、フアシュイ(華輿)の統治も短期(794~795)だった。ソンリン(嵩璘)の統治(795~809)の時期、日本人たちは渤海使節受け入れのために特別な暫時逗留のための館を建てた(訳注:804年能登客院造営の令)。ユアンユー(元瑜)(809~813)、ヤンイ(言義)(813~817)、ミンチョン(明忠)(817~818)という王たちの活動に関しては、ほとんど何も分かっていない。その後ダ・レンシヨ(大仁秀)(818~830)が王になり、その後は彼の孫のイーチェン(彝震)に代わった。これらの王の下では渤海の領土が北東に著しく拡大した。正にこの時期に現在の沿海州のほぼ半分が渤海に組み込まれた。チェンフアン(虔晃)(858~870)、シュエンシー(玄錫)(870~892)、ウェイゼ(瑋偕:偕の字は左の偏が王)(892~905)、各王の統治については何の情報も無い。

ダ・インチュアン(大●撰)(905~926)の統治の時期、国境の北西で契丹族の帝国リャオ(遼)が出現する。916年契丹人たちは、渤海に対して開戦し、10年後渤海は遂に消滅した。

渤海は、沿海州の地が組み込まれた最初の国家だった。それはツングースの強大な国家であり、2世紀に渡って中国の北東侵略計画の防壁となり、その結果として、現代ロシア極東の現代の民族の形成を可能にした。渤海文化は、多くの近隣諸国の文化に影響を与えた。

[渤海を征服した人たち]
渤海は契丹人たちによって粉砕された。キダーニ(契丹)は、モンゴル語族で、昔からモヘ(靺鞨)の北西の隣人だった。彼らの部族は、満州とモンゴルの草原で遊牧生活を送っていた。エネルギッシュな統率者アンバギャン(阿保機)は、徐々に強力な部族連合を創っていき、916年自分を皇帝だと宣言した。帝国は幾度となく名称を変え、そのうちの最も有名なものがリャオ(遼)だ。

牧畜では、全ての必要な食料を賄えなかった。そのため契丹人たちは略奪を始め、その後農民たちを服従させた。強力な契丹軍は周辺の土地を征服する。形成された契丹帝国では、契丹人そのものは住民の5分の一に過ぎず、中国人や渤海人が圧倒的多数だった。

帝国を率いたのはィエリュイ(耶律)(契丹語ではシェリ)一族だった。皇帝が唯一の統治者だった。力と富で二番目に位置したのはシャオ一族で、この一族から全ての契丹皇后たちが出た。ィエリュイ一族とシャオ一族を代表する者たちは、お互いの間だけで結婚した。皇帝の座は相続に委ねられたが、異変もあった。

国は渤海と同じように、5つの首都があった。皇帝は全ての首都に順番に住んで、総督たちの監視を行った。行政府は、6つの省で構成された。リャオ(遼)には科学アカデミー、国家資料編纂部、その他の国家機関があった。高貴な人間も罪を犯せば平民に落とすことが出来、一方で裕福な平民は、官吏の職を買うことが出来た。普通の遊牧民の生活は、苦しいものでは無かった。自由遊牧民は、契丹軍の基本を構成したので、政府は彼らに配慮した。リャオ(遼)は、女真族の指導者アグダ(阿骨打)が契丹人たちに対して戦争を始める迄は、順調に発展した。この戦争は、1125年リャオ(遼)の壊滅によって終了した。

====この内容は、もしかしたら多分専門家にとっては、多くの間違いを含んでいるのかもしれません。ただ沿海州には、自分たちの歴史として興味を持っている人々が少なからず存在するようです。若い人たちのクラブ活動のためにこのようなテキストが存在するのは、面白いと思います。=====

  1. 2019/12/14(土) 18:07:00|
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2019/12/07 アルトゥール・ガチンスキー「サマーリンとアリーエフはグランプリファイナルにふさわしい滑りをした」

https://rsport.ria.ru/20191207/1562099059.html

2019/12/07 アルトゥール・ガチンスキー「サマーリンとアリーエフはグランプリファイナルにふさわしい滑りをした」

モスクワ、12月7日、RIAノーヴォスチ、エレーナ・ジヤチコーワ。
ロシアのフィギュアスケーター、アレクサンドル・サマーリンとドミートリー・アリーエフは、グランプリファイナル出場者にふさわしい選手に見えたが、クリーンな滑りのためにもっと『練習に次ぐ練習』が必要だと、世界選手権およびヨーロッパ選手権メダリストであるアルトゥール・ガチンスキーがRIAノーヴォスチに語った。

トリノで行われたグランプリファイナルで、サマーリンは合計248.83ポイントを獲得し4位に、ドミートリー・アリーエフは6位になった(220.04)。勝利したのは、二つの世界記録を更新し、合計335.30ポイントを獲得した、アメリカのネイサン・チェンだった。

「世界最強のフィギュアスケーターたちの中にあっても、サマーリンとアリーエフは全く見劣りがしなかったが、彼らにはさらに練習に次ぐ練習が必要だと認めなければならない。彼らがリーダーたちにほぼ近い結果に到達し、試合でそれが見せられるようになることを期待しよう。グランプリファイナルに選出されることは、それだけで既に名誉であり、彼らは自分たちがそこにいたということを歴史に刻んだのだ。しかし、同時にクリーンな滑りと、表彰台を目指す戦いを彼らに望みたい。

今フィギュアスケートは、クリーンな滑りだけを何よりも求めていると思う。GOEが−5から+5のスケールである以上、どのようなミスであろうと、それは大きなポイントを失うことになり、逆にクリーンな滑りでは、大きな加点が付くのだ。

クリーンな滑りは、自信、滑り込み、トレーニングによって得られる。恐らく、それらの中でも自信が一番大きいと言えるだろう」。ガチンスキーは電話でこのように語った。

  1. 2019/12/12(木) 01:34:00|
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2019/12/10 ジャッキー・ウォン「シーズン中の大会で、紀平梨花は必ず四回転サルコウを着氷すると確信している」

https://www.sport-express.ru/figure-skating/reviews/pochemu-alina-zagitova-neudachno-vystupila-na-etape-finale-gran-pri-v-turine-1620497/

2019/12/10  ジャッキー・ウォン —グランプリファイナルシングル女子についてー 「ザギートワは良くやった。しかし、最初のミスが彼女を脱線させた」

====一部抜粋====

(エカテリーナ・ベスパーロワ)

有名なスポーツエージェント、マネージャーであるアリ・ザカリャンと、アメリカのジャーナリストで、プログラムの技術的部分の見分けで周知の専門家であるジャッキー・ウォンへのインタビュー。

[ジャッキー・ウォン](この部分のみ訳しました)
「このグランプリファイナルは素晴らしいものだった。四人の女子選手が一斉にトリプルアクセルや四回転ジャンプを跳んだのだから。アリョーナ・コストルナーヤにとっては、ショートプログラムで優位に立ったことが大きな助けになった。それに加えて大会初日にアレクサンドラ・トルーソワが転倒したことも最終的には大きくものを言った。しかし、アリョーナ自身も、二つのプログラムで本当に並外れたパフォーマンスをした。だって、自分のライバルたちに四回転ジャンプを持つトルーソワとシェルバコーワがいるとしたら、二つのプログラムを完璧に申し分無く滑る以外に、選択肢は無いのだから。

アリーナ・ザギートワに関して言えば、彼女は練習で実に感動的に見えた。また、シーズンが進む中で彼女には時々トリプルルッツでミスが出ることがあった。今回、トリプルルッツは理想的だったが、その後のトリプルループが非常に困難になり、結果としてプロトコルではダブルのような点数になった。このことが心理的に非常に大きな影響を彼女に与えた — ここからダブルアクセルでも転倒し、回転不足も出た。彼女の以前のパフォーマンスを思い返してみる時、何らかの深刻なミスが生じるや否や、たちまちパフォーマンスに負の影響が出ていた。

紀平梨花は、四回転サルコウの着氷に非常に近づいていた。トリノでの彼女の練習では、皆が既にそれを見た。しかし、試合でこのジャンプを跳ぶには時間が必要だろう。だってプログラムの中では、それは単なる個別のエレメントではなく、プログラムの一部であり、振付けや演出の気分と一体にならなければならないのだから。しかし、シーズン中の大会で、紀平はそれを必ず着氷すると、私は確信している。

演出の観点から、大会で最良のフリープログラム? もちろん、コストルナーヤのプログラムだ。それにはフィギュアスケートでの美しいものが全てある」。

  1. 2019/12/11(水) 01:38:00|
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