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あれこれ

2022/08/28 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑫

2022/08/28 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑫
(ミハイル・ヂェメノーク作 1998)


道は、抱えきれない程太いチョウセンゴヨウが林立する奥地へと、さらに延びている。それらの巨木の生い茂った樹冠によって、夕方の太陽が覆い隠されてしまったように感じる。馬車のもの寂しい軋む音や、のろのろ歩む馬たちの鼻息に耳を傾けながら、エフィム[エフィムカはエフィムの愛称形]はずっと道端の藪に注意深く目を凝らしベルダン銃を構え続け、一方では、家や妻や子供たちの甘い思い出に浸ってもいた。エフィム・アキーモヴィチとダーリヤ・ゲラシーモヴナ(今では彼らは、チェレムシャヌィの村人たちから、敬意を表してこう呼ばれていた)のところでは、ロノマレンコ爺さんの屋敷の隣に建てた明るいチョウセンゴヨウの家で(彼ら夫婦とアキーム、それにサハリン人のウースチン・アゾーリンが力を合わせて建てた)、あっという間に子供たちが成長していた。

眉の黒い、えくぼのある丸顔の女の子、マルーシャとリュバーシャは、二人とも母親に良く似ており、日がな一日紡ぎ車を回し続けることも出来たし、衣類の繕いやピローグ[ふるいにかけた粉で作ったパン]を焼くのも上手だった。エフィム自身がそうであるように少し悠長でがっしりした体つきの、ワシャートカ、アンドリューシカ、イェゴールカ、ミシュートカ、それにステープカは、揃って皆釣りと狩りが三度の飯よりも好きという具合だった。エフィムは子供たちを熱愛していた。足のあかぎれから、そばかすだらけの顔のえくぼ迄全てが彼にとっては好ましく、大切なものだった。ただ、一つのことが彼を苦しめていた。子供たちの手織りの麻で出来た衣類だった。《今、工場織の布地が工面できたらなあ。あのブラコーフんとこの息子たちは、上から下までウールを着て歩いている。粋なおしゃれをみせびらかすようにして》。エフィムの憂鬱な物思いは、灰青色の針葉樹林からのラッパの音のような、イジューブル(大鹿)の吠え声によって遮られた。

「エフィム、共同炊事のために雄シカを一頭殺せ。ずっと魚ばかりだから。わしらは源流の側でお前を待とう。馬たちも疲れておるが、イワン・ドヴォルツォフの梶棒が折れてしまったから修理もせにゃならん」。アキームはムギ袋をほどきながら、こう言った。
エフィム自身も、シカの胸肉が入って脂のこってり浮いたスープを味わってみるのに、もちろん、異存は無かった。彼は荷馬車から身軽に飛び降りると、藪の方に身をかがめながらベルダン銃を構えたまま、小走りに、ラッパのような吠え声を上げているイジューブルの方へ近づいて行った。突然、右手50サージェン[約106.7メートル]のところで、もう一頭のイジューブルが荒々しく吠え出した。その声は、トラのように低音だった。《どっちに行くか。最初の方がいいかな。そっちの方が倒木も無く歩きやすい》と、彼は決心した。シラカバ林が開けた時、エフィムは突然、手にシラカバの樹皮で出来たパイプを持ち、両足の上にライフル銃を載せた中国人を見た。彼の貧弱な体には、ふっくらとした青い上着が羽織られており、その上に、背中からほぼ膝迄テンの毛皮が垂れ下がっていた。

「やい、お前、どこから現れた」。エフィムは怒鳴ると、倒木の方へ歩を進めた。中国人は、エフィムに気付くと、自分のことばで何か言い、ライフル銃を掴んで、砲身をエフィムに向けた。
エフィムカは手を振って、「ロシア人だ、シャンゴン!」と言いながら、ベルダン銃を肩にかけた。ひょっとして続けて発砲していたかもしれなかった。しかし、その時、灌木の藪から数人の大柄な中国人が素早く飛び出してきて、エフィムの両手をひっつかんだ。
《匪賊だ。しまった。助けを呼ぼうにも、無駄だ、聞こえない。自分で何とか抜け出すしかない》。エフィムはこう思い、歯を食いしばって拳骨をくらわした。中国人たちは、毬のように彼から飛び離れた。しかしその時、シラカバ林から草地に、さらに何人かの武装した匪賊たちが飛び出して来た。
《犬死にか!》。彼はこう思うと、近寄って来た中国人たちが彼からベルダン銃と狩り用ナイフを取り上げるのにまかせた。匪賊たちは、見るからに恐ろしげな姿をしていた。全員が弾薬帯を締め、それぞれの背中には行軍用荷物をくくり、刺し縫いした、青い長い上着の上には何かの獣の毛皮が掛かっていた。

増強した一味に取り囲まれて、エフィムはキャンプに連れて来られた。枝分かれしたチョウセンゴヨウの側のたき火の近くに、白い上張りを着た年配のスキンヘッドの中国人が、トラの毛皮の上に足を折って座り、麺を食べていた。二人の武装した匪賊が両側に立ち、シダの葉で彼の周りのブヨを追い払っていた。明るい火の光の下で脂肪の付いたその中国人の顔を見て、エフィムは希望が湧き、ほっと一息ついた。彼の前に座っていたのは、クマの胆嚢と毛皮を求めて、チェ・ヨンゲンと共に腰高馬車でやって来た、あの商人だった。

「リ・ロン?!」。猟師エフィムの顔が、愛想の良い笑いで明るくなった。
「あああ、エフィムカ!」。スキンヘッドは叫ぶと、トラの毛皮の上の隣に座るようにと身振りで指図した。そして彼が3回手を打つと、警護の者たちがすぐさま、酒の瓶、麺、ゆでたシカ肉を持って来た。エフィムにご馳走しながらリ・ロンは、どうしてこんな人気のないダイガに入り込んだのか、何処へ行こうとしているのか、チェ・ヨンゲンはどのように暮らしているかと質問を浴びせた。エフィムのことばを聞きながら、彼は「シャンゴン、シャンゴン」と言いつつ、好意的に頷いた。

エフィムがリ・ロンから聞いたところでは、あの時買ったクマの胆嚢、脂肪、毛皮によって彼は大金をつかみ、今ではハルビン[哈尔滨ハアールビン]で最も金持ちの商人になり、いくつかの店も持っているとのことだった。そしてここにやって来たのも、借金から逃れ隠れて満州に戻るのを望んでいない原住民たちを罰するためだと言う。肉入り麺を食べながら、エフィムは思う。《リ・ロンが誠実で、率直であることには変わりがないが、彼は弱い異民族たちを無慈悲に侮辱したり、酒を飲ませて泥酔させたりしている。今も多分、略奪しにやって来たんだろう》。

「エフィムカ、お前は歌がうまかったじゃないか。一つ歌え」。茶碗に酒を注ぎ分けながら、リ・ロンが突然言った。
《彼は状況を全て分かっている筈だ。通訳が多分知らせている。だけど歌わにゃならんだろう。一体何を考えているのだ》。エフィムは亜麻色の巻き毛を振ると、よく通る声で歌い出した。
「若い衆よ。馬のくびきを外せ。横になって眠れよ。わたしは緑の庭に出て、井戸を掘ろう!・・・[ウクライナ民謡]」。
「シャンゴン」。歌い終わった時、リ・ロンは満足して、エフィムカをぽんぽんと叩いた。
「みんなが僕を、じりじりして待っているだろう」。エフィムは、山々の上の深紅の夕映えを見上げた。

「えま(今)すぐだ、エフィムカ、えま(今)すぐだ」。リ・ロンが手を打つと、すぐさま彼の頭の上で警護が身をかがめた。文字通り2、3分のうちに、先ほどの警護の者たちがベルダン銃と狩り用ナイフを持って来てエフィムカに返し、また何か入ったイラクサの袋が鞍に結び付けられた白い馬を引いて来た。
「行げ、エフィムカ、行げ」。リ・ロンは、白い絹のナプキンを彼に振った。
「シャンゴン」。エフィムは腰まで頭を下げてお辞儀をして、勢い良く馬に飛び乗った。匪賊の一人が馬の轡を取り、チクチクする針葉樹林を通って深紅の夕焼けに向かって導いた。

《リ・ロンに布地のことを聞けば良かった。数ローコチ[昔の尺度、約半メートル]かだって売ってくれたかもしれないのに》。しかし、エフィムはこの考えをすぐに追い払った。《自分が生きていただけで良かったんだ》。
シラカバ林が始まる場所で警備員は行く方角を手で示し、針葉樹林に身を隠した。

エフィムがシラカバ林から荷馬車の隊列の方に出た時、タイガは既に暗くなり始めていた。
「何があったんだ、誰の馬だ」。エフィムを抱いて、そっと涙を拭いながら、アキームは質問した。「散弾銃を発射しようと何度も思ったんだ。だけでも、匪賊どもをかえって引き寄せるんじゃないかと抑えていたところだ」。
「その匪賊どものところから、俺は来たところだよ」。
「なんだって」。男たちがエフィムを取り囲み、悪党たちについて先を争って質問を浴びせ出した。

リ・ロンとの出会いについて語ってから、エフィムは、疲れたからと言って、たき火の側の、妻のダーリヤが道中のために用意した半外套の上に横になりながら物思いに沈んだ。タイガの中では、生と死は隣り合わせだったんだ。あのスキンヘッドがいなかったなら、俺はもうお終いだった。
男たちとアキームは、エフィムが匪賊のそれこそ頭目のところから持ち帰ったアルコールや干したシカ肉を久しぶりに口にしながら、今回の出来事を盛んに論じ合った。

「なあ、エフィム」。ロノマレンコ爺さんは、自分の分のアルコールを飲み干し、満足して喉を鳴らした。「匪賊たちに引っ掴まれた時にゃあ膝ががくがくしただろうて。どうだ? ダーシュカに会いに行くような訳にはいくまいて」。
「何をうるさく聞いているんだか。へとへとに疲れているのが見えんのか」。ゲラシム・シェフツォーフが彼を遮った。
しかし、酔っぱらった爺さんは納まらなかった。
「頭目は、通訳なしでお前さんと話したのかね、え、エフィム」。
「ああ、通訳なしでだよ」。エフィムは、あくびをして寝返りを打ち、汗ばんだ背中を火に近づけた。
「禍福はあざなえる縄のごとしだ。それ、あんな雄馬をエフィムは手に入れたんだからな」。オスタプ・シェルパイコも自分の分のアルコールを飲み干した。「頭目がエフィムに雄馬をくれたのは、歌を歌って、恐らく、それがひどく気に入ったからだろうて。どうだ、エフィム、俺の言うことは当たってないかね」。
「多分、そうでしょうね」。エフィムは答えた。
「雄馬はなんて名前なんだい?」。
「スネジョーク[雪ん子]」。
「エフィムに、リ・ロンみたいなパトロンがいることはいいことだ」。イワン・ドヴォルツォフが言った。「爺さんよ、お前さんにも頭目にお目にかかる機会があるかも知れんぞ」。ドヴォルツォフは「語り部」の方へ顔を向けた。「そしてお前さんは、恐ろしさにハレルヤを歌い出し、ズボンに放ってしまう。そして、エフィムが頭目のところへ行って、これこれしかじかと話してくれる。すると匪賊どもが、てきぱきとお前さんを正気に返らせる。つまり、お前さんの汚れたズボンを脱がせ、清潔な別珍のズボンを穿かせる。どんなもんだい、と言ってな」。
これらのことばから、どっと笑いが起こった。
「ああ、面白い」。オスタプ・シェルパイコが夢うつつに叫んで、再び静かになった。

すぐ近くのシラカバ林の中で、大鹿のラッパのような鳴き声が響いたと思う間もなく、また、そしてまたもや、鳴き声が上がった。
「匪賊どもがオスを刺激したんだ。だからあんなにとどろき渡る程鳴いているんだ」。自分の枕元にシダの束を置いて、アキームが言った。「この上だったら、柔らかく寝られる」。
エフィムが突然立ち上がり、満月を見上げ、耳を澄ました。大鹿は相変わらず鳴き続けている。
「イジューブル(大鹿)は、たき火に引き寄せられているんだ」。手にベルダン銃を取りながらそう言うと、月のぼんやりした光の中に溶け込んで見えなくなった。間もなく、シラカバ林の方で大きな銃声が響き渡り、しばらくすると、たき火の近くで興奮したエフィムの声が聞こえた。
「やっぱり俺はイジューブルをガツンとやったぜ。皆さん方、肉を取りに来てくださいよ」。


翌日は高揚の中にあった。まるで野獣のような暗く未開の、歯をむき出した森が突然開け、荷馬車の隊列は日の当たった平地に出た。そこでは、シラカバやヤマナラシの林が時々切れて、草地や干し草の山や、春蒔きのために耕された畑が顔をのぞかせた。
間もなく、青い蹄鉄形の川の向こう側に、倉庫、納屋、厩などの付属建物を伴った丸太づくりの家々が見えて来た。トタン屋根の上には、灰青色の煙がもくもくと上がっていた。遅い時間にもかかわらず、村ではまだ暖炉が焚かれているのだ。
「ニコラエフカの者たちは、皆裕福に生活しているようだ。どの屋敷でも家畜が肥えて、よく手入れが行き届いている」。軒に彫り物の風見鶏があり、倉庫、納屋、厩も見える一番端の家に馬を向けながら、アキームは観察して言った。「何だか静かだな。犬も吠えず、まるで死に絶えた村のようだ」。彼は荷馬車から降りた。
(つづく)


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  1. 2022/08/28(日) 22:48:51|
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2022/08/18 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑪

2022/08/18 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑪
(ミハイル・ヂェメノーク作 1998)

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その年の雪の少なかった冬は、秋まき穀物を全滅させた。霜枯れたのだ。チェレムシャヌイの村人たちは、不本意ながらも納屋の穀物置き場の最後の一粒まできれいに食い尽くし、耕し直し、再び自分たちの分配地に種を播いた。新しい収穫迄、その日暮らしでやっとやりくりしていた。

穀物の出来は良かった。穂は大粒で重たかった。ところが、刈り入れ直前になって、運悪く、ヴィクトリア湾から霧雨まじりの黒いもやが立ち込めて来た。霧が晴れて自分たちの分配地を眺めたチェレムシャヌイの村人たちは、あっと叫んだ。穂があたかも錆で覆われているかのように、傷んで黒ずんでいた。もう一回このような霧雨まじりのもやが来たら、穀物の収穫は無いだろう。即座に刈取機が動かされた。蜂蜜祭[旧暦8月1日。キリスト教の救世主祭の一つ]の日、主婦たちはロシア式暖炉で大きなライ麦パンを焼いた。ところが、それらのパンからは、酒樽から匂うような、酔わせるような香りがする。つまり、刈り取ったライ麦が病気だったので、酔っぱらいパン[これを食べると中毒を起こす]になってしまったのだ。
《私たちは、またどんな罪を重ねて、神のお怒りを買ったのか》。女たちは嘆き悲しんだ。男たちは、それに対して、ただ黙って両手を広げるだけだった。

「ブラコーフ農場に頼みに行かにゃなるまい。彼んとこじゃ、いくつもの倉庫に去年の麦がうなっていよう」。男たちがアキーム・ダルニッツァのところに助言を求めてやって来た時、彼は言った。「だけど、ミロンは今じゃ、人の不幸で儲けるだろう。もし、以前に最上小麦1プード[約16.38キログラム]に対して1ルーブル支払われたとするなら、今彼は2ルーブルだと吹っ掛けるだろう」。

ラーズムは正しかった。
「1プードにつき2ルーブル。これは譲れない」。男たちが請願書を持って、馬繋ぎのところ迄馬車を乗り入れた時、ミロン・ブラコーフは、にべも無くはねつけるように、こう言った。「お前さん方は、わしが苦労もせずにここの経営をやっているとお思いかね」。彼は高い盲塀の方を顎で指した。その向こう側には、家々、倉庫、厩などのトタン張りの屋根が白く見えた。「雇い入れた者たちはひっきりなしに給金を要求してくるが、わし一人でそんなに簡単に金をこさえられる訳がない」。

ミロンは、アキームの方へ近づいた。縞のある新しい黒いウールの上着と、同じ布のズボンを身に着け、足ではなめし革の長靴がきゅっきゅっと鳴り、絹の細帯が結ばれた赤い繻子のシャツの下で、腹が盛り上がっているミロンは、もったいぶってこざっぱりとしていた。
「お前さんはどうして、わしをそんな風に見るんだね。まるで食いつきそうじゃないか」。意地悪そうな笑いが、嘲笑癖のある唇に漂っていた。
「自分の穴の中にいる去勢ブタみたいに、お前さんは貰った飯を食って肥え太ったのさ」。
「そりゃ一体、どんな穴なのかね」。脂ぎった小さな黒い目に、敵意の炎が浮かんだ。
「なかなか大したオオカミの穴さ。お前さんにはオオカミの習性も備わっている」。なおさら静かな声でアキームは答えると、男たちの方へ顔を回した。
「お前さん方、これはつまり門前払いという訳だ。麦は、彼無しでなんとかしよう」。彼はこう言うと、馬車の方へ近づいた。
「おい、ラーズム、いい加減なことを言うなよ。さもないと、犬どもを放してけしかけるぞ」。後ろからブラコーフが叫んだ。「お前さんが近衛兵だって、そんなことは気にしないぞ」。

「それなら、犬をけしかけてみろ」。エフィムカは、胸でアキームの身を隠した。
「アジア人のお前なんざ、黙っておれ」。
「おじさんこそ自分の穴に帰って、鼻提灯でもこさえて眠っていたらどうですか」。大きなハンマーみたいなエフィムカの両手がミロンの丸い両肩に置かれた。そのせいで彼は少し膝が折れさえした。
「手で触れるな、コブザーリ」。ブラコーフは赤くなった。「お前は今、何処にいるのか分かっているのか。息子ども、何で突っ立っているんだ。こいつに教えてやれ」。

ミロンの後ろに立っていたイェゴールとニコールカが、袖をまくり上げながらエフィムカの方に向かって来た。エフィムカは、大きなずっしりと重い杭を急いで引っ掴むと勢いよく振り上げた。
「二人ともあの世に追い払ってやる。ギーブラヤ分水流で、俺がお前たちを助けたのを忘れたのか、悪党ども」。彼は杭で脅した。
男たちがエフィムカを取り囲んだ。
「こんなオオカミどもとは関わり合うな。出発だ。それ、はいどう!黒毛!はいどう!」。
「やい、お前ら、覚えていろ」。後ろから声が飛んで来た。

フォームキン草地のところ迄来ると、道は二つに分かれていた。一つはチェレムシャヌイに通じており、もう一つはタイガを通って、イワーノフスカヤ郷のニコラエフカに通じていた。その草地の側で、アキームは列を停めた。
「この道を通って麦を運んでこよう」。鞭で指しながら彼は言った。
「ラーズム、お前さんは、ニコラエフカの同じ汽船でやって来た移民たちのところへ出かけるつもりじゃないかね」。両足を軽くもみほぐすために馬車から這いおりながら、ロノマレンコ爺さんが気が付いた。
「その通り、そこへ行くのさ。ある旅の者の話では、ニコラエフカの者たちのところじゃ麦は毎年良い出来だそうだが、魚には困っているようだ。わしらのところじゃ魚はいつだってあるけれど、そこの連中のところでは、大きな祭りの時だけ食うんだそうだ。だから、わしの考えでは、ニコラエフカの者たちのところでサケやイクラと麦を交換出来ないだろうか、ということなんだが、どうだ?」。
「ラーズム、どうしてそいつを先に言ってくれなかったんだい」。キセルにタバコを詰めながら、イワン・ドヴォルツォフが言った。「若い馬の調教もしなくちゃならんし、魚もうんと獲らなくちゃならん」。



9月中旬、甘塩にしたマス、サケ、イクラを積んだ20台の二頭立て荷馬車から成る一隊が、チェレムシャヌイからフォームキン草地に、そこからニコラエフカ方面へと向かった。アキーム・ダルニッツァは、男たちが万一に備えて銃と弾薬を持つよう命じた。というのも、タイガに中国人の匪賊、山賊が現れ、チョウセンニンジン採集者たちに強奪を働き、殺すという噂がながれているからだ。

正午前に、小さな農場に近づいた。白い上張りを着た白髪の朝鮮人である主人は、愛想良くロシア人たちを迎えた。三人の若い朝鮮人が、馬たちに干し草やカラスムギを与え、客たちを低いテーブルの前のござに座らせた。顔の浅黒い女たちが、アワ、野菜、肉と椀に注いだ酒(トウモロコシから作る自家製の酒)を出した。食事をしながら、主人はでたらめなロシア語で、最近ここを武装した匪賊の一隊が通ったが、アワとトウモロコシの他は何も取られなかったから、ひどい目に合った者はいなかったと話した。やはり、道中用心せねばならない。

門を開けながら主人は、アキーム・ダルニッツァに聞いた。
「腹いっぱい食ったかね?」。
「マシッ チャィモゴッ![맛있게 잘 먹었!]、マシッ チャィモゴッ!(ウマイ ゴチソウサマ)」。チェ・ヨンゲンから少しばかりの朝鮮語を覚えたアキームは、全ての親切に対してこう答えた。
「ところで、何を食ったか分かるかね」。
「ヒツジだったと思うが」。
「違う。お前たち、食ったの、これだよ」。主人は足元に立っている巨大な犬を手で指した。
アキームは、これを聞いて胸がむかついてきた。朝鮮人の好きな食べ物は犬で、それをと殺する前に、一匹ずつ小屋に閉じ込めて肥育するのだと言ったチェ・ヨンゲンのことばは本当だったのだ。
もし、アキームがこのことを男たちに話したら、恐らく彼らはこの朝鮮人をぶんなぐるだろう。そんなことをする必要があるだろうか。
「チョンマィ コマッ!(정말 고맙!本当にアリガト!)」。気持ちの悪いのを我慢して、アキームは主人に笑いかけ、手綱を取った。
「それ、はいどう、黒毛! 皆の衆よ、四方に目配りを忘れるな。さもないと匪賊たちが、我ら全員をスズメみたいに撃ち殺すぞ」。
「来るなら来やがれ。あの長い着物が仰向けにひっくり返るだけさ」。皆に代わって、イワン・ドヴォルツォフが答えた。
(つづく)

  1. 2022/08/18(木) 23:23:08|
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2022/08/12 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑩

2022/08/12 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑩
(ミハイル・ヂェメノーク作 1998)

                          5

ミローン・ブラコーフは、農耕と養蜂の基本的な仕事以外にも、タイガで獣や鳥の猟をし、根ものを掘り、周辺の谷という谷を歩き回った。ちょうどポクローフの日[至聖生神女庇護祭、新暦10月14日]のこと、ミローンはケドローヴァヤ・グリーヴァ[チョウセンゴヨウが生い茂る山]の冬最初の橇道に沿ってクマを追跡していた。そのぶきっちょグマがうろつく後を何処までも付いて行った。夕方近くになると、やっとこさ足を引きずる仕儀となった。どこでも構わずに行き当たった倒れ木に腰を降ろした。風呂上がりのように身体が楽になった。それにしても、一日で20露里[約21.34キロメートル]も一気に歩いた。家に戻らねばならぬ頃合いだった。

しかし、彼はクマの習性を良く知っていた。夕方近くになれば、クマは必ずケドローヴァヤ・グリーヴァでまつかさをあさり、堅果で脂肪をつけようとするだろう。ミローンはそこを待ち伏せしようとした。クマ道を辿って行くと、ミローンはいつしか、しんとしたラズビータヤ・チャーシャ[壊れた椀]谷に、それから今まで見たことのない黒いごつごつした岩の方へ導かれた。いくつもの黒い石に向かって、あちこちからイノシシ道がついていた。

去年生まれのイノシシを撃って仕留めたミローンは、まだ日のあるうちにチェレムシャヌイに帰った。重たい背負い袋をかついで、小さな店をやっているミトラークの家の側を歩いていると、のっぽの猟師、アルヒープ・マコーヴィンに出会った。
「ついているじゃないか、ミローン・モイセーエヴィチ! 荷はずっしりとして、子イノシシでも仕留めたかね」。
「その通り、去年生まれのやつさ」。
「どこで倒したね?」。
「ラズビータヤ・チャーシャでさ」。
「ラズビータヤだって?」。アルヒープは口ごもり、十字を切った。「そこで何にも気づかなかったかい」。
「何にさ?」。
「いや、何」。アルヒープはことばに詰まった。
アルヒープは何かを知っていて、それをうっかり口にするのを恐れているようにミローンは感じた。
「ところで何だって俺たちはこんな風ん中に立っているんだか。あそこの店に行って、一杯やって暖まろうや」。ミローンは、アルヒープの肘を取った。
「ああ、差し障りは無いよ、ミローン」。アルヒープは同意した。

店の主人のファン・リンに、ミローンは酒を二杯と干したシカ肉の小片を注文した。彼らは飲んで、摘まんだ。
「ところで、アルヒープ、わしはラズビータヤ・チャーシャで何に気が付かなくちゃならなかったのかね。ぶちまけてくれよ」。
「ミローン、もう一度聖体拝領をしてから話すよ」。
「神を持ち出すなんざ、一体どんな話だい?」。ミローンは、アルヒープの皮ベルトを掴んだ。「お前さんは、わしを馬鹿にしているのかね」。
「分かったよ、聞けよ、ミローン。あのなあ、ラズビータヤ・チャーシャの黒い岩は、全然岩なんかじゃないのさ。石でもない。ありゃ、石炭なんだよ。俺んとこのアガーフィヤがかけらを幾つかペチカに投げ込んだのさ。そしたら、青い炎を出して燃えだしたのよ」。
「アルヒープ、お前さん、酔っぱらってめちゃくちゃなたわごとをぬかしているな」。ミローンは彼の話をさえぎり、急いだ様子で背負い袋を肩にかついだ。「少しばかりだが、うまかったじゃないか。さあ、家に帰るとするか。ところで、石炭については、アルヒープ、黙って、口に出すなよ。さもないと、もし巡査が聞きつけでもしたら、お前さんの立場が悪くなるぞ」。
アルヒープはミローンに、黙っていると約束した。

あくる日、東の空がやっと白みかけた頃には、ミローンはラズビータヤ・チャーシャの近くにいた。《一体果たして、イノ公めらが石を齧るだろうか?》。イノシシ道を通って黒い岩の方へ近づきながら、彼は思った。《本当だ。齧っている。ああ、周りの雪が黒い塵で隠れてしまっている。どうやら、アルヒープが言ったことは本当のことらしい》。ミローンは袋から斧を取り出すと、斧の背を黒い石の一つに打ち下ろした。するとそれは、朽木のように、小さな固まりになって飛び散った。《こういうことだったのか。イノ公たちは、この石炭で自分たちの腹を掃除しているんだ。ついている、なんてついているんだ!》。ミローンは、肩から袋を降ろすと、それに黒い石を詰め始めた。

その日、ミローンは遅くなった。宵闇の中、チェレムシャヌイの村人の誰にも見られないように裏通りを通って、自分の屋敷に忍び込んだ。
「おい、母さんや、クチヤー[米、ひきわり麦などに干しブドウ、蜜を加えた粥。特別な日に作る料理]を煮てくれ。ママルィーガ[濃いトウモロコシ粥]だって腹いっぱい食えるぞ!」。ミローンは大きな足音を立てて玄関に入った。
「おや、まあ! 一体どうしたの」。驚いた妻のマトリョーナが、彼の前で足を止めた。
「アッハッハ! 今日わしはついていたんだよ。ああ、何てついていたんだ。今年からは、まるっきり違う暮らしをするんだ。ダルニッツァの家やシルコーフの家、シェフツォーフの家が暮らしているような暮らしではないのさ。あいつらは皆、昼も夜もどこかの召使いみたいに背中を丸めて暮らしている。かと言って、財産も無い。あたりめえよ。それぞれが子沢山で、一体どこから財産なんて出て来るかよ。うちだって5人もいる。しかしだ、よし、マトリョーナ、坊主たちを呼べ!」。

驚いた息子たちがやって来て、父親を取り囲んだ。重たい荷物を肩から降ろすのを手伝い、靴を脱がせた。
「なあ、みんな、これからは違う暮らしをするんだ」。火に近づいて木の長椅子に座りながら、ミローンは言った。「クチェリーナヴァヤ谷にある共同体の休耕地を買い占めて、人夫を雇い、そこの土地を耕させるのだ。ウスリー馬を何頭も買って、シカを飼って増やそう。本当の話だぞ」。
「どこの金で、とうさん」。長男のイェゴールは、当惑して肩をすくめた。
「お前たち、本気にしちゃ駄目だよ。馬鹿馬鹿しい」。マトリョーナは手を振った。
ミローンは吹き出し、吐息をついた。
「馬鹿なやつらだな」。
「金があるんだよ、金が、息子らよ。わしはこの宝石で金を受け取るのさ」。こう言って、彼は袋から床に黒い石をぶちまけた。
「こりゃ驚きだ」。ニコールカが黒い石を手に取った。「父さん、多分ラズビータヤ・チャーシャで見つけたんだろう。そうだろう?」。
「そ、そ、そうだが」。ミローンは一瞬あっけにとられて、そして、蛇に咬まれたかのような勢いで長椅子から跳び上がると、まるで初めて見るかのように息子をじっと見た。
「猟の時に、俺は何度もこの石を見ているよ」。父が持ち帰ったものを見ながら、ニコールカは説明した。
「このまぬけ、何で黙っていたんだい。とっくの昔にお前をダシュートカと結婚させてやったのに。今となっちゃあ指でもくわえていろ。エフィムカがあの別嬪を家に連れて行っちまったじゃないか」。怒りの視線をニコールカに投げつけてから、ミローンはひそひそ話に移った。

「この石は石炭っていうんじゃ」。
「それがどうしたの。一体、食べられるって言うの」。黒い石を歯に当ててみながら、マトリョーナが反論した。
「わしの見るところ、母さんは何も分かっておらんな。この石で家を暖めることが出来るのさ。いや、家どころじゃない」。ミローンは手を振った。「汽船に乗ってここ迄やって来た時のことを忘れてはいまいね。あの時、この石炭がどれ程あの汽船に積んであったか、火室でどれ程それが燃やされたか。そうだろう? この黒い石のお陰で、われわれはこのロシア迄たどり着いたんじゃないか。ほら、暖炉に投げ込んでみろ」。ミローンは彼女に、ずっしりと重い黒い石の塊を差し出した。マトリョーナは火掻き棒でかまどの蓋を開け、それを火の中に投げ込んだ。すると石炭は、全員の目の前で青い炎を上げて燃え上がった。


それからミローン・ブラコーフが、最初に通りかかった平底船でウラジヴォストークにたどり着く迄には、カレンダーは、ゼリョーヌィ・クリンの地でさらに数か月を数えた。かの地でイギリス特許企業の事務所を探し出し、そこで、貴重な石炭産出地発見に対して2万ルーブルを受け取ることになる。そしてその後間もなく、かつて夢見た通り、これらの金で農村共同体から、クチェリーノフ源流の氾濫原に百デシャチーナ[約109ヘクタール]の土地を買い占め、ニコリスク・ウスリースクから二組の純血種のウスリー馬と、同じ数の雌馬を追い立てて来た。また、日本のサハリン南部の占領以後大陸に逃げて来たサハリン人を中心に日雇い人夫を雇い、全くの僻地に家々、納屋、物置小屋、厩を作って住み慣らし始め、水車小屋、シカ囲いも建てることとなる。この経営体は、ヤンコーフスコエ経営体、ブラコーフスコエ経営体、シェヴェリョフ経営体と同様に、アメリカの個人農場[ファーム]タイプのものとして成長し、ブラコーフ農場[フートル]と呼ばれるようになる。

間もなく、ラズビータヤ・チャーシャの黒い岩から、あらゆる谷あいを経由してヴィクトリア湾迄狭軌道網が敷設される。この当時、ウラジヴォストークからスチャン迄敷かれていた鉄道と違って、この狭軌道のレールは、タールを染み込ませ、帯鉄をかぶせた木で作られた。石炭を積んだ無蓋貨車は、ラズビータヤ・チャーシャから、それこそ文字通り埠頭迄、馬が牽引した。この線路を建設したのは、ウラジヴォストークの実業家リャーピンだった。故に線路は、所有者の名前を取ってリャーピンスカヤと呼ばれた。
(つづく)

  1. 2022/08/12(金) 00:34:24|
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2022/08/03 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑨

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」⑨
(ミハイル・ヂェメノーク作 1998)

翌日、小昼飯(こじゅうはん)の前、エフィムカとアキームがクマの毛皮の脱脂をしていた時、彼らの屋敷の側で奇妙な音が響いた。柵越しに、木製の高い車輪のついた荷馬車が近づいて来るのが見えた。その荷馬車にはシフカに似た牛が繋がれ、その背中に朝鮮人の子供が乗っていた。一方、荷馬車の方にはチェ・ヨンゲンが得意げに鎮座し、その傍らには清潔な白い半外套を着た25歳位の中国人が座っていた。荷馬車が屋敷の方に近づいて来るに連れて、はぜるような音と軋む音がますます大きくなり、耳に不快に響いた。

アキームは歯が痛むかのように顔をしかめ、荷馬車を止めると、チェ・ヨンゲンが車輪にタールを塗ることや荷馬車を修理することを怠っていることで彼をたしなめた。チェ・ヨンゲンと若い中国人は、アキームのことばを聞くと目配せをして笑い出した。
「おまいさん、分かっていないよ」。チェ・ヨンゲンは荷馬車から降りると、アキームとエフィムカに、これはわざとやっているのだと説明を始めた。つまり、車輪には樹脂が塗ってあるが、荷馬車の方に長い木片が結び付けられていて、その先端のみが車輪の骨まで届くようにしてあるため、荷馬車が移動する時に強い軋む音やはじける音がするのだと。これは、隠れたり恐れたりする必要のない、誠実で善良な人間が通っているのだと、あたりにいる人々に見えるように聞こえるようにやっているのだと。静かにそっと通るのは、不誠実で悪い人間なのだと・・・。

「そういう訳か。これは失礼した」。アキームはまごついて、顔に笑いを浮かべた。そして、連れて来たのは商人ではないのかとチェ・ヨンゲンに尋ねた。朝鮮人はそれに応えて、何度も何度も頭を縦に振ったので、彼の帽子のオオヤマネコの毛皮が変に逆立ってしまった。
「わし、連れて来たのは、立派な中国人商人、リ・ロンだよ」。
「家にどうぞ」。アキームは門を開けた。「家の中で話そう」。

小昼飯にリ・ロンは、焼いたクマの肉をうまそうに平らげ、チェ・ヨンゲンを通じて、アキーム、エフィムカと商談した。獣皮、クマの胆嚢、溶かした獣脂2プード(32.76㎏)に対してアキームは、金で5ルーブルと掛値を言った。これだけあれば、店にいくらかある借金を返し、エフィムカに馬を買い、結婚式の支度を整えてやることが出来た。

通訳のチェ・ヨンゲンのことばを最後まで聞いたリ・ロンは、マリユーシカが差し出出した布ナプキンで、脂で汚れた顎を拭い、革の鞄からまるでおもちゃのような、リアン[量。中国式重量単位]で計れる皿秤を取り出した。そして皆の見ている前で胆嚢の重さを計った。それはちょうど300gあった。リ・ロンは何やら胸算用をしてから、鞄の中からお金を取り出し、5ルーブル数えるとアキームの前にそれを置いた。

「本当に、胆嚢一つでこんな額になるのか?」。お金を受け取りながら、アキームは少し驚いた。
「良かった、ふんとに(本当に)良かった」。取引が上手く行ったことで、チェ・ヨンゲンも喜んだ。リ・ロンは、獣皮とクマの脂に対しても同額を支払った。その上、全部の品物のおまけとして酒1瓶を、驚いているアキームの前に置いた。
帰り際にリ・ロンはエフィムカに向かって、ジャコウジカの腹部の毛皮、アカシカやイジューブル(大鹿)の袋角や尾、チョウセンニンジンならいくらでも、全部買い上げる。だから、それらが上手く手に入ったなら、チェ・ヨンゲンを通してすぐに知らせるようにと言った。

荷馬車がわびしい音をさせながら、屋敷の柵の向こう側に遠ざかって行くと、取引に満足したアキームは、マリユーシカとエフィムカを呼び寄せて笑いながら言った。「仲人をダシュートカのところへ差し向ける時が来たようだ」。

* * *

結婚式は陽気で、賑やかなものだった。頚木、ながえ、橇に手の込んだ彫刻を施した三頭立ての馬車が、鈴を陽気に鳴らし、二列鍵アコーディオンを響かせながら、テーブルに着くようにとお客を呼び寄せて、三日間屋敷から屋敷へと疾風のように走り回った。エフィムカのもてなしの良い両親の家でのお客たちを数え切ることは出来なかった。

「苦いぞ! 苦いぞ![婚礼で新郎新婦に接吻を促すための客の掛け声]」。客たちは、花婿と花嫁に催促した。
幸福なエフィムカは、幸せで頬を染めたダシュートカにその度に接吻した。そして再び、花婿と花嫁、両親の健康のために、幸福、平和、友情のために、彼らの家庭の裕福のためにと乾杯のグラスが合わせられた。客たちが一瞬静まった時には、サハリン人の二人の水夫たち、アリョーシャとゴーシャが陽気に騒いだ。坊主頭で片手のゴーシャは、客たちが驚くようなステップを踏んだ。彼は、先の無い手で二列鍵アコーディオンをうまいこと宙で支え、健康な方の手で、足が自ら踊りたがっているようにそれを奏でて、タップダンスの足を勇ましく鳴らした。

次にゴーシャは、チェ・ヨンゲンの近くで長いパイプをくゆらせ始めると、突然皆に向かって、賭けで50サージェン[1サージェンは約2.134m]離れた場所から自分のウインチェスター銃でそのパイプを当てて見せると表明した。彼のことばを聞いた男たちは、頭を振って笑い出した。
「水夫は自分の目に水を被って、たわごとを言っているのさ」。
「お前さんは踊り続けていた方がいいぞ」。
しかし、ゴーシャは譲らなかった。
「よろすい!」。チェ・ヨンゲンは例の発音で言うと、ゴーシャに金貨を差し出した。「当てやがれ! 持って来やがれ!」。
ゲラシム・シェフツォーフは、息子のワーニュシカを、サハリン人たちが一時的に滞在しているロノマレンコ爺さんのところへゴーシャのウインチェスター銃を取りにやった。そして自分は、チェ・ヨンゲンと一緒に、射撃のために危なくない場所を探そうと納屋の方へ歩いて行った。

すらりとしたアリョーシャは、イワン・ドヴォルツォフ、エフィム・シルコーフ、ミロン・ブラコーフ、オスタプ・シェルパイコたちと席を並べてテーブルに座り、売国政府と皇帝陛下自身をこてんぱにののしっていた。準備も出来ていないロシアが日本との戦争に巻き込まれ、艦隊を丸ごと失ったとは! いやそれどころか、日本人たちは艦隊ばかりでなくサハリン半分を奪い取ったから、彼とゴーシャはあわただしく水雷艇を離れて、島から大陸へと自分のパンを得るために渡らなければならなかった、と。

「戦争に負けたのは、神のご意志によるものだ。皇帝陛下は何の関わり合いもない」。ミロン・ブラコーフが会話に初めて口を挿んだ。「誰がわしらに分配地をくださっているのか。皇帝陛下じゃ。巡査がついこの間言っていたが、独立農家に関する陛下の勅令が出されたそうじゃ。それなのに一体! 陛下無しには、われわれはこの世で生きていかれないのじゃ」。
「そうさ、ストルイピン農業改革は、それぞれの農家に、共同体の土地の一定の部分を自分の所有とする権利を与えたのだ」。アリョーシャは続けた。「その際対象となるのは、貧乏人や酒飲みではなく、裕福な強い百姓だ。つまり、ストルイピンの計画はのっけから農民たちの抵抗に遭っている。共同体から《オートルブ(分与地)へ》選抜された人たちは、自分の隣人たちの憎しみの対象になっている。彼らは殴られたり殺されたりされ、自作農の財産は火をつけられている」。

「うまいこと話すじゃないか。まるで丸々全部を知っているみたいだ! それじゃあ聞くが、リャクセイ[アレクセイの愛称]よ」。イワン・ドヴォルツォフは、自分の豆だらけの手をテーブルの上に置いた。「国王も皇帝もストルイピンもいなくなったら、お前さんの考えじゃあ、誰がロシアを治めるのかね」。
「もちろん、レーニンを頭とするボリシェヴィキだ。これは今のところ、大衆に大きな影響力を持つ唯一の政党だ」。サハリン人は、一気に言った。
「レーニンを頭とする、だと?」。ミローンは長椅子から腰を浮かせた。「そいつが、裏切り者の張本人じゃ。民衆が皇帝陛下に盾突くなんぞ、一体、そいつ自身は何が不足なんじゃい」。彼はおかっぱに刈った頭を横に振ると、再び長椅子に腰を降ろした。
「水夫さんよ、わしの見るところでは、お前さんは偶然飛んで来たただの鳥ではなさそうだ」。ミローンは指でおどす仕草をした。「政治に興味があるとなれば」。

この時、家の入口が大きく開かれ、立ち登っている蒸気の煙と共に、射手の男たちと、ウインチェスター銃を手にしたゴーシャが入って来た。
「当たった、恐ろしいやつだ、標的の中心を打ち抜いた」。ゲラシム・シェフツォーフは、厳かな声で告げた。「それでは、チェ・ヨンゲン、がま口を開けてもらおうか」。
チェ・ヨンゲンは、笑いながら皆に金貨を見せると、それをゴーシャに手渡した。

「さあ、飲んでくれ、水兵さんよ」。アキームは、彼にアルコールを注いだ。彼は一気に飲み干すと、焼いたクマの肉を摘まんで食べてから、踊り出した。
「何てやつだ。漏斗にでも注ぐように、飲んでも酔いもしないじゃないか」。オスタプ・シェルパイコは見て取った。「彼は官金で暮らしていたんだろうか。今は、何とか自分の口に入れるパンを稼ごうとしているようだが。まあ、好きなようにやるさ。さあ、みんな、故郷の歌を歌おうぜ。《緑の草地の向こうで、緑の草地の向こうで、母さんが落ちている亜麻を集めていた・・・》」。

結婚式の四日後、チェレムシャヌイの大通りを、補助警官のクドリャショーフと二人の騎馬コサックがサハリン人のアリョーシャを曳いて行った。何故なのか、何処へ行くのか分からなかった。彼らの後をロノマレンコ爺さんが、やっとのことで付いて行った。
「神はご存じだ。わしは何のかかわりも無い」。十字を切りながら、爺さんはもぐもぐ言ったが、アキーム・ダルニッツァの屋敷にさしかかると、新しい情報を急いで彼に話そうとした。

明らかになったところでは、家宅捜査をした補助警官が、あのサハリン人の木の長持ちの中から革命の宣伝ビラを一束発見したのだという。迎え酒をやるためにラーズムのところに来ていたミロン・ブラコーフは、ロノマレンコ爺さんの話を聞いて、断固とした口調でこう言った。「何の理由もなくとっつかまえることなぞ出来るもんでねえ。捕らえられたってことは、何かしたのさ。恐らく、裏切り者のボリシェヴィキさ」。

客たちが散った後、アキームは、幸せな新婚夫婦とマリユーシカを呼び寄せると静かに語った。
「いいか、わしの子供たちよ、どうか仲睦まじく暮らしてくれ。わしは年を取った。シプカとプレーヴナ[ブルガリアの峠と町の名前。どちらも1877~1878年のロシア・トルコ戦争時の激戦地]で負った傷が痛んでたまらない。老いの身では、孫たちの世話でもしたいと思う。孫たちを作る仕事を先延ばしにしないでくれよ。仕事には男手がどんなにか必要だか!」。
(つづく)

  1. 2022/08/03(水) 00:39:42|
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