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2014/12/15 エリザヴェータ・トゥクタムイシェワ「ドライサーの『アメリカの悲劇』がとても気に入った」

http://prosport-online.ru/articles/tukhtamysheva226

2014/12/15 エリザヴェータ・トゥクタムイシェワ「ドライサーの『アメリカの悲劇』がとても気に入った」
         
=====「プロスポーツ」が、トゥクタムイシェワのバルセロナでのグランプリファイナル勝利を機に、昨シーズンの記事、マリーナ・クルィローワ記者の「グラス・ホッパー」という見出しのインタビューを再掲載しました。その中で、なぜアレクセイ・ミーシンのもとで学ぶことになったのかという内容の部分と、気分転換の過ごし方の部分のみを訳しました。=====

エリザヴェータ・トゥクタムイシェワは、14歳になったばかりで最初に出場したグランプリ大会で優勝したことで、多くの人々にその苗字を覚えてもらうこととなった。
「わたしは基本的に苗字には興味がありませんでした」。しばしば間違って紹介されるのではないかと私が質問した時、リーザは語った。「知っていることは、ただ、この苗字がタタールのもので、中世の頃、トフタームイシュというハン(汗)がいたのだそうです。恐らくそこから全てが始まったのです」。

リーザ自身は、14歳まで両親、妹と一緒にグラーゾフ市に住んでいた。この町はモスクワから1000km余り離れたウドゥムールト共和国の最北にある。しかし、リーザは別の指標を使うのに馴れている:サンクトペテルブルクまで27時間。まさにこの時間を、アレクセイ・ミーシンのトレーニングを受けるために彼女は汽車の中で過ごしたのだ。そしてオリンピックチャンピオン、エヴゲーニー・プリューシェンコは、自分のコーチを、期待をかけられたリーザと二週間ごとに分け合わなければならなかった。

ミーシンは、ベールゴロドの競技会でリーザを見た。その後、この少女と仕事をしていたスヴェトラーナ・ヴェレチェーンニコワに、トレーニングに連れて来るように頼んだのだ。

「アレクセイ・ニコラエヴィチが、わたしの中に何を見たのかわかりません」。リーザは、将来のコーチになる人との最初の出会いを思い出して語った。「私はぎこちなくて、恐ろしく不器用で、エレメンツを行う技術も、スケーティング技術も違うものだった。グラーゾフには、リンクが一つしかなくて、そこで全ての人たちがトレーニングしていた:フィギュアスケーターも、ホッケー選手も、ただの愛好者も滑っていた。氷は、悲しい程に足りなかった。でも私たちは、床上でとても沢山練習していて、私も高くジャンプ出来たのです。アレクセイ・ニコラエヴィチは、多分、私がどうなるのか試して見ることにしたのでしょう。それで、彼のところにトレーニングに通うように提案したのです。そしてその後実際にやってみると、私が学ぶのが非常に速くて、多かれ少なかれ美しく手を動かしたり、滑ったり出来ることが判明したのです」。

二年後、リーザは、最も難しいトリプルアクセルも含めて全てのジャンプをマスターした。しかし、これでも不十分なようだった。ミーシンは、彼女をサンクトペテルブルクに移ってくるようにと招待した。二年間彼は、トゥクタムイシェワの真価をはかっていたのだ。

「ペテルブルクに最初に行った後、トレーニングにはもっと真剣に向き合わなければならないことが分かりました。半月、私とスヴェトラーナ・ミハイロヴナはグラーゾフで練習したのですが、私たちにはより頻繁に氷が与えられるようになりました。その他の時間は、ペテルブルクの『ユビレイヌィー』のリンクで過ごしました。大変でした。寮に滞在したり、ホテルに滞在したりしました。寮の方はまだ良かった。そこにはキッチンがあって、少なくとも通常の朝食とか、何かのお粥を調理出来た。でも、もちろん、何よりも辛いのは、家族無しで、両親無しで、過ごすことだった」。

アレクセイ・ニコラエヴィチは、五年後に最終決定をして、リーザに家族全員と一緒にサンクトペテルブルクに移って来るように提案した。彼女のママが移転に前向きに取り組んだ。この直前に家族には恐ろしい悲劇が起こっていた。父親の死だった。

「アレクセイ・ニコラエヴィチは、その時私たちをとても助けてくれました。アパートも見つけてくれた。私はほとんどの時間、合宿や大会に行っていました。ママと私の妹のジェンカが、荷物を運びました。私が帰った時には、アパートは多かれ少なかれ整っていた。ママが話したところでは、私たちの全ての荷物は車二台で収まったということだった」。

移転は、功を奏した。エヴゲーニー・プリューシェンコやアルトゥール・ガチンスキーと同じグループで、アレクセイ・ミーシンが恒常的に見てくれる環境で、リーザの練習が始まったのだ。
(略)

「私には、自由な時間がとても少ないので、テレビドラマのシリーズなどを見るために、時間を使うことは惜しくて出来ません。
私は読書の方が好きです。でも少し前にバルザックの『娼婦の栄光と悲惨』を読んだのですが、最後までは読み切れませんでした。親しい女友達の助言に従って、ドライサーの『アメリカの悲劇』に切り替えたからです。とても気に入りました。

それから自由な時間に、ギターを弾きます。少し前に始めたのですが、もう古いロシアのロマンスを弾くことが出来ます。バンド『チャイフ』の『オイ-ヨー』も習っています。ギターには、とても心が惹かれて、個人レッスンを受ける決心をした程です。実際には、まだ一回のレッスンしかやっていないのですが。先生に私の家まで来てもらう必要があるのですが、私が家にいるのは非常に稀だからです」。
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