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2016/04/12 アレクサンドル・ジューリン「イリイヌィフにはカツァラポフが必要だ」

http://rsport.ru/interview/20160412/912510423.html

2016/04/12 アレクサンドル・ジューリン「イリイヌィフにはカツァラーポフが必要だ」

=====R-Sport、アナトーリー・サモフヴァーロフ記者によるアレクサンドル・ジューリンコーチへのインタビュー記事より一部抜粋(前回のものと同じ記事)====

—純粋なスポーツ主義に基づき、ヨーロッパ選手権にも世界選手権にも出場出来なかったエレーナ・イリイヌィフとルスラン・ジガンシンは、勝利のチャンスを探して、海外のイーゴリ・シュピリバンドのもとへ出発しました。

「二人は良いアスリートだ — エッジ使いにしても、感情面でも。しかし、彼らは、別々のラジオ電波にチューニングを合わせていると感じられる。二人はこの点で完全に結合している訳ではない。デュエットとして、まさにこの結合の面で、多くのアメリカやカナダのライバルたちに負けている。もちろん、シュピリバンドは、奇跡を起こすかもしれないが・・・」

—二人は根本的に変わらなければならないとイーゴリは言っていました。特にルスランが。エレーナに必要なのは・・・

「・・・レーナに必要なのはカツァラーポフだよ」。

—あの代わりは無いと?

「無い」。

—仮に、ポジェだったら?

「違う」。

—それでは、シゼロンでは?

「全く違うよ。シゼロンは、全く別のカリスマだ。イリイヌィフ/カツァラーポフ組は、尋常ではない組み合わせだった。そしてこの点で彼らは法外に魅力的だった。罵りのことばさえお互いに駆り立て合うリーダー同士の結合だった。彼らのプログラムは、鳥肌が立つ程だった。今は、鳥肌の気配も無い」。

—かつてあの二人は、あなたのペアでした。ソチオリンピックのメダルを目指してあなたは育成していた。二人がニコライ・モローゾフのところへ去るまでは。今、あなたのところには、ピョンチャンのメダル候補になれるようなダンサーはいますか?

「メダル? 多分あなたには、僕が自信過剰に見えるかもしれないが、僕が非常に大きな期待をかけているのは、ティファニー・ザゴールスキ/ジョナサン・グレイロ組だ。・・・

—マクシム・スタヴィースキー(アイスダンスの2度の世界チャンピオン)は、少し前のインタビューで、シゼロンはダンスのモードを前進させているが、カツァラーポフとブーキンは、このフランス人の動作法を模倣し始めたと指摘しました。

「誰の真似をしても良いが、動きが内面から出るようにしなければならない。一つ一つの動きには、意味がなければならない。もし自分の肉体が表現力のある動きに不十分だと理解したなら、床で自分を磨かなければならない。最初は長いこと悪戦苦闘して、そうして必要な柔軟性や、逆に強硬さに到達するのだ。しかし、もし、プログラムのなかで手を開いて、何故なのかを理解していないとしたら、何の印象も創り出せない」。

—一方、ソロヴィヨーフはフランス人に似ることを志向していない。

「ジーマには自分の顔がある。パパダキス/シゼロン組には、僕に言わせると、ユニセックスのスタイルでの滑りがある。そこでは、どちらが男性で、どちらが女性なのかが区別出来ない — それ程に彼らは入り混じり、融合している。バレエ『薔薇の精』のように。一方、ジーマは、『男』だ。僕は、ジーマとカーチャのためには、基本的に『男と女』のプログラムを作る。僕にとっては、それが非常に重要なのだ。だって、このコントラストを誰も無効にすることは出来ない。そして、もし、僕たちの動作法がパパダキス/シゼロン組に負けないことを理論的に推察するとしても、僕たちはやはり、フランス人たちのようなよどみのないものではなく、ストーリー性のあるプログラムを作るだろう。

しかし、この全て — 動作法とストーリーは、結合していなければならない — ただかかとを反転させるのでもなければ、腰下部のつなぎの動きが独立してある訳ではない・・・専門家以外にはこれらのニュアンスを見極められないかもしれないが、それらの点でパパダキス/シゼロン組は、今のところ世界最良だ。彼らの卓越性は認めざるを得ない。カーチャとジーマは、自分たちに何が足りないかを分かっている。・・・」。
 

「ロシアのペアでは、『マン・アンド・ウーマン』の路線が常にうまく行っていた」。

—しかし、シニーツィナ/カツァラーポフ組のものも、やはり『マン・アンド・ウーマン』です。

「僕はあのプログラムを『鳩たちの生活から』と名付ける。愛に似ているが、しかし全てが甘ったるい程に甘い。だって、愛にはさまざまなものがあるのだ。だから、彼らのものは、愛の隣にある『愛に似ているもの』だ」。

—ストーリーが足りないのですか?

「多分、ストーリーも、遂行力も。だって愛には、いくつかの段階や面がある。芽生え、映画館での出会い、キャンディと花束の甘ったるい時期、ベッド、諍い。ところが彼らは、映画館で花を持って会った、プログラムが終わった、それでも彼らは同じように花を持って映画館の前で立っているのだ」。

—つまり、考えを表現していない、と。

「音楽は美しいし、彼ら自身も美しい。最初お互いに見つめ合っている。最後も見つめ合っている。ずっと、見つめて、見つめて・・・・」。
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