あれこれ

2016/06/01 コンスタンチン・メンショフ「閉ざされた門に体当たりするのに疲れた」

http://www.sovsport.ru/gazeta/article-item/907443 

2016/06/01 コンスタンチン・メンショフ「閉ざされた門に体当たりするのに疲れた」 

(アンドレイ・シモネンコ)
 男子シングルスケート2014年ヨーロッパ選手権銅メダリスト、2011年ロシアチャンピオン、コンスタンチン・メンショフは、現役を引退する決断をした。完全に? これが33歳のフィギュアスケーターへの最初の質問だ。

 「何があるか分からないから、戻ることだって無いとも限らない」。メンショフは言う。「しかし、現時点ではトレーニングを終了した。シーズンに向けた準備をしていないし、子供たちを教えようと思っている。今、グループを引き受ける計画をしている。しかし、いつも氷の上にいる以上、ひょっとすると戻ることも考え始めるかもしれない!」。

 —元に戻ることは出来ますか? 「出来る。しかし、今は怪我をしている腕がどうしても治らない。両方の痛む腕で滑るのは、もう出来ない。きつい。それに若い人たちも迫っている。オリンピックの前には若い世代に期待が行くし、突破するのはさらに困難になるのは分かっている。だから引退を決めたのだ」。

 —主要な理由は、やはり怪我ですか? 

「もちろんだ。それに僕に対する楽天的見方も無い。何が起こっているのかを僕は見ている。閉ざされた門に体当たりするのは、つまり、ずっとやって来たことだけれど — もう何か少し疲れた」。

 —どのような思いで競技スポーツを去りますか — 満足感ですか、それとも実現不足の思いですか? 

「僕は競技スポーツで何らかのものには到達した。しかし、最初の志はもう少し大きかった。世界選手権に遂に行けなかったのは残念だ。最後のロシア選手権であのようになったことが悔しい。しかし、これは多分、天からの合図だったのだ — コースチャ、滑るのはもう十分だから、何か他のことに取り組まなければならないよ、と。シーズンを通してずっと困難だったし、何らかの問題、怪我・・・があった。しかし、全ての競技会に困難を乗り越えて出て行かなければならなかったのだ」。

 —もし肯定的な面を思い出すとすれば、まず一番に何について後世の人たちに語りますか? 

「全体的なことを語るとすれば、降伏してはならない、そして天狗になってはならないということだ。僕はしょっちゅう、競技スポーツをお仕舞いにしようという思いに駆られたけれども、全てがうまく行くことへの願いと信念が、何らかのところへ到らしめた。ヨーロッパ選手権での3位は、もちろん、僕の最も記念碑的成績だ。それに加えて、僕には、一つのプログラムのなかで二種類の四回転ジャンプを跳ぶという夢があったが、僕はそれに成功した。大きな視点での結果について語るとすればこのようなことだが、しかし、細かなことを言えばまだある」。

 —ユニバーシアードもありました。そこであなたは、ショートプログラムで25位だったが、フリーで1位になった。それに有名な2013年ロシア選手権もある。スポーツルールを破ってあなたが代表チームのメンバーに含まれなかった時に、フィギュアスケーターたちが、「コースチャをヨーロッパに」というスローガンの下にキャンペーンを組織した。 

「もちろん、非常に多くのことがあった。追想記を後で書くかもしれない。それぞれの大会で、何かしら特別のことがあった。そもそも僕の人生では、残念ながら、簡単に行ったということが非常に稀だ。予期しない出来事や困難など・・・しかし、これらの困難を克服し、それによって賞を獲得出来た時には、二倍嬉しかった」。

 —なぜあなたは、ある時には完全に失敗することが出来て、翌日には天才的に滑ることが出来たのか、選手生活のなかで理解することが出来ましたか? だってそのようなケースが非常に多かった。性格の特性ですか、それとも「最悪」の状況下で集中出来る能力ですか? 

「多分、両方だ。もちろん、僕は自分に起こったことを、何度も分析した。しかし、何故一日目には何も出来なくて、翌日には全てが出来るのかを理解することは、とうとう出来なかった。僕は心理学の専門家とも一緒に働いたけれども、どのように振舞うべきかの最終的なバージョンは、遂に見つからなかった。だから、競技会であのようなことが起こっていた」。

 —歴史を後戻りさせることは出来ないことは分かっていますが、もし2013年のヨーロッパ選手権に、ロシア選手権銅メダルだったあなたが行くことが出来て、5位だったマクシム・コフトゥンが派遣されることがなかったとしたなら、あなたの現役生活は、違ったものになった可能性があったでしょうか? 

「恐らく。しかし、このテーマで僕が考えることは出来ない — 起こったことは、起こったことだ。無かったことについて語るのは、困難だ。それにその後、基本的に、多くのことが十分に成功したのだから。しかし、もちろん、多くのアスリートたちが、アスリートたちだけではないが、あの状況で僕を応援してくれたことは嬉しかった。多分、あれは、歴史上一度だけのことだったろう。あのようなことが繰り返されるのかどうか分からないが、しかし僕は、あのような状況がもう起きないよう願っている」。

 —さらに2013年国別対抗戦では、肩に大きな怪我を負いました。ある面では、悲劇的な出来事でしたが、一方であなたは、回復することが出来て、選手生活で最も良い成績、ヨーロッパ選手権銅メダルを獲得することが出来ました。 

「僕は当時、何と言ってももっと若かった。一方、今は、僕が年寄りだと聞こえて来るのに疲れている。当時僕は、ジャンプは回復したが、振付の面では困難だった。常に片方の腕だけを支えにしなければならなかった。今僕は、もう片方の腕も怪我している。ジャンプは今でも問題は無い、四回転トウループもサルコウも。しかし、若い人たちに道を譲るべきだという圧力もまた、滑り続けるか、否かの選択に影響はあった」。

 —どのような志を持って、あなたはコーチの道に入るのですか、選手として勝てなかったもので勝つことですか? 

「もちろん、それぞれのコーチはそのような目標を立てるし、自分の生徒と共にオリンピックで勝利したいと思う。そもそも、僕は既にだいぶ前から教えている。もちろん誰のことも引き連れて試合には行かなかった。僕自身が滑っていたのだから。しかし、一緒に試合に出ていた女の子を3、4年位教えている。だから、面白くなるだろう。試合の準備の面で、自分の経験も取り入れるつもりだ。これが役に立つことを願っている。小さな子供たちと働くことから始めて、その後のことは様子を見ていこう。僕のコーチたちが僕との仕事のなかで許したかもしれないような失敗を許さないようにしたい。残念ながら、僕が通っていたコーチたちが、僕で学べたことは、僕の選手生活を通して『良かった』ことだ。どのように準備させるか、どのように育てるべきか、どのように技術を作り上げるか」。

 —その代わり、多分あなたは今、全てを知っている。

 「全てを知ることは不可能だし、僕は、もちろん、新しいことを学ぶつもりだ。そして、そこでひょっとしたら、既に言ったけれども — 一年後に戻るかもしれない!」
関連記事
スポンサーサイト
  1. 2016/06/01(水) 23:25:00|
  2. フィギュアスケート
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<2016/06/01 エヴゲーニー・プルシェンコ「6月中旬に、クールシュヴェルでの最初の合宿に行く」 | ホーム | 2016/05/27 イリヤ・アヴェルブーフ「アジヤン・ピトケーエフが安定性を身につければ、ロシアで最良のフィギュアスケーターになれる」>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://kurkuma.blog.fc2.com/tb.php/1881-f1165e40
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)