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2016/07/15 エレーナ・ラジオノワ「以前からシェイ=リーン・ボーンと一緒に働きたかった」

 http://www.fsrussia.ru/intervyu/2236-elena-radionova-ya-davno-khotela-porabotat-s-she-linn-burn.html
 
2016/07/15 エレーナ・ラジオーノワ「以前からシェイ=リーン・ボーンと一緒に働きたかった」
 
====ロシアフィギュアスケート連盟公式サイトのエレーナ・ラジオーノワへのインタビュー記事より一部抜粋=====
 
「この数ヶ月、私には実際やるべきことが本当に沢山ありました。でも何とか全てが間に合いました。何故ならとても間に合わせたかったからです」。レーナは説明した。「シェイ=リーン・ボーンと働いてみたいという願いは、随分以前からありました。私が彼女と知り合ったのはカザフスタンで、彼女がデニス・テンのショーを作った時です。私は彼女のアプローチがとても気に入り、将来一緒に働きたいという考えが沸き起こりました。この夏私の夢が叶い、全てが上手く行ってとても嬉しいです。
 
実はカナダに行く前に、思いっきり不安にさせられました。何故なら、最後までビザが降りるか降りないかが分からず、待ち続けていたのです。それを受け取った時には、本当に幸せでした。私とシェイ=リーンは、前もってメールをやり取りし、全てを打ち合わせていました。プログラム作りを見合わせたり、別の時期に延期したりすることは現実的ではありません。シェイ=リーンはとても忙しい人です。それに私にも学校の試験がありました。彼女も私も時間をひねり出すのは困難です。でも全てが上手く行って、良かったです。
 
私はトロントで一週間過ごしました。私はプログラム用にいくつかの音楽を携えて行きました。最初私とシェイ=リーンは音楽を聴いて、選び、氷上でさまざまなステップを試し、また、まさにどのような音楽作品が私により合うのかを理解し感じ取るために、沢山滑りました。常に私はコーチのインナ・ゲルマーノヴナ(・ゴンチャレンコ)と連絡を取り合っていました。そして私とシェイ=リーンが自分たちの案を選んだ時には、コーチに相談しました。インナ・ゲルマーノヴナが『採用しましょう』と言ってから、私たちは振付けに取り掛かったのです。
 
私にとってシェイ=リーンと働くことは、本当の喜びでした。私が驚いたのは、彼女が小さなものまで一つひとつの動きを慎重に選び、プログラムを自分に当てはめてみるかのようにアスリートと一緒に沢山滑り、それがやり易いかどうかをしょっちゅう質問することでした。私たちは全日程を働き続けました。私がとても心配だったのは、ロシアでこのプログラムがどのように受け入れられるかということでした。プログラムが気に入られて嬉しいです。今はもうそれを滑り込むだけです。フリーの仕事もしています。
 
海外では私は出来るだけ英語で話すようにしています。私の英語はまだ理想には程遠いのですが。最初は少し恥ずかしかったのですが、終わり頃にはもう全てが理解出来て、自由時間に何をしたとか、どこへ行ったとかをシェイ=リーンとおしゃべりをした程です。私たちが滞在したホテルの隣にアトラクション公園がありました。そこに行くのは面白かったです。街を少し散歩することも出来ました。トロントは、美しく、大きなメガポリスでした。
 
カナダに出かける前に、学校で試験を受けました。良い成績で合格しました。卒業証書は素晴らしいものになると思います。全部で3教科が4で、残りは5です。このような成績で学校を卒業出来て、誇らしいです。今度はロシア体育スポーツ国立大学に入学します。数日のうちに体育の入学テストを受け、ショートプログラムを滑る予定です」。
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