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2016/10/20 四回転ジャンプの黎明期とウクライナの選手たち

 http://xsport.ua/figure-skating_s/news/revolyutsiya-kvadov-chetyre-oborota-kotorye-voshli-v-istoriyu-chast-1_222464/
 
2016/10/20 クワド革命。歴史で見る四回転 第一部
 
====ウクライナのサイトから一部抜粋====
 
1988年世界選手権でカナダのカート・ブラウニングが歴史上初めて跳んだ四回転ジャンプ、まさにトウループを国際スケート連盟(ISU)が認定してから、今年で28年になる。しかし、フィギュアスケートファンたちの期待に反して、クワド(英語のquadクアドから)は、大量に見られるものとはならなかった。世界がそれ以外の四回転ジャンプ — サルコウを見たのは、それから10年が経っていた。それが2016年になって、四回転習得のプロセスは、ゴール前の直線距離に突入した — ルッツは慣例のうちに入り、フリップとループ実行の最初のケースが記録された。
 
ウクライナのフィギュアスケーターのうち、誰が結局、一般に認められていないにしろ四回転の天才として残ったのか? どういったアスリートがQuad King の異名のもと歴史に入ったのか? そしてアメリカ人のエヴァン・ライサチェクは、一つのクワドもなしで、どのようにして2010年バンクーバーオリンピックで勝利できたのか? これらの疑問への答えが、このマリーヤ・メドヴェージェワの記事〜第一部で知ることが出来る。
 
四回転ジャンプに関する最初の言及(あるいは歴史の教科書で普通書かれているように)は、80年代の始めに見出せる。世界選手権で自分のプログラムにクワドを組み込んだ最初の人は、ソ連のフィギュアスケーター、アレクサンドル・ファデーエフ(1983年ヘルシンキ大会)だった。実際はジャンプの出におけるミスのためにISUはこのジャンプを認定しなかったが、同様の例として、1986年ヨーロッパ選手権でのチェコスロバキアのヨゼフ・サボフチク、1987年世界選手権でのアメリカのブライアン・ボイタノの試みがあった。
 
そして1988年3月25日、ブダペストの世界大会において四回転トウループの公式の初演が成立した。実のところ、これに関してギネスレコードブックにカート・ブラウニングの名前が記入されたことに、フィギュアスケート界の全てが賛成した訳ではなかった。彼のジャンプの出は全くクリーンだった訳ではないとか、カナダの連盟の非常な影響力があったロビーが無かったなら・・・などと。
 
それにブラウニング自身が、何年も後のポータルIcenetworkのインタビューで、自分の最初の四回転はブダペストの例ではなく、そのほぼ1年後のカナダ選手権で跳んだものだと考えていると認めている。
 
オリンピックでクワドを跳んだ最初のフィギュアスケーターとして歴史に残った(1992年アルベールヴィルでのオリンピック)チェコのピョートル・バルナは、1989年に四回転トウループを跳ぶことを試みている。そしてその後舞台前面に出て来たのが、1994年オリンピックチャンピオンのアレクセイ・ウルマーノフだ。ただ多くの専門家たちが認めるところによれば、四回転トウループが理論的にどうあらねばならないかというものに最も近かったのは、1991年ソフィアヨーロッパ選手権でのウルマーノフのジャンプがまさにそうだったと言う。
 
この同じ年の3月、もう一人のカナダ人、18歳のエルヴィス・ストイコは、初めて四回転トウループをコンビネーションで跳んだ(二回転を加えたが、その後には三回転も加え出した)。
 
エルヴィス・ストイコが自分のアイドルとして名前を挙げたのが、クワドを跳んだ最初のアジア人で、なおかつ世界で初めてショートプログラムで跳ぶことに成功した(1999年四大陸選手権)中国人のチジャン・ミンだ。
 
四回転ジャンプに関する公式資料のなかで、ウクライナのフィギュアスケーターの記述は一つある。1991年世界ジュニアチャンピオン、ヴァシーリヤ・エリョーメンコの成功しなかった試みだ。1995年ドルトムントのヨーロッパ選手権で彼はトウループをやった。ただ実際は、90年代初頭におけるウクライナ国内では、ヴァレンチン・ニコラエフとガリーナ・ズミエフスカヤをリーダーとしたフィギュアスケートオデッサ派が四回転に関しては前衛であった。
 
このエリョーメンコは、練習のなかで四回転サルコウ、フリップ、ルッツを跳んだ。ウクライナでクワドに取り組んだのは、1992年オリンピックチャンピオン、ヴィクトル・ペトレンコもいる。また1996年ヨーロッパチャンピオン、1994年世界選手権銅メダリスト、ヴャチェスラフ・ザゴロドニュクは、16歳の時にアクセルを含む全ての四回転ジャンプにおいて回転した。
 
キエフ派の生徒たちも負けてはいなかった:1993年ヨーロッパチャンピオン、ドミートリー・ドミトレンコはトウループを教え、1993年世界ジュニアチャンピオン、エヴゲーニー・プリュタは、オーベルストドルフの大会で四回転ルッツを跳んだ程だ。しかし公式認定は得なかった。
 
2000年の半ばにヴィターリー・ダニリチェンコが現役を引退した後、ウクライナ選手権では、クワドは常に他にお客に出かけており、全くお出ましにはならなかった。昨年ヤロスラフ・パニオトが首都の「アイスアリーナ」で四回転トウループを跳び、氷を焚きつけた。
 
今日三人のウクライナ人が(成功の度合いは様々にしろ)競技会で四回転ジャンプ(トウループ)を跳んでいる。実際は、そのうちの二人は他国の旗のもとで行っている。アレクセイ・ブィチェンコはイスラエル代表、イーゴリ・レズニチェンコはポーランド代表だ。
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