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2016/11/21 アンナ・ポゴリラヤ「コーチと仲違いをして、リンクを離れることが出来たのは二日間だけだった」

 http://www.sport-express.ru/figure-skating/reviews/anna-pogorilaya-porugavshis-s-trenerom-mogla-uyti-s-katka-na-dva-dnya-1068286/?ua=dt
 
2016/11/21 アンナ・ポゴリーラヤ「コーチと仲違いをして、リンクを離れることが出来たの二日間だけだった」
 
====一部抜粋====
 
日本でのグランプリ最終戦に向けて出発する前に、アンナ・ポゴリーラヤは、Sport-Express解説者エレーナ・ヴァイツェホフスカヤに、コーチとの衝突やジャッジたちの厳格さについて語り、何故四回転ジャンプの習得を急いでいないかを説明した。
 
—あるインタビューであなたのコーチのアンナ・ツァリョーワは、成長期の問題はあなたを外れて通り過ぎていったと語りました。あなたもそう思いますか?
 
「全く外れたとは言えないでしょう。身体が突然縦にも横にも伸び始める時期について言うとすれば、それは私にあまり強い影響はありませんでした。ただあまりにも目に見えて体重が増え始めるのが分かった時がありましたが、それとは十分上手く戦うことが出来ました。ここで大事なことは、問題を放っておかずに、萌芽のうちにそれを防止することです。
 
一方で心の問題は遥かに深刻でした」。
 
—それはどんなところに現れましたか?
 
「常に自分を正しい気持ちにしておけなかったというのが一つあります:練習に対しても、コーチの言うことを聞き、言い争いをしないようにということに対しても。全体として見ると多くのことが起きました」。
 
—私たちが三年前に話をした時に、コーチと仲違いをしてリンクを離れることが出来たのは一週間だったと、あなたが話したのを覚えています。
 
「実際には、そこまでは行かなかったです。二日間、確かにリンクを離れました。そしてその二日間が、覚えているのですが、とても長くて、本当に無限に続くように思われました。
 
成長期についての私の話にも、このような時のことが頭にありました。私はただ理解していませんでした。乱暴な物言いをしてはいけない、自分の考えがどのようなものであれそれへの自分の権利ばかりに固執してはいけない、コーチとはただ理解し合わなければならないし、仕事を続けなければならない、ということが」。
 
—それにもかかわらず、あなたは自分の人生で一つの真に大人の行動を取りました。それは、アンナ・ツァリョーワから他のリンクの新しい師のところへ去ろうとした後に、彼女のところへ戻ったことです。あれはあなた自身の決定でしたか、それとも、まさにあのように行動することが正しいと説得されたのですか?
 
「あの時は、去ることも戻ることも誰も私を説得しませんでした。ただ、私とアンナ・ヴラジーミロヴナ(・ツァリョーワ)との衝突が皆に知られた時に、同じリンクに残って他の教師についたらどうかと私に提案がありました。このような案は、私は絶対認められませんでした」。
 
—何故?
 
「なぜなら私の見方では、それは正しくないのです。毎日練習に行って、自分が離れたコーチを見ることなどどうして出来るでしょう? 私にとってこのような状況は耐え難く、受け入れ難いものになったでしょう。
 
私はアンナ・ヴラジーミロヴナがとても好きなのです。もしその時本当に彼女から離れたとしても、やはり私は愛し続けたでしょうし、彼女が私にしてくれた全てのことに対し感謝し続けたでしょう。
 
私たちの間にどのような仕事上の衝突が起こったとしても、私が毎日側を通って、彼女の目の前の別の氷で練習することで、人に痛みを与える理由にはならないのです」。
 
—一旦離れた後で、コーチに向かって歩み寄るのは難しかったですか?
 
「去る方が難しかったのです。私が去る決心をした後、ほとんどすぐに、とても戻りたいと考え始めました。突発的な勢いで去った訳ではないのですけれど。
 
非常に長い間いろいろなことを検討していましたが、私たちが求めていた結果はほぼ三年出ませんでしたし。一方で最後の行動のきっかけなったものは、初めてのヨーロッパ選手権で3位になった後で私が負った全く馬鹿な怪我でした。
 
その時私は一週間の休暇を貰い、その後で、そのような休暇の後では靭帯が弱っていることを全く考えずに、とても急激に練習を開始しました。二日間で全てのトリプルジャンプとコンビネーションを揃えたのですが、床上でのトレーニングで私はステップマシンから不用意に飛び降り、足を捻り、靭帯を痛めました。
 
それはひどいものでした:ヨーロッパ選手権の後、それまでとても望んでいた世界選手権へ出場するチャンスが与えられ、私はとても喜んだのです。なぜママもコーチも、このような状態で上海に行くべきではないと繰り返して言うのか全く理解出来ませんでした。
 
その試合の結果私は13位でした。それはもちろん、惨事でした。それに加えて、ひどいストレスでした。それは準備の間もずっと伴っていましたが。
 
でも私は考え始めました。私が足踏みしている間に他の女子たちは皆成長しつづけ、前に進んで私から遠ざかって行くと。
 
その結果一定の時間が経った後、私とコーチは会って、よく話をし、相互に理解し、全てを一から始めたのです」。
 
—ツァリョーワにとってあなたは、最初の教え子です。コーチには、あれこれに関して判断の用意が無いとか、どう正しく行動するのか分かっていないとか、感じることがあるのですか?
 
「何らかの状況を私たちは一緒に考えるのです。多くを試してみて、結果として常に正しい解決を見つけます。どのような年齢でも学ぶことは出来るし、学ばなければならないと思います」。
 
—今シーズンあなたのフリープログラムを作ったニコライ・モローゾフが、振付けと平行してあなたに正しく滑ることを教えたと言っていました。これは本当にそうなのですか?
 
「彼は私に多くのニュアンス(微妙な面)について語りました:滑っている時にジャッジたちとどのようにして『働く』ことが出来るか、どのようにして彼らを心情的につかむことが出来るか。氷上で彼と一緒に仕事をする時までに私が一人で練習出来る何らかの技術的箇所を指示しましたが、仕事は振付けだけのものでした」。
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