あれこれ

2016/11/27 エレーナ・ヴァイツェホフスカヤ「ネイサン・チェンが何よりも身に付けたものは、仕事の能力」

 http://www.sport-express.ru/figure-skating/reviews/stoya-na-taburetke-itogi-shesti-etapov-gran-pri-1070621/
 
2016/11/27 腰掛け椅子の上に立って。グランプリ6大会の結果
 
====一部抜粋====
 
氷は滑りやすく、不安定だ。札幌の、この滑りやすい氷の上で、一種のセンセーションが起こった:アイスダンスの二度の世界チャンピオン、ガブリエラ・パパダキス/ギョーム・シゼロン組が、バンクーバ−オリンピックチャンピオン、テッサ・ヴァーチュー/スコット・モイア組に敗北を喫した。フランスの二人は、神経を克服出来ずに、ミスを犯した。
 
これは激しい競争から生じたことかもしれないが、しかしながら、ガブリエラとギョームはここ2シーズンで、どれほどの競争で緊張したとしても、十分な余裕を持ってあらゆる選手たちに確実に勝ちを納めてきたのだ。それにもかかわらず、日曜日(27日)、アイスダンスにおける最も堅牢なステレオタイプの先入観の一つが、粉々に飛び散った:そもそもパパダキスとシゼロンには勝てないのだ、というステレオタイプの先入観が。
 
これを成したヴァーチュー/モイア組は、多くの意味において他のペアよりも困難が大きかった筈のペアだ。しかし彼らは、再び一位になりたいと、ただ強く欲したのだ。
 
思考のステレオタイプ — それは人が、自分の道に自分の手で築き上げる最も堅牢な障壁だ。例えば、シニアのレベルに適応することや、あるいは新しいペアのパートナーとのユニゾンのためには何年も時間が必要だと、コーチもスケーターも敗戦の口実を簡単に自分に与えるのだ。それどころか、その思考のなかに何の恐さも感じないのだ:だって他の選手たちは、ユニゾンがもっと良く出来ているでしょ? と。
 
その結果、時間は一方的に過ぎ去るばかりで、私たちは何らかの幻想が急速に崩壊するのを目の当たりにするのだ。例えば、それこそ、世界的アイスダンスのリーダーたちの一定のレベルにロシアのペアも到達することに関して。期待のなかで私たちは、自分たちのお気に入りが何らかの小さな場所で成功すれば、それを喜んでいる —B級大会での勝利とか、(昨シーズンと比較して)より成功したプログラムだとか。しかし、これら全ては、自分の子供が腰掛け椅子の上に立って、ちょっとした詩などを読むのを眺めている両親の喜びに等しい。
・・・
いずれにしても、スポーツにおいて、結果を出すためにはいかなる犠牲も厭わずに進む覚悟を持つ選手たちに感嘆しないでいることは極めて難しい。その選手がどこの国の代表であろうとも。
 
例えば、自意識が出来て以来の自分の人生の全てで、比喩的に言えば、ズボンから跳び出すことを試みていた(結果としてそれをやってのけた)アスリートのことを —17歳のアメリカのネイサン・チェンのことを。何らかの優れた素質があった訳でもないこの若者が、何よりも身に付けたのは仕事の能力だった:彼のコーチのラファエル・アルチュニャーンは、怪我をするまで跳ばないように練習のなかで教え子を常時止めなければならないことを、こぼしていた程だ。
 
ネイサンはそれでも跳んだ:そして初めてメダリストになった昨年のアメリカ選手権でかなり重症の怪我を負った。それは競技のなかでではなく、その後のエキシビジョンナンバーでのことで、最も簡単なジャンプではないものを一杯に詰め込んで、足首を傷つけたのだ。
 
アルチュニャーンは当然のことながら、憤慨し、そしておそらく、ちょうどこの意見の相違がアスリートとコーチ間のそれまでの相互理解を壊した可能性がある:夏にチェンは、マリーナ・ズーエワのところへプログラムを作るために出かけ、その後恒常的に一緒に仕事をするために彼女のところへ去る決心をしたのだ。
 
そのことによってアルチュニャーンとの衝突が一層大きなものになった。それにもかかわらず、札幌では以前の師がチェンを再び、氷に導いた。
 
とはいえ、この極めてスキャンダラスなゴタゴタが今後も続くのかどうかにかかわらず、それは重要なことを否定するものではない:17歳のアスリートがフリープログラムのなかで四回転ジャンプを4種やる(最も難しいルッツとフリップを含めて)ことを試みたフィギュアスケート史上初めての選手になったこと、そして、1ダースのうちの10人の選手が克服出来そうにないような状況のなかで、日本で2位という結果を出し、それによってグランプリファイナルに自らを文字通り引きずり入れたということを。
 
再びここで質問を出したい:このアメリカ人は、マクシム・コフトゥンよりも、セルゲイ・ヴォーロノフよりも、アレクサンドル・ペトローフの持っているものよりも、あるいはミハイル・コリャダーの持っているものよりも、何が優れているのか? 答えは陳腐だ。何も優れてはいない。しかし、チェンはファイナルで滑り、ロシアの男子シングルスケーターたちは、腰掛け椅子の上に立ち、ちょっとした詩を読むことが出来るだけだ。あまりにも失礼に響くことは分かっている。しかし、シーズン前半の結果を見ながら、このことを考えないことが果たして出来るだろうか?
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