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2016/12/13 ドミートリー・アリーエフ「僕はファイナルへの扉を最後尾で閉め、先頭で扉を開けた」

 http://www.fsrussia.ru/intervyu/2676-dmitrij-aliev-ya-poslednim-zakryl-dver-popav-v-final-a-otkryl-ee-pervym.html
 
2016/12/13 ドミートリー・アリーエフ「僕はファイナルへの扉を最後尾で閉め、先頭で扉を開けた」
 
====一部抜粋====
 
(オリガ・エルモーリナ、タチヤーナ・フレイド、 マルセイユ発)
ジュニアグランプリファイナルに6番目に選抜されたドミートリー・アリーエフが優勝した。競技の後のインタビューで、彼は、自分自身や家族、過去の大会について率直に語った。
 
—ジーマ、あなたは最終車両に飛び乗るようにしてファイナルに選抜されました。どのような思いでマルセイユに来ましたか?
 
「今シーズンのグランプリ大会は、僕にとってあまり良い形にはならなかった。特に二戦目のリュブリャナの大会が。初戦は良い滑りを見せられた。その時はまだ二本の四回転が入った古いフリープログラムを滑ったのだが、オストラヴァで初めて競技のなかで二本を見せることが出来た。
 
その次にリュブリャナだった。僕はこの大会に向けて良い準備をした。そこでのショートは普通に出来た。今後避けなければならない、手落ちと小さなミスはあったが、ショートで一位になり自信を感じた。しかし、ストレスの状況や、(第4グループ)5番滑走への待機時間が、僕を軌道から脱線させた。『燃え尽き』て、リュブリャナの大会をぶち壊した。その時、グランプリ大会は50%僕から離れて行ったし、僕はそれを逃したことを理解した。落胆した。
 
マルセイユで滑る可能性がまだ残っていて、最終戦次第だと言われた時には、白状するが、人生であんなに気を揉んだことは無かった。アンドレイ・トルガショーフが何点獲得しなければならないかを僕は分かっていた。もし彼が118ポイント以上の得点なら、彼がファイナルに行く。もし、それより低かったら、僕だ。
 
第7戦が行われていた時、僕は祖母と一緒にテレビの前に座っていた。僕は彼女には何も言わなかったが、僕の心のなかと言ったら・・・アンドレイがキス・アンド・クライに座っている間、僕は彼の得点を待った。そして彼の得点が118点に届かないのを見た時、僕の目に涙があふれた。いや、僕は落涙まではしなかった。ただ、ファイナルで滑るチャンスが僕に巡って来たことがそれ程に嬉しかったのだ。僕はすぐに神に感謝を言った。
 
そして僕は、6番目の最後尾でファイナルへの扉を閉めたことになる。しかし、情勢が展開し、結局その扉を今度は先頭で開けることになった。グランプリ大会への準備と、ファイナルへの準備では、やり方が違っていた。ファイナルに向けて僕たちは、別のやり方で準備をし、それが功を奏した」。
 
—今後に向けてそれを踏襲し、定着させるために、ファイナルに向けてどのように準備をしたのか、秘密を明かすことは出来ますか?
 
「マルセイユの後で、もちろん、全てをさらに分析しなければならない。ファイナルに向けて僕たちは、特別の準備を行った。第一に、通し滑りを増やした。通し滑りの終盤に起こることを、自分たち自身が分かっていた。僕は『精神力』で最後まで行くが、頭がおかしくなる。もしかしてこれは何につながるのかと考え始めるのだ。身体的に僕はとても弱い訳ではない。だから氷に出て行く前のウォームアップで、少し別のやり方で自分を準備することにした。ウォームアップの形態を変えたのだ。
 
トレーニングプロセスでも、ステップや、スピンの回転数に至るまで細かな箇所でさえ正確に練習して、これらの全てを磨き上げていった」。
 
—もし問題が「物理」にあって、頭でないとすれば、全てを修正することが出来ます。
 
「実は、僕の問題は頭のなかだ。いずれにしても、それぞれの大会は全く違うものだ。確かに、何をすべきか知っているし、ライバルたちのことも知っているし、全てに慣れている。しかし、演技の前に違った状況が発生すると、不安定になる可能性があるのだ」。
 
—例えば、どういったことで不安定になるのですか?
 
「例えば、僕たちスケーターをリンクに運んでいたバスのタイヤがパンクしたとか、そんなような。するとそのことに気を取られ始める。それは何でもいいのだが・・・」。
 
—気にしなければいいのでは?
 
「まさに、そうだ。僕はその取り組みをしている。問題が心理状態にあると理解すれば、全てに対して別のやり方での対応や治療が始まる。僕は今、『平静な落ち着きのトレーニング』をしている。
 
ワルシャワの後、ファイナルまで残すところ二週間半になった時、マルセイユの準備が開始されたことを僕は知った。つまり、僕はこの期間ミスなしで全てをやらなければならない。最初の三日間は、それぞれの小さな問題のせいで、気が散り始め、心理的ミスが出た。しかし、僕はよく考え、自分に言った。もしこの二週間半正確にやりきれないで、心理が自分の邪魔をするなら、何の良いことも望めないだろう、と。冷静になり、反省をして、休日明けから落ち着いて仕事を始めた。決心した:いい加減なことはしない、やらなければならない、修正する。するとなぜか全てが上手く行った」。
 
—あなたはペテルブルクに一人で住んでいるのですか?
 
「いえ、祖母と。彼女は僕のためにわざわざ転居して来た。日常的なこまごましたことで祖母を煩わせないように、特に気をつけている。朝は朝食用のお茶を自分で入れる。祖母、両親、兄、皆を出来ることがあれば助けるように努めている」。
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  1. 2016/12/15(木) 05:02:48|
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