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2017/01/06 アデリーナ・ソトニコワ「選手生活を美しく終了しなければならない」

 http://www.ok-magazine.ru/stars/interview/49345-adelina-sotnikova-menya-rugayut-za-chto-ya-vedu-sebya-ne-kak-devochka
 
2017/01/06 アデリーナ・ソートニコワ「私は女の子のように振舞わないので非難される」
 
====一部抜粋====
 
(ユーリヤ・クラスノーフスカヤ)
フィギュアスケーター、アデリーナ・ソートニコワは、ソチオリンピックで金メダルを獲得し、女子シングルスケートでロシア史上初めてのオリンピック女王になったことで有名になった。この勝利の後、彼女の生活は大きく変化した。自分の夢について、失望について、大人になることについて、またアイスショー「くるみ割り人形と鼠の王様」での役について、アデリーナがOK!と語った。
 
アデリーナ・ソートニコワは、驚くほど可愛い、壊れやすい女性だ。ただ彼女自身は、壊れやすさは自分とは何の関係もないと信じており、彼女はこれに同意することは難しいのだが。
 
「私の両親は完璧主義者で、当然私も、自分のことに気をつけなければなりません。人はやろうと思えば、自分や周囲の人たちが気に入るように全てが出来るでしょう。もし、そのために食べないことが要求されるのなら、食べないでもいられるでしょう」。この自律は、ソートニコワを見ていると常に感じられる。
 
例えば、彼女は決して遅刻することがなく、自分で自分を「時の人」と名付けている。またアデリーナは、人が彼女のことで腹をたてるのがとても嫌いだ。「私は、自分が常に全ての人にとって良い人でなければならない、そういう人間です。常に皆を助けたり、助言をしたり・・・しようとします。でも今の世界では、このことは価値を持たないのです」。ソートニコワはこう言う。
(訳注:ここに昨日訳した部分が入ります。)
 
—一年前、あなたは重い怪我を負いました。しかし、それでもギプスをしてリンクに通い続けました。なぜですか?
 
「氷と、習慣になった生活スタイルが恋しかったのです。グランプリ大会の文字通り一週間前に、練習で右足の足首靭帯を痛めました。当然、ギプスが装着されました。絶対安静が必要でした。しかし、私は理解していました:もし私が今後も競技をしたいのなら、コンディションを維持し、どんな状況下でも練習をしなければならないと。
 
それに私には、見習おうとする先例がありました:以前私たちのところで滑っていた男子がいて、彼は足を骨折したのですが、毎日ギプスを付けてリンクにやって来ました。文字通り二ヶ月後、彼は競技会に出て行ました。ですから、私もギプスをしていた時、リンクに通い続け、小さな子供たちを教えながら、自分自身が滑っていた時期をひどく恋しがっていたのです。
 
それにもかかわらず、大きなリンクに戻ることはやはり困難でした。あまりにも長期間試合がありませんでした。私にとってそれは非常に重い怪我でした」。
 
—アデリーナ、あなた自身は自分のことを強いと思いますか?
 
「はい、もちろんです。私とママが男の子たちとの対応についておしゃべりをする時、彼女はいつも言います:『女の子は弱くなければならないわ』と。でも、人生を通して全てのことを自分でやっている時に、どうして弱くなれるでしょう?
 
私は女の子のように振舞わないことで、しょっちゅう非難もされます。例えば、テレビ番組「氷河時代」の私のパートナーであるアレクサンドル・ソコローフスキーは、私たちがリンクに出る時、毎回私にドアを開けてくれようとしますが、私はいつもそのことを忘れてしまいます。そうすると彼は憤慨します:『君にはもう、うんざりするよ! やめてくれよ、少しの間くらい女性でいてよ』。私は言います:『だって出来ないのよ、私。《女性でいる》ってことが一体何なのか、分からないわ』。」。
 
ー でもオリンピックの後、あなたは女らしくなり、ドレスやハイヒールを身に着けるようになりましたが、そのことはどういう認識ですか?
 
「それは本当だわ。以前はジーンズやフード付きジャージー、ジャンパーで歩いていたけれど、今はワンピースにコートだもの。自分のスタイルが現れたの。このことは、まさにオリンピックの勝利と結びついていると思います。あれが無かったら、このようなことは、たとえ起こるにしても、ずっと遅かったでしょう。それに多分、年齢の影響もありました(微笑み)。私はあたかも20歳ではなく、既に40近くじゃないかと感じます(笑)。それ程のことが私の人生にはありました・・・」。
 
ー でもこれからも、どれ程のことがあるでしょう! あなたは女優になるつもりだと私は読みました。これは本当ですか?
 
「はい、私は9年生の時からロシア演劇芸術学院に入ることを夢見ていました。ある時には準備を始めさえしたのですが、その後理解しました。演劇学校か、オリンピックかだと。そしてもちろん、スポーツを選びました。ロシア演劇芸術学院はどこにも逃げないし、女優にはいつでもなれますが、スポーツは私にとって無期限のものではありません。ですから、まず選手生活を美しく終了しなければなりません。その後で人生の次のステップのことを考えれば良いのです」。
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