楽天市場 あれこれ 2017/06/28 アレクセイ・ミーシン「四回転ジャンプの無いプログラムは、即席スープのようなもの」
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2017/06/28 アレクセイ・ミーシン「四回転ジャンプの無いプログラムは、即席スープのようなもの」

http://www.fsrussia.ru/intervyu/3022-aleksej-mishin-programma-bez-chetvernykh-pryzhkov-vse-ravno-chto-sup-iz-topora.html

2017/06/28 アレクセイ・ミーシン「四回転ジャンプの無いプログラムは、即席スープのようなもの」〜その②〜

====ロシアフィギュアスケート連盟公式サイトより一部抜粋====

(オリガ・エルモーリナ)
—今日ロシアで、羽生結弦やその他の世界的リーダーたちのような強い男子シングル選手を養成するための障害になっているものは何なのでしょうか?

「現在のロシアには、女子選手が多く、男子選手がとても少ない。例えば、初歩的訓練をしているどのグループを例に取って見ても、そこでの女子と男子の比率は8:2だ。分かりきったことだが、女子の競争ははるかに厳しく、そのせいで進歩もするのだ。

しかしもし、弁証法的に考察すれば、自然における全てのプロセスは振り子運動だ。あのタウラー/フォード組を先頭とした、無敵のアイスダンスイギリス派は、今どこにいるか? オーストリアのシュワルツ/ダンツェル組は? フランスのカルマはどこ? チェコスロバキアのネペラはどこ? アメリカのペギー・フレミングは? 

だから私が提案したいのは、パニックに陥らないで理解することだ。染色体の魔法のような結合が、感動的な労働能力によって補完され、現実離れした体質的、運動的可能性をもたらした羽生のような、自然の唯一無二の創造物は、ごく少数の人たちなのだということを。

私が生きて来た全ての歴史の期間でも、ソヴェトフィギュアスケートで多少なりとも優秀な女子選手が欠如していた時に、素晴らしいペア、アイスダンスの選手たち、強い男子選手たちがいた。多分今は、これが埋め合わせされているのだろう。だからわれわれは、今ある不均衡を解消するために、全てのことをやらなければならないのだ。
・ ・・・・
さらに、教育システム、方法は形成されたし、ウルマーノフ、タタウーロフ、ヤグージン、プリューシェンコ、その他の私の生徒たちのジャンプは、多回転ジャンプの模範例になった。今日、どんなアスリートでも、たとえ現役時代に大きな結果を達成しなかった人でも、形成された方法を使って、コーチになることが出来る。

その上、現代のジャッジングシステムは、数学的要素を前面に押し出している。以前は、われわれは優れたプログラム — 傑作を作ろうと努めていた。回転数や、ロッカー、カウンターターンの数や、大腿の水平度や、シットスピンの回転数やらに拘束されないで・・・」。

—韓国でのオリンピックの男子シングルでは、この前の世界選手権での時のような四回転ジャンプの数を私たちは見るのでしょうか、どう思われますか?

「見るだろう。さらに多くの四回転の数を。オリンピックでは四回転ルッツかフリップ、2本のサルコウ、2本のトウループを跳ぼうとする者が勝利する。今シーズンに最も鮮やかな評判を自分に打ち立てる者が勝利する。そして、もちろん、運命、競技の幸運、天の星の正しい位置が微笑む者が勝利する」。

—世界選手権の後で言われ始めたことは、このような四回転の数を伴った男子のプログラムは、助走-ジャンプの図式の下に構成されていて、芸術的要素が消えつつあるということです。これに関してはいかがですか?

「時が経つにつれて、全てが自分の場所に納まる。私にはその好例がある。バンクーバーオリンピックの前に多くの選手たちが言っていたことは、四回転は彼らには必要無い、プリューシェンコにはコンポーネント『トランジション』によって勝利するから、ということだった。

スポーツや、人間の活動のその他の分野において起こっているプロセスは、自然発生的発展に依存しているだけではなく、それらは誘導されてもいる。2010年オリンピック当時は、国際スケート連盟(ISU)のシーソーは、コンポーネント『トランジション』の側に傾いていた。しかしながら、オリンピックの後、当のライサチェクとチャンは四回転の習得に突き進んだ。私は生涯を通して、自分の生徒たちが最大限の回転数を伴う技術的に難しいジャンプを跳べるようになることを目指してやってきた。

難しいジャンプの実行と美は、相反する概念だというのは、深い誤解だ。天才的なフィギュアスケーターたちが引退した後にショーに移行し、難しいジャンプを除外した時、それは退屈だった。確かにスケーターたちは、柔軟で、エレガントで、ハイクラスに見えたが、彼らのプログラムから難しいジャンプが消失するやいなや、マスタード、酢、コショウが失われた。それら全てが、感動を呼ぶものではなくなった。

なぜなら、フィギュアスケーターたちのプログラムで、振付けの企図を表現する最も説得力のある方法の一つが、最大限に難しいジャンプであるからだ。スタンドに座っている観客でさえ、空中での回転数を非常に明確に見分け、それに対して演技者に拍手で報いる。

スピンやステップが重要でないと言うのも愚かなことだろう。それらもまた、成功の要素だ。しかし、四回転ジャンプのないプログラムは — それは即席スープのようなものだ。どれ程セロリとパセリを入れようが、このスープは決して美味しくはならないのだ」。

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