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2017/09/12 ユリヤ・リプニツカヤ「ページはめくられた。私には新しい人生と新しい計画がある」〜その①〜

http://fsrussia.ru/intervyu/3126-yuliya-lipnitskaya-stranitsa-perevernuta-u-menya-novaya-zhizn-i-novye-plany.html

2017/09/12 ユーリヤ・リプニーツカヤ「ページはめくられた。私には新しい人生と新しい計画がある」〜その①〜

====前半部分のみ抜粋====

(オリガ・エルモーリナ)
団体戦オリンピック女王ユーリヤ・リプニーツカヤは、競技生活からの公式引退後、ロシアフィギュアスケート連盟のサイトに唯一のインタビューを提供し、これでこのテーマに関する記者たちとの接触にケリをつけた。インタビューで彼女は、最近彼女に関して現れた数々の神話のような作り話の実態を明かし、今後の計画について語った。

—ユーリャ、競技スポーツからの引退というあなたの決断は、どれ程自覚的なものだったのですか?

「今回のこれは100%自分の固い決断です。これをするために私は、一ヶ月でもなく、二ヶ月でもなく、三ヶ月でもなく費やしました。つまり非常に長いこと考え、全てのものごとの賛成、反対の重さを量りました。

冬に療養するためにクリニックに行き、そこで非常に長いこと過ごしました。ですから、全てのことを考える時間が私に十分あったことは信じていただけるでしょう。競技スポーツから引退するという決断にたどり着くのは、現実離れした難しさでした。

真剣に、毎日寝ても覚めても、どうなるのかという一つの考えに取り憑かれていました。クリニックに入院している間に、私たちは心理学の専門家たちと多くの取り組みをしましたが、あそこには心理学専門の強い人たちがいて、彼らは例えば、生活の健康に関わることを優先させるために私を助けてくれました。私は、多くの問題を真剣に熟慮せざるを得なかったのです。なぜなら、回復してフィギュアスケートに戻ることを確信していたのですから。そのことを私は確信していましたし、全員が確信していました! ママ、コーチ、全員が・・・

クリニックで、私はイスラエルで治療したのですが、入院後最初の一週間が過ぎて、休日のある日、私の電話が盗まれました。従って世界との全ての繋がりが引きちぎられました。これは全く偶然に起こったのですが、その結果私は長いこと、ネットにも、どこにも現れませんでした。

今になってやっと、何のためにそれが私に行われたのかが分かります。私の人生で何が起きているのかを、私が現実的に熟慮するためなのです。これは、非常に重要な役割を果たしました。確かに私は電話を買いに出かけることが出来たでしょうが、一度こうなったからには、そうならなければならないのだと、私は決心しました。

実際は、私は外国にいて、そこでは皆が、英語ですらない別のことばを話していて、世界との何らかの繋がりは無かったのですが。空で覚えているのは、ママの番号だけでした。後になって結局、ママと親類にだけ電話が出来る簡単な、安い携帯を買いましたが、それで終わりです。ですから、そこでの時間はただ自分の健康にだけ取り組むことと、クリニックから退院した後自分が何をするかを考える時間になりました」。

—一番怖かったものは何だったのですか?

「分からないことです。私にとって最も恐ろしかったものは、今後どうなるのか?を理解することでした。私はクリニックから出て、どうなるのか? 特に、私が現役を引退する方向に、99.9%全てが傾いていることを自覚し始めた時です。そしてその時、どうなるのかが全く分からないことから、私にパニックが始まりました。これは本当に悪夢でした! そして、家に戻った時、最初の一週間座って考えました:今後どうするか、何から始めるか、何をやるか? 分からないこと — それは恐ろしいものです。

私はすぐにママと相談しましたが、彼女は私を理解しました。私たちは一緒に決めました:もし新しい人生だというのなら、新しい人生なのだと。従って、連盟に行かなければなりません。全員に通知し、状況を説明し、どうしてこうなったのか、そして私が何をやったのかを話さなければなりません。その後で連盟指導部と約束しました。私たち全員が一緒に9月を待ち、テストスケートで、私の引退の正式発表をしようと。それが全てだと。ですから、私のファンたちに、ファンだけじゃなく、理解を持って待っていてくれたことに感謝したいのです」。

—その面会の時に、連盟の指導者たちは、全てをもう一度考えるよう、あなたに提案しました。あなたが最終的に、よく考え抜いた決定を下すようにと。トップレベルの強いアスリートをぞんざいに扱うことはないのですから。

「もちろん、4月に私は質問されました。この決定は感情的な、突発的なものではないのかと。しかし、これだけの時間をかけて考えて、感情的な決定をすることは不可能です。確かに、テストスケートまで考える時間を与えられましたが、私にとっては、もう全て決めたことでした」。

—競技スポーツで自己実現が出来たと考えていますか?

「もちろん、いいえ、です。もっとやりたかったことがたくさんありましたし、シングルスケートで、もっと多くのものに到達し、向上させたかったです。でも起こってしまったことは、起こってしまったことです。本当はソチオリンピックの後、私はアイスダンスで自分を試したかったのです。私のこの願いは2、3年ありましたが、この願いは多くの人たちによって悪く受けとられ、このアイディアは間もなく消滅しました」。

—完全に自己実現することの妨げになったものは何ですか?

「99%が健康の問題です。残りのものは、これに付随したものであったことは明らかです。私の診断が報道された後、何故私がそれを公表したのか?と私に書いて、質問して来るようになりました。しかし、たとえ私自身がそれを言わなかったとしても、情報はやはり広まったでしょう。摂食障害 — それは21世紀の病気で、非常に頻繁に見られるものです。残念ながら、全員が克服している訳ではありません。

もし私が隠さずに言えば、このようなことがなくなるのではないかと考えました。唯一残念に思っていることは、もっと以前に、このように隠さずに言うことをしなかったことです。だってこのようなこと全てが続いていたのは、一年ではなく、二年でも、三年でもなく・・・もっと以前からなのですから。

『Cup of Russia』の後、私は家に戻ると、スケート靴を戸棚に入れましたが、その時からそれを見ていません。もう、私は氷に引きつけられません。1月にクリニックへと去ったこと、これこそが全てなのです」。

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