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2017/10/04 アレクサンドル・スミルノフの母親「怪我が、カワグチ/スミルノフ組の競技生活の障害となった。二人のプログラムは常に非常に難しいものだった」〜その①〜

http://www.etver.ru/novosti/95444/

2017/10/04 怪我が競技生活の障害になった。トヴェリ市のフィギュアスケーター、アレクサンドル・スミルノフの母が息子の今後について、彼の才能のあまり知られていない面について語った。〜その①〜

====トヴェリのポータルサイトから一部抜粋=====

(アレクサンドル・アルセノフ)
ペアスケートのユーコ・カワグチ/アレクサンドル・スミルノフ組は、現役選手生活からの引退を発表した。「キャラバン」の特派員は、トヴェリで最もタイトル持ちのフィギュアスケーターの母親、タチヤーナ・スミルノーワと話をした。

タチヤーナ・スミルノーワ:「現役引退の決断は、私にとっては突然のものではありませんでした:その決断は固まって行き、だいぶ前に熟していました。彼らは既に、一度ならず、二度ならず、潮時だと考えていました。私は彼らの計画を知っていました。ですから、彼らの決断には、完全に賛成です」。

—今サンクトペテルブルクに住んでいるアレクサンドルは、頻繁に電話をしたり、訪れたりするのですか?

「今は頻繁にやって来るようになりました。それに6〜8月に三度トヴェリにやって来て、トヴェリやスターリッツァのフィギュアスケーターたちのために、チュカーヴィノで合宿をしてマスタークラスを行いました。電話も頻繁にあります。彼だけじゃなく、彼の妻のカーチャからもあります。ですから、私たちは常にお互いに繋がっています」。

—息子さんの家庭生活は、つまり銃後は心配ないのですか?

「その面では、サーシャは全て普通にやっています。結婚もして、息子のフョードルはもうすぐ3歳です。もう泳いでいますし、希望通りに氷にも立っています。保育園に行く迄は、どこにも行かせるところがない時に、サーシャはしょっちゅう自分のトレーニングに連れて行きました。ですから今では、彼は父親のトレーニングを『助け』て、リンクサイドでホイッスルを吹いていることもあります」。

—アレクサンドルとユーコは多くのものを達成しました:二度のヨーロッパチャンピオン、世界選手権メダリスト、三度のロシアチャンピオン、グランプリ大会のメダリスト。彼らの滑りのなかでのどのような成功、どのようなプログラムが一番記憶に残っていますか?

「多分、グランプリ大会での彼らの初めての滑りでしょうね。その時3位になりました。あのような大会に初めて出場して、すぐに『発砲』したのです。

面白い、美しいプログラムは彼らには沢山ありました:『二月』、『カルメン』など。プログラムは基本的に振付師のパーヴェル・チェルヌィショーフが作りましたが、多くの面白いプログラム作りを、ロシアの素晴らしい元フィギュアスケーター、イーゴリ・ボブリンやナターリヤ・ベステミヤーノワも助けてくれたのです」。

—競技面では、スミルノフ/カワグチ組は、どれくらい完全に自己実現したのでしょうか?

「2010年のバンクーバーオリンピックでは、ショートプログラムで彼らは3位でしたが、総合成績ではオリンピックメダルを逃し、4位でした。彼らがメダルを取れなかったことは残念です。

私の考えでは、彼らは完全には自己を実現しませんでしたが、その最も主要な原因は — 彼らには非常に多くの深刻な怪我があったことです。2014年ソチオリンピックには、サーシャの怪我のために出場出来ませんでした。ドイツで成功裏に手術が行われ、再び足で立たせてもらいました。

考慮に入れなければならないことですが、どの大会でも、彼らのプログラムはいつも、非常に難しいものでした。スロー四回転ジャンプを含んでおり、それは彼ら以外にはほとんどまだ行われていないものです。彼らの全てのプログラムが、そのようなものだったのです — エレメンツが難しく、同時に芸術的なものでした」。・・・

—サーシャのパートナーのユーコについて、あなたはどんなことが言えますか?

「別の銀河です! 仕事への彼女の熱中ぶりを特に言いたいですね。尋常ではない勤勉家です。でも — 怪我、怪我・・・怪我が、彼をも彼女をも『滅ぼし』ました。さらに彼女は非常に根気強い人です。彼女は珍しい日本料理を作るのが好きです。私は彼らにご馳走しますが、彼女もご馳走してくれます。例えば、ある時彼女はオリジナルのケーキを作りました — 緑色をしているのを — 美味しかったわ!

サーシャは、彼女に対しそつなく振舞っています。彼らは、お互いがいなかったらどうしようもありません。しょっちゅう待っていました — 彼の怪我が治るのを、あるいは彼女の怪我が治るのを。ソチオリンピックの前は、サーシャに怪我があり、世界選手権、ヨーロッパ選手権の前には、彼女に怪我がありました。

サーシャの特性 — それは持続性です。コーチが変わるのを彼は好みません。彼は最初、リュドミーラ・スミルノーワのところで、次に家族ペアのヴェーリコフのところで練習しなければなりませんでした。そして、始めはモスクヴィナのところへ行きたくなかったのです。でも、ユーコが — 彼女も以前にペアがいなかったのですが — 呼んだのです:『私と一緒に滑りましょう!』と。そして彼は移りました。以前のコーチたちから去ったことを、非常に気にしていました。ユーコはモスクヴィナのところで15年取り組みました」。

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  1. 2017/10/05(木) 02:56:00|
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