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2018/05/26 アレクセイ・ウルマーノフ「リプニツカヤとの仕事のなかで、自分にとっての多くの発見があった」

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2018/05/26 アレクセイ・ウルマーノフ「リプニーツカヤとの仕事のなかで、自分にとっての多くの発見があった」

=====一部抜粋====

(ジャウダト・アブドゥーリン)
—シニア大会出場資格年齢を上げることに対して、あなたはどのような考えをお持ちですか?

アレクセイ・ウルマーノフ(訳注:1994年リレハンメルオリンピック金メダリスト):「おそらく、これは理に叶っているだろう。15歳の少女と、25歳や30歳の女子スケーターの競争を論じることが出来ない以上。これらの変更は、それらが採択されるとしても、ISUで議論されなければならない。これらの革命的変更は、もしこれらが実際に起こるとすれば、オリンピック直前ではなく、それ以前に、例えばオリンピックサイクルの始めに行われなければならないのは明らかだ。しかし、このような変更は起こらないだろうと思う。繰り返すが、私はそれらを支持する立場ではあるけれども」。
・ ・・
—しかし、その一方で、エテリ・トゥトベリーゼのグループで作り上げられた勝利の方程式とでも言えるものが存在します。プログラム後半でのジャンプは現在、メドヴェージェワやザギートワのみならず、グループ内の実質上全ての生徒たちの商標になっています。他のスケーターたちがこの勝利の方程式を何故使えないのでしょうか?

「おそらく、他のスケーターたちは全く同じように滑る準備が出来ていないのだろう。ある者は身体的な準備が出来ていない、またある者はプログラム後半で全てのジャンプエレメンツをミスなく行う、あのような形に自分のプログラムを作ることが心理的に出来ないのだ。

この状況に対する私の具体的な見方を言うとすれば、私はフリープログラムの構成をよりバランスの取れたものとして見ている。これが為されない時、比喩的、図式的に言えば:最初に3つのスピンをやり、次に7つのジャンプエレメンツをやるとなる。私にとってこのようなものは、完全に均衡の取れたものとは言えないし、そのせいで、このようなプログラムは、私の理解では、芸術的、創造的、振付け的心得のあるものとは見えない。私は、ジャンプエレメント、スピン、ステップシークエンス等々と進んで行くようなプログラムの実行に、やはり賛成するし、一定のアイディア、考え、一定の振付け的、芸術的企図に基づいて、自分の物語りたいことが理解されるようにプログラムを構築しようとしている」。
・・・
—4年のオリンピックサイクルを終えた昨シーズンで、何があなたの記憶に残りましたか?

「ブリュノ・マッソと一緒にオリンピック金メダルを獲得したアリョーナ・サフチェンコのために、人間として喜んでいる。彼らは本物のアスリートだし、特にアリョーナは理想的プロフェッショナルの実例だ。オリンピックに5回出場し、最後のオリンピックで勝利して、世界選手権での夢のような勝利でシーズンを締めくくったのだから — これは、とても貴重なことじゃないかね。

悲しいことに、同様の勝利のピリオドをカロリーナ・コストナーは打てなかった。彼女は、ホームでの世界選手権で表彰台を逃したのだから。彼女には、最小限でも表彰台に乗るか、最大限でホームのアリーナで勝利するかの大きなチャンスがあった。

またシーズンで記憶に残ったことは、オリンピックでの羽生結弦のパフォーマンスだ。彼は(団体戦が導入されて以降の)個人戦で2個の金メダルを獲得した初めてのフィギュアスケーターになった」。

—エヴゲーニー・プリューシェンコも2個の金メダルを持っています。1つは団体戦でのものですが。あなたは現役時代に団体戦を知らなかったスケーターとして、団体戦の試合は個人戦に匹敵すると感じていますか?

「正直に言うと、初めて団体戦が登場したソチオリンピックでは、私は全く受け入れられなかった。その時のそれは、ただの思いつきのようだった。今は、この試合の認識は落ち着いた。既に今では、一人のアスリートのパフォーマンスがチーム全体の一位や二位の消滅に影響を及ぼすことが出来るという駆け引きが分かってきた。時とともに別の興味を持って私もそれが見られるだろうと思う」。
・ ・・
—子供たちとの仕事に没頭していた時に、あなたは再び、ユーリヤ・リプニーツカヤというハイクラスの女子スケーターとの仕事の経験を積むことになりました。この協働の時期をどう捉えていますか?

「私は、ユーリャと引き合わせてくれた運命に非常に感謝している。その上、この感謝は相互のものだ:私はユーリャに感謝し、ユーリャは私たちの協働の期間に対し私に感謝している。私たちは関係を維持し続けている。シーズンが終わった後、彼女はソチに飛行機でやって来て、私と彼女は会って話をした。私たちの仕事は困難なものだったが、同じくらい興味深く、ためになるものだった。正直言うと、職業上でも単に人生の上でも非常に多くの、自分にとっての新しい発見があった。これはユーリャにとっても大事なものであったと思う。彼女は、私にも、私たちのトレーニングスタッフにも、全体としてこの協働に対して感謝し続けていることを知っているから。

私たちのグループには、わずか8〜10歳くらいの小さな生徒たちがいる。私は彼らの両親たちと話をするが、リプニーツカヤと一緒に仕事をしていた期間が数ヶ月過ぎたある時、母親の一人が私にこう言った:『ところでユーリャは、暖まってきましたね』。私は聞き返した:『どういう意味ですか?』。『だって最初の頃、彼女は何かの小さな野獣のようでした』。そこで私は思い出した。最初の頃、彼女は本当にオオカミの子供のようだったことを。その後、時とともに彼女は気付いたのだ:人生を、敵意を持って迎えなくてもよいのだ、自分の棘を立てながら全てに反応しなくてもよいのだということを。誉めることも、撫でることも、抱き締めることも出来る人々がいるのだということが分かっていったのだ」。

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