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2019/02/06 ポリーナ・シェレペーン「トゥトベリーゼから離れたのは、自分が成長期だったからだと今は説明が出来る」

  1. https://matchtv.ru/figure-skating/matchtvnews_NI967094_Polina_Shelepen_V_mojem_uhode_iz_sporta_net_tragedii__Bolshoje_intervju_pervoj_uchenicy_Tutberidze_dla_Match_TV

2019/02/06 ポリーナ・シェレペーン「私の現役引退には悲劇の要素は無い」

====一部抜粋====

(アナスタシーヤ・パーニナ)
ポリーナ・シェレペーンは、エテリ・トゥトベリーゼグループの中で、国際的ジュニアレベルで高い結果に到達した最初のフィギュアスケーターだった。グランプリファイナルに二度選出され、そこで二度銀メダルを獲得した。ジャンプの面で才能に恵まれた彼女は、10年前のそれが主流ではなかった時代に、全てのトリプルジャンプと、それらから成るコンビネーションジャンプを跳んでいた。

シニアレベルへの移行は、「ぐしゃぐしゃに」なり、その後フィギュアスケートにおけるポリーナの足跡は見出せない — 彼女はコーチと競技上の国籍を変え、そして幾つもの怪我を負った。それらの怪我は、誤った診断と治療により、手術を必要とする大きな問題に変じた。そして19歳で突然、競技生活から引退し、コーチ生活に入った。

今ポリーナ・シェレペーンは、モスクワの学校の一つで、子供たちを教えることに喜びを見出している。トレーニングキャンプを行えば、そこには色々な地域からのスケーターたちもやって来る。少し前には生徒に、人生で初めての四回転ジャンプを跳ぶことに成功させた。

—エテリ・ゲオルギエヴナは厳しいコーチです。それは、スケーターたちの練習へのモチベーションに、どのように影響を及ぼしましたか?

「なぜか人々が、エテリ・ゲオルギエヴナ(・トゥトベリーゼ)は厳しいコーチだと言う時、彼らは彼女をモンスターか何かだと想像しています。今でも、私がトゥトベリーゼの下で練習していたことを知っている、自分の生徒の親たちから、そのようなことが聞こえて来ます。彼らは私のことを、あたかも、地獄にいた人が生きて帰って来たかのように見ています。しかし、高いレベルのコーチは誰だって、いつもスケーターの頭を撫でて、気落ちしないように頼むことなどしないでしょう。ロシアには、そんなコーチは全くいません。

それ(厳しさ)は、やる気を奪っているのではありません。だって私たちは皆よく分かっていたのです — コーチは私たちがより良く成るように願っていることを・・・」。

—あなたは、エテリ・ゲオルギエヴナから、どのようにして去ったのですか?

「困難は、私たちが非常に長い間一緒に仕事をして来たことにありました。しかし、最後のシーズンは関係が難しくなりました。今の私には、このことは全て、その時自分が成長期だったからだと説明がつきます。16~17歳の頃は、皆が不当に自分に言いがかりを付けると、家でも感じるものです。『あなた方は皆正しくないけど、私は立派にやっている。だから私に構わないで』と。

私たちには衝突がありました。そして私は短気な人なので、時として練習を離れることも出来たのです。以前は一度も自分にそのようなことを許したことがありませんでしたが、最後のシーズンは、私の試合の度にそれが見られました:もしポリーナが駄目な試合をしたら、それは前夜、練習から離れたのだと。

その後私たちはノヴォゴルスクでの合宿に出かけました。そこでは、この様なこと全てが続きました。ある時私は、これ以上乱暴な口はききたくないと思いました。いずれにしろ、この様なことからは何の進歩もありません。大きな問題は、私はとても自分のコーチが好きなので、彼女に近付いていって、『さようなら』を言うことなど、考えられなかったことです。それは苦しく、難しいことでした。

私は練習から部屋に戻ると、私を合宿から連れて帰るよう、母親に書いて頼みました。少しの荷物を持ってママを待ちましたが、ママはノヴォゴルスクに着くと、私に、散歩に行かなければならないと言いました。私たちは出掛けました。私がいないのが分かると、電話と捜索が始まりました。そしてその時、私は完全に離れたのだと、もう認めなければなりませんでした。

後になって、私は花束を持ってノヴォゴルスクに行って来ました。そこは警備の厳しい場所で、私はもうそこに住んでいないのですから、入らせてもらえませんでした。エテリ・ゲオルギエヴナのための花束は、メモと一緒に、警備員を通して渡してもらうしかありませんでした。

移行は私にとって辛いものでした。私の次のコーチであるスヴェトラーナ・ウラジーミロヴナ(・ソコロフスカヤ)はそれを理解し、このテーマを私と一緒にいるときに取り上げることは決してありませんでした。

今は私も、コーチをしているのですから、自分の生徒たちを失うことがどういうことなのかを理解しています。コーチから去ることは、アスリートにとっても、コーチにとっても簡単なことではないのです。たとえコーチ自身が、自分の生徒がこれ以上何も続けることが出来ないと理解して離したとしても、それはやはり、自分の子供を他の家族に手渡すことなのです。

ですから、記者たちが電話して来て、トゥトベリーゼの生徒の誰かが彼女から離れたことについてコメントを求められるのは、嬉しいことではないのです。私はそのようなコメントはしません。これは無作法であり、正しいことではありません」。

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コメント

常々翻訳を読ませていただき、心より感謝しております。
バンクーバーシーズン辺りにフィギュアスケートを一番観ていた人間としてシェレペンさんのインタビューはありがたかったです。
一部抜粋という事ですが、たまたま元記事の英語翻訳を他所で読み、エテリコーチに関する言及以外の部分でも興味深い内容がありましたので(怪我の誤診と手術、イスラエル連盟の対応への感謝、2009年JGPFにて日本の観客の前で演技した時の幸福感等)、割愛された部分の翻訳も日本語以外が苦手な方にはありがたいのではないかと思いましたのでコメントさせていただきました。
  1. 2019/02/09(土) 12:40:20 |
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