楽天市場 あれこれ 2022/11/03 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉑
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あれこれ

2022/11/03 ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉑

ヤングアダルト向けノンフィション時代小説「ヴィクトリア湾のほとりで」㉑
(ミハイル・ヂェメノーク Михаил Деменок作)


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アルヒープ・マコーヴィンの手から、無事で何の傷も無い馬たちを受け取ってから、商人は怒りをこらえて自ら手綱を取ると、グドークと灰黄の雌馬をその場からフォームキン草地の方へと駆り立てた。さらには、暗い山々が押し迫る、陰気で狭い窪地を通ってクチェリーナヤ谷の方角、農場を目指した。暖かい、冬中凍結しない源流を渡っている時、商人は突然、汗だくの馬たちを止めた。陰険な笑いが浮かんだ彼の冷たい視線が、イグナートの使い古して破け、多くの穴から藁がはみ出た平靴にちらっと注がれた。

「イグナート、口笛を吹け。二日酔いのグドークに水を飲ませたいんだ」。
イグナートは従順に唇を丸く突き出し、口笛を吹き始めた。
馬たちは耳を前後に動かすと、頭を下げ、冷たい水を唇で漉すようにしてうまそうに飲み始めた。
「十分に飲んだかね。それじゃ、イグナート、橇から水の中に降りろ」。首も回さずに商人は命令した。
「何ですって」。
「全く簡単なことだ。お前は橇から降りろ、と言っているんだよ」。
「何のためにです、ミローヌィチ、お前さまには人の心というものがねえのですかい」。イグナートは、頭からフェルトの穴の開いた帽子を取ると、十字を切り始めた。
「何のためだか自分で分かるだろう。従順でないことに対する罰だな。橇から降りて、自分の二本の足で農場まで走って行くがいい」。
「一体そんなことが出来ますかい。憐れみをかけてくだされ、ミローヌィチ」。イグナートは自分の主人の方に顔を向けながら、立ち上がらずに、橇の中でぐずぐずした。
「何だ、このシラミたかり!」。こう言うと商人は、イグナートの顔面を足で蹴飛ばした。イグナートは、橇からどぶんと水に落ちた。

「死にはすまいて。原住民なんだから」。馬たちは、橇を岸へと引きずって行き、そして森に沿った道を遠くに明滅する明かりを目指して駆け出した。

商人の気分は、芳しいものでは無かった。1露里[1.067㎞]程進んだ頃、彼はいつものくせでチョッキのポケットに手を突っ込むと、失ったものに気が付き、あっと叫んだ。
「すっかり盗まれた、確かだ、盗まれたんだ」。イグナートの毛皮外套の上でめそめそぐちぐちと愚痴り出した。嫌疑はすぐに下男にかけられた。あいつは水よりもおとなしく、草よりも身を低くしていたのに、財布を手にしたとたんに胸を張り、自尊心など見せ始め、従順でなくなったんだ。

「あいつだ」。商人は、橇の向きを変え、源流めがけて走り出した。まだ遠くのうちから、こっちに向かって走って来るイグナートを認めた。
「すぐにぐずぐずしないで答えろ」。彼に近づきながら商人は質問し、橇に乗るよう命じた。
「もういやだ、寒くて寒くて」。橇の藁に腰を降ろしながら、下男は言った。
「それ見たことか、聞き分けがない奴、ほら、足布にするよう裂いて履き替えろ」。商人は両足から亜麻布を取ると、イグナートに差し出した。平靴の中で水がべちゃべちゃと音を立て、蝋引き糸がきゅっきゅっと鳴った。
イグナートは履き替えてから、急にはっとした。
「ミローヌィチ、ご親切ありがとうございます」。
「これで済んだと思うなよ。農場に着いたらちょっと話がある」。そう言うと、馬にぴしゃりと鞭を当てた。

農場の入り口で、真ん中の兄弟イワンが手にベルダン銃を持って、商人を迎えた。
「どうしてこんなに遅くなったんだい。親父と巡査が待っていたが、待ちきれずに迎えをやったんだよ。さあ、急げ」。彼は肩越しにこう言うと、馬に拍車を入れ、農場の中心部の方へ駆けて行った。
《農民長であるルーカ・ルキーチ・コロドーシェンキン自らがお出ましとは、何か普通でないことがあるに違いない》。ロマイ・ナガー[足を折れという意味]というあだ名がある、片足が不自由な馬丁のサボンが彼らを迎えに出た屋敷に近づきながら、商人の頭をこのような考えがよぎった。馬丁は一言もしゃべらずに馬の轡を取り、厩に引いて行った。

商人は鞭をひゅうと鳴らすと、イグナートに付いてくるよう命じた。
「ミローヌィチ、こんななりをした手前が、このような立派なお宅に伺えますものやら」。下男は、棒のようになって身体に引っかかっているこちこちに凍った衣類を示した。
「歩け!」。商人は怒鳴りつけ、足でドアを蹴飛ばした。その向こう側から、巡査の憂鬱そうなバリトンが聞こえた。
「彼は不運だ。彼は、ふ・う・ん・なんだよ」。
《酒を飲んで遊んでいるのか? ああ、今日はクリスマス週間の最初の日、復活祭だ》。自分の前をイグナートに行かせながら、商人はこう思った。

「やっと帰ったか。こんなに遅くまでどこに消えていたんだ」。貴賓を迎えて、自分のお気に入りの紺色の羊毛の背広を着たミロン・ブラコーフは、大きなテーブルから飛び出すと、息子の肩を掴んで強く振った。
「耳の遠い人の結婚式で、飲んでいたんだ」。ニコライはうつむいて、ぼそぼそと言った。
「何だって。アルセンチーが結婚したのか。誰と?」。
「立ち寄ったロマの女と。そして匪賊らが結婚式を混乱させたんだ。ラーズム、マコーヴィンとアルセンチーがそいつらを追っ払ったんだよ」。
「お前はしけた顔をしているように、わしには見えるがね。まるで自分の父親を亡くしたようじゃないか」。
「ことばにならんよ。売り上げの入った財布を失くしたんだ」。
「いくら入っていたんだ」。
「千ルーブル近くさ」。
「いやはや。何の咎で神はわしらをこんなに厳しく罰するのか」。
「俺には、こいつの仕業だと思えるんだ」。半外套を脱ぎながら、ニコライは真っ赤になって怒鳴り出した。「ひざまずけ、シラミたかりのこん畜生め」。
イグナートが床にごつんと音を立てて両ひざをつくと、凍り付いた衣類がぽきぽきと割れ始めた。
「神様が見ていなさるだ。絶対に俺はあなた様の銭など取っていない、取っていないだよ」。下男は大梁の下にイコン[聖像画]が吊るされた一角を見ながら、3回十字を切った。
「ごまかすな」。巡査はニンジン色の八の字髭をぴんと立てながら、こぶしでテーブルをどしんと叩いた。「金をどこに隠したのか言え。さもないと痛い目にあわせるぞ」。
「取ってないだよ、知らねえだよ」。イグナートは十字を切った。

「よろしい」。ミロンはイグナートに近づくと、彼に手を貸して立たせた。「それじゃ、息子の財布を巻き上げたのは誰だと、お前は思うね」。
ミロンは木のジョッキに自家製ウオッカを注ぎ、皿に煮たクマ肉の厚切りを載せると、下男に差し出した。
「ほら、空けろ。そしてから順を追って残らず話すんだ」。
イグナートは酒を飲み干し、肉をむさぼるように食べた。
「ありがとうごぜえます、モイセーエヴィチ[父称。モイセーエフの息子という意味だが、ここでは敬称として使われている。本来ならミロン・モイセーエヴィチという名前・父称で呼び掛けると尊敬形になる]」。
「それじゃ、強情を張らんで、イグナート、話せ」。
「俺が思うに、金の入った財布は、アルヒープ・マコーヴィンがミローヌィチを踊り負かそうとした、あの時に掠め取ったんじゃないかと。それともロマの女かも。あいつらは手癖が悪いから」。

「捕まってない者は、泥棒じゃない。そうだろ」。テーブルに近づきながら、イワンが言った。
ミロンは彼を睨みつけた。
「目上の者たちが話している時に、くちばしを入れるな。イグナート、もういい、行け。自分の家を暖めて、服を乾かし、応集する準備をしろ。もうすぐ兵隊に採られるんだぞ」。
「何ですって」。イグナートは巡査の足許にひれ伏した。「どうか、お赦しくだされ」。
「去れ!」。巡査はそうがなり立てると、イグナートを足でこづき、彼の後ろでドアを閉めた。

ミロンは家族テーブルの側に長椅子を動かし、息子たちに自分の近くに座れと命じた。マーリヤは、腹を空かせたニコライの前に湯気を立てたスープのつぼを置いた。
「さて、わしらの大事なお客であるルーカ・ルキーチ様が、いい知らせを持って来てくれた。ラーズムの嘆願書を検討した知事閣下がルーカ・ルキーチ様に書類を送り、その中で、うちの農場から5人を兵役に徴集することを命じておられる。これは知事閣下が、お前たち全員のことを頭に置いているということだ」。
「何だって。それじゃうちの仕事はどうなるんだい。破産じゃないか」。ニコライは、デカンターから麦のウオッカをコップに注ぎ、それを空けると、もう一度デカンターに手を伸ばした。しかし、父親の声が彼をとどめた。
「それ以上は注ぐな。この大変な時にお前ときたら、どうしようもない馬鹿みたいに巻き上げられて・・・ここで破産せずに稼業をきちんと続けるために、わしとルーカ・ルキーチ様が脳味噌をしぼってあれこれ考えて、こういうことに話が決まった。知事の命令書では、招集兵を指名している訳ではないから、お前たち息子の代わりに、下男のイグナート・ポノマレンコ、イワン・マクーハ、セミョン・チューラエフ、アンドレイ・ズリーリン、パーホム・ナセートキンを応集させる。一人一人にお前たちは馬具と馬を与えなければならない」。
「二人だったら何とかね。ただ塹壕の中でシラミが湧くことが無いのだったら」。イエゴールが長椅子の上でぼそぼそ言った。
「また余計なことを言うな。ルーカ・ルキーチ様には、お前たち息子へお情けをかけてくださったのだから、この贈り物を贈呈しよう」。ミロンは身を屈めると、帝政鋳造金貨が口まで詰まった緑色の大型ガラス瓶を、テーブルの下から取り出した。

「ご丁寧に、ミロン・モイセーエヴィチ、厚く感謝致します」。巡査のニンジン色のネコのような口髭が、金貨を見て、より一層ぴーんと立った。「厚く感謝致します」。
吹き出物だらけの赤い首の汗を、手ぬぐいで拭いながら、巡査は接吻をし合うためにミロンの方に身体を近づけた。
「明日は朝早くから、一緒にマーモントフカへ狩りに出掛けましょうぞ。ルーカ・ルキーチ様のためにイジューブル[大鹿]を仕留めなければ」。巡査に接吻しながら、ミロンが言った。「今日はこれでお帰りになられますよう。ルーカ・ルキーチ様も休息をお取りになりませんと」。
(つづく)

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